ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

集合無意識のパワーの方が個人的な潜在意識より圧倒的に強い

2019-04-25 09:01:19 | 精神世界

    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

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   詳しくはこちらをご覧ください。  
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   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
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                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
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      *あなたの将来は?
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              などです。

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         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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さて、昨日、一昨日では、私がカード占いで全然当たらなかった結果に対してどう腑に落としたらいいのか、を考えた結果、
1. その人自身が自分自身をも騙すほどの強い思い込みがあったから
2. 占ったことによって当事者を含む軸がズレた
3. 集団無意識と本人の意識とにズレがあった
ということではなかったか、ということを書きました。
そして、そもそも「集団無意識」とは、私のイメージでは地球の核に向かって深く深く自分の糸のような触手を延ばして行った結果、ようやく到達するところだ、というイメージをしていたわけで、だからこそ他人のことでも占えるのだけれども、それは当人のことを占うよりはずっと精度が低くなることだ、と思っていました。
しかし、あるとき松久正さんの本を読んでいたら、ちょうどまったく逆のことが書いてある!とハッとしたことがありました。



そこにはたまたまこんな一節があったのです。
『潜在意識の世界では、個人の意識よりも集合意識のほうが断然パワーが強いのです』と。
それはなぜか、というと『絶対数が違うから』です。
自分が可能だと思っても、集合意識が不可能だと思っていると、相当自分を強く持っていないとブレが生じます。
例えば、ある日急に
「自分は才能のある画家だ」
と信じ込んだとします。
自分でそうなりたいなら、まずはそうなった自分を思い描いてしまえ、とは潜在意識を活性化させるによく使う手でもありますし、イメージすることは大切ですからそれはよいとして、まだ1枚も描いていないのに、まだ1枚も世間に絵を発表もしていないのに、自分以外の他人が
「そうそう、あなたは才能のある画家よね」
なんて認めてくれるはずはありません。
だからもし実際に、ただ自分で思い決めただけの段階で
「私は才能のある画家です」
と人前で名乗ったとしても、はぁ? 何とぼけたこと言ってんの、この人・・ 頭おかしいんじゃないの、という反応になることは請け合いです。
この時点で、
「この人は才能のある画家でもなんでもない」という集団意識のほうが断然強い、というのはそういうことです。



だから自分でもそう信じ込むのに必要な振動数を、高い水準で保てる能力がないと集団意識に個人の潜在意識は負けてしまうので、結果、無理だ、できなかった・・ なれなかった・・ということになるわけです。
たとえば、ピカソが全く無名の頃を思い浮かべて下さい。
何枚も絵は発表しました。
しかし、写実主義が世を席巻しているときに、ピカソの絵は人々にはとても受け入れられません。
「なんだ? この子どものような絵は」「へたくそ」とさんざんな酷評を得てしまった、とします。
それでもピカソが内心で、(違うんだ。そんな世間の評価の自分であるはずがない。自分は素晴らしく才能豊かな画家なんだ。そして自分のほうに世間がついてくるときがいつか来る)と思い続けるのは、まさに天才でないと難しいことでしょう。
ふつうの神経なら、(そうだよなぁ・・ やっぱり俺って才能ないのかなぁ)と自信をなくしてしまって当然という気がします。
だからそういう意味でも“天才”とは、そのジャンルでの技術や資質のことを言うのではなく、「自分自身のことを誰にどう言われようと信じ切る才能」のことかもしれませんね。



さて、このように、潜在意識が絶対自分はこうなんだ、「できる」「なれる」と思ったら実際にできるんだよ、ということを説いてきたのが、マーフィーやカーネギー、ナポレオン・ヒルの世界です。
そしてここからが松久正さんの持論ですが、
「マーフィーやカーネギーの教えを、当時から世のなかの人がほんとうに信じて実行していたら、今頃世のなかはもっと変わっていたはずだ」
「けれど、実際には世のなかは全然変わっていない。ということは、世の中の人が潜在意識の成り立ち、しくみについて理解していないからではないか」
「私(松久さん)の考えでは、潜在意識というのは、集合意識から影響を受けた自分が有する知識や情報のことだ。つまり、こうだと思わされている意識のことだ。」
「よく、『潜在意識を変えて自分はできる、と思いなさい。できる自分を思い描きなさい』ということに取り組んできた人は多いことでしょう。これはある程度はうまくいくけれども、日常のなかで気を抜いたり、自分のエネルギーが疲れてくると、結局は集合意識に飲み込まれてしまうのです。集合意識=自分の潜在意識になってしまう。つまり、自分独自の潜在意識の育て方というのはできない。潜在意識というものはある一定のところまでしか行けないわけです」
で、どうしたらいいのか? といえば、彼は「潜在意識は眠らせてしまいなさい」という持論を展開しています。



