巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

薔薇は薔薇であり薔薇であり薔薇である

2012-05-27 18:21:40 | 日記・エッセイ・コラム
"Rose is a rose is a rose is a rose."

そんな米国作家ガートルード・スタイン(1874-1946)の詩の一節が浮かんできた、そしてこの一節しか頭に浮かんでこない、今が盛りのバラの花だらけの、2012年5月26日の京成バラ園。そして「ものすごい」としか形容できない、さまざまなバラのさまざまな芳香。


▼ フレンチパフューム
French_perfume_201205

▼ 桃香(ももか)
Momoka_201205

▼ 新雪
Sinsetsu_201205

▼ ナイトオウル
Night_owl_201205

▼ 希望
Kibo_201205

▼ ピエール ドゥ ロンサール
Pierre_de_ronsard_201205

▼  にしき
Nishiki_201205

▼ ロサ コンプリカータ
Rosa_complicata_201205


天気が良くて、暑くて、日傘の花が咲いておりました。

Keisei_rose_garden_201205



そういえばわたしは、大学ではシェイクスピアの研究をしていましたっけ。では、スタインではなくシェイクスピアからも

"What's in a name? that which we call a rose
By any other name would smell as sweet"



























吉田秀和氏 死去

2012-05-27 15:57:32 | 映画・小説etc.
吉田秀和氏が死去 音楽評論家

日本経済新聞 2012/5/27 13:14

 音楽評論家で文化勲章受章者の吉田秀和(よしだ・ひでかず)氏が22日午後9時、急性心不全のため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。98歳だった。連絡先は館長を務める水戸芸術館。お別れの会を行うが日取りなどは未定。喪主は長女、清水真佐子さん。


 東京帝国大卒業後、1946年に雑誌「音楽芸術」にモーツァルトに関する連載を執筆、評論活動を開始。評論分野は美術や演劇にまで及んだ。48年に桐朋学園大の母体となる「子供のための音楽教室」を指揮者の故斎藤秀雄氏らと創設した。


 96年文化功労者、2006年文化勲章受章。1975年に「吉田秀和全集」で大仏次郎賞受賞。ほかの著書に「マネの肖像」など。





ショック! 98歳といえば、大往生なのだろうが…


「もしかして、この人はずっと死なないんじゃないかしら?」と感じさせるような人がいる。この吉田秀和氏もそんな雰囲気を醸し出していた一人だった。90歳を超えても海外旅行に出かけたりと、結構精力的に活動されていたから余計にそう思えた。


わたしの吉田翁の文章との出会いは、グルダのベートーヴェンのピアノ協奏曲第5盤(ホルスト・シュタイン指揮ウィーンフィル、1970年録音)のLPレコードのジャケットの裏側にあった文章。レコードの解説のための文章にしては、ひどく難解だった。


最近は、男性が「○○かしら?」という言い方をすることは少なくなったが、昔は男性が普通に使っていたし、今でも年配の男性は使う人がいる。吉田氏の場合はその「○○かしら」を、文章でも使った。「だ」「である」調の硬い文章の中に「~かしら」がはいるあの独特の文体が好きだった。氏が書いていることには大きく共感するときも、同意しかねるときもあったけれど。


吉田翁のもので個人的に最も衝撃的だったことは、1983年6月に行われた20世紀を代表するピアニストであるウラディミール・ホロヴィッツの初来日の演奏会での一件だ。この演奏会はプログラムの前半終了後に、NHKからの取材を受けて発した言葉と、同時17日付の朝日新聞に掲載されたその演奏会の批評ときたら。まずわたしは、NHKのインタビューをみて青くなり、新聞の批評を読んでのけぞった。


 わたしは人間をもの(原文では「もの」に傍点)にたとえるのは、インヒューマンなので好きではない。しかし、今はほかにいいようがないので使わせて頂くが、今私たちの目の前にいるのは、骨董としてのホロヴィッツにほかならない。骨董である以上、その価値は、つきつめたところ、人の好みによるほかない。ある人は万金を投じても悔いないかもしれないし、ある人は一顧だに値しないと思うかもしれない。それはそれでいい。
 だが、残念ながら、私はもう一つつけくわえなければならない。なるほど、この芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今は――最も控えめにいっても――ひび(原文では「ひび」に傍点)が入っている。それも、一つや二つのひびではない。
(『吉田秀和コレクション 世界のピアニスト』ちくま文庫、2008)



吉田翁のこの批評はホロヴィッツが知るところとなった。ホロヴィッツは日本での、健康状態が非常に悪い中で行ったこの演奏会のことを、そして吉田翁の批評をずっと気にかけていて、その後のモスクワ公演の良くできた演奏のテープを「これを吉田に送れ」と周囲に言ったとか。


ともあれ合掌

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金環日食につき年次有給休暇をいただきました

2012-05-21 21:57:27 | 日記・エッセイ・コラム
年次有給休暇をとって、金環日食にそなえたわたし。有給申請の理由が「日食を見るため」。


「これで日食が見られなかったら、昼間から酒飲んで暴れる」とあちらこちらに告知。事前の天気予報は「曇り」だったが、「全国の天文ファンが一斉にテルテル坊主を作っているはずなので、きっと明日は晴れるはず」などと、なぜか根拠のない自信が…


朝6時ごろ、窓のシャッターを開けると、薄曇りで太陽が見える。万歳!


