オルゴナイトセラピー モニター様募集!
4/25(木)~ 初回1回に限り
オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
詳しくはこちらをご覧ください。
↓
https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
レギュラーリリースにあたって
を、
1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
にてご提供いたします!
「オルゴナイトセラピー」でわかることは、
*あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
*あなたの将来は?
*自分の潜在的可能性のチェック
などです。
<お申込み・お問い合わせは>
chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで
*********************************************
さて、昨日、一昨日では、私がカード占いで全然当たらなかった結果に対してどう腑に落としたらいいのか、を考えた結果、
1. その人自身が自分自身をも騙すほどの強い思い込みがあったから
2. 占ったことによって当事者を含む軸がズレた
3. 集団無意識と本人の意識とにズレがあった
ということではなかったか、ということを書きました。
そして、そもそも「集団無意識」とは、私のイメージでは地球の核に向かって深く深く自分の糸のような触手を延ばして行った結果、ようやく到達するところだ、というイメージをしていたわけで、だからこそ他人のことでも占えるのだけれども、それは当人のことを占うよりはずっと精度が低くなることだ、と思っていました。
しかし、あるとき松久正さんの本を読んでいたら、ちょうどまったく逆のことが書いてある!とハッとしたことがありました。
そこにはたまたまこんな一節があったのです。
『潜在意識の世界では、個人の意識よりも集合意識のほうが断然パワーが強いのです』と。
それはなぜか、というと『絶対数が違うから』です。
自分が可能だと思っても、集合意識が不可能だと思っていると、相当自分を強く持っていないとブレが生じます。
例えば、ある日急に
「自分は才能のある画家だ」
と信じ込んだとします。
自分でそうなりたいなら、まずはそうなった自分を思い描いてしまえ、とは潜在意識を活性化させるによく使う手でもありますし、イメージすることは大切ですからそれはよいとして、まだ1枚も描いていないのに、まだ1枚も世間に絵を発表もしていないのに、自分以外の他人が
「そうそう、あなたは才能のある画家よね」
なんて認めてくれるはずはありません。
だからもし実際に、ただ自分で思い決めただけの段階で
「私は才能のある画家です」
と人前で名乗ったとしても、はぁ? 何とぼけたこと言ってんの、この人・・ 頭おかしいんじゃないの、という反応になることは請け合いです。
この時点で、
「この人は才能のある画家でもなんでもない」という集団意識のほうが断然強い、というのはそういうことです。
だから自分でもそう信じ込むのに必要な振動数を、高い水準で保てる能力がないと集団意識に個人の潜在意識は負けてしまうので、結果、無理だ、できなかった・・ なれなかった・・ということになるわけです。
たとえば、ピカソが全く無名の頃を思い浮かべて下さい。
何枚も絵は発表しました。
しかし、写実主義が世を席巻しているときに、ピカソの絵は人々にはとても受け入れられません。
「なんだ? この子どものような絵は」「へたくそ」とさんざんな酷評を得てしまった、とします。
それでもピカソが内心で、(違うんだ。そんな世間の評価の自分であるはずがない。自分は素晴らしく才能豊かな画家なんだ。そして自分のほうに世間がついてくるときがいつか来る)と思い続けるのは、まさに天才でないと難しいことでしょう。
ふつうの神経なら、(そうだよなぁ・・ やっぱり俺って才能ないのかなぁ)と自信をなくしてしまって当然という気がします。
だからそういう意味でも“天才”とは、そのジャンルでの技術や資質のことを言うのではなく、「自分自身のことを誰にどう言われようと信じ切る才能」のことかもしれませんね。
さて、このように、潜在意識が絶対自分はこうなんだ、「できる」「なれる」と思ったら実際にできるんだよ、ということを説いてきたのが、マーフィーやカーネギー、ナポレオン・ヒルの世界です。
そしてここからが松久正さんの持論ですが、
「マーフィーやカーネギーの教えを、当時から世のなかの人がほんとうに信じて実行していたら、今頃世のなかはもっと変わっていたはずだ」
「けれど、実際には世のなかは全然変わっていない。ということは、世の中の人が潜在意識の成り立ち、しくみについて理解していないからではないか」
「私(松久さん)の考えでは、潜在意識というのは、集合意識から影響を受けた自分が有する知識や情報のことだ。つまり、こうだと思わされている意識のことだ。」
「よく、『潜在意識を変えて自分はできる、と思いなさい。できる自分を思い描きなさい』ということに取り組んできた人は多いことでしょう。これはある程度はうまくいくけれども、日常のなかで気を抜いたり、自分のエネルギーが疲れてくると、結局は集合意識に飲み込まれてしまうのです。集合意識=自分の潜在意識になってしまう。つまり、自分独自の潜在意識の育て方というのはできない。潜在意識というものはある一定のところまでしか行けないわけです」
で、どうしたらいいのか? といえば、彼は「潜在意識は眠らせてしまいなさい」という持論を展開しています。
ここまでくると、ん? 私の考えとはちょっと違うな・・と思いました。
私の考えとは違う、なんていう言い方をすると不遜ですね。
彼と同じ立ち位置にいるわけでもなんでもありませんから。
知名度から理解度から何から何までが違う。
私の理解が松久さんには到底及ばないだけのことかもしれません。
ただ私にとっては同じことです。
まだその域に到達していないのも、私が別の理解をしているのも。
集合無意識のパワーの方が圧倒的に強い。
これはわかる。
(なので、私がカード占いで集合無意識までをもくみ取って読み取るのはかなりの精度を要するし、個人の意識を読み取るより難しいことだ、というのは違うな、と思いました)
でも、ハッとしたのはここまでで、私は
「潜在意識が集合意識から影響を受けた自分が有する知識や情報のこと」
とは思っていないのです。
それはむしろ顕在意識なのではないか、と思います。
だから集合意識に飲み込まれてしまう、というのも自分で「あぁ、まだまだだな」と自覚して呑み込まれてしまうのなら、集合意識=潜在意識ではない、と思います。
ただ、この松久正さんのアプローチはうまいなぁ、と思いました。
現代の情報が溢れんばかりにはちきれている世界では、
“通常世の中でまかり通っている通説をぶった切る(まったく逆のことを言う)”
に限ると思います。
その点、彼は
「潜在意識の力をもっと生かせ、と世の中では言っているけれど、そうではなくて、逆にその意識を眠らせてしまいなさい」
と言っているわけですから。
「潜在意識を眠らせる」とはどういうことなのか?
これ以上書くと、彼の本の解説というか、ネタバレになってしまうので、詳しくは松久さんの著書をお読みください、と言っておいたほうがよさそうですが、少しだけ自分の身に起こったことと共に語りたいことがあります。
それはまた明日。