ここまでくると、ん? 私の考えとはちょっと違うな・・と思いました。
私の考えとは違う、なんていう言い方をすると不遜ですね。
彼と同じ立ち位置にいるわけでもなんでもありませんから。
知名度から理解度から何から何までが違う。
私の理解が松久さんには到底及ばないだけのことかもしれません。
ただ私にとっては同じことです。
まだその域に到達していないのも、私が別の理解をしているのも。
集合無意識のパワーの方が圧倒的に強い。
これはわかる。
(なので、私がカード占いで集合無意識までをもくみ取って読み取るのはかなりの精度を要するし、個人の意識を読み取るより難しいことだ、というのは違うな、と思いました)
でも、ハッとしたのはここまでで、私は
「潜在意識が集合意識から影響を受けた自分が有する知識や情報のこと」
とは思っていないのです。
それはむしろ顕在意識なのではないか、と思います。
だから集合意識に飲み込まれてしまう、というのも自分で「あぁ、まだまだだな」と自覚して呑み込まれてしまうのなら、集合意識=潜在意識ではない、と思います。



ただ、この松久正さんのアプローチはうまいなぁ、と思いました。
現代の情報が溢れんばかりにはちきれている世界では、
“通常世の中でまかり通っている通説をぶった切る(まったく逆のことを言う)”
に限ると思います。
その点、彼は
「潜在意識の力をもっと生かせ、と世の中では言っているけれど、そうではなくて、逆にその意識を眠らせてしまいなさい」
と言っているわけですから。
「潜在意識を眠らせる」とはどういうことなのか?
これ以上書くと、彼の本の解説というか、ネタバレになってしまうので、詳しくは松久さんの著書をお読みください、と言っておいたほうがよさそうですが、少しだけ自分の身に起こったことと共に語りたいことがあります。
それはまた明日。




カードはどうして自分以外の他人のことも占えるんだろう?

2019-04-24 09:01:43 | 占い

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昨日は、私がルノルマンカードを使って占ったある事例から考えさせられたことについて書きました。
それは
「こんなにも真逆と言ってよいほど当たらないことってあるのか!」
という経験でした。
そしてそれがどうしてそういう結果になったのかを自分なりに分析してみると、納得できる答えには行き当たったのだけれど、う~ん・・ 私はカードのような“占い”には手を出さない方がいいのかなぁ、と考えさせられたのでした。



そしてそのほかにももう1つ、気になっていたことがありました。
それは、私がふと
「そういえば、カードにはどうしてこんなことがわかるんだろう・・?」
と不思議に思ったのは、カードは質問者以外の他人のことも占える、という点についてです。
相談者本人のことではなく、例えば、
「うちの子どもは高校に合格するでしょうか?」とか、
「うちの夫はほんとうのところ、私のことをどう思っているんでしょうかね?」など。
私はカードは、相談者本人の意識を通して、その人の潜在意識が現れるものと思っていましたから、本人のことならともかくなぜ、他人のことまで? と「最初に気付けよ、そこ」みたいな疑問がふと沸き起こったのでした。
カードを取り扱っている友人に聞いたところ、
「まったくの他人のことを占うのはダメで、その質問者の方と直接的に縁のある方までならOKとなっている」
という人が多かったです。
それは、どこまでの関係なら占いが読める、という問題ではなくて、倫理的な問題という面を含んでいるからではないか、と思いました。
だって、そりゃ自分がどこかでまったくの他人に占われている、と思ったら不気味ですもんね・・
いくら占う内容によっては他人でもよい、なんて言ったって、どこまで、という線引きは難しいし、まるで八寸釘片手にわら人形打ちつけられているようなことが自分があずかり知らぬどこかで行われているのかも・・と思ったらそりゃあ誰だっていい気はしません。



