巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

再会の年

2010-09-23 15:23:56 | 日記・エッセイ・コラム
今年は、私の周囲には訃報が多い。その一方で、長らくあっていなかった人と再開する機会も多い。旧知の方々の突然の訃報に加えわたしが昨年乳がんの手術をしたこともあり、「会うことができる人間には、会えるうちに会っておかないと、もう一生会うことができなくなるかもしれない」という気持ちが、わたしのほうに働く。相手も、わたしががんに罹ったということを知って、「一度会っておかないと」と思ったのかもしれない。

というわけで、本年はわたしにとっては「再会の年」。




■ 事例A 8年ぶり

大学院の修士課程時代の同期生のU姐さん。彼女はその後、結婚してアメリカへ。日本に短期間戻ってきたところをつかまえて8年ぶりに会った彼女は、なぜか当時より若く見える。

実は当時のU姐さんは、国連大学高等研究所のゼロエミッション構想のプロジェクトマネージャーで毎日が超多忙。それなのに同時並行で修士の学位を取得しようなどとは、いつもエネルギッシュな姐さんであっても、さすがに無理があった。

というわけで、わたしが知っていた当時のUさんというのは、通常の状態よりストレスで体重が増え、それにもかかわらずかなり疲れていて、やつれていたらしい。そのやつれが取れた今、彼女は以前より若返ったように見えるのである。

彼女の滞在先のホテルにあるコーヒーハウスで一緒にモーニングを食べながら、お互いの近況報告もそこそこに、かつてのノリそのままに「今後」の話題でお互いによくしゃべること。ひそひそと低い話声ながら、傍から見れば、早朝から尋常ならぬハイテンションな中年女性2人組だったに違いない。そしてU姐さんの周囲には、通常とは異なる磁場が形成されていたはずだ。

しかし、人間は8年ぐらいじゃ、それほど変わらんわ。




■ 事例B 11年ぶり

齢70を超えてバリバリと働いているHさんは、当時わたしが勤めていた外資系の再就職支援会社C社に、取締役として入ってきた方だ。Hさんは一貫して外資系企業の人事畑を歩んで来られたこの分野のベテランで、外資系企業の人事マネジャーの間では、よく知られた人物だった。

わたしはさっさとC社を辞め、Hさんはその後C社の社長になったが、この会社は本国の親会社の合併に伴い、日本法人も合併。Hさんは多くの従業員とともに合併後の企業へ移り、今はその企業の特別顧問だ。

わたしの退職後は、毎年の賀状のやり取りはあっても、会う機会はなかった。が今年7月に、当時のC社で同僚だった女性が逝去したことがきっかけで、一度会って飲むことになった。Hさんは、合併前のC社からともに合併会社へ移った男性を3名伴って現れるという。

「わたしはそのころより外見が11年分老けておりますが、判別は可能かと思われます。」

Hさん宛てのメールにはそう書いたものの、いまいち自信がない。Hさんを一見で判別できなかったらどうしよう。そして、それより問題なのは、Hさんがわたしを判別できなかったらどうしよう…

が、無問題だった。少なくともHさんはほとんど変わっていなかった。わたしも「なんだ、全然変わっていないじゃない」と言われたが、そのことばには気遣いも含まれていたのかもしれない。

集まったのは、傍から見れば平均年齢が高い妙な5名。70代のHさんに、60代の男性2名、50代後半の男性1名。そしてかろうじて40代の最後にひっかかっているわたし。

かなり昔の、退職年齢が55歳の時代であったなら、皆とっくに退職している年齢だ。そして55歳定年の時代には、女性はめったなことでは30を過ぎて働くことはなかったし、25ぐらいまでに結婚退職することが推奨されたものだった。なのに、当日集まった全員が、いまも現役で働いている。

話は、参加者の属性上、昔話から現在の雇用環境にまで及んだ。わたしが勤めていた11年前までは、再就職支援業は「新しい業種」だった。数少ない同業他社との競争をおこなうよりも前に、まずは「再就職支援業」とはどういうものかを、企業や当時の労働省に対して説明しなければならなかった。派遣切りなどはなかった。サラリーマンの平均年収は、今の平均年収よりも数十万円高かった。(実際には、ここ10年間で、百万円単位で年収が落ちた人も少なくないだろう。)時代は急速に変わってゆく。