公園の木漏れ日の影が、それっぽくなった午前7時18分。場所は東京都板橋区。

201205210718



雲ごしの日食が、ほぼ最初から最後まで見られました。


2012052_annular_solar_eclip




『2ピアノ4ハンズ』 2012年東京公演

2012-05-21 20:04:32 | 映画・小説etc.
カナダ製ミュージカル『2ピアノ4ハンズ』のオリジナルキャストによる日本公演があったので、母の日に5月20日(日)の夜の部のチケットをプレゼント。一緒に日生劇場に行ってきた。


ピアノを、あるいは他の楽器を子供のころに習っていた経験がある人なら、あるいは自分の子供に楽器を習わせている人なら、この作品には多かれ少なかれ共感できるだろう。「紙鍵盤でピアニストにする」と豪語したクラオタの父親のもと、ピアノがないのにピアノを習わせられていたわたしですらうんうんとうなずいてしまう。(単に貧乏だったのだが、それを不憫に思ったのかどうか、祖母が電動オルガンを送ってくれた。)一方、音楽で身をたてようとしてそれなりのところまでいった人にとっては、身につまされて共感どころではないかもしれない。

このミュージカルでは、クラシックのピアニストになるために子供のころから練習を積んできた二人の青年テッドとリチャードの挫折が、彼らの少年時代も含めて2人の俳優により演じられる。この作品のモデルは子供時代にピアノを習っていてかなりのレベルまで行った、2人の出演者自身であり、この作品は2人が作ったものだ。2台のピアノのある舞台の上で、2人はピアニスト志望の2人の少年(青年)を含む複数の人物を演じ分けている。


子供のころの2人は、嫌々ながらピアノの練習をする。ピアノそのものは好きかもしれないが、ピアノ以外にもやりたいことがいくらでもある。だから練習をさぼりがちなのだが、親たちは自分の子供がちゃんと練習をしているか聞き耳を立ており、練習をさぼったとみるやいなや、「外で遊んではダメ」とか「お小遣いなし」とか、罰を与えてピアノに縛りつけようとする。


また、リチャードがピアノをやっているのは、自身がかつてピアニストになる夢を抱いていた父親の希望であるようだ。観客の中にも、自分のなりたかった夢を子供に託して、子供にピアノのレッスンを受けさせている親や、そうした親の意向をうけてピアノを習っていたかつての子供もいるだろう。


その後2人は、それぞれピアニストになることを決心し、ピアノの練習や音楽学校受験用の勉強(楽典やソルフェージュ)を生活の中心する生活を送る。こうなると、今度は親たちの方が心配する。親は「ピアノ以外のこともやらないと、ピアニストになれなかった場合につぶしがきかなくなる」というが、若きピアニスト志望は効く耳を持たない。ピアニストになれると、自分の道はそれしかないと、信じているからだ。しかもある意味不幸なことに、彼らのピアノはそこそこうまいのだ。


そんな2人の夢は、音楽学校の受験失敗をもって頓挫する。


テッドは、これまでのピアノ演奏で称賛を得てきた経験もあり、自信を持って挑戦する。が、試験官から演奏をボロクソにけなされ、「君は本気で取り組んでこなかった。これまでピアノのために費やした時間と労力はすべて無駄だった」と言われて、落とされる。ここではシューベルトの即興曲D899の第4曲で、彼の持つ問題が分かりやすく示される。楽譜指定の速さ(アレグレット)で弾いたときは何の問題もないが、ペダルを使わず、そしてあえてゆっくりと弾くように指示されたときには、弾くことができない。


一方、リチャードは早々に「クラシックのピアニストになるのは、少々難しいらしい」と感じて、ジャズのコースを受験する。「ジャズピアノだけをやっていた人間よりも基本ができている」と思ったのだろうが、そのような理由でジャズクラスを受験する者は少なくないらしい。だが試験官は言う。「ここには楽譜が読めなくても、君よりもうまい子たちがたくさんいる。」実際に、試験官の前で彼が弾いた「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はビミョーだ。