ただ、その部分がオーラソーマをやっていたとき、カラーセラピーとは違うなぁ、と思ってなんとか取り入れることはできないだろうか、と思っていた部分でもありました。
私がオーラソーマというカラーセラピーをやっていたときに一番歯がゆい思いをしたことの1つに、
「オーラソーマで出来ることの範疇がよくわからない」
というものでした。
オーラソーマのシステムはごくシンプルなものです。
116本(※2019年 4月現在)あるボトルの中から「今一番気になるボトル」を順に4本選んでいく、ただそれだけ。
そこから「その人の持っている魅力、使命」「その魅力や使命を果たすにあたって今イチ障害になっていること」「現在の状況」「将来のぞんでいる立ち位置」などがわかります。
このわかることがはっきりとしているだけに、それは逆に言うと「わからないことはなんと言われようがわからない」ということでもありました。
それこそタロットカードであるなら、
「それについてはわかりましたが、では、それについて彼はどう思っているんでしょう?」
と質問が発展すれば、
「では、それをまた別のスプレッドで占ってみましょうね」
ということもできます。
でもオーラソーマは1にも2にも最後にも選んだ4本のボトルがすべて。
なので、クライアントに
「そこまではわかりましたが、では、私はどうしたらよいのでしょう?」
と言われたときに、アドバイスするには
「それはボトルに現れているわけではなく、私の私見ですけれどね・・」
と、カウンセリングに入るしかないのでした。



もちろん、
「それをどうしてもお知りになりたいのであれば、別のセラピーなり占いの方のところへ行かれてはどうでしょう」
と突き放すこともできました。
というか、それこそがふさわしいクライアントにとっての道しるべだったのかもしれません。
直接的な答えは出ていないにせよ、それに準ずるようなヒントはすべてボトルに現れているはずなのですから、それ以上にストレートな答えを他人の口から語られることを望む人というのは依存が強いのか、自分で考えてみることを放棄しているだけだということもできるのですから。
けれど、タロットカードなどではそのような質問を受けた時少なくとも
「ではアドバイスカードを出してみましょう」
ということはできます。
私は、私自身が人生相談の先生のようになって私見を述べるよりは、そのようなその人自身が共時性によって引き当てたアドバイスに価するものを差し出してあげたいと思ったのでした。
そして私自身が新たにリリースするオルゴナイトセラピーでは、そういった要素も取り入れたいと思っていた矢先でした。



そしてようやく冒頭の疑問に戻るのですが、
「どうしてカードなどでは、質問者本人のことだけではなく、他人のことまでもわかるのだろう?」
について、です。
私はアニマルコミュニケーションを習ったときの先生がおっしゃったことを思い出しました。
「いい? 地球という大地の上に私たちは足をつけて生きている。そしてその足の下から私たちの『意識』が神経の糸のようにすーっと伸びているとイメージしてみて。その糸が探している人を探し当てたとき、その人の糸とつながって、考えていることを共有できるのよ」と。
そして、さらには
「それをさらにさらにずーっと地球の核まで下りていくと、探し当てたい人だけじゃなくて、もっと多くの人間ならば共通して持っているという集団無意識の層にまで到達する。
そうすると、自分から他人に伸びた糸のテレパシーだけではなくて、他人がそのまた他人をどう思っているかの糸にアクセスすることもできる、ってわけ」と。



このとき私は、このことがものすごく腑に落ちたのでした。
それまで私はチャネリングのようなものを信じていませんでした。
けれども、こう図式でイメージするととても腑におちて、それが腑に落ちた途端に私はアニマルコミュニケーションができるようになってしまったのでした。
技術や訓練じゃありませんでした。
もともと私たち人間にはテレパシー能力なんて誰にでも備わっているものだ、とは聞いていました。
だから、「そんなこと出来るわけがない」という思い込みのブロックを外しさえすれば誰にだってすぐにできるものだ、と。
それが私の場合、このイメージ図だったのでした。



でも、このイメージがまた新たな思い込みを生むことにもつながっていました。
というのは、私にとっては他人の意識とつながるということは深く地中に”潜る”イメージだったので、誰かとの糸をたぐりよせるより、もっとさらに深く潜らなくてはならない、地球の深く深くコア近くにまで下りていくとつながることのできるものなのだ、というイメージでした。
だから、自分の知っている他人とつながるよりはそれは難しくなるし、「当たる、当たらない」ということでいえば、当たらない確率も高くなる、と思っていたのです。
しかし、その考えをまったく打ち砕く考えにバッタリと出会いました。
それは長くなってきましたので、また明日に続きます。





