巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

ティントパール (Tint "Parl")???

2005-05-30 22:30:05 | 美容と健康
tint_parlイトーヨーカドーの日焼け止めのコーナーでいろいろ物色していたら、いやぁ、ありました、わたくしのツボにはまった商品が。"Mask Melon"に続き、またもわたしを喜ばせてくれましたよ。

パッケージにも包装にも"Tint Parl"の文字。

「パール効果できれい肌」はよいが、いったいこの"Parl"って何よ?

さて、写真の容器の形をみてピンときた方も多いはず。そう、低価格日焼け止め市場ではかなりのシェアを誇る近江兄弟社メンタームサンベアーズの形だ。写真の商品ではブランド名は消してあるが、販売名は「近江兄弟社UVティントパール」という。スーパー用のOEM商品かノンブランド商品として、パッケージを変えたものであるらしく、中身は配合成分をみる限り、サンベアーズシリーズのティントパールとまったく同じもののようだ。ちなみにシリーズとしての商品展開もサンベアーズシリーズとほぼ同じで、「敏感肌用」やら「クール」やらがある。

で、ここからが問題。サンベアーズのティントパール(販売名:近江兄弟社メンタームサンベアーズティント)のほうはきちんと"Tint Pearl"なんだよね。誰が"Pearl"を"Parl"に変えたのだろう。

そしてこれは単にスペルを間違ってしまっただけなだろうか? それともスペルをわざと変えて、わたしのようなアマノジャクを釣ろうという高等戦術か?

後者だとしたら、みごとに成功だ。サンベアーズシリーズで肌のトラブルを起こしたことがあるにもかかわらず、

…つい買ってしまったよ。税込み498円也。

でもまぁ、"Tint Pearl"でも、「これ何のこと?」と言われそうな気も。英語としては"Pearly Tint"のほうが、わかりやすいかなぁ。

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「”Mask" Melon(マスクメロン)とは、何ぞや?」 (巣窟日誌)(自己トラックバック)


「ネコ」ポリス その53

2005-05-28 18:56:35 | ノラネコ
cat_53

最近ひんぱんに見かけるネコだったが、当ブログでは初お目見え。かわいくないし、頭が小さいし、またもや貧相である。これらの特徴から、間違いなく「ネコ」ポリスのネコたちの血脈であろうよ。

朝から、カラスが2羽ガァガァとうるさい。忙しいのでそのままにしておいたが、午後になると、車までストップして中から運転手が叫んでいる。隣家の庭の木にカラスが愛の巣を作っていたのだが、そこから2羽の愛の結晶たるヒナが道側に落ちてしまったらしい。

人通りのない住宅地のせまい道のことなので気がつくのが遅れたが、どうやらカラスは道を通るすべてのものを威嚇し、果敢にもこの道を通りぬけようとした車にまでカミカゼ・アタックをしかけたため、運転手がびっくりしてブレーキを踏んだらしい。そこで外へ出てみるとと、ヒナがいると思われる地点の真上でカラスが2羽で神経質そうに見張りをしていて、とてもではないが近づけそうにない。

ヒナに近づくのはあきらめてふと足元を見ると、ネコが潜んでいる。草むらの中で必死になって気配を消そうとしている。この写真のネコである。

「ネコもカラスの親が怖いのか」と思ったが、ヒナが落ちて半狂乱のカラスを警戒していたのではなく、どうやらこのわたしを警戒していたらしい。

(ふん、ネコのサーカスに売っちまうぞ!)



「ネコ」ポリス その52

2005-05-27 16:18:05 | ノラネコ
「ネコ」ポリス その51と同じ状況だが、撮った日付は違う。下の写真は本日撮ったものだ。

cat_52

「別にそんなに、警戒しなくても…」と、思わず抗議したくなるほどの彼らの警戒ぶり。 とくに後ろのゴキリョウとわたしが顔をあわせると、いつも

「種を超えたオバサン対決
第一ラウンド:ガンの飛ばしあい」


といった、雰囲気になる。

ところでゴキリョウは、この辺のノラでは唯一、瞳がちょっと緑がかっていているのだが、わたしをあまり近づけないので、いまだ写真にその瞳の色が写らないのである。


「プロジェクトX」過剰演出問題で考える~成功物語に、「悪役」と「最初の状態を落とす」ことは必須なのか

2005-05-26 00:33:44 | ニュース
NHK「プロジェクトX」で過剰演出

 5月10日に放送されたNHKの「プロジェクトX 挑戦者たち」で、事実とは異なる内容が放送されていたことが23日、分かった。番組は、大阪府立淀川工業高校(大阪市旭区)の合唱部が全国で金賞を取るまでを描いたが、高校側は毎年80人の退学者を出す荒れに荒れた学校などの表現が事実と違うとして、訂正と謝罪を求めている。NHKはプロジェクトXのホームページから、この放送を削除した。(以下略)
(2005.05.24 日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-050524-0013.html


