20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『選択的夫婦別姓は戸籍廃止を策した反日勢力の亡国法案です』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■超拡散記事『上限の無い特定技能外国人(移民)に認めるバス運転手・鉄道運転手に貴方の命を預けられますか!』
■国内外に拡散宜しく『安倍晋三ファン必見10連発動画』 55.1K
■安倍晋三総理 移民受入れ4連発動画 419.7K
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玄奘(げんじょう)(編集部註・三蔵(さんぞう)法師)がインドに向かうべく、益州(えきしゅう)の空恵寺(くうけいじ)まで来た時、インドから来た僧が病気で苦しんでいるのを見て、これを看病し、治してやった。このインド僧は、玄奘がこれから天山(てんざん)山脈の嶮を越え、タクラマカン砂漠を越えてインドに仏教経典を取りにゆくのだと知ると、玄奘に般若心経という短いお経を教えてくれ、これをとなえながら行けば、災厄(さいやく)にもあわず、病気にかかることもないと教えてくれた。
◆「ぎゃあてい、ぎゃあてい」と唱えながら険しい道をゆく
『般若心経の科学』
( 天外伺朗、祥伝社 (1997/12/1)、p35 )
――ずっと昔、四国のお遍路をしたことがある。四国はお遍路の国で、どこを歩いてもお遍路さんの白装束にであう。
お遍路さんは鈴を鳴らし、「ぎゃあてい、ぎゃあてい、はーらーぎゃあてい、はらそうぎゃあてい、ぼうじそわか、般若心経」ととなえる。般若心経の呪文が潮騒のようにうねり、鈴の音はりんりんと山を越え、野を渡り、川を渡り、海の上にひびきわたる。
(中略)
お遍路さんが自分の命を仏さまにあずけ、「ぎゃあてい、ぎゃあてい」ととなえながら険しい道をゆくと、きっと不思議なことが起こる。
(中略)
西域地方に近い辺境の町敦煌(とんこう)、そこの石室から偶然の機会におびただしい仏教の教典が発見された。
(中略)
この敦煌出土の一冊に「唐梵翻対字音般若波羅蜜多心経」がある。この本の序文に、まるで小説のような話がのっている。
玄奘(げんじょう)(編集部註・三蔵(さんぞう)法師)がインドに向かうべく、益州(えきしゅう)の空恵寺(くうけいじ)まで来た時、インドから来た僧が病気で苦しんでいるのを見て、これを看病し、治してやった。このインド僧は、玄奘がこれから天山(てんざん)山脈の嶮を越え、タクラマカン砂漠を越えてインドに仏教経典を取りにゆくのだと知ると、玄奘に般若心経という短いお経を教えてくれ、これをとなえながら行けば、災厄(さいやく)にもあわず、病気にかかることもないと教えてくれた。もちろん玄奘は、このお経を唱えながら辛苦に満ちた旅をつづけたことだろう。「ガデー、ガデー、パラーガデー、パラーサンガデー、ボーディー、スヴァーハー」ととなえながら行ったことであろう。
(中略)
のちに玄奘が中インドのナーランダ寺に行くと、なんと、そこに益州で会った病僧がいるではないか。驚く玄奘に向かってその僧は「私は観世音菩薩である」と告げて姿を消したという。―― 紀野一義『般若心経のこころ』プレジデント社
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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玄奘(げんじょう)(編集部註・三蔵(さんぞう)法師)がインドに向かうべく、益州(えきしゅう)の空恵寺(くうけいじ)まで来た時、インドから来た僧が病気で苦しんでいるのを見て、これを看病し、治してやった。このインド僧は、玄奘がこれから天山(てんざん)山脈の嶮を越え、タクラマカン砂漠を越えてインドに仏教経典を取りにゆくのだと知ると、玄奘に般若心経という短いお経を教えてくれ、これをとなえながら行けば、災厄(さいやく)にもあわず、病気にかかることもないと教えてくれた。
◆「ぎゃあてい、ぎゃあてい」と唱えながら険しい道をゆく
『般若心経の科学』
( 天外伺朗、祥伝社 (1997/12/1)、p35 )
――ずっと昔、四国のお遍路をしたことがある。四国はお遍路の国で、どこを歩いてもお遍路さんの白装束にであう。
お遍路さんは鈴を鳴らし、「ぎゃあてい、ぎゃあてい、はーらーぎゃあてい、はらそうぎゃあてい、ぼうじそわか、般若心経」ととなえる。般若心経の呪文が潮騒のようにうねり、鈴の音はりんりんと山を越え、野を渡り、川を渡り、海の上にひびきわたる。
(中略)
お遍路さんが自分の命を仏さまにあずけ、「ぎゃあてい、ぎゃあてい」ととなえながら険しい道をゆくと、きっと不思議なことが起こる。
(中略)
西域地方に近い辺境の町敦煌(とんこう)、そこの石室から偶然の機会におびただしい仏教の教典が発見された。
(中略)
この敦煌出土の一冊に「唐梵翻対字音般若波羅蜜多心経」がある。この本の序文に、まるで小説のような話がのっている。
玄奘(げんじょう)(編集部註・三蔵(さんぞう)法師)がインドに向かうべく、益州(えきしゅう)の空恵寺(くうけいじ)まで来た時、インドから来た僧が病気で苦しんでいるのを見て、これを看病し、治してやった。このインド僧は、玄奘がこれから天山(てんざん)山脈の嶮を越え、タクラマカン砂漠を越えてインドに仏教経典を取りにゆくのだと知ると、玄奘に般若心経という短いお経を教えてくれ、これをとなえながら行けば、災厄(さいやく)にもあわず、病気にかかることもないと教えてくれた。もちろん玄奘は、このお経を唱えながら辛苦に満ちた旅をつづけたことだろう。「ガデー、ガデー、パラーガデー、パラーサンガデー、ボーディー、スヴァーハー」ととなえながら行ったことであろう。
(中略)
のちに玄奘が中インドのナーランダ寺に行くと、なんと、そこに益州で会った病僧がいるではないか。驚く玄奘に向かってその僧は「私は観世音菩薩である」と告げて姿を消したという。―― 紀野一義『般若心経のこころ』プレジデント社