カードリーディングって難しい

2019-04-23 09:01:11 | 占い

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このところ、私にはとても考えさせられることが起こりました。
それが何かということを順を追ってお話していきますが、その前に、あなたはタロットなどのカード占いがなぜ当たると思いますか?
いや、反対に否定的な方であればなぜ当たらないと思いますか?
どちらでも構わないのですが、つまり、どういう仕組みで成り立っているものだと理解しておられますか?
これは占い好きな方、特にカード占い好きな方にとっては、むしろ考えてみたこともないことかもしれません。
「えっ・・ だって、そういうものでしょ、とだけ思ってた・・」
って。
“そういうものだ”と思っていらっしゃる方の中にもまたひょっとしたら、
カードというものに信頼を置いてらっしゃる方、
占い方のシステムに信頼を置いてらっしゃる方、
占う人そのものに信頼を置いてらっしゃる方・・・
いろいろかもしれませんね。
最後の占う人そのものに信頼を置いてらっしゃる方の場合は、占ってもらうのが誰でもいいというわけではなくて、お気に入りの占い師、タロティストの方にしか見てもらわない、その人がもしカードで占うという取扱い方をやめて水晶占いに鞍替えしたというなら、それはそれでいいのよ、という方かもしれません。



こんなことを言うのは、私がどのタイプでもなく、よくこのブログにも書きますが、“占い”というもの自体にそんなにのめりこんで好きでよく自分でも占ってみるとか、占ってもらう、ということを生活に自然に取り入れています、というタイプではないからかもしれません。
では私はどうしてカードが当たると思っているのか、と言ったら、
「そこにみる共時性というものに意味を見出そう」というタイプだからです。
そしてさらには、人の潜在意識というものは時に“儀式的”なことや“ツール”を使わなければ浮かび上がってこない、と思っているからです。
つまり、潜在意識がどういう働き方をするのか、あるいはどういうときには働かないのか、ということを色んな経験を通して知るにはカードは格好のツールの1つかもしれないな、ぐらいに思ってきたわけですね。



そしてルノルマンカードを裏メニューとし(表でもいいんですが、いずれにしても自分自身がわたし、こういうことやってる人間ですよ~と高らかに謳いあげたいわけではなく、頼まれればやりますよ、というレベルということ)、その養成講座もやっています。
あるとき、カードの依頼を受けました。
よくある恋愛相談でした。
「私は○○さんのことが好きなんですけれど、あちらは私のことをどう思っているでしょうか? この恋愛はゆくゆくうまくいくでしょうか?」
という恋愛したら誰もが気にする一般的なものです。
で、占いました。
結果はことのほか素晴らしく、こんなにわかりやすく簡単なリーディングってあっていいのかというほど恋愛に関して成就のカードが出て、私は、
「わぁ、これはきっとうまくいきますよ」
と言いました。
その方もことのほかその結果を喜んでおられました。



そして1か月ほどたったある日、その方から相談がありました。
もう1度みてほしい、というのです。
1か月の間に何か大きくコトが動いたことがあったのかな、と思いましたら、なんとその方は驚くべきことを語られました。
その方がストーカーまがいのことをした、とその方が想いを寄せる○○さんから会社の上司に訴えられ、2度と○○さんに近づいてはいけない、という命令を受けた、というのです。
当たり前のことですが、その方はそんなことになってしまったことを動揺されていました。
会社から○○さんに近づくな、という命令が出されるなんてよほどのことだと思います。
しかし、その方の話を聞いている限り、そんな大ごとになるほど、その方はなんのアクションも起こしてはいないんです。
その方は
「カード占い、全然当たらなかったじゃないの! どういうこと!?」
と腹を立てていたわけでも、そこにがっかりされていたわけでもありません。
ただ1か月の間に周囲の状況や○○さんの心境になにか変化があったのか、これはどうしたことだろう? ということをひたすら懸念されていたのでした。



