カナダ製ミュージカル
『2ピアノ4ハンズ』のオリジナルキャストによる日本公演があったので、母の日に5月20日(日)の夜の部のチケットをプレゼント。一緒に日生劇場に行ってきた。
ピアノを、あるいは他の楽器を子供のころに習っていた経験がある人なら、あるいは自分の子供に楽器を習わせている人なら、この作品には多かれ少なかれ共感できるだろう。「紙鍵盤でピアニストにする」と豪語したクラオタの父親のもと、ピアノがないのにピアノを習わせられていたわたしですらうんうんとうなずいてしまう。(単に貧乏だったのだが、それを不憫に思ったのかどうか、祖母が電動オルガンを送ってくれた。)一方、音楽で身をたてようとしてそれなりのところまでいった人にとっては、身につまされて共感どころではないかもしれない。
このミュージカルでは、クラシックのピアニストになるために子供のころから練習を積んできた二人の青年テッドとリチャードの挫折が、彼らの少年時代も含めて2人の俳優により演じられる。この作品のモデルは子供時代にピアノを習っていてかなりのレベルまで行った、2人の出演者自身であり、この作品は2人が作ったものだ。2台のピアノのある舞台の上で、2人はピアニスト志望の2人の少年(青年)を含む複数の人物を演じ分けている。
子供のころの2人は、嫌々ながらピアノの練習をする。ピアノそのものは好きかもしれないが、ピアノ以外にもやりたいことがいくらでもある。だから練習をさぼりがちなのだが、親たちは自分の子供がちゃんと練習をしているか聞き耳を立ており、練習をさぼったとみるやいなや、「外で遊んではダメ」とか「お小遣いなし」とか、罰を与えてピアノに縛りつけようとする。
また、リチャードがピアノをやっているのは、自身がかつてピアニストになる夢を抱いていた父親の希望であるようだ。観客の中にも、自分のなりたかった夢を子供に託して、子供にピアノのレッスンを受けさせている親や、そうした親の意向をうけてピアノを習っていたかつての子供もいるだろう。
その後2人は、それぞれピアニストになることを決心し、ピアノの練習や音楽学校受験用の勉強(楽典やソルフェージュ)を生活の中心する生活を送る。こうなると、今度は親たちの方が心配する。親は「ピアノ以外のこともやらないと、ピアニストになれなかった場合につぶしがきかなくなる」というが、若きピアニスト志望は効く耳を持たない。ピアニストになれると、自分の道はそれしかないと、信じているからだ。しかもある意味不幸なことに、彼らのピアノはそこそこうまいのだ。
そんな2人の夢は、音楽学校の受験失敗をもって頓挫する。
テッドは、これまでのピアノ演奏で称賛を得てきた経験もあり、自信を持って挑戦する。が、試験官から演奏をボロクソにけなされ、「君は本気で取り組んでこなかった。これまでピアノのために費やした時間と労力はすべて無駄だった」と言われて、落とされる。ここではシューベルトの即興曲D899の第4曲で、彼の持つ問題が分かりやすく示される。楽譜指定の速さ(アレグレット)で弾いたときは何の問題もないが、ペダルを使わず、そしてあえてゆっくりと弾くように指示されたときには、弾くことができない。
一方、リチャードは早々に「クラシックのピアニストになるのは、少々難しいらしい」と感じて、ジャズのコースを受験する。「ジャズピアノだけをやっていた人間よりも基本ができている」と思ったのだろうが、そのような理由でジャズクラスを受験する者は少なくないらしい。だが試験官は言う。「ここには楽譜が読めなくても、君よりもうまい子たちがたくさんいる。」実際に、試験官の前で彼が弾いた「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」はビミョーだ。
かくして、テッドは町のピアノのお稽古の教師に、リチャードは酒場のピアノ弾きになる。テッドは中年の主婦相手にピアノを教えようとするが、生徒である主婦の方はテッドに世間話をし続け、鍵盤に手を触れることがほとんどないまま、彼女のレッスンの持ち時間は終了してしまう。酒場でのリチャードのピアノを、きちんと聞く者はいない。今弾き語ったばかりの「ピアノ・マン」を客からリクエストされ、「今弾いたばかりだ」と答えて逆切れされてしまう。
結局彼らは、自分たちが「近所で一番」レベルであると認識する。
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二人がそれぞれ音楽学校の受験に失敗するシーンには、米映画『フェーム』(1980)を思い出す。(この映画については
「天賦の才か努力か?米国の場合」を参照のこと。)
音楽学校の試験官の2人に対する態度は、ダンサー志望の生徒リサに教師が「あなたは満足なレベルには行けないでしょう。あなたには才能がない」と宣言したシーンに似ている。「これ以上やっても無駄な才能のない人間には、それをなるべく早く伝えてあきらめさせることが本人のため」という考え方が米国や米国の影響を強く受けるカナダでは主流なのだろう。
音楽学校の受験時の試験官との問答で、「君は10年後自分が何をしていると思うかね?」等、米国やカナダの企業の採用面接のFAQのような質問が、試験官からダダダッと繰り出される個所がある。このような質問に対しては、採用面接では「できるだけポジティブな内容を、自信を持って答える」が正解とされており、この舞台でも、2人のうち1人が、採用面接時の模範解答を音楽学校の面接バージョンにそのまま転用したような、きわめて自身に満ちた回答を、自信に満ちた態度で行う。(ここは笑いのツボの一つだと思う。)が、この回答と態度は、その後の試験官の厳しい評価とその結果という悲劇を際立たせる。
舞台のセリフのやり取りは英語で行われ、日本語の字幕が舞台の上部に出る。字幕には時数制限があり、英語ではないと意味をなさない表現もあり、ゆえに、字幕からはかなり頻繁に微妙なニュアンスが吹っ飛んでしまっているが、これは仕方がないだろう。
英語といえば、にこだわる方は、タイトルがちょっと気になるだろう。原題は "2 Pianos 4 Hands" (もしくは "Two Pianos Four hands" と数字をスペルアウト)。邦題は『2ピアノ4ハンズ』。「手」は邦題では複数になり、「ピアノ」は単数のまま。「ハンズ」という形で日本語でも使用されることが多く、一方ピアノが「ピアノズ」という形で日本語で使われることはまずないし、ピアノが2台だということは「2」の部分でわかるのだから、良しとしよう。少なくとも、『ロード・オブ・ザ・リング』のように、指輪が複数あることが結構重要なのに「リング」と単数になっているよりは、ましだろう。
ちなみに、上演中、母はうたた寝をしていました。家事をしながらもわたしのオルガンの音に聞き耳を立てては、ちょっとでも音が途絶えると、「練習をさぼった」と怒ってたびたび部屋に入ってきたことを、お忘れかしら? もう、ずーっと昔のことだものねぇ。