今年は、私の周囲には訃報が多い。その一方で、長らくあっていなかった人と再開する機会も多い。旧知の方々の突然の訃報に加えわたしが昨年乳がんの手術をしたこともあり、「会うことができる人間には、会えるうちに会っておかないと、もう一生会うことができなくなるかもしれない」という気持ちが、わたしのほうに働く。相手も、わたしががんに罹ったということを知って、「一度会っておかないと」と思ったのかもしれない。
というわけで、本年はわたしにとっては「再会の年」。
■ 事例A 8年ぶり
大学院の修士課程時代の同期生のU姐さん。彼女はその後、結婚してアメリカへ。日本に短期間戻ってきたところをつかまえて8年ぶりに会った彼女は、なぜか当時より若く見える。
実は当時のU姐さんは、国連大学高等研究所のゼロエミッション構想のプロジェクトマネージャーで毎日が超多忙。それなのに同時並行で修士の学位を取得しようなどとは、いつもエネルギッシュな姐さんであっても、さすがに無理があった。
というわけで、わたしが知っていた当時のUさんというのは、通常の状態よりストレスで体重が増え、それにもかかわらずかなり疲れていて、やつれていたらしい。そのやつれが取れた今、彼女は以前より若返ったように見えるのである。
彼女の滞在先のホテルにあるコーヒーハウスで一緒にモーニングを食べながら、お互いの近況報告もそこそこに、かつてのノリそのままに「今後」の話題でお互いによくしゃべること。ひそひそと低い話声ながら、傍から見れば、早朝から尋常ならぬハイテンションな中年女性2人組だったに違いない。そしてU姐さんの周囲には、通常とは異なる磁場が形成されていたはずだ。
しかし、人間は8年ぐらいじゃ、それほど変わらんわ。
■ 事例B 11年ぶり
齢70を超えてバリバリと働いているHさんは、当時わたしが勤めていた外資系の再就職支援会社C社に、取締役として入ってきた方だ。Hさんは一貫して外資系企業の人事畑を歩んで来られたこの分野のベテランで、外資系企業の人事マネジャーの間では、よく知られた人物だった。
わたしはさっさとC社を辞め、Hさんはその後C社の社長になったが、この会社は本国の親会社の合併に伴い、日本法人も合併。Hさんは多くの従業員とともに合併後の企業へ移り、今はその企業の特別顧問だ。
わたしの退職後は、毎年の賀状のやり取りはあっても、会う機会はなかった。が今年7月に、当時のC社で同僚だった女性が逝去したことがきっかけで、一度会って飲むことになった。Hさんは、合併前のC社からともに合併会社へ移った男性を3名伴って現れるという。
「わたしはそのころより外見が11年分老けておりますが、判別は可能かと思われます。」
Hさん宛てのメールにはそう書いたものの、いまいち自信がない。Hさんを一見で判別できなかったらどうしよう。そして、それより問題なのは、Hさんがわたしを判別できなかったらどうしよう…
が、無問題だった。少なくともHさんはほとんど変わっていなかった。わたしも「なんだ、全然変わっていないじゃない」と言われたが、そのことばには気遣いも含まれていたのかもしれない。
集まったのは、傍から見れば平均年齢が高い妙な5名。70代のHさんに、60代の男性2名、50代後半の男性1名。そしてかろうじて40代の最後にひっかかっているわたし。
かなり昔の、退職年齢が55歳の時代であったなら、皆とっくに退職している年齢だ。そして55歳定年の時代には、女性はめったなことでは30を過ぎて働くことはなかったし、25ぐらいまでに結婚退職することが推奨されたものだった。なのに、当日集まった全員が、いまも現役で働いている。