私もびっくりして、いったいこれはどういうことなんだ?
私のカードリーディングが大きく外れていた、ということなのか? と最初はもちろんそこを考えました。
しかし、あれは誰がどう見ても、あぁ読み解くだろう、と思われるものでした。
もし、リーディングに問題がなかったとしたら、次に思ったことは、そのように読み解いたからこそ、それについての関係者の思念が変わり、読み解いたときとは状況が変わったのだ、という考えもある、とは思いました。
しかし、それにしてもこの真逆なような結果はそう考えるだけでは説明がつかない、と思いました。
次に思ったのは、相談者の思いこみが強すぎたのだろうか、ということでした。
よく稀代の詐欺師というような人は、その瞬間瞬間は真実のなかを生きている、と言います。
つまり、騙すつもりで言っているのではなく、そのときにはその人にとってはそれはまことに真実だったのだ、というわけです。
そういう人は自分自身の潜在意識までをも騙すことができる人(思いこみが強い人)でしょうから、その人の考えている心模様がカードに現れているだけ、ということでいえば、それと同じことで、そのときの相談者も
「彼は私のことをどう思っているのでしょうか? この恋愛は成就しますか?」
という質問を私に投げかけているようでいて、実はもう心の奥底では、
「彼も私のことを好きでいてほしい」という気持ちが強すぎて、それが発展し、「彼も私のことを好きに違いない」とまで思いこんでしまっていた、とか・・。
だとしたら、カードというものは決して真実を映し出さない、ということになります。
いや、それはカードに限らずですけれども、人がもし自分自身の潜在意識にさえ強い思いこみをインプットすることによって自分自身をも騙すことができるのだとしたら、そして私がこれからやろうとしてりるオルゴナイトセラピーにもカード的な読み取り方も取り入れようかと思っていたので、そこまでは投影できないのだとしたら意味がないことになるではないか、これはえらいこっちゃ、と思ったのでした。



この件については、カードをもっとよく知る人に勉強してみて、あらゆる可能性の読み取り方、提示の仕方について習った結果、納得することがありました。
やはり、私は1つの可能性を彼女に投げかけてみることをしていなかったのです。
それは「彼女自身が自分自身さえにも嘘をついていることはないか?」ということについてでした。
これは、その人自身が自分の潜在意識さえも騙している、ということとは似ているようで少しニュアンスが違います。
潜在意識までをも騙しているとしたら彼女自身にもこの結果はまったく心当たりがない、ということになりますが、自分自身に嘘をついている、ということならば、その嘘に薄々気づいていた部分がある、ということになるからです。
もともとカードになど頼らなくても、私たちというのは普段からものすごく直感をフルに使って相手が自分をどう思っているか、ということを探っています。
「探っている」というと言葉が悪いですが、まぁ、判断しようとしているのですね。
ちょっとした目線の配り方、見つめる秒数、その強さ、強さはどんな感情の現れとしての強さなのか、皮膚の筋肉の動き・・・ などなど。
「うまく言えないのだけれど・・」
「言葉にではできないのだけれど、なんとなく・・」
というようにそのとき私たちはそんな表現を使ったりしますが、だいたいそういう“カン”というものは当たっていることが多いです。
それでいくと、私は彼女から詳しい現状を聞いていた時に、すでに
「ん? なにか違和感おぼえるな・・」
と思ったことがいくつもあったのでした。
それは(カードなんかで占わなくても、この現状を聞いたら、第三者の誰もがそれは○○さんは、あなたのことは特に好きじゃないんじゃないの?)という思いでした。



けれど、カードを使って占ってもみていないのに、
「あのね、今、あなたの話を聞いただけですでにこう思うんだけど・・」
などと言うことは許されない、と自戒していました。
私はエラそうに人生相談受けてるわけじゃないんだから、と。
私が“人として”“人生の先輩として”感じたこと、思ったことをその人も聞かされることなぞ望んではいまい、という自戒。
けれど、後になってみると、それは
「私はこう思うんだけれどね」
ではなく、
「なんの思い入れも含まない第三者として聞いているとこう感じる人がほとんどじゃないかと思うんだけれども、そこはあなたはどう思ってる?(あるいはどう思った?)」
と投げかけてみてあげるべきだった、とは思ったのでした。



このことは別に、
「あぁ、次からはそこに気を付けよう」
と思って前へ進めばよいだけのことかもしれません。
けれど私は、普段から
「占いというものはどうも・・」と尻込みしたり、
「カードが私の本分ではない」
と言っているものですから、そんな私の身に起こったこととしては、
「やはり私はカードをやるべきではないのじゃないか」
とまで考えてしまったのでした。
これからタロティストとして活躍して行こう!と未来を輝く目で見つめている人なら同じことを経験しても
「いい勉強させてもらったなぁ」
と思うことかもしれません。
けれど、私は「カードが私の本分ではない」と言っている私にそれが起こったということはやっぱりカードは取り扱わない方がいいのかなぁ、と考えさせられたのでした。








