ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

深く潜水していくわたし

2019-04-28 09:01:57 | 身辺雑事

    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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昨日からの続きです。
もし、私たちの魂がのぞんでいる場所というものが、「自分だけで最大幸福を感じることのできる世界」であるなら、そんなものを私は目指さなくてもよい、と思ったら何だか自分がこれまで一生懸命追究してきたものは何だったんだろう・・? という気持ちになって虚しくなり、一気に脱力感をおぼえてしまいました。
そして、いったん悪い方向へ気持ちが流れていくと、どんどん悪いものを引き寄せていきますから次々と気持ちが萎えることが起こりました。



まず、おかしな夢ばかりを立てつづけに見ました。
「駅」の夢です。
3日連続で駅の夢を見ました。
これはなんだろう?とネットで「夢占い」を調べると、
「駅の夢は、あなたがいま岐路に立っていることをあらわしています」
とある。
ううむ、やっぱりか、と思う。
しかし、単に「駅の夢」とはいっても、そのシチュエーションなどで吉夢だったり凶夢だったりするわけです。
私のは、そのどちらととればいいんだろう?ということがよくわからないのでした。
例えば「最終電車に乗り遅れる夢」は、「夢が叶わない」などの凶夢なのですが、私の場合は、「乗り遅れそうになるのだが、結果的に間に合った」だったりするのでした。
「改札口が自分の前で扉が下りてしまい出られない夢」だと「今のままの道には進まないほうがよい」という意味だけれど、私の場合は「扉は存在しないのにこの切符は乗り越しのはずで出られないと思いこんで、自ら進んで改札口の手前で駅員さんを待っている夢」だったりするのでした。
いずれも、何だかギリギリのところで結果的にはこの現状からなんとか命からがら脱出する、と言われているような気がしました。
しかも、どの夢にも必ず亡くなった父が出てくるのでした。
これもどうも私には「おまえひとりだと道を誤りそうだから、危なっかしくて見ていられない」とあの世から私の夢に登場してきた、という気がするのでした。
こういう夢の読み取り方って、どんな解説書を読んでいても結局本人がその夢を見ているときに「良い気分」だったのか、「嫌な気分」だったのか、が重要なんですよね。
そして私にはそれさえわからないのでした。
例えば、アイスランドのものすごく人口が少ない寂しい駅が出てきてなぜかそこに降り立っている私がいるのだけれど、それで「都会から抜け出せて人に会わなくて清々しいわ」と思っているのかと言われたらそこまででもないし、かといって「こんなうら寂しい駅で・・」と何だか悲しくなってしまっているのか、と言われたらそうでもない。
ただそれを受け容れている、という感じ。



また、あるときには「いつまでたっても目的地に着かない夢」を見ました。
もうこれなんて「夢占い」のサイトを見なくても、明確に「あなたは今行き場を失っているんですね」って自分でわかるわ。
また、あるときには巨人が出てくる夢を見ました。
街にいたら、みんなが騒ぎ出して「きゃあ~♡」と黄色い歓声があがるから何かと思ったら、4,5メートルほどもあるガイジンのモデルの男性でした。
「知らないの? いま、人気の○○(○○は外人ぽい名前でしたが忘れました)じゃない」
と友人は言うのですが、
「いくらなんでも大きすぎるわ・・ あそこまで大きいといくらカッコよくてもあんなふうにキャーキャー言う気にはとてもなれないわ。ちょっと怖い感じがするくらい」
と私は言いました。
その巨人のモデルは気よく、まとわりついてくるファンたちと握手をしたりサインをしたりしてあげていましたが、それを見て私はまた、(大変だなぁ。あんなに大きいと逃げ隠れできないものなぁ)と思っているのでした。
ここからうかがいしれることは、私が「何かやろうとしていることに対して準備不足」なのか、「案ずるより産むがやすしでただやればいい」のかどちらかだそうです。
そりゃどちらかだろーよ!
もうわけがわかんない。



いったい私は何を感じて、何がしたいんだ!? と夢のみならず現実の私の感情がどこに在るのかさえ、わからなくなってきました。
精神疾患の人が、「自分が何を感じているのかわからない・・」と言ったのを聞いたことがありましたが、「んなこと、あるわけないでしょう」と思っていました。
「感じる」のは誰だって「感じる」はず。
それがわからなくなってしまう、というのは自分が感じているものをブロックしている何かがあるのか、「何を感じているのか」を読み取る感覚器官の方が麻痺しているのか・・?
そのときにはそれが不思議で仕方がなかったものを、まさか自分自身がそうなってしまうとは・・・!?と自分で自分をもてあまし、どう扱っていいのかわからなくなってしまいました。



あるとき、今、自分が力を入れてやっている「潜在意識を活性化させる」ということについてもふと
「そういえば、昔、α波なんてものが流行ったときがあったよなぁ・・」
とふと思いました。
潜在意識が活性化するときというのは脳が変性意識になるときです。
変性意識とはどういう状態のことか、といえば「脳波がα波でとてもリラックスしているのに集中力は高まっている状態」のことです。
けれど、今から30年ほども前になるでしょうか、「α波」流行りだったときには、その原理も理論もへったくれもなく、ただただ「α波」一辺倒で、「α波になる家電」なんてものがバーッと売り出されたと思います。
それは「脳をα波にすると、とてつもなくリラックスできる」というように「リラックス」だけに焦点をあてたものだったように記憶しています。
だから「α波が出る音楽」なんてCDも売っていたと思いますね。
今なら「不気味だ・・」と感じるような、ニュースでオウム真理教の信者がかぶせられていたような電気が流れる鉄製のヘッドバンドみたいなものも売っていましたよ。
「α波」という言葉だけがひとり歩きしていた時代でした。
リラックスのためだけに「α波」が取沙汰されていたので、いまの「潜在意識を活性化させるには」というテーマとは関係がないのですが、なぜかそのときの私は、
「α波だって、潜在意識を活性化させるに良いキーワードだったのに、どうして
今ではα波の“あ”の字も聞かなくなってしまったんだろう? もう何十年も前から潜在意識を活性化する方法なんて、ごく一般的にやっていたのにね。今更私は何をやっているんだろう?」
と思ってしまったんですね。



このようにして、いったん「これはなかなかに手ごわい根本的な問題だぞ」というようなジレンマに陥ってしまうと、どんどん考え込んで、悪いほうへ悪いほうへ落ちて行ってしまうクセがあるんですね、私って。
それが乙女座の批判的で思考に深く入り込むという特性からきているのか、O型のたいていはおおらかにコトを済まし、落ち込むことも少ないけれどもいったん落ち込むとなかなか這い上がれない、からきているのか、五行の「木火土金水」の要素からいうと「水」を持っていないので、さらりと流すことが苦手だからか・・ よくわかりませんが。
とにかくいったんこだわってしまうとなかなか抜け出られないんです。
コードに絡みついたホコリをそのままにしてコードを引きずってあちこちへいくと、もっともっとホコリが絡みついてきますが、そんな感じ。
そしてさらに決定的に落ち込むようなことがあったのでした。
それはまた明日。




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