話は、参加者の属性上、昔話から現在の雇用環境にまで及んだ。わたしが勤めていた11年前までは、再就職支援業は「新しい業種」だった。数少ない同業他社との競争をおこなうよりも前に、まずは「再就職支援業」とはどういうものかを、企業や当時の労働省に対して説明しなければならなかった。派遣切りなどはなかった。サラリーマンの平均年収は、今の平均年収よりも数十万円高かった。(実際には、ここ10年間で、百万円単位で年収が落ちた人も少なくないだろう。)時代は急速に変わってゆく。
しかし、人間のほうは、ある程度年を取ると、10年単位ぐらいではそうそう変わらんわ。
■ 事例C 16年ぶり
大学卒業後、わたしが最初に勤めた不動産会社に、中途入社してきたKさん。そのたたずまいは、映画の中の楚々とした吉永小百合だった。
当時この会社は、イケイケどんどんのお祭り的なノリで仕事をこなす典型的なリクルート系の企業であり、従業員の平均年齢ときたら、40代や50代の外部からの出向者を合わせても25歳に満たなかった。そのような中に入ってきた当時30代後半のKさんは、どう考えても浮いていた。いわば掃き溜め(←悪い意味ではない)に鶴。しかも、ただ女らしいばかりでなく、仕事ができた。
こういう女性は、ときに同性から嫌われる。1980年代半ば~後半の日本企業としては例外的に女性の活用が進んでいたこの会社においても、例外ではなかった。
前任者の女性は「Kさんが来たので、私がこれまでやって来たことは無になる」と本人の前で公言して、露骨に拒否反応を示した。Kさんが市販の鎮痛剤にアレルギー反応を起こして倒れて入院すれば、「酒で泥酔して倒れた」と悪意ある噂を流す人がいた。彼女の発言―それはすべて業務という点ではまさに正しいものであったが―に対しては、いちいち女同士で意味ありげな目配せをしながら、薄笑いを浮かべて拒否の姿勢を示した。
このような馬鹿げた反応はすべて、Kさんへの劣等感ゆえだった。男性と同等に、あるいは男性以上に仕事をやっているという自負はしていても、多くの女性のメンタリティは悪い意味で女の子だった。
Kさんの名誉のために書いておくと、その一方で彼女は、複数の女子社員から密かに人生相談や恋愛相談を受けるほど、同性に信頼されてもいた。
わたしといえば、これだけ自分と違えば、Kさんは嫉妬の対象にもならなかった。直接一緒に仕事をした期間は短かったが、いくつかの共通点から、そしてKさんの人柄の良さから、お互いがこの会社を退社した後もしばらくは個人的な付き合いが続いた。
Kさんとわたしは出身地が近く(ただし、彼女の出身は区内でも高級住宅地として知られた場所)、二人とも子どものころは体が弱くて喘息もちで、強いアレルギー体質。そして二人ともクラシック音楽好きだ。特に二人ともピアノを習っていたことがあり、ピアノ曲になると語る。(ただし、家にピアノが無いまま町のピアノ教室でレッスンを受けたわたしとは対照的に、Kさんはかなり高名な先生のもとでレッスンを受けていたらしい。)
ここ16年はさすがに年賀状のやりとりだけになってしまったが、昨年わたしの父が他界したために「賀状欠礼」を出したところ、わたしの心配をした彼女が長い手紙を書いてきたところから、やりとりが再開した。手紙のKさんの字は、相変わらず女らしくて繊細でとても美しい。
2人とも年を重ね、さすがに外見が変わった。ついでに、お互いの持病の数も増えた。16年ぶりともなると、お互いの近況報告にも時間がかかる。が、そのあとは、まるで16年のブランクなどはお互いの外見の変化以外には何もなかったかのように、普通の会話が続いた。そしてKさんに対するわたしのイメージは、相変わらず「映画の中の吉永小百合」だ。
やっぱり、いったん形成された人間の性格は、そうそう変わらんわ。
「19年ぶり」と「24年ぶり」という再会については、ここには書けないことが出てきてしまったので、書くのは控えておく。が「外見は変わるものだ」と「性格は変わりにくいものだ」を実感する再会だった。
