ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

発病から今まで その25

2006-06-10 15:08:50 | 健康・病気

皆さん、お久しぶりです。世間は『サムライブルー』で盛り上がっています。そして我が家も・・・私が山奥のリハビリ病院に入院していたときも、日韓W杯で盛り上がっていたなぁ、あれから早いもので4年がたったのか・・・

そんな訳でやっぱり書くことにしました。C市立病院からリハビリ病院への転院が4月の中旬に決まった。担当だった先生や看護師の皆さんがかわるがわる現れて、私を励ましてくれた。脳外科の先生は『ここまで来れたのが奇跡なのだから、もう一度奇跡を起こしておいで』『修行だと思って頑張っておいで』看護師の皆さんからは『良くなりに行くのだから諦めずに頑張ってきてね』『リハビリでは有名な病院に行くのだから悪くなるはずは無い。』リハビリ科の先生からは『向こうに行ったら、すぐに装具を作ってもらって歩行練習をしてもらいなさい。私の奥さんが勤務しているから、逐次報告させるから』理学療法士の先生には『今まで頑張ってきたものをばねにして頑張ってきなさい。靴も良い物が売っているから、それを履いて頑張って』と色々な方から励ましを受けた。

いよいよ、転院の日、廊下に今まで私の面倒を見てくれた看護師の皆さんが並ぶなか、また玄関には、脳外科、リハビリ科、理学療法士、の先生方、看護師長や非番で休みだった看護師さんもわざわざ見送りに来てくれ、その中、希望と不安に揺れながら山奥の病院へと向かった。約一時間ちょっとでその病院に着いた。が・・・そこに待ち受けていたものは、私が聞かされていた事とは大きくかけ離れていたものだった。