電脳筆写『 心超臨界 』

明日への最大の準備はきょう最善を尽くすこと
( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

人生を創る言葉 《 一番汚いところを徹底的にきれいにする――ベーカー艦長 》

2024-08-15 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


◆一番汚いところを徹底的にきれいにする


『人生を創る言葉』
( 渡部昇一、致知出版社 (2005/2/3)、p196 )
第5章 教育の急所――眠れる才能を引き出す

[ ベーカー艦長 ]
イギリスのロンドンにあった「ウォースター」という名門商船学校
の校長を務めた。船を校舎として使っていたため、艦長でもある。

ロンドンのテームズ河口にウォースターの商船学校がある。ここは東郷平八郎が若いころに勉強したという有名な学校である。この学校の校舎はウォースターという軍艦で、これは50門の大砲が積める木造の帆前船(ほまえせん)であった。その後、古くなったので、もっと大きな船に変えたけれど、名前は初代のウォースターをそのまま使っている。

明治32年に、東京商船学校の高柳教授という人がこの学校を訪ね、校長兼艦長のベーカー大尉に面会した。この人は予備役の海軍大尉で、この学校の出身者である。

ベーカー大尉が高柳教授に尋ねた。

「日本から海事教育の専門家が訪ねてきたのはあなたが初めてだが、何を見にきたのですか?」

「ウォースター商船学校そのものの見学にきたのですよ」

と答えると、

「それなら実際にウォースターではこういう教育をしている、というのを見せてあげましょう」

といって、高柳教授を艦長の部屋に連れて行った。

どこの船でも艦長の部屋には洗面台がある。ベーカー艦長はその洗面台のところへ行って、ガラスのコップを一つ取り、そのコップをポケットに入れた。それからそこにあった提灯みたいなものに灯を点けて、教授を舟の中に連れて行った。

どこへ行くのかといくつもの階段をどんどん下りて、ついに木造船のどん底まで行った。艦の一番底には、家の下水のように、上甲板から来る雨水や船底から染み込む汚水が溜まるところがある。艦長はその蓋を開けて、中の水をコップに汲み、また甲板に上ってきて、それを太陽に照らして見せた。

「これがウォースターの教育です。飲めるぐらいの水で、ゴミ一つないでしょう。これがここの教育なんです」

禅問答みたいな話だが、船底に溜まった水が飲めるくらい徹底的に船をきれいにするような教育をやっていたということである。高柳教授は非常に感銘を受けて、なるほどこうした教育を受けているから、イギリスに立派な名士が次々と出てくるのだろうと感じ入った。

その話を高柳教授から聞いたある人は、東郷さんのことを思い出した。日清戦争の前に支那の北洋艦隊が日本にやってきたことがある。定遠・鎮遠といった大軍艦が日本の各地で示威運動をして回った。そのころの日本には大きな軍艦はなかったから、見学した誰もが驚いた。

そうした見物人に混じって、東郷さんが平服でたびたび定遠・鎮遠を見に行っていた。あるとき、東郷さんが定遠を見学していると、大砲の砲身に水兵が洗濯したズボンが引っ掛けて乾してあった。それを見た東郷さんはにっこり笑っていった。

「もう大丈夫だ。シナの艦隊はいつでも潰すことができるな」

東郷さんは砲身に洗濯物が乾してあるのを見て、水兵の訓練が徹底されていないことに気づいたのである。ウォースターで訓練を受けた東郷さんには、それが意味することがよく理解できた。

かつて、ベルギーの商船学校の練習船がビスケー湾で原因不明の沈没をしたことがあったという。その原因を調べてみると、船の中に侵入してくる水をポンプでかい出しているうち、船底にゴミの混じった水が溜まっていたため、途中でポンプが利かなくなって沈んでしまったことがわかった。

また日本の軍艦の話として聞いたことがあるが、東郷さんのころはともかく、この前の戦争のころになると、艦長は船底まで降りていかないのだそうだ。だから、船底を見ると非常に汚かったという。ウォースターのベーカー艦長が船底に案内したのは、良き時代のイギリスの教育は一番汚いところを徹底的にきれいにすることを教えていると知らせるためだったのである。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日のことば 《 真の発見の... | トップ | 活眼 活学 《 老婆心の説——安... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事