電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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われわれは、日常生活においては、論理や言語による記述に絶対的に依存していますが、それが通用するのは、「目で見える世界」だけなのです。逆に言うと、目で見える世界を観察して、それを上手に記述するために論理が生まれ、言語が生まれ、常識が確立したのです。
◆論理や言語による記述が通用するのは、「目で見える世界」だけ
『般若心経の科学』
( 天外伺朗、祥伝社 (1997/12/1)、p98 )
私は、若いころにはこのように論理的に一貫性のない仏教に、なんとなく反発を感じていました。何といいかげんな宗教だろうと思っていたのです。ところが、年を取るにつれて、この“いいかげんさ”が素晴らしい、という心境になってきました。
「あの世」を記述するときには、論理的な整合性には何の意味もないことがわかってきたからです。
これは、なにも「あの世」までいかなくとも、極微の素粒子の世界で充分わかります。
つまり、素粒子レベルの世界では、われわれの日常的な常識や論理がまったく通用しないのです。今まで何度も書いていますが、壁に二つの穴を開けておいて、片側から一個の電子を飛ばしてやると、その電子は二つの穴を同時に通ることが知られています。
実は、穴の数が100個だろうと1000個だろうと、すべて一個の電子が同時に通過するのです。これは、素粒子の世界の粒子というのは、われわれがよく知っているテニスボールやパチンコ球のような粒子ではなく、粒子と波動の性質を両方兼ね備えているからなのです。
われわれが、目で観測できる寸法の粒子には、このような性質はありません。したがって、われわれが日常的に使っている論理体系では、このような素粒子は扱えませんし、日常的な言語では記述することすらできません。
現在のところ、「量子力学と呼ばれる理論で数学的に記述する」、というのが唯一の表現手段です。つまり、われわれは、日常生活においては、論理や言語による記述に絶対的に依存していますが、それが通用するのは、「目で見える世界」だけなのです。逆に言うと、目で見える世界を観察して、それを上手に記述するために論理が生まれ、言語が生まれ、常識が確立したのです。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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われわれは、日常生活においては、論理や言語による記述に絶対的に依存していますが、それが通用するのは、「目で見える世界」だけなのです。逆に言うと、目で見える世界を観察して、それを上手に記述するために論理が生まれ、言語が生まれ、常識が確立したのです。
◆論理や言語による記述が通用するのは、「目で見える世界」だけ
『般若心経の科学』
( 天外伺朗、祥伝社 (1997/12/1)、p98 )
私は、若いころにはこのように論理的に一貫性のない仏教に、なんとなく反発を感じていました。何といいかげんな宗教だろうと思っていたのです。ところが、年を取るにつれて、この“いいかげんさ”が素晴らしい、という心境になってきました。
「あの世」を記述するときには、論理的な整合性には何の意味もないことがわかってきたからです。
これは、なにも「あの世」までいかなくとも、極微の素粒子の世界で充分わかります。
つまり、素粒子レベルの世界では、われわれの日常的な常識や論理がまったく通用しないのです。今まで何度も書いていますが、壁に二つの穴を開けておいて、片側から一個の電子を飛ばしてやると、その電子は二つの穴を同時に通ることが知られています。
実は、穴の数が100個だろうと1000個だろうと、すべて一個の電子が同時に通過するのです。これは、素粒子の世界の粒子というのは、われわれがよく知っているテニスボールやパチンコ球のような粒子ではなく、粒子と波動の性質を両方兼ね備えているからなのです。
われわれが、目で観測できる寸法の粒子には、このような性質はありません。したがって、われわれが日常的に使っている論理体系では、このような素粒子は扱えませんし、日常的な言語では記述することすらできません。
現在のところ、「量子力学と呼ばれる理論で数学的に記述する」、というのが唯一の表現手段です。つまり、われわれは、日常生活においては、論理や言語による記述に絶対的に依存していますが、それが通用するのは、「目で見える世界」だけなのです。逆に言うと、目で見える世界を観察して、それを上手に記述するために論理が生まれ、言語が生まれ、常識が確立したのです。