20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散記事『十倉経団連の「選択的夫婦別姓」は戸籍廃止を目論む中国政府の意向』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■国内外に拡散宜しく『安倍晋三ファン必見10連発動画』
■超拡散記事『上限の無い特定技能外国人(移民)に認めるバス運転手・鉄道運転手に貴方の命を預けられますか!』
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この寓話は、「まぐれ当たりの金儲けを考えるより、真面目にこつこつ働きなさい」という教訓だ、と受け取られている。寓話の部分だけ読めば、なるほど、そういう意味になるだろうが、じつはこれは、ぜんぜん違う目的で引用されたものだった。この話は、紀元前三世紀に書かれた『韓非子(かんびし)』に登場する。
◆株を守って兎を待つ
『読むクスリ 24』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (1995/12)、p134 )
待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日 せっせと 野良かせぎ
そこへ兎が飛んで来て
ころり ころげた 木のねっこ
北原白秋作詞、山田耕筰作曲の『待ちぼうけ』。
歌詞も節回しもユーモラスで、子どものころよく歌いましたね。
昔、中国・宋に働き者がいて、せっせと畑を耕していて。
ある日、そこへウサギが跳びだしてきて、木の切株にぶつかり、首を折って死んでしまった。
「ふうむ、こうやってウサギが手に入るんなら、肉や毛皮を売って大儲けできる。畑を耕すよりよほど楽でいいわい」
そう思った男は鍬を捨てて、またウサギが走ってきて切株にぶつかるのを、日なたぼっこしながら待つようになった。
だが、そんなへまなウサギが、たくさんいるわけがない。
二度と獲物はないまま待ちくたびれているうち、美しかったキビ畑は雑草におおわれて荒れ果て、男は国じゅうの笑いものになった。
*
この寓話は、
「まぐれ当たりの金儲けを考えるより、真面目にこつこつ働きなさい」
という教訓だ、と受け取られている。
寓話の部分だけ読めば、なるほど、そういう意味になるだろうが、じつはこれは、ぜんぜん違う目的で引用されたものだった。
この話は、紀元前三世紀に書かれた『韓非子(かんびし)』に登場する。
『守株待兎』のエピソードが紹介された直後に、こう記されている。
「今、先王の政(まつりごと)を以(もっ)て、当世の民を治めんと欲するは、皆株を守るの類なり」
つまり、こういう意味になる。
「昔の統治者の政策がうまくいったからといって、今も同じ政策に頼ろうとするのは、ウサギがまた切株にぶつかるのを待つようなものだ」
時代は変わる。だから政治家は先例にこだわってはならず、新しい時代にふさわしい政策を探し求めなければならない――と政治家を戒めたものなのだ。
円高で上を下への大騒ぎなのに、、55年体制時代の古い発想にしがみついてなんの新しい手も打てない政治家に、聞かせてやりたいと思いませんか。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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この寓話は、「まぐれ当たりの金儲けを考えるより、真面目にこつこつ働きなさい」という教訓だ、と受け取られている。寓話の部分だけ読めば、なるほど、そういう意味になるだろうが、じつはこれは、ぜんぜん違う目的で引用されたものだった。この話は、紀元前三世紀に書かれた『韓非子(かんびし)』に登場する。
◆株を守って兎を待つ
『読むクスリ 24』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (1995/12)、p134 )
待ちぼうけ 待ちぼうけ
ある日 せっせと 野良かせぎ
そこへ兎が飛んで来て
ころり ころげた 木のねっこ
北原白秋作詞、山田耕筰作曲の『待ちぼうけ』。
歌詞も節回しもユーモラスで、子どものころよく歌いましたね。
昔、中国・宋に働き者がいて、せっせと畑を耕していて。
ある日、そこへウサギが跳びだしてきて、木の切株にぶつかり、首を折って死んでしまった。
「ふうむ、こうやってウサギが手に入るんなら、肉や毛皮を売って大儲けできる。畑を耕すよりよほど楽でいいわい」
そう思った男は鍬を捨てて、またウサギが走ってきて切株にぶつかるのを、日なたぼっこしながら待つようになった。
だが、そんなへまなウサギが、たくさんいるわけがない。
二度と獲物はないまま待ちくたびれているうち、美しかったキビ畑は雑草におおわれて荒れ果て、男は国じゅうの笑いものになった。
*
この寓話は、
「まぐれ当たりの金儲けを考えるより、真面目にこつこつ働きなさい」
という教訓だ、と受け取られている。
寓話の部分だけ読めば、なるほど、そういう意味になるだろうが、じつはこれは、ぜんぜん違う目的で引用されたものだった。
この話は、紀元前三世紀に書かれた『韓非子(かんびし)』に登場する。
『守株待兎』のエピソードが紹介された直後に、こう記されている。
「今、先王の政(まつりごと)を以(もっ)て、当世の民を治めんと欲するは、皆株を守るの類なり」
つまり、こういう意味になる。
「昔の統治者の政策がうまくいったからといって、今も同じ政策に頼ろうとするのは、ウサギがまた切株にぶつかるのを待つようなものだ」
時代は変わる。だから政治家は先例にこだわってはならず、新しい時代にふさわしい政策を探し求めなければならない――と政治家を戒めたものなのだ。
円高で上を下への大騒ぎなのに、、55年体制時代の古い発想にしがみついてなんの新しい手も打てない政治家に、聞かせてやりたいと思いませんか。