ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ストーリーに介入せず、介助者という立場を貫く

2019-04-30 09:01:11 | コンサルテーション

    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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平成最後、明日からはいよいよ令和(いま気付いたけど、当たり前っちゃ当たり前ですが、「れいわ」と打ってもこの文字がすっと出てこないんだよね。ストレスだわ~)だという日に、なにをグジグジしたこと書いてんだよ!と自分にツッコミを入れて置いて、と。
ハイ、それでも平成最後話とか令和話とかではなく、ひたすら自分の心の気付きを書いていくんですけどね。



さて、昨日は、友人がたまたま占ってくれたカードリーディングでまたまたショックを受け、混乱もしてしまったということを書きました。
でも、そのおかげで腑に落とせたこともあった、と。



私は自分自身がセラピーをやっているせいか、つい他人がセッションをしてくれて自分が受け取る立場のときにでも、「もし、立場が入れ替わって自分がこのセッションをやっている方の立場だったら・・?」という目でみてしまうときがあるんです。
いやなクライアントですよね~
私ならこういう人にはできるだけ来てほしくないな(笑)
やりずらいことこのうえない。
あ、でも、口に出してそれを言うわけではないんですけどね。
心の中でどうしても湧き上がってしまう。
このときは、
“セッションをやっている方も、クライアントと一緒に、クライアントのジグソーパズルを埋めていく必要がある”
ということについて考えていました。



昨日も書きましたが、私は友人がリーディングしてくれた結果がそもそもなんのことを指しているのかわかりませんでした。
「そこから撤退するべき」というカードが出ても、
占いのこと?
カードのこと?
オルゴナイトセラピーのこと?
それともスピリチュアル全般について?  と。
そしてそれについて、
「後から自分でゆっくりと考えてみる」
と友人には言いました。
お金が介在している正式なセッションではなく、あくまでも話の流れから友人が好意でやってくれたことですし、私が「後で」「自分で」と言ったから、友人はそれを尊重してくれたのでしょう。
けれど、実際にいま“後になってみて”思うのは、その肝心なところを後回しにしては、もうそのセッションの中で友人が言ってくれた大事なことであったろうことも含めて、セッション自体が空中分解してしまって、なぁ~んにも残らないのです。
だから、もし私と同じような人がいらした場合、「それはその人の今直面している人生において、何のことを指し示しているのだろう?」という軸についてはさすがにそのときに一緒にクライアントと考えてあげる必要があるだろうな、と思いました。
まるで、行方不明になったジグソーパズルのピースを探してあげるかのように。



ただ、ここで難しいなと思うのは、オーラソーマの授業でもよく言われた、
「クライアントのストーリーに興味をもつ必要はない」
ということです。
私は当初、この“ストーリー”という言葉の意味がよくわかりませんでした。
でも何度も聞いているうちに、あぁ、これは英語で、「私の人生は・・」などというように語るとき、「My story」という言葉を使うように、その人の「人生」という意味なのだな、ということがわかってきました。
しかも、ただの「人生」というよりかは、「その人の人生のなかにおいて、あるとき起こったエピソード」というほどの意味で授業では使われていたかと思います。
たとえば、セッションをやっている最中に、クライアントが具体的に自分の身に起こったことを話し出すとします。
それを否定するものではありませんが、「ストーリー」そのものが重要な意味をもつわけではないので、そこは簡潔に語ればいいのに、そこをこそ、異常に熱を込めて話す人がいらっしゃいます。
要はただ、聞いてほしいんですよね。
自分がいかに可哀想な人間か、そのストーリーに登場するほかの人間がいかに間違っているか、というその人目線でのジャッジを。
「それまで親しかった人とあるとき言い争いになり、疎遠になってしまったことであれでよかったのか、と悩んでいるところです」
と言えば済むものを、
「Aさんという人がいるんですよ、この人がどういう人か、というところからお話しますとね」とか、
「で、私がこう言ったら、Aさんはこう言うわけですよ。それはさすがにおかしいでしょう?」とかね。いろいろ。



私自身、ラハシャ博士の「カウンセリングスキル」という授業に参加したとき、とても穏やかでこの世に生まれ落ちてから1度も声を荒げたことなどないのではないか、と思われる博士が、授業で公開カウンセリングをするから誰かクライアント役になってくれる人はいないか、とおっしゃり、1人の人がその役を買って出たとき、やはりその人がストーリーを語り出し、ラハシャ博士は穏やかな声と顔のまま、しかしきっぱりと、
「私はあなたのストーリーには興味がありません」
とおっしゃったことがありました。
私は自分がまるでそのクライアント役になったようにのめりこんでそのカウンセリングを見ていたので、ちょっとドキッとしてしまいました。
博士に拒絶されたような気持ちになってしまったからです。
博士は相変わらず優しい目でクライアントを見つめていたにもかかわらず。
いくら博士がクライアントを拒絶したわけではないことをアタマではわかっていても、どうしても「私はあなたのストーリーには興味がありません」という言葉はキツ過ぎる、という気がしていました。



そのときからずっと私はどこまでクライアントのストーリーを聞くか? ということについては難しい問題だな、と考え続けているような気がします。
そして、私が今回陥った「自分の人生に起こっていることのなかで、どれのことを言われているのかわからない」ということになった場合、一緒にバラバラになってしまったパズルのピースを探し当てるための作業はしてあげたほうがいいな、とは思うものの、その作業のなかでクライアントがストーリーを語り始めてしまった場合、どうしたらいいのだろう? と思いました。



私の結論は、「クライアントは語りたければ語ればよい」ということです。
けれど、それがあまりにも微に入り細に入りという場合途中で、
「あなたのためにご用意している時間が、この調子だとたぶんそのストーリーの半分ほどで終わってしまうことになり、それ以降は別料金、あるいは次回に、ということになりますが、それでもよろしいでしょうか?」
ときちんと現実に一度立ち返っていただく必要はあるかな、と思いますが。



いずれにしても、クライアントが「何のことを言われているのかわからない」という迷子ちゃん状態のときにはそれが何の事であるのかを一緒に探し出すお手伝いはするべきだと思いました。
それは決して「その人のストーリー(人生)に介入する」ということではなくて、「介助者という立場を貫く」という立ち位置であることを忘れてはならない、とも思います。
それはとりもなおさず「相談にのる」というような立ち位置でいる、ということでもありますから、そういう意味でいえば、占いであろうとセラピーであろうとすべて「カウンセリング」ではない、とも思ったのでした。



この話はまだまだ続きます。
実は友人はタロットと「和尚禅タロット」以外にも、ルノルマンカードでも占ってくれたのでした。
そのときのことからの気付きの話はまた明日。