電脳筆写『 心超臨界 』

偶然は用意の出来ている人間しか助けない
( ルイ・パスツール )

悪魔の思想 《 日本以外の国に、ソ連はテーゼを連発しなかった不思議――谷沢永一 》

2024-07-07 | 04-歴史・文化・社会
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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方針書(テーゼ)を恭(うやうや)しくいただいたのは、先進国では、日本共産党だけなのです。国際共産党組織(コミンテルン)は、他の先進諸国にそれぞれ方針者(テーゼ)を授けるというような、そんな失礼な真似をしておりません。日本に対してだけ、国際共産党組織(コミンテルン)は格別に念入りに干渉したのです。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p40 )
第1章 こんな国家に誰がした――今も続く、スターリンの呪縛
(4) ソ連の呪(のろ)いがかけられた国・日本

◆日本以外の国に、ソ連はテーゼを連発しなかった不思議

国際共産党組織(コミンテルン)は世界の共産主義運動を指導する司令塔でした。それゆえ、絶え間なく全世界の共産党や共産主義に対して、たくさんの文書を発しています。しかし、それらのほとんどすべては、闘え、闘え、という激励と鼓舞の指嗾(けしかけ)であり、あるいは党大会などの行事(セレモニー)に対する挨拶でした。いずれも、あまり内容の濃い論述ではありません。ほとんどが儀礼的で、いいかげんな決まり文句の羅列です。

そして、ここにひとつ見逃すべからざる重要な問題があります。日本に対する熱のこもった「32年テーゼ」を下附(かふ)したのである以上、他の国に対してもまた同じように優渥(ゆうあく)なる方針書(テーゼ)を交付したはずだと、つい常識的に、そのように想像したくもなるのではありませんか。

ところが、実は、まったくもってそうではないのです。国際共産党組織(コミンテルン)は世界の先進国のどの国の共産党に対しても、その国の社会を論議したり運動の進め方を指示したりなど、そんな出過ぎた真似はしておりません。日本に対してだけ国際共産党組織(コミンテルン)は例外的に大きく身をのりだして、何回も何回も方針書(テーゼ)を授けました。

繰り返しますが、方針書(テーゼ)を恭(うやうや)しくいただいたのは、先進国では、日本共産党だけなのです。国際共産党組織(コミンテルン)は、他の先進諸国にそれぞれ方針者(テーゼ)を授けるというような、そんな失礼な真似をしておりません。日本に対してだけ、国際共産党組織(コミンテルン)は格別に念入りに干渉したのです。

ここに村田陽一編訳『コミンテルン資料集』(昭和53年11月30日~60年3月22日・大月書店)という浩瀚(こうかん)な資料の集大成があります。全6巻に索引などの別巻が加わって、4000頁を越す大冊です。この中から国際共産党組織(コミンテルン)が発行した方針書(テーゼ)と見まちがうような文書を探してみましょう。もちろん挨拶(メッセージ)の類(たぐ)いは省きます。すると結果は、こうなるんです。

 イタリア共産党行動綱領             1924年7月8日 7頁
 ドイツ共産党の任務について          (日付なし)  3頁
 ペルーの共産主義者の同志諸君へ!        1930年3月  11頁
 中国問題についての決議             1930年6月  9頁
 中国共産党の任務についての決議         1931年7月  17頁
 ラテン・アメリカの革命運動についてのテーゼ草案 1929年3月  17頁

これだけです。イタリアの場合は、ファシズムと闘え、という励ましであって、イタリアという国家や社会についての論及は一切ありません。ドイツについても、社会ファシズムに攻撃を加えよ、と発破(はっぱ)をかけるための僅か4000字あまりの檄文にすぎません。ペルーに対しても共産党の結成をうながすための初歩的な指南書です。支那(チャイナ)については現段階に何をなすべきかのお説教です。だから、多少ともその国、その地域について、政治と経済との両面から論じた方針書(テーゼ)は、日本に対する「32年テーゼ」のほかはただ1篇、

 ラテン・アメリカの革命運動についてのテーゼ草案 1929年3月

ただこれだけなのです。

本当にこれっきり、これっきり、なんです。国際共産党組織(コミンテルン)が存続した期間に、発行した方針書(テーゼ)の相手は、日本と、そしてラテン・アメリカだけです。英国(イギリス)も独逸(ドイツ)も仏蘭西(フランス)も伊太利(イタリア)も米国(アメリカ)も、これら先進諸国のうち、国際共産党組織(コミンテルン)から方針書(テーゼ)を頂戴した国は一国もありません。

すなわち、国際共産党組織(コミンテルン)の主要な任務のうちには、各国の共産党に方針書(テーゼ)を授けるなどという差し出がましい振る舞いは、いささかも予定されていなかったのです。国際共産党組織(コミンテルン)にとっては、方針書(テーゼ)を与えるという所作は、常例でもなく、慣習でもなく、本務でもありませんでした。方針書(テーゼ)の授与は、まことに例外的な、まったく格別の措置だったのです。

しかも、ラテン・アメリカに対してはただ1回きりであるのに対して、日本に向かっては、何回も何回も、しつこく繰り返して継続的に発行しています。日本が頂戴した方針書(テーゼ)の類いは、なんと次のとおりなのです。

 日本における共産主義者の任務        大正11年1月30日

 日本共産党綱領草案             大正11年12月頃

 日本共産党についての            大正14年1月下旬
 極東部上海(シャンハイ)会議1月テーゼ

 日本の労働組合運動についての5月テーゼ   大正14年5月中旬

 日本問題についての決議(モスクワ・テーゼ)  大正15年3月中旬

 日本代表団の報告にたいする決議       大正15年3月14日

 日本共産主義グループの活動についての指令  大正15年3月中旬

 日本問題についての決議           大正15年3月下旬

 日本についての(いわゆる27年テーゼ)    昭和2年7月15日

 日本共産党の当面の任務           昭和3年5月4日

 日本共産党当面の任務(テーゼ)        昭和3年10月2日

 日本に於ける労働組合運動(決議)      昭和3年10月28日

 日本共産党についての決議          昭和5年1月

 日本におけるさしせまった選挙と共産党    昭和5年2月6日

 日本における情勢と日本共産党の任務     昭和7年4月
 についてのテーゼ(いわゆる32年テーゼ)    

以上のように、何回も重ねて、しつこく似たような指令や決議や方針書(テーゼ)を出しています。国際共産党組織(コミンテルン)にこれほど重要視されたのは、事実の問題として日本だけなのです。まるで国際共産党組織(コミンテルン)の主要な任務は、日本共産党を監視し、教育し、指導(リード)し、指嗾(しそう)し、日本共産党を組織させ、成長させ、発展させ、奮起させ、日本における階級闘争を激化させ、日本の国力を弱める工夫であったと受けとらざるをえません。
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