巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

ベーゼンドルファーやぁ~い

2007-11-29 00:12:15 | ニュース
ヤマハ、ピアノ名門ベーゼンドルファー買収へ

2007年11月28日18時50分
 ヤマハは28日、オーストリアの世界的ピアノメーカー、ベーゼンドルファー(本社・ウィーン)の買収に向け、優先交渉権を得たことを明らかにした。ヤマハが全株式を取得する方向で最終調整している。
(asahi.com)


世界の三大ピアノといえば、スタインウェイ (Steinway & Sons) (ドイツ・ハンブルクとアメリカ・ニューヨーク)、ベーゼンドルファー (Bösendorfer) (オーストリア・ウィーン)、ベヒシュタイン (C.Bechstein) (ドイツ・ザクセン及びベルリン)。

そのひとつベーゼンドルファー社の身売りのニュースは、ここ数日世界中のピアノマニア (?) をやきもきさせていたが、ついに有力候補だった日本のヤマハが買うことがほぼ決まったらしい。ヤマハが買収することが良いのか悪いのかは現時点ではわからないが、あの独特のウィンナトーンが存続することを祈ろう。

1828年創業のベーゼンドルファーのピアノは世界中のピアノ弾きの憧れでありながら、手作りゆえに量産が不可能で大赤字を計上。そのため1966年にはアメリカのキンバル社に売られたものの、2002年にオーストリアの銀行グループが自国文化の誇りをかけて買い戻した。…んが、買い戻したもののやはり大赤字。やっぱり生産台数の少なさが響いたのかしらん。調律師も少なそうだし。

「一度でいいからベーゼンドルファーを弾いてみたい」っていう人は、ピアノを弾いたことのある人なら世界中にかなりいるだろうし、著名なピアニストたちのお気に入りのピアノでもある。実際、ベーゼンドルファーの著名人オーナーのリストに名を連ねている面々は相当なものだ。アルファベット順なので、あのABBAが最初に名を連ねているし、リチャード・ブランソンの名を見たところで、一瞬白目になったが。

特にあの97鍵(普通は88鍵)のフルコンサートグランドピアノ Model 290 "Imperial" (インペリアル) なんて憧れだと思う。でもベーゼンドルファーは「あまり上手くない人が弾いても、ピアノ自体がすばらしいためにそれなりに良い音が出る」という類のものではなく、ゆえにわたしのような素人さんには敷居が高い。

最初に書いたように、ベーゼンドルファーの音は「ウィンナトーン」と言われている。この会社のピアノは、たとえばスタインウェイとは音の鳴らし方が異なっている。

スタインウェイはピアノの筐体の金属フレームで音を鳴らすようにできていて、「鉄が鳴る」といわれる。一方、ベーゼンドルファーは筐体全体を鳴らすようにできていて、「箱が鳴る」といわれる。この箱鳴りが独特のウィンナトーンを出す仕組みのひとつらしい。

『至福のピアニッシモ』というのも、ベーゼンドルファーの音についてしばしば形容される表現だ。もちろん大きい音も出るのだけれど、ピアニッシモをきれいに出したときの美しさは格別らしい。ここでわざわざ「きれいに出したときの」と書いているのは、きれいなピアニッシモを出すのは結構難しいからだ。

作品や作曲家によってスタインウェイとベーゼンドルファーを使い分けていたフリードリヒ・グルダ(1930?2000)によれば、ベーゼンドルファーの音とは、

豊かでまろやかで、やわらかくて、そしてちょっと甘いんだ。まさにウィーンの音だよ。
『グルダの真実―クルト・ホーフマンとの対話』 (田辺秀樹訳、洋泉社、1993年)


だそうである。そういう音を出すピアノを、ヤマハさんにはいじって欲しくない。たとえそのせいで採算に合わなくなるにしろ。

ヤマハさんに期待することは、ベーゼンドルファーの音をサンプリング音源に用いた電子ピアノやシンセサイザー等の販売。ベーゼンドルファーの音が入っているクラビノーバが出たら1日1食に食費を切りつめてでも買っちゃうよ。本物と違って、弾けばそれなりの音がでるだろうから。本物のベーゼンドルファーは、たとえ「無料で差し上げます」って言われても受け取れない。近所にピアノ騒音を撒き散らすことになるし、第一、家の床がピアノの重みに耐えかねて抜けるからだ。


