電脳筆写『 心超臨界 』

一般に信じられていることと全く逆のことに
真実があることがしばしばある
( ブリュイエール )

司馬遼太郎の名は、“司馬遷に遼(はる)か及ばず”の意をこめたと伝えられる――谷沢永一

2024-08-15 | 05-真相・背景・経緯
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歴史は砂をかむような記録から起きあがって、読むにたる史書としてのイノチが吹きこまれる。記録は歴史学者にとってだけの資料である。我われにとって必要なのは記録ではなく、記録からしぼりだされた史書なのである。


『達人の智恵』
( 谷沢永一、PHP研究所 (1995/01)、p95 )

◆「司馬遷に遼か及ばず」

司馬遼太郎(しばりょうたろう)、この名乗りはペンネームである。“司馬遷(しばせん)に遼(はる)か及ばず”の意をこめたと伝えられる。

司馬遷は、二千百余年前、前漢の武帝のころ、『史記』百三十巻をあらわした歴史家である。その記述のスタイルで、まったく独創的なのは、王朝の起伏を中心とする年代記などとは別に、個人の伝記として世家および列伝に重きをおいたことである。いま『史記列伝』(岩波文庫全5冊)として訳されている列伝と、それに世家をも含めたこの傑作は、歴史のなかに人間像を読みとる楽しみを満喫させてくれる。ヨーロッパで「歴史の父」と称されるヘロドトスの『歴史』(岩波文庫全3冊)にはうかがえないような、人情の深い機微が描かれているのである。

そして『史記』、特に世家および列伝の筆法は、単に出来事をたどる叙述ではなく、個人ひとりひとりの言動や心理を、生き生きと浮かびあがらせるための、簡潔な描写に集中されている。越世家(えつせいか)の印象的な一節を引こう。越の王である句践(こうせん)につかえ、非常な苦労のすえ、遂に彼を覇者とすることに成功した范蠡(はんれい)は、以為(おもへ)らく、大名(たいめい)の下(もと)は、以て久しく居(お)り難し、且つ句践の人と為(な)り、與(とも)に患(うれひ)を同じうす可く、與に安きに処(を)り難しと。……范蠡はひそかに考えをめぐらした、こんなに大きな名声を得てしまったら、自分の立場には危険が待っている、また、句践の性格をつくづくと見るに、一緒に苦労をすることができても、安楽な条件のもとでは、二人の間に隙間風(すきまかぜ)が入りこむに違いない、と。

この一条に感銘するかどうかによって、史記に対する評価が分かれるであろう。厳密に言うならそのとき范蠡が、この通りに考えたかどうかは保証のかぎりでない。しかし、范蠡のそれ以後の行動を見るなら、こう思ったであろうとは十分に推察できる。これは、単なる叙述ではなく、司馬遷が身をのりだして説く分析なのである。この洞察あってこそ、歴史は砂をかむような記録から起きあがって、読むにたる史書としてのイノチが吹きこまれる。記録は歴史学者にとってだけの資料である。我われにとって必要なのは記録ではなく、記録からしぼりだされた史書なのである。

そして范蠡の思うところとして伝えられている考察は、その慎重なおもんばかりは、百パーセントそのまま現代に生きているのではないか。與に患を同じうす可く、與に安きに処り難し。その相手はひとり句践にかぎらない。二千年来三千年来、そして、現代、人間社会は常にかくのごとくなのである。この一句には誰もが思いあたるであろう。そして同時に、すぐれた観察、すぐれた智恵に接したときの、見にしみるような喜びを味わうにちがいない。『史記』にちりばめられている透徹した智恵は、いたずらに人をちぢみあがらせはせず、その智恵を身に体して生きようと、人にかぎりなく勇気をあたえる性質のものなのである。

◆初の日本人のための日本史

そのはじめ、遼(はる)かに及ばず、とへりくだったとはいえ、いま改めてふりかえってみるなら、司馬遼太郎の全作品は、そのテーマによって時代順におきならべてみるなら、日本の『史記』と総称するに足るであろう。日本人は司馬遼太郎の出現によって、はじめて日本人のための日本史をもちえたのである。誰にでもよいから、専門研究ではない国民のための日本歴史を挙げてみよ、と聞いてみるがよい。ただちに出てくる書名はなかろう。結局のところ、頼山陽(らいさんよう)の『日本外史』(岩波文庫全3冊品切)か、竹越與三郎(たけこしよさぶろう)の『二千五百年史』(講談社学術文庫)か、徳富蘇峰(とくとみそほう)の『近世日本国民史』(全100巻、講談社学術文庫)か、いずれにしても古典ではあるが、いま現代に生きているとは言いにくい。そしてこれらの貢献を、いかに高く見つもるにしても、それらは、過去になにがあったかを知らせる史書ではあっても、智恵の書ではないだろう。それに対して司馬遼太郎は、歴史そのものではなく、歴史からしかくみとることができない智恵を、世に書きのこそうと努めているのである。
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