(追記:「再会」と打ったつもりが、タイトルも本文も「再開」という誤変換のままアップしてしまったので、こそこそと直しておいた。)
というわけで、本年はわたしにとっては「再会の年」。
■ 事例A 8年ぶり
大学院の修士課程時代の同期生のU姐さん。彼女はその後、結婚してアメリカへ。日本に短期間戻ってきたところをつかまえて8年ぶりに会った彼女は、なぜか当時より若く見える。
実は当時のU姐さんは、国連大学高等研究所のゼロエミッション構想のプロジェクトマネージャーで毎日が超多忙。それなのに同時並行で修士の学位を取得しようなどとは、いつもエネルギッシュな姐さんであっても、さすがに無理があった。
というわけで、わたしが知っていた当時のUさんというのは、通常の状態よりストレスで体重が増え、それにもかかわらずかなり疲れていて、やつれていたらしい。そのやつれが取れた今、彼女は以前より若返ったように見えるのである。
彼女の滞在先のホテルにあるコーヒーハウスで一緒にモーニングを食べながら、お互いの近況報告もそこそこに、かつてのノリそのままに「今後」の話題でお互いによくしゃべること。ひそひそと低い話声ながら、傍から見れば、早朝から尋常ならぬハイテンションな中年女性2人組だったに違いない。そしてU姐さんの周囲には、通常とは異なる磁場が形成されていたはずだ。
しかし、人間は8年ぐらいじゃ、それほど変わらんわ。
■ 事例B 11年ぶり
齢70を超えてバリバリと働いているHさんは、当時わたしが勤めていた外資系の再就職支援会社C社に、取締役として入ってきた方だ。Hさんは一貫して外資系企業の人事畑を歩んで来られたこの分野のベテランで、外資系企業の人事マネジャーの間では、よく知られた人物だった。
わたしはさっさとC社を辞め、Hさんはその後C社の社長になったが、この会社は本国の親会社の合併に伴い、日本法人も合併。Hさんは多くの従業員とともに合併後の企業へ移り、今はその企業の特別顧問だ。
わたしの退職後は、毎年の賀状のやり取りはあっても、会う機会はなかった。が今年7月に、当時のC社で同僚だった女性が逝去したことがきっかけで、一度会って飲むことになった。Hさんは、合併前のC社からともに合併会社へ移った男性を3名伴って現れるという。
「わたしはそのころより外見が11年分老けておりますが、判別は可能かと思われます。」
Hさん宛てのメールにはそう書いたものの、いまいち自信がない。Hさんを一見で判別できなかったらどうしよう。そして、それより問題なのは、Hさんがわたしを判別できなかったらどうしよう…
が、無問題だった。少なくともHさんはほとんど変わっていなかった。わたしも「なんだ、全然変わっていないじゃない」と言われたが、そのことばには気遣いも含まれていたのかもしれない。
集まったのは、傍から見れば平均年齢が高い妙な5名。70代のHさんに、60代の男性2名、50代後半の男性1名。そしてかろうじて40代の最後にひっかかっているわたし。
かなり昔の、退職年齢が55歳の時代であったなら、皆とっくに退職している年齢だ。そして55歳定年の時代には、女性はめったなことでは30を過ぎて働くことはなかったし、25ぐらいまでに結婚退職することが推奨されたものだった。なのに、当日集まった全員が、いまも現役で働いている。
話は、参加者の属性上、昔話から現在の雇用環境にまで及んだ。わたしが勤めていた11年前までは、再就職支援業は「新しい業種」だった。数少ない同業他社との競争をおこなうよりも前に、まずは「再就職支援業」とはどういうものかを、企業や当時の労働省に対して説明しなければならなかった。派遣切りなどはなかった。サラリーマンの平均年収は、今の平均年収よりも数十万円高かった。(実際には、ここ10年間で、百万円単位で年収が落ちた人も少なくないだろう。)時代は急速に変わってゆく。
