電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

人間は迷いがあるから悟りがあるのです――伊與田覺

2024-08-15 | 03-自己・信念・努力
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  七十にして
  心の欲する所に
  従えども矩を踰えず


[ 巻頭の言葉 ]伊與田覺・論語普及会学監
「致知」2010年5月号、p2 )

◆迷いがあるからこそ
 悟りもある

「論語」の為政第二(いせいだいじ)に、孔子の大変有名な言葉があります。

  「吾(われ)十有五にして学に志し、
  三十にして立ち、
  四十にして惑(まど)わず、
  五十にして天命を知り、
  六十にして耳順(みみしたが)い、
  七十にして心の欲する所に従えども、
  矩(のり)を踰(こ)えず」

これは孔子の精神の発達史といえましょう。

村の有力者の第三夫人の子として生まれた孔子は、父親が早くに亡くなったため母親の手で育てられ、十有五にして学に志しました。

学に志すとは、平たくいえば、立派な人物になろうと志すことです。こうした志を抱いた人のことを仏教では声聞(しょうもん)といいますが、孔子はその字の如く、あらゆる人から貪欲に真理を聞き出し、学びを深めていきました。

その学識が知れ渡り、弟子が増えてくると、人に教えることによって身を立ててゆこうと決意しました。それが三十にして立つということです。

世の中は複雑であり、いくら信念を持っていても、それが容れられるとは限りません。孔子もいろいろな障害に直面したことでしょう。しかし、人間は迷いがあるから悟りがあるのです。逆に言えば、迷わない人に悟りはありません。孔子も様々な葛藤を乗り越え、四十にして惑わなくなったのです。

◆年を重ねるたびに
 成熟していく

どんなに正しいと思って実行しても、間違っていたと気づくことがしばしばあります。孔子は、そうした過ちを絶対悪とはしていません。気がついたら改めればよい。むしろ、過ちと知りながらこれを改めないことを本当の過ちであると説いています。

『論語』に、「曽子(そうし)曰(い)く、吾(われ)日に吾(わ)が身を三省(さんせい)す」とあります。孔子の弟子であった曽子は、他の優秀な弟子たちの間ではあまり目立たない存在でしたが、絶えず自分を振り返り、反省をして誤りを改めたことによって、孔子の教えを最も忠実に受け継いだ人と賞賛されるまでになりました。

孔子自身も生涯を通じてこの三省を繰り返した人でした。そして、いかにすれば過ちを少なくすることができるかと研鑽(けんさん)を重ね、五十にして天命を知りました。それからは天と交流できるようになり、人に見えざるものが見え、聞こえざる声が聞こえてくるようになったといいます。

しかし孔子は、そこで思い上がることなく、ますます謙虚に学び続け、六十にして耳順う境地に至りました。人は年とともに体も心も硬くなり、頑固になっていくものですが、孔子は逆に誰の意見でも素直に聞けるようになったのです。

孔子といえば、後世の私たちからすれば完全な人という印象があります。しかしその実像は、常に反省をし、足らざるを改める努力を生涯にわたって続けた人だと思います。多くの弟子から尊敬を集めていましたが、自分は他人と少しも変わらない、いたらない人間なのだと学び続けた。その結果、七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず、すなわち、自分の思うままに振る舞っても過ちを犯すことの少ない人生に、ようやく到達することができたのです。

孔子は七十三歳で生涯を閉じました。当時としては相当な長寿であり、まさに天寿を全うしたと言えるでしょう。九十三歳の私は、孔子が亡くなった年より二十年も長生きしたことになりますが、年を取れば取るほど孔子との間隔が開いていくようで、これではいけない、と反省しつつ学びを続けています。

東洋思想では、年を取るほど立派になっていくことが理想とされます。老朽(ろうきゅう)、老醜(ろうしゅう)という言葉が示すように、老いというのは一般に否定的に見られがちです。しかし、こうした言葉とは反対に、老熟(ろうじゅく)、老練(ろうれん)といった非常に魅力的な言葉もあります。年を重ねるたびに人間が成熟し、練(ね)れていく。そういう生き方を目指していきたいと思うのです。

果物は完熟して本当のうま味が出ます。私たちもこの世に生を受けたからには、自分の持ち味を十分に発揮し、息を引き取る時が最も円熟した時、完成された時でありたいものです。
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