しかし、人間のほうは、ある程度年を取ると、10年単位ぐらいではそうそう変わらんわ。




■ 事例C 16年ぶり

大学卒業後、わたしが最初に勤めた不動産会社に、中途入社してきたKさん。そのたたずまいは、映画の中の楚々とした吉永小百合だった。

当時この会社は、イケイケどんどんのお祭り的なノリで仕事をこなす典型的なリクルート系の企業であり、従業員の平均年齢ときたら、40代や50代の外部からの出向者を合わせても25歳に満たなかった。そのような中に入ってきた当時30代後半のKさんは、どう考えても浮いていた。いわば掃き溜め(←悪い意味ではない)に鶴。しかも、ただ女らしいばかりでなく、仕事ができた。

こういう女性は、ときに同性から嫌われる。1980年代半ば~後半の日本企業としては例外的に女性の活用が進んでいたこの会社においても、例外ではなかった。

前任者の女性は「Kさんが来たので、私がこれまでやって来たことは無になる」と本人の前で公言して、露骨に拒否反応を示した。Kさんが市販の鎮痛剤にアレルギー反応を起こして倒れて入院すれば、「酒で泥酔して倒れた」と悪意ある噂を流す人がいた。彼女の発言―それはすべて業務という点ではまさに正しいものであったが―に対しては、いちいち女同士で意味ありげな目配せをしながら、薄笑いを浮かべて拒否の姿勢を示した。

このような馬鹿げた反応はすべて、Kさんへの劣等感ゆえだった。男性と同等に、あるいは男性以上に仕事をやっているという自負はしていても、多くの女性のメンタリティは悪い意味で女の子だった。

Kさんの名誉のために書いておくと、その一方で彼女は、複数の女子社員から密かに人生相談や恋愛相談を受けるほど、同性に信頼されてもいた。

わたしといえば、これだけ自分と違えば、Kさんは嫉妬の対象にもならなかった。直接一緒に仕事をした期間は短かったが、いくつかの共通点から、そしてKさんの人柄の良さから、お互いがこの会社を退社した後もしばらくは個人的な付き合いが続いた。

Kさんとわたしは出身地が近く(ただし、彼女の出身は区内でも高級住宅地として知られた場所)、二人とも子どものころは体が弱くて喘息もちで、強いアレルギー体質。そして二人ともクラシック音楽好きだ。特に二人ともピアノを習っていたことがあり、ピアノ曲になると語る。(ただし、家にピアノが無いまま町のピアノ教室でレッスンを受けたわたしとは対照的に、Kさんはかなり高名な先生のもとでレッスンを受けていたらしい。)

ここ16年はさすがに年賀状のやりとりだけになってしまったが、昨年わたしの父が他界したために「賀状欠礼」を出したところ、わたしの心配をした彼女が長い手紙を書いてきたところから、やりとりが再開した。手紙のKさんの字は、相変わらず女らしくて繊細でとても美しい。

2人とも年を重ね、さすがに外見が変わった。ついでに、お互いの持病の数も増えた。16年ぶりともなると、お互いの近況報告にも時間がかかる。が、そのあとは、まるで16年のブランクなどはお互いの外見の変化以外には何もなかったかのように、普通の会話が続いた。そしてKさんに対するわたしのイメージは、相変わらず「映画の中の吉永小百合」だ。

やっぱり、いったん形成された人間の性格は、そうそう変わらんわ。



「19年ぶり」と「24年ぶり」という再会については、ここには書けないことが出てきてしまったので、書くのは控えておく。が「外見は変わるものだ」と「性格は変わりにくいものだ」を実感する再会だった。


(追記:「再会」と打ったつもりが、タイトルも本文も「再開」という誤変換のままアップしてしまったので、こそこそと直しておいた。)


資格の種類により、わたしは通い あるいは 独学する

2010-09-05 22:40:20 | 英語
(この記事はOCN Blogzineのブログ人投票箱Vol. 289 「今週のお題:資格を取得するとき、どのように勉強しますか?」へのトラックバックです。)

