電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

自助論 《 苦労の果てに勝ち得たものこそ本物――サミュエル・スマイルズ 》

2024-08-15 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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逆境の少年時代にたゆまず努力をつづけ、偉大な芸術家となった者も多い。フランスの画家クロード・ローランは、ロレーヌ地方の貧しい家に生まれ、初めはぺストリー(パイの一種)の製造職人のところへ弟子入りした。その後、木彫師だった兄のもとで木彫の技術を学ぶが、そこで彼はしだいに芸術的な技量を発揮しはじめた。


『自助論』
( サミュエル・スマイルズ、三笠書房(2002/3/21)、p87 )
4章 仕事——向上意欲の前にカベはない!
1 無心の自己修養

◆苦労の果てに勝ち得たものこそ本物

たとえ生まれながら才能に恵まれた人間でも、芸術の枠をきわめるには長年にわたる持続的な努力が欠かせない。幼くして神童と呼ばれたにもかかわらず、その後、才能をみがくのを怠り、結局は「ただの人」で終わってしまう人も多い。

その最たるものの例が、画家ベンジャミン・ウェストだ。彼はわずか7歳の時、姉の子供がゆりかごで眠る姿を見てその美しさに心打たれ、急いで紙を用意して赤ん坊の顔をスケッチしはじめた。このちょっとしたできごとで、彼の芸術家としての素質は世に知られ、天才少年の評判をほしいままにした。だが、あまりにも早すぎる成功がウェストの未来を損なう結果となった。そうでなければ、彼はもっと偉大な画家になっていたかもしれない。

確かに彼の名声は大きかったが、それは学問や試行錯誤や苦しみを通して得られたわけではなかった。だから、結局はその名声も長つづきせずに終わってしまうのである。

一方、逆境の少年時代にたゆまず努力をつづけ、偉大な芸術家となった者も多い。

フランスの画家クロード・ローランは、ロレーヌ地方の貧しい家に生まれ、初めはぺストリー(パイの一種)の製造職人のところへ弟子入りした。その後、木彫師だった兄のもとで木彫の技術を学ぶが、そこで彼はしだいに芸術的な技量を発揮しはじめた。

ある時、一人の旅商人がクロードの素質に目をつけ、彼をイタリアに連れていきたい、と兄を説得した。彼は兄の承諾を得てローマへ向かい、画家アゴスチーノ・タッシーの家に召使いとして住みこむ。タッシーのもとで風景画を学んだクロードは、やがて自分でも作品を発表しはじめる。そのかたわらで諸国を回りながら徐々に画才をみがき上げた。こうして、クロードにはしだいに注文が殺到するようになり、その評判はヨーロッパ中に広まっていった。

クロードは、自然のさまざまな表情から絵画の神髄を学び取る練習を黙々とつづけた。一日の多くを、建物や土地や木々を描いて過ごすのが常だった。また、明け方から日没まで空を眺め、過ぎゆく雲の変化や陽の光のかげり具合などを観察した。

このように常に修練を絶やさなかったおかげで、徐々にではあるがクロードは絵の技量や審美眼を高め、いつしか「最高の風景画家」とまで称されるようになったのである。
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