巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

クロ:雑種のイヌのお話

2004-10-03 05:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
実は小学校1年のころ、イヌを飼っていたことがある。

黒と白の雑種の痩せたメスの子イヌで、近くの墓地につながれていたのを見つけてひきとったのだ。はじめのころは「まぐれ犬」として扱い、元の飼い主を探した。飼い主が見つり引き渡したが、次の日また同じ場所につながれていた。

一番かわいい時期がすぎたみすぼらしい子イヌなので、他に引き取り手がおらず、それにわたしがどうしても飼いたがったこともあって、両親はしかたなく飼うことを許可した。金物屋で一番小さい首輪を買ったが、小型犬が普及していない当時のこと、それですらクロの首には大きすぎた。

名は雑種らしく、毛の色をとって「クロ」と名づけた。わたしがかわいがりすぎたせいか、それとも雑種ゆえに人間に愛嬌をふりまかなければ生きてはいけないことを本能で感じていたのか、クロは人間を見れば、だれにでも喜んでちぎれんばかりにシッポをふってじゃれついた。

当時、血統書つきのすばらしいイヌか、金持ちの家のイヌでも無い限り、イヌのえさは人間の食べたものの残りと決まっていた。わたしがクロにもっていく餌は、人間の食事の残り物に味噌汁をかけたものだったが、それでも喜んで食べてくれた。(人間用の食事の濃さの塩分がイヌにはよくないことは、ずっと後で知った。)

1年と少したったある日、クロは突然いなくなってしまった。その理由について、わたしは両親から「散歩の途中でいなくなった」と説明された。わたしはとても悲しかったが、逃げてしまったのなら誰かにひろわれかもしれない、誰かにひろわれなくても十分大きくなっていたので、一匹で生きていけるだろう、とばくぜんと思った。それにこれ以上、クロのことを聞いてはいけない雰囲気があったのだ。

本当のことを母から聞いたのは、それから20年以上たってからだった。

クロは散歩の途中に逃げてしまったのではなく、飼いきれなくなった両親が保健所に引き渡してしまったのだった。クロはメスで子供を生む可能性があったが、避妊手術をするお金は家にはなかった。それに実をいうとわが家の経済状態では、「残り物をイヌにあげる」といっても、その「残り物」さえ出す余裕がなかった。そして、わたしがあいかわらず喘息の発作を起こすこと(喘息持ちにはペットの毛などがアレルゲンになる)や、昼間クロの面倒をみなければならない母が、動物を好きでなかったことも理由だった。

母の話によると、クロを保健所へ引き渡してから数週間後、両親は別の用件で再び保健所へ行った。驚いたことに、クロはまだ「処分」されずに、保健所大きな檻のなかに他のイヌたちとともに収容されていた。他のイヌたちがワンワンとほえ続けるなか、そんな犬たちよりもひとまわりもふたまわりも小さいクロは、檻の奥ですっかり観念してしまったかのように、じっとして動かなかった。

父がクロを見つけ、母の制止にもかかわらず、口笛でクロを呼んだ。父はクロを呼ぶときは、いつもそうしていたのだ。すると、死んだようになっていたクロが反射的に飛びあがって、檻の端まで走り、狂ったように鳴き叫びはじめた。両目からボロボロと涙を流しながら。両親はそんな鳴き叫び続けるクロにたいしてどうすることもできずに、そこから逃げだした。

動物嫌いの母は、本当のことをわたしに話したときに泣いていた。そして「こんなことがあるから生き物は嫌いなんだ」と言った。

思えば、わたしはクロのまともな写真を1枚も持っていない。一緒に写真を撮ろうすると、クロはいつもうれしくなってしまい、おおはしゃぎでじゃれつくものだから、できあがった写真に写っているのは、いつもじゃれつくクロに顔をゆがませたわたしと、動き回るクロの体の一部だけだった。

両親とわたしは、そんな「人間が大好き」なクロの信頼を裏切ってしまった。クロには理解できなかったろう。何も悪いことなどしていないのに、なぜ突然自分が捨てられたのか? どうして、自分が愛する者たちが、突然自分に背を向け、最悪の状況に自分を追い込んだのか?

ごめんね、ごめんね、ごめんね、クロちゃん。あやまってもどうしようもないことはわかっているけれど、ごめんねとしか言えないんだ。