20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『選択的夫婦別姓は戸籍廃止を策した反日勢力の亡国法案です』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■超拡散記事『上限の無い特定技能外国人(移民)に認めるバス運転手・鉄道運転手に貴方の命を預けられますか!』
■国内外に拡散宜しく『安倍晋三ファン必見10連発動画』 55.1K
■安倍晋三総理 移民受入れ4連発動画 419.7K
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人生において起こる出来事に意味がないものはない。必ず意味があって起こる。したがってその出来事から天のメッセージを汲み取ったら、人生は豊かに開けていくのだが、多くは不運をかこち、人のせいにする。そして自ら好機を逸するのだ。残念ながら何度か痛い目に遭わなければ、それに気付かないのが人間かもしれない。
(人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える)
稲盛和夫さんも例外ではありません。自ら結核に侵される経験を通じて天のメッセージを汲み取ります。
関連ブログ: 自然治癒力が低下するのは
◆病も心の投影である
『生き方』
( 稲盛和夫、サンマーク出版 (2004/7/22)、p54 )
最初の挫折体験は中学受験の失敗でした。ついで、その直後に結核に侵されました。当時、結核は不治の病であり、さらに私の家系は叔父2人、叔母1人をともに結核で亡くすという“結核家族”でした。
「オレも血を吐いて、もうじき死ぬのか」――まだ幼い私は打ちのめされ、微熱の続くだるい体を持て余し、はかない気持ちにさいなまれながらも、病の床に伏せる他に方途はありませんでした。
そのときに、隣の家のおばさんが不憫(ふびん)に思ったのでしょう。これでも読んでみなさいと、「生長の家」の創始者である谷口雅春さんの「生命の実相」という本を貸してくれました。中学に入ろうとする子どもにとっては、ややむずかしすぎる内容でしたが、私は何かにすがりたい一心で、わからないなりに読みふけり、やがてそこに、
「われわれの心のうちには災難を引き寄せる磁石がある。病気になったのは病気を引き寄せる弱い心をもっているからだ」
というくだりを見いだして、その言葉にくぎづけになりました。谷口さんは「心の様相」という言葉を使って、人生で出会う事柄はみんな自分の心が引き寄せたものである。病気もその例外ではない。すべては心の様相が現実にそのまま投影するのだということを説いておられました。
病も心の投影であるとは、少し酷すぎる言い方ですが、そのときの私にはおおいに心当たりのあることでした。というのも叔父が結核にかかり、自宅の離れで療養しているとき、私は感染を恐れるあまり、いつも叔父が寝ている部屋の前を鼻をつまんで走り抜けていたからです。一方、父は付き添って看病を怠らず、私の兄もそんなに簡単にうつるものかと平然としていました。つまり、私だけが親族の病を忌み嫌うように、ことさら避けていたのです。
その天罰が下ったかのように、父も兄も何ともないのに、私だけがうつってしまった。ああ、そういうことかと私は思いました。避けよう、逃げようとする心、病気をことさら嫌う私の弱い心が災いを呼び込んだのだ。恐れていたからこそ、そのとおりのことがわが身に起こった。否定的なことを考える心が、否定的な現実を引き寄せたのだと思い知らされたのです。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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人生において起こる出来事に意味がないものはない。必ず意味があって起こる。したがってその出来事から天のメッセージを汲み取ったら、人生は豊かに開けていくのだが、多くは不運をかこち、人のせいにする。そして自ら好機を逸するのだ。残念ながら何度か痛い目に遭わなければ、それに気付かないのが人間かもしれない。
(人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える)
稲盛和夫さんも例外ではありません。自ら結核に侵される経験を通じて天のメッセージを汲み取ります。
関連ブログ: 自然治癒力が低下するのは
◆病も心の投影である
『生き方』
( 稲盛和夫、サンマーク出版 (2004/7/22)、p54 )
最初の挫折体験は中学受験の失敗でした。ついで、その直後に結核に侵されました。当時、結核は不治の病であり、さらに私の家系は叔父2人、叔母1人をともに結核で亡くすという“結核家族”でした。
「オレも血を吐いて、もうじき死ぬのか」――まだ幼い私は打ちのめされ、微熱の続くだるい体を持て余し、はかない気持ちにさいなまれながらも、病の床に伏せる他に方途はありませんでした。
そのときに、隣の家のおばさんが不憫(ふびん)に思ったのでしょう。これでも読んでみなさいと、「生長の家」の創始者である谷口雅春さんの「生命の実相」という本を貸してくれました。中学に入ろうとする子どもにとっては、ややむずかしすぎる内容でしたが、私は何かにすがりたい一心で、わからないなりに読みふけり、やがてそこに、
「われわれの心のうちには災難を引き寄せる磁石がある。病気になったのは病気を引き寄せる弱い心をもっているからだ」
というくだりを見いだして、その言葉にくぎづけになりました。谷口さんは「心の様相」という言葉を使って、人生で出会う事柄はみんな自分の心が引き寄せたものである。病気もその例外ではない。すべては心の様相が現実にそのまま投影するのだということを説いておられました。
病も心の投影であるとは、少し酷すぎる言い方ですが、そのときの私にはおおいに心当たりのあることでした。というのも叔父が結核にかかり、自宅の離れで療養しているとき、私は感染を恐れるあまり、いつも叔父が寝ている部屋の前を鼻をつまんで走り抜けていたからです。一方、父は付き添って看病を怠らず、私の兄もそんなに簡単にうつるものかと平然としていました。つまり、私だけが親族の病を忌み嫌うように、ことさら避けていたのです。
その天罰が下ったかのように、父も兄も何ともないのに、私だけがうつってしまった。ああ、そういうことかと私は思いました。避けよう、逃げようとする心、病気をことさら嫌う私の弱い心が災いを呼び込んだのだ。恐れていたからこそ、そのとおりのことがわが身に起こった。否定的なことを考える心が、否定的な現実を引き寄せたのだと思い知らされたのです。