かくして、テッドは町のピアノのお稽古の教師に、リチャードは酒場のピアノ弾きになる。テッドは中年の主婦相手にピアノを教えようとするが、生徒である主婦の方はテッドに世間話をし続け、鍵盤に手を触れることがほとんどないまま、彼女のレッスンの持ち時間は終了してしまう。酒場でのリチャードのピアノを、きちんと聞く者はいない。今弾き語ったばかりの「ピアノ・マン」を客からリクエストされ、「今弾いたばかりだ」と答えて逆切れされてしまう。


結局彼らは、自分たちが「近所で一番」レベルであると認識する。


◆◆◆


二人がそれぞれ音楽学校の受験に失敗するシーンには、米映画『フェーム』(1980)を思い出す。(この映画については「天賦の才か努力か?米国の場合」を参照のこと。)
音楽学校の試験官の2人に対する態度は、ダンサー志望の生徒リサに教師が「あなたは満足なレベルには行けないでしょう。あなたには才能がない」と宣言したシーンに似ている。「これ以上やっても無駄な才能のない人間には、それをなるべく早く伝えてあきらめさせることが本人のため」という考え方が米国や米国の影響を強く受けるカナダでは主流なのだろう。


音楽学校の受験時の試験官との問答で、「君は10年後自分が何をしていると思うかね?」等、米国やカナダの企業の採用面接のFAQのような質問が、試験官からダダダッと繰り出される個所がある。このような質問に対しては、採用面接では「できるだけポジティブな内容を、自信を持って答える」が正解とされており、この舞台でも、2人のうち1人が、採用面接時の模範解答を音楽学校の面接バージョンにそのまま転用したような、きわめて自身に満ちた回答を、自信に満ちた態度で行う。(ここは笑いのツボの一つだと思う。)が、この回答と態度は、その後の試験官の厳しい評価とその結果という悲劇を際立たせる。


舞台のセリフのやり取りは英語で行われ、日本語の字幕が舞台の上部に出る。字幕には時数制限があり、英語ではないと意味をなさない表現もあり、ゆえに、字幕からはかなり頻繁に微妙なニュアンスが吹っ飛んでしまっているが、これは仕方がないだろう。


英語といえば、にこだわる方は、タイトルがちょっと気になるだろう。原題は "2 Pianos 4 Hands" (もしくは "Two Pianos Four hands" と数字をスペルアウト)。邦題は『2ピアノ4ハンズ』。「手」は邦題では複数になり、「ピアノ」は単数のまま。「ハンズ」という形で日本語でも使用されることが多く、一方ピアノが「ピアノズ」という形で日本語で使われることはまずないし、ピアノが2台だということは「2」の部分でわかるのだから、良しとしよう。少なくとも、『ロード・オブ・ザ・リング』のように、指輪が複数あることが結構重要なのに「リング」と単数になっているよりは、ましだろう。


ちなみに、上演中、母はうたた寝をしていました。家事をしながらもわたしのオルガンの音に聞き耳を立てては、ちょっとでも音が途絶えると、「練習をさぼった」と怒ってたびたび部屋に入ってきたことを、お忘れかしら? もう、ずーっと昔のことだものねぇ。


Summer Dance

2012-05-16 22:47:31 | 音楽
Summer_dance_3いま、フリードリヒ・グルダ(1930-2000)のアルバム "Summer Dance" を聴いている。


音楽家としてのグルダは極めて守備範囲が広く、クラシックとジャズのみならず、ワールドミュージック、ダンスミュージック、テクノ、そしてわたしもいまだ理解できない「フリー・ミュージック」などを作曲し、演奏した。ピアニストと書いたが、サクソフォンやブロックフレーテ(リコーダー)も演奏し、「アルベルト・ゴロヴィン」という偽名でグルダ自身が作詞作曲したブルースを、ウィーン訛り丸出しで歌った。しばらくの間、世間は歌手ゴロヴィンとグルダが同一人物だとは気づかなかった。


アルバム"Summer Dance"は、イビサ島のDJ Pippiとともに作ったもので、グルダの亡くなる前年である1999年にリリースされた。わたしが持っているのは、元のアルバムに曲を3曲加えて2006年に再発売されたものらしい。ダンスミュージック系のアルバムだが、そこはグルダのことだから、ジャンルの壁は当たり前のように超え、バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻の6番の前奏曲やショパンの24の前奏曲の第4番を、極めて効果的に挿入している。また、モーツァルトの最後のソナタ(KV 576)をヤマハのクラビノーバで全曲入れている。


本日はグルダの誕生日。生きていれば82歳になったはずだが。70前にさっさと死んでしまうなんて、あんまりだぜ。まだやることがあったはずだと思うのだけれど。コンチキショウ。


(YouTubeにアルバムタイトル曲をアップした人がいる)