それは言い切っちゃいましょう

2019-04-22 09:01:19 | 身辺雑事

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私は、ずっとこのブログでも言い続けています。
“人は何によって気付くか、何がその人にとってそのときとても響くものだったのかはわからない”
と。
ある人は、自己啓発セミナーで人生変わったかもしれないけれど、同じセミナーを受けた別の人にとっては、ぜぇ~んぜんだったかもしれないし、ある人にとってはそういったセミナーや講座で気付くのではなく、日常の何気ない一コマによって気付くかもしれないし、子どもから言われた一言がとても響くものかもしれないし。
それはもう千差万別、人それぞれだから、と。
タイミングもあれば、その人が心の底から「気付きたい!」「変わりたい!」と願っている強さにもよるだろうし、環境や人との出会いもあるだろうし。
それらのピースがすべてピシッと収まるべきところにハマった、というときに人は「これだ!」と思うものに出逢うように出来ているのでしょう。
だからこそ、私は私のやっていることを
「絶対これがいいって! これ受けてみてってば!!」
とかとても言えない、と思ってしまうのでした。



しかし、最近、あるお客さまがサロンにいらっしゃったときにも上記のようなことを話していたときでした。
そのお客さまが、真剣な面持ちで、
「それはえつこさん、色よ!って言い切っちゃってくださいよ」
とおっしゃったんです。
そのときのそのお客さまの表情が今でも忘れられません。
それは話の流れ上、私をヨイショするようなことを言っておこう、とかそんな感じとはまったく違いました。
私ならそうきっぱり言われたほうが響きますけれどね、と言われたように感じました。
そんな反応は初めてのことでしたので、おや?とちょっと自分のスタンスを振り返ってみる気持ちになったのでした。



確かに、人は人の熱意に引きずられるようなところがあります。
それを自ら望んだり、あえて引きずられてみようか、つまり、どれ、この人の熱意に乗っかってやろうかというときもあります。
しかし、それでも私はどうしても
「色によって気付く、っていいわよ~ どうしてみんなそこがわかんないかなぁ」
というようには言えないなぁ、と思っていました。



そして昨日のブログです。
昨日は九星気学を習いに行ったとき、先生が吉方位のことをお話になっているとき、
「吉方位はちゃんととらないといけない。でないと、運勢が変わらないから」
とおっしゃったときに、ものすごく違和感を覚えたのでした。
なんで、そう言い切れるのだろう、と。
そして自分がそういう言葉にものすごく反応してしまうのはなぜだろう?とまた自分を振り返ってみたのでした。
自分自身に問いかけてみた結果、
「それがまるで脅しのように聞こえるから」
でした。
ほらほら、うちの宗教に入らないと人類滅亡のときにも助からないんだよ~みたいなね。
九星気学をやって、吉方位をちゃんととらないと運勢が変わらないということはイコール門外漢の人は全員運勢を味方につけられない人ということになります。
それはしいては世の中、「九星気学をきちんと実行している人」VS「九星気学なんて知らない人」もしくは「九星気学を知っていたとしてもきちんとその教えを守っていない人」に色分けされるということになります。
そんな図式のわけないや~ん! 宇宙はもっと広いだろ、という反発精神がむくむくと湧いてきてしまうのです。
そこまで強烈な拒否反応を感じてしまうには、この図式というものが宗教戦争のように「“絶対”自分たちは正しいんだ」、と信じて疑わない、融通のきかない人たちに似ていると思ってしまうからでしょうか。
そしてその裏には、
「私はもっと物わかりが良い」
と思われたい自分がいる、ということになります。



そもそもそんなに“物分かりの良い人”でいる必要ってあるんでしょうか?
ちょっとこの言い方は極端かもしれませんが、“物分かりの良い人”というのは、「相手にとって都合の良い人」という要素がたぶんに在るような気がします。
私はこの先の人生、もう人の顔色なんて気にせずに生きて行く、って決めたんではなかったのか。
我慢してニコニコして過ごしストレスを溜めるより、3歳児のように自分の欲望に素直になり、人に迷惑をかけない限りは自分の情熱に素直に生きて行きたい、と思ってるはず。
それなのに、あぁ、それなのに、私は、単に“物分りの良い人”と思われたいがためにこれまで涼しい顔をして、
「決して私のやっていることだけが気付きの道に通じているわけではないから、自分の好きなものに出会っていけばそれでいいのよ~」
なんて言ってきたのかもしれない、と思ったらこれまた馬鹿馬鹿しくなってきました。