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注:1980年~1990年までのグルダの言葉をまとめた『グルダの真実』で、彼はピアノの使い分けについて「シューベルトやヨハン・シュトラウスの曲など、ウィーン的な性格の曲を弾く場合は間違いなくベーゼンドルファー。ベートーヴェンのソナタはウィーンで書かれていてもインターナショナルな響きがするのでスタインウェイ。モーツァルトについては、いろいろ試してみたがいまだにどちらが良いのかわからず、またスタインウェイで試してみたいと思っている」という趣旨の発言をしている。

とはいえ、1984年録音のベートーヴェンの最後のピアノソナタでは、ベーゼンドルファー・インペリアルを使用。そして、かの有名な1968年のAmadeo盤のベートーヴェンのソナタ集は、どちらを使ったのかの情報が錯綜。
また、先日第2集が発売された1982年録音のモーツァルトのピアノソナタ集にはベーゼンドルファー・インペリアルを使用しているが、ピアノとクラビノーバを使った1999年のグルダ最後のモーツァルトのソナタの録音では、KV 331をスタインウェイで弾いている。



「ネコ」ポリス その84

2007-11-18 22:03:44 | ノラネコ
Hanaguro_1

新聞を取ろうと玄関を開けると、「ヒャーアアアアア!!」と悲鳴にも似たネコの鳴き声がする。

最近、再びわが家にターゲットを絞ったハナグロの声だ。玄関前に陣取り、出てくる人間を追いかけ、あらん限りの声で鳴き続ける。その声の大きさは普通のネコ3倍、「ヒッ」と小さく鳴くだけのゴキリョウの10倍はありそうだ。

体はゴキリョウよりは大きいものの、ネコとしては小柄だが、自分のテリトリーに近づく全てのネコを威嚇し、近寄ろうとするカラスどもを威嚇し、自分の周りには人間以外の何ものも寄せ付けない。こんな状態だから、チビトラは早々に退散し、この周囲にはまったく近寄らない。ゴキリョウも1日のうちわずかな時間しか出てこない。

誰もが「エサづる」にみえるのかどうか、ハナグロは人間をみると大きな声で鳴きながら、節操もなくゴロスリ攻撃を開始する。

Hanaguro_2

ポストの新聞を取り、ハナグロを無視して家に戻り玄関を閉める。ハナグロは玄関からドアに向かって「冷淡な母親に捨てられまいと必死になっている子供」のような大声で鳴き続ける。鳴き続ける。鳴き続ける。その様子を、通行人たちが不審そうな目で見ている。きっとわが家は「あわれなネコを締め出したつめたい人間」と思われているに違いない。

こんな状態だから、ゴキリョウとわたしは、ハナグロのいないわずかなすきに人目を??もとい??猫目をしのんで、逢引をするしかない。逢引の間もいつハナグロが出てくるか気が気ではなく、落ち着いて逢瀬を楽しめない。ハナグロは朝早くから夜遅くまでわが家の玄関を見つめている。今やストーカーと化してしまった。これというのも、あまりにも大声で鳴き続けるハナグロを、「ちょっとかわいそうかも」などと、思ってしまったわたしがいけなかったのだ。井伏鱒二風にいえば「何たる失策であることか。」

どうでもいいことだが、わたしもゴキリョウもハナグロも♀である。



炉油の価格が1680円になった

2007-11-17 23:11:38 | 日記・エッセイ・コラム
本日、近所を巡回していた灯油カーがアナウンスしていた。

「ただいま灯油は18L、1,680円で…」

思わず耳を疑って窓を開け、繰り返されるアナウンスを何度も何度も聴いてしまった。さすがに価格提示の後に「原油高騰による値上げ」の説明が入っていた。

わが家はオール電化だが、東京電力の電気料金もまもなく値上げになりそうな気配だ。そこで「当面は暖房費の節約あるのみ」と早々に決心してはいた。しかし、今夜は寒い。 んで、今シーズン最初の暖房を入れた。

これ以上の地球温暖化はなんとしても避けなければならないと固く信じてはいるが、心の底では「今年は暖冬だといいのに」と思ってしまっている。



"h&s" って何の略だ? 「生きているのは地肌なの」

2007-11-17 05:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
この秋発売された、P&Gの新しいヘアケアライン "h&s"。この "h&s" のロゴとともにしばしば書かれている英語のことばは "hair and skin care"。ゆえに、" h&s" を "'head and skin' care" のことだと思っている人は多いはず。

