電脳筆写『 心超臨界 』

苦労に対する最大の報酬は
その引き換えに手に入れるものではない
苦労したことで形成される人物である
J・ラスキン

人生を創る言葉 《 ただ第一人者たるを心掛けよ――カーネギー 》

2024-09-05 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  職業はなんでもいい、ただ第一人者たるを心掛けよ


『人生を創る言葉』
( 渡部昇一、致知出版社 (2005/2/3)、p204 )
第6章 成功の秘密――「考え方」を工夫する

[ カーネギー ]
アメリカの大実業家。少年工から身を起こして世界の鋼鉄王となる。
晩年は財産をことごとく公共事業に寄付して、慈善王と呼ばれた。
(1835~1919)

一人の新聞記者がカーネギーを訪ねてきて、こう頼んだ。

「青年のために、何か成功の秘訣というものをお話してください」

するとカーネギーは即座にこう答えた。

「よろしい。成功の第一の秘訣は、貧乏人の子供に生まれることだ」

新聞記者がびっくりして、

「へえ、貧乏人の子供にですか」

と聞き返すと、「そうだ。私はそう信じている。私は食うや食わずの貧乏人の子供に生まれた。毎晩、両親が暗い灯火のもとで、生活の苦しみをかこっているのを聞いたとき、私の胸の中に奮発心が湧き起こったのだ。今に見ろ! お父さんやお母さんをこんなに苦しめている貧乏というやつを見事退治して見せるから、とね。今日の私があるのは、これがためだ」

「よくわかりました。そして第二は?」

新聞記者がそう聞くと、カーネギーは答えた。

「第二は、どんな仕事でもいいから、絶えずその第一人者となることを心掛けることだ」

「なるほど」

と頷くと、カーネギーはこういった。

「私は最初、12歳のときに紡績工場の糸巻き小僧に雇われた。そのとき私が決心したのは、よし、世界一の糸巻き小僧になってやれ、ということだった。そして一生懸命に働いた。その働きが認められたと見えて、こんな子供にいつまでも糸巻き小僧をさせておくのは惜しいというので、今度は郵便配達員に雇われたのだ。

そのときも自分はこう決心した。世界一の郵便配達員になってやろう、とね。そして一生懸命に一軒一軒の家と番地と名前を暗記した。しまいには、町中のどんな小さな小路でも、私の知らない家は一軒もなくなった。無駄な努力という人もいるかもしれないが、それが認められて、今度は電信技手にあげられた。以来だんだんと同じやり方で、ついに今日の地位を築いたのだよ」

今、目の前にある仕事を一生懸命に勤めることによって、今より高い地位が与えられる。成功者はそうやって少しずつ階段を上がっていって、いつの間にか揺るぎないポストに就いているものである。「いいポストがあったら勤めよう」という考え方では、決して自分の仕事はできないし、思い通りの人生は送れない。カーネギーの言葉は、そのことを教えてくれている。
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