それに「色からこんなにも人間を掘り下げ理解することができる」ということを声高に推奨できないことの1つには、色があまりにも科学的すぎるということもあるな、ということにも気付きました。(あくまでも私にとっては、ですよ)
私はもう少し不思議なもの、理解しよう、しよう、としても解明しきれない部分が残っているようなものに惹かれるんです。
それは、追いかけようとするとするりと袖をかわされて逃げられる恋人のようなものかもしれません。
でもね、今回新たにリリースするオルゴナイトセラピーにはその私の大好きな要素が入っています。
オルゴンパワーも解明しきれないものですし、クリスタルたちもいろんな逸話や不思議なエピソードなどを携えています。
今回私は、たまたま何度も何度も出会う「絶対これ!」に反発を感じるようなことにまた出会いながらも、これまでには出会ったことのなかった、
「えつこさん、そこは色だ、って言い切っちゃってくださいよ」
と言ったお客さまの言葉に大いに触発を受けました。
これからの私は、
「オルゴナイトセラピーはすごいよ。ほかでは味わえないような気付きがあるかもね」
と堂々と言っていくことでしょう。
だって、まったくこれまでに世の中になかったオリジナルなものなんだもの。
そりゃ何が起こるかわからないさ。





九星気学の講座に行ってまいりました

2019-04-21 09:01:22 | 身辺雑事

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   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
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              などです。

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先週金曜日までロングランで行っていました「オルゴナイト展示即売会」には、ほんとうに多くの方にお越しくださり、ありがとうございました。
それぞれの方のところへ、それぞれふさわしい行くべきオルゴナイトたちが巣立っていきました。
ある方からは、
「連れて帰ったオルゴナイトを飾っておいたら、そのオルゴナイトを通して虹が家のなかに入り込むようになり、なんと太陽柱まで出ました! なんだかこれからステキなことが起こるような気がしますし、家のなかにとても良い気を持ち込んだようで毎日がハッピーです」
というメールをいただきました。
ほんとうに嬉しいです。
ありがとうございました。



さて話は変りまして突然ですが半年にわたって、月に1回だけですけれど、九星気学と社会運勢学の講座を学ぶことにしました。
昨日はその第一回目でした。
もともと私は、
「今日の私の運勢ってどうなってるんだろう?」
という「日にち」までのスパンを気にすることはありません。
だから、朝のワイドショーなどで必ず取り上げる「今日の星座別運勢」なども楽しみにして見ることはありませんし、新聞に載っている同様のものも読むことはありません。



でも、「1年」とか、きちんと区切らなくてもいいけれども「ざっとここ1~2年」というような年単位でのバイオリズムは気になるんです。
というのは、私がこれまでそういうものを気にせず生きてきて、結果、あとからそのときどきのバイオリズムを確認させられるようなことがあると必ず、
「あぁ、だからあのときはあんなにもがいたのに何もかもうまくいかなかったんだな」とか、その逆に、
「どうしてあんなにもスイスイ波に乗れたのかなぁ、と思ってたけど、やっぱり運勢が良かったんだ!」
とか運気の流れを感じざるを得ないことばかりでした。
だからそれからはそういう年スパンでの自分を取り巻く運気については知る機会があればムダにエネルギーを使わないためにも、キテルものがあれば乗っておくためにも、知っておきたいな、と思っていたのでした。
そして自分自身のことは占いに頼ったりするのではなく、あくまでも自分で自分の道を切り開く気概と自分の潜在意識を知っておきその魂からの願いに素直になっておくことをすればいいだけ、と思っているのです。



さて、そんなことが動機で受けに行った「九星気学・社会運勢学」でしたが、第一回目で私は自分自身が予想していたこととはあまりの違いにおののいてしまいました。
その講座は新規ではなく、継続の方と新規の人が混在していました。
だから余計に先生も、
「これは継続の人にとっては何回もしゃべっていることだしな」
という遠慮があったのかもしれませんが、もう私にはチンプンカンプンで。
わたくし、こう見えても(どう見えてるって言うんじゃ)さほど物事を理解するときに難ありのタイプだとは思っておりません。
むしろ体系立てて話していただければ物分りの良いほうだと思っています。
けれど、それは逆に言えば、大元の“そもそも”がないと非常に理解に支障をきたすタイプでもある、というわけです。
遁甲盤というものがあります。ハイ、それの見方はわかりました。
そこから毎日の吉方位を出すことができます。ハイ、それの出し方もわかりました。
しかし、そもそも遁甲盤ってなに?
吉方位を出すためだけに使うものなの?
そんなに毎日毎日の吉方位を出すことって大切なの?
それがわからない。
わからないからそれを一生懸命出す気にもならない。