もちろん、感動話のドキュメンタリー(またはセミドキュメンタリー)に、多少の脚色が必要なことはわかっているし、この年になれば、TVやドキュメンタリー映画で流れる成功話・感動話の「やらせ」の一端をになう経験もいくつかある。

もう時効だから書いてしまうが、養護学校で入寮生活を送っていた9歳のときに、ドキュメンタリー映画の撮影がはいってしまったことがあった。「体の弱い子たちが、親元を離れているにもかかわらずけなげに頑張っているところを撮影する」のが、その映画の趣旨だった。養護学校の寮生活が肌にあっていて「家なんかに帰りたくない」と思っていたほど楽しかったたわたしだったが、大人たちのご要望に応えてカメラの前ではおもいきり「親を思うさびしそうな表情」をしたものだ。そしてこのときのわたしの表情は、完成した映画にしっかり残ってしまった。この映画を見たのは特殊な層の人だけだとは思うが、ご覧になった全国の教育関係者の皆さん、ごめんなさい。

社会人になったらなったで(これも時効になるほど古い話だが)、TV局から「この会社は女性社員が戦力としてバリバリ働いている」という状態をカメラに収めたいと言われて、その場にいた女性従業員全員でカメラが回っている間、やたらと忙しそうな振る舞いをした。これは首都圏ローカルの放送だったが、かなり評判がよかったらしい。しかも、放送後「女性労働力の活用」を考える複数の企業から、会社に問合せが入ってしまった。ご覧になった一般の視聴者の皆さん、そして問合せをしてきた人事担当者の皆さん、ごめんなさい。たしかにこの会社は女性の労働力を有効活用していましたが、実際よりも良く見せてしまいました。

ところで、成功物語が大好きな国といえば、いうまでもなくアメリカ合衆国だ。特に「成功した人間」が良しとされるお国柄で、成功者はしばしば「自分の成功」に関するスピーチをする機会もある。ここでも、自分の成功話をより盛り上げるために、話に演出が行われることがある。

たとえば、「現在の成功状態」は周りもわかっているから、現状についてウソはつきにくい。そこでしばしば、「最初の状態を落とす」ということが行われる。本当は高校で普通の成績をとっているにもかかわらず、中学でドロップアウトしたとことになるとか、あるいは、いたって普通の家庭に育っているのに、貧乏で学校をやめなければならない状態になったとか、など。または、親がとんでもない人間で、子供だった自分がどれだけ苦労したなど、最初の状態を落とすために、悪役が必要なこともある。

こうやって初期状態を「かなり悲惨」だとすることによって、現在の状態とのギャップにより「成功の規模」がより大きなもだという印象を与えるわけだ。こういうことを考えて、米国俳優の子供のころや売れない時代の苦労話は、割り引いて考えたほうが良いかもしれない。

で、こういう話が「成功の当事者」だけの話ですみ、誰も巻き込んでいない場合はまあ良い。問題は、成功物語の彩りのためのちょっとした演出や創作のために、誰かの評判を落としたり、傷つけてしまったりする場合だ。

問題の「プロジェクトX」の大阪府立淀川工業高校合唱部を扱った回でも、「初期状態を落とす」と「悪者をたてる」の2つが、しっかりと行われている。学校が「荒れに荒れた」ことになって全国ネットで放送されては、この学校のOBや当時の学校関係者はそりゃあ傷つくというものだし、悪役にされてしまった人の名誉はどうなるのだろうか。

で、実はわたしは、そのような他人の「苦労の末の成功物語」の脚色に巻き込まれたことがある。

以前、国政選挙で某候補のスタッフとして働いた。なぜスタッフとなったかというと、その候補の「友人」だったからだ。その候補は当選した。

ところが当選した後、この議員本人は選挙について、「誰も味方してくれない、孤独な戦いだった。」「配偶者とたった二人だけで、槍を持って選挙を戦った。」「わたしには組織のバックアップはなかった。」などと発言をし、その発言の一部はメディアに載った。おかげで、共通の知人たちから、「ふくしまさん、あなた方スタッフは、選挙中になにもしなかったの? あなたは友人なのに?」と、言われてしまった。こう聞いてこない人間でも、わたしを含む選挙スタッフが、候補者を捨てて何もしなかったように思った人はいたらしい。(つい最近、再びそのことを聞かれたので、そうだとわかった。)それに、バックアップしてくれた組織があるのに、まるでなかったかのように言っていては、実際に組織の指示で動いた人は、どっと疲れてむなしい気分になったに違いない。

