会社をつくって間もないころ、私はある経営セミナーに参加しました。講師のなかに、本田技研工業を創業された本田宗一郎さんの名前があり、高名な経営者の話を一度聞いてみたいと思ったからでした。ある温泉旅館を借りて二泊三日で行なわれるもので、参加費用は数万円。当時は大金でした。当日、参加者は温泉に入って浴衣(ゆかた)に着替え、大広間に座って、本田さんが来るのを待っていました。しばらくして本田さんが姿を現しましたが、浜松の工場から直行してきたような油のしみた作業着姿でした。 . . . 本文を読む
私はこう考えています。答えはつねに現場にある。しかしその答えを得るには、心情的には仕事に対するだれにも負けない強い情熱や、深い思い入れをもつことが必要である。そして物理的には、現場を素直な目でじっくりと観察してみる。じっと目を向け、耳を傾け、心を寄り添わせるうちに、私たちは初めて「製品が語りかけてくる声」を聞き、解決策を見いだすことができる、と。 . . . 本文を読む
意識的な方向付け(制度をつくること)をうるさく言う人―すなわち、立案なしに生成したもの(そしてそのメカニズムさえ理解できないもの)が、私たちが意識的に解決できない問題を解決できるなんて信じられないという人―は、次のことを考えるべきだ。重要な問題はごく少数の人の意識のコントロールの範囲を超えて資源を利用するということなのだ。 . . . 本文を読む
【한국어로 배우는 명언의 지혜】 過去の偉人たちは、われわれへの遺産として「知識」という宝物を残してくれた。しかし、その中でも最も重要な知識は、金塊同様、自らの手で掘り出さなければ手に入れることはできないのだ。
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社是の「先義後利」は中国の儒学の祖の一人、荀子の「義を先にし利を後にする者は栄える」に由来しています。でも利益を出し、会社を存続させなければ経営責任は果たせない。やはり経営は結果責任です。 . . . 本文を読む
中国が尖閣諸島(沖縄県石垣市)の略奪を目指していることは明白である。中国が台湾を攻略するために、東シナ海における拠点となる尖閣諸島の支配は必要不可欠であるからだ。政府は、中国の脅威を国民に的確に伝え、有事を未然に防ぐ戦略を推進すべきだ。海上保安庁は尖閣警備において最善を尽くしているが、中国海警船は大型化、重武装化し、海保の対応能力をはるかに超えている。 . . . 本文を読む
そもそも、夫婦別姓の賛否と男女共同参画社会の推進とは全く別の話である。彼らは、夫婦別姓では父母のどちらかと必然的に子供が別姓となり、家族の一体感を損ないかねないと危惧する者は、男女平等を追求し、担当相に就く資格はないというものだろうか。憲法が保障する「思想及び良心の自由」(19条)にも「職業選択の自由」(22条)にも反するそれこそ差別的で危険な発想ではないか。 . . . 本文を読む
「リベラル」の本来の意味は「自由を重んじること」や「自由主義的なさま」のことだが、わが国の「和式リベラル」はむしろ正反対である。多様性を訴えながら自分たちだけが気にくわない言論は弾圧し、封じ込めて社会を一色に染めようとする。反論しにくい「平等」「差別は許されない」といった言葉を多用し、異論がある人をも沈黙させる。重んじるのは自身と仲間の権利と自由ばかりで、他者の人権や不自由には関心を持たない。 . . . 本文を読む
アーム・チャイナは広東省深圳の企業である。ソフトバンクはアームを買収したもののアーム・チャイナの株式の51%を2年後には売り渡し、事実上、チャイナ政府系ファンドがアーム・チャイナ社を支配する状況となった。いわば孫正義氏はチャイナの代理人としてアームを買収し、アーム・チャイナの株式の支配権をチャイナ企業に売り渡したことになる。 . . . 本文を読む
朝日は最初に新型肺炎にかかった男を「神奈川県在住で、武漢市から帰国後発症した」(2020年1月16日付)と書いた。実はこの男は中国人だった。だから「帰国」ではなく、「再入国」と書くところだが、中国の機嫌を損ねる書き方はしない。 . . . 本文を読む
北岡さんは〈国際協調路線は結局日本の中国政策にとって不利である〉と述べていますが、そもそも、この国際協調の枠組みを破ったのは英米中の三国なのです。ですから、先の引用の直後に〈ではそのため(日本を国際協調のワクの中に引き止める・柏原注)の方法はあるのか。マクマリによれば、ワシントン諸条約の条文と精神を忠実に守ることであった〉と北岡さんが書いていることが、いかに論理的に破綻しており、デタラメであるかもはや明白でしょう。 . . . 本文を読む
ところが、何をトチ狂ったのか、官房長官の任にあった河野洋平が韓国に対して、従軍慰安婦問題について謝罪してしまたのだ。官房長官が謝罪した。この事実は重い。これで従軍慰安婦問題は決定的になってしまった。そのために日本は子々孫々まで謂(い)われのない汚辱にまみれなければならなくなったのだ。 . . . 本文を読む
世に言われる「南京大虐殺」とは、日中戦争さなかの昭和12年(1937年)、南京入城に際して日本軍が行った大虐殺事件、と認識されております。そして、その結果、30~40万人の無辜(むこ)の市民が犠牲になったかのように喧伝されているのが現状です。しかし、それは事実ではない。もちろん、戦争中なのだから、戦死者は出ただろうし、巻き添えになった市民も少しはいたでしょう。但し、けして喧伝されているような多数ではないし、一般市民を集団殺害した不法行為があったわけでもない。
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