今回は資格に関するお題です。仕事のため、向学のため、何かと資格を取る人は多いかと思いますが、皆さんはどのように勉強をしているのでしょうか。「通信教育や独学」「学校などに通う」の二択から選んでください。


と書かれても困る。一応、「学校などに通う」にトラックバックをしておくが、「ものにより使い分ける」がわたしのやり方だ。


その1 純粋に知識を競うもの and/or 学ぶための基礎と教材がそろっているものは、独学で取る

  • TOEIC 990

  • 英検1級

  • 宅地建物取引主任

  • マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト(まだ、MOUSと呼ばれていた頃の古いやつ)

  • 日本語文書処理技能検定(今は存在していない資格)


このうち英語系とMSオフィス系の資格については、土台がないところから始めたわけではなく、「普段から仕事において、かなり深いレベルで使っていた」という前提がある。いくら職務経歴書や英文の履歴書に「上級レベルで使用」などと書いてもただの「自称」と解釈されてしまう可能性があるので、証拠として資格をとったもの。傾向と対策がありテキスト類も結構しっかりしているので、基礎知識があれば独学に向く。

上記で特筆すべきは宅建。不動産会社に勤めていた頃とったもので、会社側がきちんと講座を開いてくれたのに、若かったわたしは、逆らって独学でとった。この資格は正確な知識をきちんと覚えておくことが求められる。土壇場の人間の集中力とは恐るべきもので、信じられない短期間で分厚いテキストのすべてのページをほぼ映像記憶のように覚えてしまった。

で、社内講座に出なかったがゆえに、その年の上司からの評価は「協調性なし」で、試験に落ちた人間よりも悪かった。

その2 通わなければとれない資格もある

  • 学位


大学院に入るときには学位が「資格」だなどとは意識しなかった。が、大学で教える場合、ほとんどの大学で少なくとも修士の学位(博士が望ましい)+過去の講師経験が必要となるので、こういう世界では必須資格になるのだろう。実際にわたしも修士であったから非常勤講師の仕事が来た。なお経験については、社会人向けにインストラクターや、セミナー講師、語学講師をしていたことが、「講師経験」とみなされた。

ちなみに大学院での研究は、他人の研究をあれこれと批評しまくり、かつ、自分の研究について十字砲火を浴びても闘志がメラメラと燃える人間に向いている。大丈夫だよ。いくら自分の持論をバッサバッサと切られても、命までとられるわけじゃない。死にたい気分にはなるかもしれないけれど。

その3 資格は必要ないが、通わないと身につかなそうなもの and/or 実情がわかりにくいもの は、とりあえず通ってみる

  • 通訳技術

  • 英文契約書の翻訳・作成・読み方


通訳については「独学でも大丈夫」という人もいる。が、実際に通訳学校へ行くと、どういう場合にどう訳すかのほかに、通訳としてどういう態度を取るべきか、こういうトラブルがあったらどうするか、など、具体的なことが学べる。

また、こちらのほうがスクーリングのメリットだと思うのだが、いろいろな人とともに学ぶことを通じて、自分の語学力や通訳力とは別に、通訳としての身体能力や性格上の適性があるかどうかが、他人との比較でよくわかるようになる。

契約書の翻訳・作成については、英文契約書のノウハウ本もあり、こうした本のほとんどを私は持っている。が、実際に翻訳書を扱っている人はご存じのとおり、そんなものではとても足りない。

国際法律事務所や総合商社のしかるべき部署に配属されてコツコツ10年も20年もやっていれば、先輩方からの指導もあっ
て、英文契約書を扱うために必要な暗黙知の蓄積もできるかもしれない。が、そうではなくて中小の外資系企業でいきなり一人で英文契約書の作成の仕事をふられる立場の人間は、そうはいかない。

結局、数年間契約書にかかわる仕事をやった後で、その手に学校へ行った。わたしがいつも悩んでいる箇所は、英文契約書にかかわる日本人の皆が等しく悩んでいる箇所だということが分かった。そして、そのような悩みにどのように対処しているのかについて、いろいろな解決方法を聞くのは、非常にためになった。