電脳筆写『 心超臨界 』

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すでにそれを達成したことにある
( エマーソン )

悪魔の思想 《 批判を否定と思いこんだ進歩的文化人――谷沢永一 》

2024-07-06 | 04-歴史・文化・社会
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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大塚久雄を代表とする、前近代史観は、日本人の誰かによる創見(そうけん)ではありません。すべては「32年テーゼ」の単なる機械的な復唱にすぎませんでした。日本の左翼人は、ことごとく鸚鵡(おうむ)としての学者渡世を安易に続けました。そうして生まれたのが、近代日本を真黒に塗りつぶす「暗黒史観」であり、「罪悪史観」なのです。なにしろ「32年テーゼ」が、日本という国は、強盗、である、と繰り返し、繰り返し強調しているんですからね。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p37 )
第1章 こんな国家に誰がした――今も続く、スターリンの呪縛
(3) 反日的日本人の聖典――「32年テーゼ」

◆批判を否定と思いこんだ進歩的文化人たち

しかるに左翼の論客は根本的に勘違いして、批判とは研究対象である歴史そのものに対して否定の論断をくだすことだと思いこんでしまいました。個人と個人の間において、彼奴(きゃつ)を批判してやる、と意気ごむ場合は、つまりは、その人をけちょんけちょんにやっつけてやる、という攻撃の姿勢に傾きます。しかしながら、それは喧嘩であり対決であって、とても批判と言えたものではありません。本来における批判とは、冷静にして中立的(ニュートラル)な“調査”なのです。

左翼の人たちは、そのあたりの呼吸を考え違いして、対象である日本近代史を難じて叩く論法を、それを批判的精神であると心得ました。つまりは、批判的精神の本旨をねじまげて解釈してしまいました。批判を、否定、と思いこんだのです。そうと決めたら何をするにも気が楽ですね。「サラリーマンは、気楽な稼業ときたもんだ」(ドント節)、それになぞらえて言うならば、近代史家は気楽な稼業ときたもんだ、ということになります。日本近代史を悪者あつかいするための論法が、ありがたくも、すでに与えられているんですものね。

つまり、前近代、そして、半封建、そこへマトを絞って、やいのやいのと論じたてたらそれで済むんです。孫悟空ならぬ左翼史家は、幸いにも万能の如意棒(にょいぼう)を与えられました。霊験(れいげん)あらたかなこの如意棒の両端には、前近代、と、半封建、このふたつの刻印が捺(お)されてあります。

これをふりまわしながら近代日本史を突いて、叩いて、打って、貶(けな)したら、ここに批判的学問いっちょう上がり。かくしてわが国に独特の暗黒史観が跳梁(ちょうりょう)する破目となりました。

その典型の究極的な姿が、大塚久雄による日本近代全面否定論です。繰り返しになりますが、大塚久雄の論法には一厘一毛も彼による独創がありません。ただ「32年テーゼ」を絶対の真理と思いこんで信仰し、「32年テーゼ」が指し示している方向を彼の流儀で復唱してみせただけのことです。近代日本は実は前近代である。ゆえに近代的な精神は見出されない。「32年テーゼ」が正しいのである以上、大塚久雄の言立てに誤りがあろうはずがないではありませんか。大塚久雄は自分の信じるところを多少どぎつく述べてみただけなのです。

もし誰かが大塚久雄に向って、貴方の見解は間違っていると忠告しようものなら、大塚久雄はびっくりしてきょとんとして不思議そうに、だって、「32年テーゼ」にそう書いてあるじゃありませんか、と、逆に忠告者にやさしくたしなめたでしょうね。そして彼はその忠告者が「32年テーゼ」さえ勉強していない度しがたい“無学”な輩(やから)であることを、腹の底で深く軽蔑したであろうと思われます。

大塚久雄を代表とする、前近代史観は、日本人の誰かによる創見(そうけん)ではありません。すべては「32年テーゼ」の単なる機械的な復唱にすぎませんでした。日本の左翼人は、ことごとく鸚鵡(おうむ)としての学者渡世を安易に続けました。そうして生まれたのが、近代日本を真黒に塗りつぶす「暗黒史観」であり、「罪悪史観」なのです。なにしろ「32年テーゼ」が、日本という国は、強盗、である、と繰り返し、繰り返し強調しているんですからね。

日本の左翼人は、特にいちおう学者面(づら)している気取り屋は、実は、学者の風上にもおけぬ文字どおりの偽者(いかさま)でした。本来、学者の学者たる面目は、自分の乏しい能力を根かぎりふりしぼって、たとえ僅かでも創意工夫を世にさしだす努力のうえに成りたちます。その根本的な目標である独創を目指さず、「32年テーゼ」の奴隷に甘んじた阿保者たちによって、いわゆる進歩派の論壇がおおいに栄えました。

戦前・戦中においてすらなかなかの繁昌だったのですから、ましてや戦後は、左翼人が進歩的文化人としての装いをこらし、とんだりはねたりの大合唱となりました。その行きつくところが反日的日本人としての陰湿な論調です。日本という国を非難し、日本近代史を攻撃し、日本の国民性を貶める弾劾の論法こそ、彼らの至りついた究極の姿勢でした。繰り返しますが、そういう方向の議論は、すべて「32年テーゼ」の復唱であり言い換えであったのです。

では、なにゆえに、「32年テーゼ」は、これほどまでに徹底的に、日本を非難し、攻撃し、弾劾し、貶価(へんか)し、罵倒し、侮蔑したのでしょうか。
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