電脳筆写『 心超臨界 』

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( アウグスティヌス )

日本語の起源問題は今までの言語学では手が届かない(2/2)――西尾幹二

2024-05-22 | 04-歴史・文化・社会
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日本列島の先住民族であるわが祖先の享受していた文明がユーラシア大陸のそれとはまったく別系統であったという先の推定はここからも証明されるであろう。おそらく言語的にも、人種的にも、太平洋に全身を向け、わずかに文字利用においてのみ中国大陸につながった、一個の独立した文明圏であったという判定はここからもいえる。しかし日本語が言語的には遠い始源の時代のどことつながっていたか、これが今のところさっぱりわからないことは、5「日本語確立への苦闘」の項で述べたばかりだ。


◆日本語の起源問題は今までの言語学では手が届かない(2/2)

『国民の歴史 上』
( 西尾幹二、文藝春秋 (2009/10/9)、p176 )
6 神話と歴史
6-5 日本語の起源問題は今までの言語学では手が届かない(2/2)

(1/2)よりつづく

日本語の起源という謎は、すでに百年、新説が現れては消え、また消えては現れるという具合で応接にいとまなく、今もって学問的に最終の解決にはほど遠い状態にあるが、果てしなくロマンをかき立てるテーマでもある。

信頼する旧友で、九州大学で長く言語学を講じ日本言語学会長も勤めた早田輝洋氏から、過日幅広い情報と考え方の基本を案内してもらった。最新の学問状況からみて、印欧比較言語の研究に代表されるように、一つの「祖語」という共通の幹から枝分かれした系譜図をたどって、言語の歴史を遡及的(そきゅうてき)に探求するという従来の方法は行き詰まっている。それではせいぜい今から5、6千年前にさかのぼる程度にしか突き止められない。日本語の誕生はどうもその範疇には入らないようだ。アプローチの仕方をがらりと変えなくてはならない。

早田氏によると、現代言語学研究の現状に即せば、日本語がユーラシア大陸のどの語族にも属さぬことだけは明らかになった。大陸のアルタイ諸語(モンゴル語、トゥングース語、テュルク語等)のどの系統にも属さず、朝鮮語(これも系統不明の言語の一つ)とさえも、すくなくとも5、6千年前までの範囲では兄弟関係にないということが今は証明されている。

日本列島の先住民族であるわが祖先の享受していた文明がユーラシア大陸のそれとはまったく別系統であったという先の推定はここからも証明されるであろう。おそらく言語的にも、人種的にも、太平洋に全身を向け、わずかに文字利用においてのみ中国大陸につながった、一個の独立した文明圏であったという判定はここからもいえる。

しかし日本語が言語的には遠い始源の時代のどことつながっていたか、これが今のところさっぱりわからないことは、5「日本語確立への苦闘」の項で述べたばかりだ。比較言語学者の松本克己氏の所論をもう一度取り上げると、「祖語」から枝分かれした形で示される系譜図に基づく比較言語の方法によって、今までだいたいわかってきているのは、ユーラシアではインド・ヨーロピアン語族、セム語族、ウラル語族、アルタイ語族、ドラヴィダ語族、チベット・ビルマ語族などがあり、アフリカではバントゥー語族、太平洋地域ではオーストロネシア語族などが挙げられる。これらは言語学的にはっきり縁戚関係が突き止められている。しかし、日本語はこれらのどの語族にも属さない。「祖語」が生まれた時代は、この頃これら新興の言語が急速に勢力を広げて、いくつもの古い言語を駆逐したと考えられる。それで、どうやら東北アジアの沿岸部から、南太平洋、そして環太平洋、北西アメリカあたりの、いわば辺境に系統関係が定かでない言語がいくつか残っているのは、新勢力によって辺境に押しやられた結果ではないかと考えられる。押しやられた側に入るのは、日本語、朝鮮語、アイヌ語、ギリヤーク語その他古シベリア語のいくつかである。そして環太平洋、北アメリカ北西海岸、ニューギニアなどにもそういう系統不明の言語が分散している。すなわち日本語の起源は、

  太平洋とそれを取り巻く島々が現状の地形をとるようになった地質
  学上の現代に相当する「沖積世(ちゅうせきせい)」(つまり今から
  1万年以内)というよりも、むしろ、日本列島やアメリカ大陸がま
  だユーラシア大陸と地続きだったとされるウルム氷期にまで遡るか
  もしれない。
  【「日本語系統論の見直し」『日本語論』1994年】

壮大な話であると同時に、ここまでくると日本語と朝鮮語も1万年よりもっと前に、どこかでつながっていたということもあったかもしれない。しかし、言語学者の安本美典氏は、8世紀頃、明らかに日本人にとっては渡来帰化人の話す言葉は外国語として意識されていたと指摘している。

  奈良時代には、日本語と朝鮮語とは通訳なしでも話が通じたであろ
  う、などという見解が、時おり活字化されている。このような見解
  は、たんなる俗説にすぎない。主観にもとづくもので、客観的根拠
  を欠く。
  【山尾幸久「古代国家と文字言語」、『歴史評論』555号、1996年7月】

最近ではコンピュータによってデータを打ち出してもらうと、いろいろな新しい文献の存在が知れる。日本語と朝鮮語というキーワードで調べると、『古代朝鮮語と日本語』とか、『日本語のルーツは古代朝鮮語だった』とか、『記紀万葉の朝鮮語』とか、たくさんの本が出てくるが、早田氏によれば、「朝鮮語その他の言語に関する本ははっきりいって最低のものばかり。今の研究では言えるはずのないことを題名やテーマにして、本にするなんてインチキでしかありえない」と憤慨している。

安本美典氏も先述の論文で日本語と朝鮮語との関係を熱心に説かれていて、ベストセラーになったものもあるこれらの本は、日本語や朝鮮語の古語、日本語の起源についての基礎的な知識をほとんどもたずに、全編こじつけによって、ほしいままの議論をしているものばかりであると弾劾している。

また次のような学問的見解も、最近の文献のなかには散見される。

  日本の言語は、少なくとも3世紀には、朝鮮の言語とは独立していた。
  【東野治之「アジア史のなかの日本」、『アエラムック』10号、1995年10月】

  紀元前1世紀を遥か遡る以前から北部九州の住民は朝鮮半島南部の
  住民と識別されていたらしい(中略)その根拠は(中略)やはり、
  言語ではあるまいか。「倭人」の間には、特定の音韻・文法・語彙
  をもつ音声言語の、「韓人」とは異なる共通性が、すでに古くから
  あったのではあるまいか。
  【山尾幸久「古代国家と文字言語」、『歴史評論』555号、1996年7月】

先に見たように、日本語の起源が伝統的比較言語学の方法では手の届かない、太平洋がまだ生まれていない時代、はるか地質学的時代にさかのぼるという仮説が言われだしている状況から考えるなら、紀元前後の朝鮮語との共通性などは、まったくの論外である。

日本語の起源はもはや尋常の方法で探求することのできない問題のひとつになっているようだ。
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