巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

祖母の占いの話~終戦記念日によせて

2019-08-15 22:05:13 | 日記・エッセイ・コラム
私の母方の祖父は、徴兵にとられフィリピンへ行き、そこで戦死した。その時の様子は「ある男とその家族の話」(2004年6月28日のエントリー)に書いた通りだ。

本日は終戦記念日なので、その話に加えて、戦争体験の話をちょっとだけ付け加えたい。


◆◆◆


祖父がフィリピンのルソン島で1945年3月に戦死したとの知らせが入った。その後「遺骨」が返ってきたが、それは木箱の中に祖父の名前が書いてある紙が1枚入っているだけのものだった。

遺骨が無いのだから、死んだという確たる証拠はない。祖母はあきらめることが出来なかったのだろう。実際、「戦死」とされていた父が、兄が、弟が、息子が生きていて、戦後ある日ひょっこりと帰ってくるということが、当時は結構あったらしい。そこで祖母は戦争が終わると、様々な占い師のもとに行っては、自分の夫が生きているかどうか、そして自分のもとへ帰ってくだろうかを、占ってもらったそうだ。

占い師たちは異口同音に「生きている」「帰ってくる」と答えた。それを聞くたびに祖母は狂喜し、生活が苦しいにも関わらず、占い師たちに気前よくお金を渡した。

祖母が戦後しばらくいろいろな占い師のもとに通っていたという話は、母から聞いた。あれは、1970年代にこっくりさんが流行っていた時のことだった。他の中学生同様にこっくりさんに夢中になっていた私に、母は言った。「こっくりさんなんか、あてにならないよ。『お父さんが帰ってくる』って言ったんだから。馬鹿だよねぇ。母ちゃんは。占い師は母ちゃんが聞きたいと思っている答えを言えば、たくさんお金をくれることが分かっているから、『生きている』『帰ってくる』と、言っていただけなのにねぇ。占い師の答えに大喜びして、そのたびに大金を払って。」占い師のところから帰ってくるたびに、祖母は母に「ほら、やっぱりお父さんは帰ってくるんだよ!」と嬉しそうに報告したそうだ。

結局のところ、祖父は帰ってこなかった。が、祖母は、1972年にグアム島で横井庄一さんが発見され、その後フィリピンのルバング島で小野田寛郎さんが出てきたこともあって、「ひょっとしたら、自分の夫は実はどこかで生きているかもしれない。」と、ずっと考えていたらしい。そんな話を、祖母が亡くなった後で聞いた。