しかしこれじゃなんとなく変。「生きているのは地肌なの」って、地肌のケアを歌っているのなら、使う単語は "skin" じゃなくて "scalp" (頭皮)のはず。"skin" なら体中の肌が入っちゃうものね。でもそれがわかっているなら、わざわざ "h&s" と "skin" を商品名に入れてくるのは、ちとおかしいぞ。

だからわたしは仮説をたてた。

「おそらくP&Gには ”"h&s" と略されるヘアケアラインがすでにあって、それは "head and skin" ではなくて別の単語の略である。そして、その別の単語とは、おそらく "head and scalp" である」

この仮説、どうやら前半分は正しくて後ろ半分は間違っていたらしい。

実は、このブランドのシャンプーやトリートメントはまだ使っていない。このブランドがジンクピリチオンを使っているからではない。ジンクピリチオンは、適正な量が適切に使用がされている限りにおいては、効果的だと思ってはいる。使っていないのは、つまりはわたしの髪の痛みが激しすぎて、髪の毛の集中トリートメントが最優先になっているためだ。

最初に述べたように、"hair & skin care" という英語には、非常な違和感があった。だってヘアケア製品はスキンケア製品ではないからだ。ジンクピリチオンは石鹸などに配合される可能性はあるけれどね。ミノン全身シャンプーのように「髪にも体にも使用できます」っていう製品だったら "hair & skin care"っていえるけど。

で、「"S" は別の単語を意味していて、その単語とは "scalp" なんじゃないか?」って、思い始めたわけ。

いったんそんなことを考え出したら、中途半端な研究者魂というかオタク心が、真実を突き止めずにはいられない。というわけで調べてみた。


ネットで最初に検索したのは、"zinc pyrithione" というものについて。ここは英語版のWikipediaで調べてみた。そこには、次のような一文があった。

It is the active ingredient in several anti-dandruff shampoos such as Head & Shoulders.
(ジンクピリチオンは "Head & Shoulders" のようなフケ防止シャンプーの有効成分である。)


そして丁寧にもこの項目から、Head & Shoulders (直訳:「頭と肩」)への説明ページにリンクしている。



Head & Shoulders is a brand of anti-dandruff shampoo produced by Procter & Gamble.
(Head & Shouldersはプロクター&ギャンブルが製造するフケ防止シャンプーのブランドである。)


つまり、"h&s" と は、「髪と肌」でも「髪と頭皮」でもなく、「頭と肩」 (shouldersと複数になっているのは両肩だから)だった。なぜ「頭と肩」かというと、おそらく「頭と肩に落ちるフケを気にすることはない」ということなんだろう。

念のために、P&Gの "head & shoulders" のグローバルサイトへ行って確認。1960年代から売っている息の長いブランドで、現在は世界中で発売されているものらしい。

そして、インドの "head & shoulders" のサイトあたりを見てもらえればわかると思うけれど、このブランドがまさに "h&s" なんだということがわかる。

そしてもうひとつは、このボトルの色。"head & shoulders" を象徴する色はブルーだ。だからきっと日本の "h&s" もブルー系のボトルにしたのだろう。

こんな風に調べるのは10分もかからなかったが、少なくともその後20分は、ひたすら日本のP&Gのマーケティングに関心していた。(つまりこの件では計30分を費やしたことになる。)

この会社はその昔、紙おむつや洗剤などで相当痛い目にあっている。「米国で売れているものは日本でも売れるはず」って、日本の消費者のニーズにあわせることをしなかったために、ぜんぜん売れなくなっちゃったんだよね。(「全温度チアー」のアイタタ…なCMって覚えてる?) その経験から、日本の消費者に合わせて製品もマーケティングも日本向きに変える必要性を学んだ。そうだったよね、パンパ君。

本来、このヘアケアブランドの最大のウリは「フケ防止」と、フケ防止に使用される「ジンクピリチオン配合」だ。でも、いかにフケに悩んでいる人が多かろうと、「フケ防止」を前面に押し出したら、日本で実際に購入するのは「コラージュフルフル」をあえて買う人たちか、個人輸入でニゾラルを入手しようとするぐらいになってしまうだろう。そのウリを??おそらく成分も、毎日髪を洗う人間が多い日本人のために変更しただろうが??、フケの「フ」の字も出さずに「地肌のケア」に変えてしまったところがすごい。現在発売されているシャンプーの多くが、カラーリングやパーマなどで痛んだ髪を意識してつくられており、こういったシャンプーが地肌には重いと感じている人は結構いる。その反動で花王のサクセスのシャンプーとリンスが女性に売れたりする。そんな中で「地肌ケア」なんてあえていわれたら、思わず「どれどれ」となりそうだ。