おまけに、いくら自分の立場を守るためとはいえ、「私はふくしまさんの研究を援助しているんです。」「あの人は人格的に問題がありますから。」などと事実無根なことを、、国会議員から議員会館で発言されてしまっては、こちらの商売にもさしさわるというもの… ときに、成功物語のスパイスには「火のないところに水煙」ですら許される…わけはないだろう。

自分の物語であれ、他人の物語であれ、「苦労の末の成功物語」をさらに感動的なものにしようとして、他人の評判を貶めたり、傷つけたりするような脚色と捏造はやめなさい。


タイム誌による映画名作百選

2005-05-24 23:25:32 | 映画・小説etc.
米誌タイムが、批評家が選んだ「ベスト映画100本」(TIME Magazine - ALL-TIME 100 Movies)を発表した。

「生きる」など4邦画も タイム誌が名作百選


 【ニューヨーク22日共同】米誌タイムは22日、同誌が選んだ「ベスト映画100本」を発表した。黒沢明監督の「生きる」(1952年)など、日本映画4本が含まれており、「生きる」は50年代の最高傑作に選ばれた。ベスト映画100本は23日発売の同誌最新号で一部が紹介される。100本に順位は付けられていない。
 ほかにベスト100本に入った邦画は小津安二郎監督の「東京物語」(53年)と溝口健二監督の「雨月物語」(同)、黒沢監督の「用心棒」(61年)。
 洋画では「カサブランカ」(42年)、「アラビアのロレンス」(62年)、「ゴッドファーザー」(72年)、「シンドラーのリスト」(93年)、「ロード・オブ・ザ・リング」(2001年)などが入選した。(2005.05.23 共同通信)
http://www.excite.co.jp/News/world/20050523094949/Kyodo_20050523a384010s20050523094951.html


この100本のリストはこちらだが、しばしば舌鋒鋭い批評家による、なかなか個性的なラインナップ。古今東西の作品をまんべんなく入れているようでいて、一方で批評家の趣味が炸裂していような印象もある。

「ブレード・ランナー」("Blade Runner" (1982))、「メトロポリス」("Metropolis" (1927))、「欲望という名の電車」("A Streetcar Named Desire" (1951))、「オリンピア2部作」("Olympia, Parts 1 and 2" (1938))で知られる「美の祭典」と「民族の祭典」、「ベルリン・天使の詩」("Der Himmel über Berlin" / "Wings of Desire" (1987))のリスト入りには、わたしの気分もよくなる。

さすが批評家たちは、「天井桟敷の人々」("Les Enfants du paradis"/ "Children of Paradise"(1945))、「『大地のうた』三部作(オプー三部作)」("The Apu Trilogy" (1955, 1956, 1959))あたりは、はずさない。「続・夕日のガンマン」("Il Buono, Il Brutto, Il Cattivo" / "The Good, The Bad, and The Ugly" (1966))もわかる気がする。「雨月物語」(英題"Ugetsu" (1953))まで出てくると、なにやら「我々は批評家なんだぞ! いろいろな映画をみているんだぞ。」と言いたげだ。(名作には違いないが。)

キューブリック監督作品は、「2001年宇宙の旅」("2001: A Space Odyssey" (1968))ではなく「博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」("Dr. Strangelove: or How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb" (1964))、そしてかの「バリー・リンドン」("Barry Lyndon" (1975))をあげたところが、通かもしれない。

「レイジング・ブル」("Raging Bull" (1980))、「シンドラーのリスト」("Schindler's List" (1993))など、「やっぱりこれは入ったか」と思う作品も数々あるが、異論がありそうなのは、最近のアニメから唯一ランキングに入った「ニモ」("Finding Nemo" (2003))、ジャッキー・チェンの「酔拳2」("Drunken Master II" (1994))、「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」("A Hard Day's Night" (1964))あたりだ。

一方で、「アマデウス」("Amadeus" (1984))、「カッコーの巣の上で」("One Flew Over the Cuckoo's Nest" (1975))、「ベンハー」("Ben-Hur" (1959))、「七人の侍」(英題:"Seven Samurai" (1954))のような作品が入っていない。「欲望という名の電車」("A Streetcar Named Desire" (1951))のリスト入りはうれしいが、できれば「道」("La Strada" (1954)) や、そして米紙なら「サンセット大通り」("Sunset Blvd." (1950))あたりも入れてほしかった。