しかし、人間のほうは、ある程度年を取ると、10年単位ぐらいではそうそう変わらんわ。
■ 事例C 16年ぶり
大学卒業後、わたしが最初に勤めた不動産会社に、中途入社してきたKさん。そのたたずまいは、映画の中の楚々とした吉永小百合だった。
当時この会社は、イケイケどんどんのお祭り的なノリで仕事をこなす典型的なリクルート系の企業であり、従業員の平均年齢ときたら、40代や50代の外部からの出向者を合わせても25歳に満たなかった。そのような中に入ってきた当時30代後半のKさんは、どう考えても浮いていた。いわば掃き溜め(←悪い意味ではない)に鶴。しかも、ただ女らしいばかりでなく、仕事ができた。
こういう女性は、ときに同性から嫌われる。1980年代半ば~後半の日本企業としては例外的に女性の活用が進んでいたこの会社においても、例外ではなかった。
前任者の女性は「Kさんが来たので、私がこれまでやって来たことは無になる」と本人の前で公言して、露骨に拒否反応を示した。Kさんが市販の鎮痛剤にアレルギー反応を起こして倒れて入院すれば、「酒で泥酔して倒れた」と悪意ある噂を流す人がいた。彼女の発言―それはすべて業務という点ではまさに正しいものであったが―に対しては、いちいち女同士で意味ありげな目配せをしながら、薄笑いを浮かべて拒否の姿勢を示した。
このような馬鹿げた反応はすべて、Kさんへの劣等感ゆえだった。男性と同等に、あるいは男性以上に仕事をやっているという自負はしていても、多くの女性のメンタリティは悪い意味で女の子だった。
Kさんの名誉のために書いておくと、その一方で彼女は、複数の女子社員から密かに人生相談や恋愛相談を受けるほど、同性に信頼されてもいた。
わたしといえば、これだけ自分と違えば、Kさんは嫉妬の対象にもならなかった。直接一緒に仕事をした期間は短かったが、いくつかの共通点から、そしてKさんの人柄の良さから、お互いがこの会社を退社した後もしばらくは個人的な付き合いが続いた。
Kさんとわたしは出身地が近く(ただし、彼女の出身は区内でも高級住宅地として知られた場所)、二人とも子どものころは体が弱くて喘息もちで、強いアレルギー体質。そして二人ともクラシック音楽好きだ。特に二人ともピアノを習っていたことがあり、ピアノ曲になると語る。(ただし、家にピアノが無いまま町のピアノ教室でレッスンを受けたわたしとは対照的に、Kさんはかなり高名な先生のもとでレッスンを受けていたらしい。)
ここ16年はさすがに年賀状のやりとりだけになってしまったが、昨年わたしの父が他界したために「賀状欠礼」を出したところ、わたしの心配をした彼女が長い手紙を書いてきたところから、やりとりが再開した。手紙のKさんの字は、相変わらず女らしくて繊細でとても美しい。
2人とも年を重ね、さすがに外見が変わった。ついでに、お互いの持病の数も増えた。16年ぶりともなると、お互いの近況報告にも時間がかかる。が、そのあとは、まるで16年のブランクなどはお互いの外見の変化以外には何もなかったかのように、普通の会話が続いた。そしてKさんに対するわたしのイメージは、相変わらず「映画の中の吉永小百合」だ。
やっぱり、いったん形成された人間の性格は、そうそう変わらんわ。
「19年ぶり」と「24年ぶり」という再会については、ここには書けないことが出てきてしまったので、書くのは控えておく。が「外見は変わるものだ」と「性格は変わりにくいものだ」を実感する再会だった。
(追記:「再会」と打ったつもりが、タイトルも本文も「再開」という誤変換のままアップしてしまったので、こそこそと直しておいた。)