しかも、日本ではネガティブなイメージが完全に染み付いてしまったジンクピリチオンを使ったブランドを、あえて日本で売ろうというそのチャレンジ精神に拍手。かつての花王メリットのように「ジンクピリチオン配合」と正面切って書いてはいない。が、「アクアミネラル配合」とあり、さらに説明を読めば、いささかファインプリント気味とはいえ、この「アクアミネラル」が「ジンクピリチオン」であることはわかる。

とにかく、今後の "h&s" の日本での売り上げに注目。え? わたしは使わないのかって? 同じP&Gのパンテーンのエクストラダメージケアをライン使いしている。きっとそのうち「芯から強く、毛先までしなやかに弾むような髪に」なるだろうから、そうしたら使わせてもらうよ。…って、いつになることやら。

「あらゆるところを探したあげく代わりの品を買ったあとで、失くした物は見つかる」

2007-11-16 10:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
After you bought a replacement for something you've lost and searched for everywhere, you'll find the original.


元祖マーフィーの法則にこれが載っていたかどうかは知らないが、とにかく経験則でこう感じている人は多いと思う。最近、わたしの家でもこの法則が発動した。しかも「この法則が発動しそうだ」とあらかじめ予告済みの状況で、だ。

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母が自分の電気敷毛布のコードを失くしたという。おやおや、たしか去年の今ごろも同じことを言っていたはずだ。

昨年母は「引越しの片づけのときに一緒に捨ててしまったに違いない」と主張しながらコードを探した。そして探すのをあきらめかけたところでコードが出てきた。だからわたしは母にしごくまっとうなアドバイスした。

「コードを毛布本体から離して保管してはいけない」

しかし母はまたもややってしまったらしい。母によればあらゆるところを探したが見つからなかったという。しかも「そういえば4月に、部屋をきれいにしようとして、いろいろなものを大量に捨てた。その中にコードがあったような気がする」と言いはじめた。こんな風に思いはじめると、本当に捨てたときの情景が「正しい」記憶として頭の中に浮かんでくる。こうなったらもう、どうしようもない。

しかし、わたしはわが家の経験則から、「『ないから』って新しいものを買ったあと、すぐに見つかるということがあるので、もう一度念入りに探して欲しい」と、母に伝えた。

しかし、再々探してもなかったという。そこで「明日の朝は、一番冷えるでしょう」という天気予報が流れた日、わたしは家電量販店に母を連れて行き、あれこれと思案したあげく、電気敷毛布を買った。

それから二日後の夜、「古い電気敷毛布のコードが見つかった」と、申し訳なさそうに母が言った。なんでも、桐のタンス(母の嫁入り道具)のすみに入っていたらしい。タンスの中の洋服を整理しているときに、偶然に見つかったとのこと。毛布は押入れ収納の中にあったのだから、また本体とコードを別々にしまっておいたのが原因とみた。「失くしてはいけないものなので、タンスの中にしまっておいたのよ」

まさに、あの法則の正しさを立証するできごと。しかも、発動予告まで出しておいたというおまけつき。

「でも、古い毛布はたまに調子悪いこともあったのよ。暖かくならないこともあったし」と母が正当性を主張するので、「じゃあ、古いほうはちゃんと捨ててくださいよ」とわたしが言うと、母はこうおっしゃる。

「でもまだ使えることは使えるし、捨てるなんてもったいない。誰かが使えばいいし」

「いったい誰が使うのよ?」とたずねるわたしに、母はわたしが使えばよいと言う。

「わたしには比較的新しい電気掛敷毛布がある」と主張しても、あくまでも自分の壊れた中古品を使わせようとする母。こういうものを処分してこなかったために、家を移るときに大変な目にあったのだと必死に母を説得するわたし。

すったもんだの末、やっとのことで捨てることには同意したものの、「資源ゴミ」として処分しようとする母に、わたしはそれは「資源ゴミ」ではなく「粗大ゴミ」で、したがって処分にお金がかかるという事実を説得するのは、さらに大変なことであった。

やっとのことで説得に成功したわたしは、ネットで粗大ゴミ排出の申し込みを行った。

それにしても、わたしはプレゼンテーションの説得技法なんてものも教えていたりするのだけれど、母一人を説得するのにこのざまか…