電脳筆写『 心超臨界 』

何もかもが逆境に思えるとき思い出すがいい
飛行機は順風ではなく逆風に向かって離陸することを
ヘンリー・フォード

論語 《 李氏、将に顓臾を伐たんとす 》

2023-11-27 | 03-自己・信念・努力
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◆李氏(りし)、将に顓臾(せんゆ)を伐たんとす


『現代語訳 論語』
【 宮崎市定、岩波書店 (2000/5/16)、p274 】

  李氏第十六(421~434)

421 李氏将伐顓臾。冉有李路見於孔子曰。李氏将有事於顓臾。孔子曰。求。無乃爾是過与。夫顓臾。昔者先王以為東蒙主。且在邦城之中矣。是社稷之臣也。何以伐為。冉有曰。夫子欲之。吾二臣者。皆不欲也。孔子曰。求。周任有言。曰。陳力就列。不能者止。危而不持。顚而不扶。則将焉用彼相矣。且爾言過矣。虎兕出於柙。亀玉毀於櫝中。是誰之過与。冉有曰。今夫顓臾。固而近於費。今不取。後世必為子孫憂。孔子曰。求。君子疾夫舎曰欲之。而必為之辞。丘也聞有国有家者。不患寡而患不均。不患貧而患不安。蓋均無貧。和無寡。安無傾。夫如是。故遠人不服。則脩文徳以来之。既来之。則安之。今由与求也相夫子。遠人不服。而不能来也。邦分崩離析。而不能守也。而謀動干戈於邦内。吾恐李孫之憂。不在顓臾。而在蕭牆之内也。

(訓) 李氏(りし)、将に顓臾(せんゆ)を伐たんとす。冉有(せんゆう)、李路(きろ)、孔子に見(まみ)えて曰く、李氏、将に顓臾に事あらんとす。孔子曰く、求(きゅう)や、乃ち爾(なんじ)は是れ過(あやま)てることなきか。夫れ顓臾は、むかし先王、以て東蒙(とうもう)の主となせり。且つ邦城の中にあり。是れ社稷の臣なり。何ぞ伐つを以て為さん。冉有曰く、夫子これを欲す。吾ら二臣の者は皆な欲せざるなり。孔子曰く、求や、周任(しゅうじん)言えるあり。曰く、力を陳べて列に就き、能わざれば止む、と。危くして持(じ)せず、顚(くつが)えりて扶(たす)けずんば。将(は)た焉んぞ彼の相(しょう)を用いん。且つ爾の言過てり。虎兕(こじ)、柙(こう)より出で、亀玉(きぎょく)、櫝中(とくちゅう)に毀(やぶ)れなば、是れ誰の過ちぞ。冉有曰く、今夫れ顓臾は固くして費(ひ)に近し。今取らずんば、後世必ず子孫の憂えと為らん。孔子曰く、求や、君子は夫のこれを欲すと曰うを舎(お)きて、必ずこれが辞を為すを疾(にく)む。丘や聞く、国を有(たも)ち家を有つ者は、寡(すくな)きを患えずして均しからざるを患え、貧しきを患えずして安からざるを患う、と。蓋(けだ)し、均しければ貧しきことなく、和すれば寡きことなく、安ければ傾むくことなし。夫れ是の如し。故に遠人服せざれば、文徳を脩めて以てこれを来(きた)す。既に来せば、則ちこれを安んず。今由と求や、夫子を相(たす)け、遠人服せずして、来(きた)すこと能わず。邦、分崩離析(りせき)して、守る能ざるなり。而して干戈(かんか)を邦内に動かさんと謀る。吾れ恐らくは李孫の憂えは、顓臾にあらずして、蕭牆(しょうしょう)の内にあらん。

(新) 魯の大臣の李氏が顓臾の邑を伐つ計画をした。冉有と李路とが孔子に面会して曰く、李氏はいま顓臾を攻めようとしています。孔子曰く、冉求よ、お前は何か考え違いをしているのではないか。顓臾という邑は、むかし周の祖先が東蒙山を祭るために封じた国であって、魯国の領土に取り囲まれているが、独自の社稷を祀る権利をもった属国である。これを攻めるという法はない。冉有曰く、李氏大臣が主張していることで、私等二人は実は不賛成なのです。孔子曰く、冉求よ聞け、周任の言った言葉に、出来る限り力を出し、位にあって奉仕するが、出来なくなれば退任する、と。足許が危ない時に傍から支え、転びかけた時に助けおこすのが付添人の相(しょう)という者の役目だが、もしそれが出来なかったら相などはいらぬ。その上にお前が今言ったことも心得ちがいだ。(官吏にはそれぞれの職責がある。)動物園の園丁が虎や野牛に檻から逃げ出され、お庫番が預かっていた玉器や亀甲が箱の中で毀れていたとしたなら、知らなんだと申してすまされることではない。冉有曰く、しかし多少の理由があります。顓臾の邑は城が堅固で、李氏の根拠地の費の邑のすぐ近くにあります。今のうちに片付けておかなければ、行く行くは子孫の代になって大きな禍の種になるかも知れません。孔子曰く、冉求よく聞け。お前たちは自分の野心から出たことを匿して、空々しい理窟を設けるものではない。私が聞いた言葉に、国なり領地なりを支配する者は、人口の寡いのを苦にせずに、負担の不均等なことに気をくばれ。貧乏なのは心配する必要がないが、不安なのが怖い、とある。考えてみれば、負担が均等ならば、貧乏ということは起こりにくい。平和が続けば人口は増え、不安の種がのぞかれれば、滅亡の危険はなくなる。これは自然の法則だ。だからもし遠方の異国を懐(なつ)けようとすれば、自ら礼儀を守り、平和な手段で、向うから進んで修好に来るのを待ちもうけるものだ。そこで向うの人がやってきたなら、安心させるのが第一だ。ところが今聞いていると、由と求とは、大臣李氏の相となって、異国を懐けてこれと修好することができない。自分の国が内部から崩壊する危険があるのを防止することも出来ないでいて、すぐ近くの国に戦争を吹きかけようとしている。私の見るところでは、李氏にとって危険な敵国は、顓臾の邑だと思うのはお門違いで、本当は腹心の子分だと思っている連中の中にいるのだ。
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