先述したように私はその日その日の運勢までは必要ない、と思ってるんです。
大きな流れを把握しておきたいだけ。
日々どうするかは自分で決めます、ってば。
むかし、源氏物語などにも光源氏が姫のもとを訪れるのにその日はその方角が凶だからということで、方違えといって、一度わざと吉方位の方角へ行ってから、姫のもとへ行く、というシーンなどがあると、
「閑やのう。平安時代の貴族はそんなことばっかりやってて、全然仕事してないんでしょうね」
とアホらしく思いながら読んでいました。
忙しい現代人はそんなことしてらんないって、と。



しかし、授業で先生がこの吉方位の説明に入られたとたん、あちこちから熱心な質問が飛ぶ、飛ぶ。
「では先生、私のこのような場合はどうしたら・・?」
「たとえばこういうことが起きた場合はどのように吉方位をとったらいいのですか?」
などなど。
私は口をあんぐりあけて面喰ってしまいました。
そんなとこはそんなに熱心にやってくださらなくてもいいからね~などとお気楽に思っているのは私だけで、皆さん、こここそが聞きたかったところだ!という人ばかりなの?
まぁ、世間一般の比率とは違うかもしれないけれど、九星気学という講座に来る人たちというのはそこ、すんごく気にする人たちっていうのが普通なの?



しかも、さらにショックだったのは先生が、
「吉方位は絶対に気にして毎日行動したほうがいい。それをきちんとやらないと運勢は変わらないから」
とおっしゃったんですね。
それを聞いたとたん、
(そりゃないだろう! うっそ~)
と思ってしまったんですね。
では、九星気学を知らない人たちは全員毎日毎日吉方位をとっているはずはないから、その人たちの運勢は自分でいくら「変わりたい!」と思っていても変わらない、というのだろうか?
こういうときなんですよね~
私の、「私が情熱を持ってやっている“コレ”だけ、“コレ”のみが世界を救うことができるわけよっ!」というものはすべてなぜか胡散臭いと思ってしまうアマノジャクな性格が頭をもたげるんです。
先生は、占いと同じく、もし吉方位をとらなかった(どうしてもとることができなかった)場合にも次善策はあるのよ、というアドバイスを下さいました。
占いでも、「失敗する」とか「別れる」とか「終わる」とか何か悲痛な占い結果が出た場合でも必ず救いの手は用意されています。
というか、そこに回避する手だてであったり、アドバイスであったり、救いの手が用意されていなかったとしたら、ただ人を奈落の底へ突き落すだけ突き落しといてなんだよー!ということになってしまいます。
九星気学の場合では、
「吉方位をとらなかったら、自分の行く道に落とし穴を作ってしまったようなもの」
とおっしゃいました。
しかし、それを少しでも良い運勢にするためには、
「たとえ凶方位へ行ってしまった場合でも、そのあとでもいいから、吉方位に行けば、落とし穴をふさぐための土をそこへかけたようなもの」
だそうです。



しかし、それにしても、知ってか知らずかはともかくとして、全く吉方位なんて気にせずに生きて行ったらどうなるの?
そんなに運勢、穴ぼこだらけになっちゃうっていうの?
ちょっと先生にそこんところを質問してみようと思い、直接先生にメールをしました。
そうしたら先生からはこんな答えが返ってきました。
「吉取りをするということは脳の訓練なのです。
いつも自分にとっての吉ってどっち?って吉に意識が向くことで、幸せ体質になっていきます。
人はどちらかというと、悪いほうへ悪いほうへ意識が向きやすいですよね。
これを良いほうへ、吉のほうへと変えていくのが幸せ貯金なのです。
週4日の幸せ貯金を、3ヶ月間続けていくと、なんとなく自分が変わって来たなって感じられると思います。
吉凶動より生ず
という言葉があります。
自分でやろうと思わないと意味がありませんので、強制はしません。
ただ、知識として学ぶだけではもったいないなと思います。」
うん、なるほどね~
確かに人は行動しなければ変わらないし、九星気学を究めようという人は、この吉方位を使って、毎日の自分の暮らしを整えよう、というわけですね。
でも、残念ながら私は自分の暮らしを整える方法は、ほかのものでしますので、吉方位をとることでそれをやろうとは思わないんですね。
でも、先生のお答えには納得しました。
そして吉方位をとることはしないけれど、毎日の脳の訓練として、と割り切るならば、遁甲手帳をみて、自分の吉方位をだしてみて「ふ~ん、今日はそうなんだぁ」ぐらいはやってみてもいいかな、と思ったのでした。