巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

時に「結果的に残酷」な日本型企業

2011-03-06 19:21:13 | 経営・人材育成
タイトルの内容を説明するために、まずは、某米系証券における経験の昔語りをする。




1994年当時、わたしの昼間(9時~6時)の時間帯は、某米系証券の投資銀行部での英文オペレーション/シニアセクレタリーとして、派遣労働に費やされていた。

この投資銀行部では、毎年、数名の大卒の新卒を「アシスタント」という肩書の3年の契約社員として採用していた。「投資銀行部が採用」と書いたが、もちろん実際に雇用するのはこの証券会社だった。だが、採用決定を含む人事権は投資銀行部にあり、ゆえにこの証券会社内で別の部署や別の職務に異動するなどということはありえず、事実上は投資銀行部に雇われたのと同じだった。

大卒のアシスタントたち対する会社側の要求はかなり高く、彼らの労働時間はほぼ毎日のように深夜に及んだ。その代わり、給与はけた違いに良かったらしい。

彼らの契約期間は、きっちり3年だった。それよりも一つ上の「アソシエイト」レベルの仕事には、MBAホルダーのみが従事できることになっていた。3年の契約期間の満了後、アシスタントたちはどうするのか? 再びこの投資銀行部で働きたければ、自費でMBAを取得たのちに、アソシエイトとして戻ってくることが可能だった。(退職後MBAに取得に専念できるだけの報酬を支払っていたらしい。)もちろん、MBA取得後に別の証券会社へ行く者もいたし、そもそもMBAなど考えず、3年間の経験をもとに、そのまま別の外資系証券会社に転職する者もいた。

アシスタントたちは全員が帰国子女だった。たしかに、帰国子女でなければ難しい部分があった。会話はともかく、読み書き――特に書き――に、高いビジネス・レベルの英語が求められたからだ。たとえ日本企業に提案を行う場合も、まずはニューヨークの本社の承認を得るために、すべての説明資料を英語で完成させ、その後、本語に翻訳したものを作成して、顧客に渡すことになっていた。いくら良いアイディアを持っていても、まずはそれを英語の文章で表現して本社を説得する能力がなければならなかった。

ある日、アシスタントの一人が、突然退職した。「直属の上司の自分に対する対応が不満」というのが理由だった。

このアシスタントと彼の上司の間にどのようなことがあったのかは、実際に見ていないのでわからない。どのみちこういう企業には、上司に不満があって辞める人間はけっこう多くいたので、別に驚くことではなかった。が、少々意外だったのは、この行動に出たのが、アグレッシブで上になればなるほど変人度が高くなる傾向がある投資銀行部の人間の中で、もっともディーセント(≒まっとうな)でありながら、アシスタントの中で最もできる新人であると、日本人スタッフたちが評価する人物だったことだ

あとから伝わってきた情報によると、彼の退職は完全な「突然」というわけではなかった。それよりも前に、彼は上司に対する不満を上層部に直訴していた。そこで、上層部と件の上司と彼との間で、協議が行われた。上層部は、彼の上司に改善すべき点があることを認め、改善のための猶予期間を設けることで、全当事者はいったんの合意を見た。彼は、その協議の最後に「その期間内に上司の態度に改善が見られなければ、会社を辞める」と、言ったらしい。そして、その最後の日である金曜日に、「満足のいく改善が見られなかったので、辞めます」と表明して、退職したのだった。

退職後、彼はすぐに、別の外資系の証券会社で働き始めた。最初に不満を直訴したときからすでに転職先が決まっていたか、あるいは転職することを念頭に置いて行動していたのだろう。




わたしの頭の中の引き出しには、他のごちゃごちゃした知識と一緒に、「米国型の企業組織」と「日本企業の典型的な企業組織」という、企業組織構造のモデル構造が入っている。これは、林吉郎先生のM型組織とO型組織にかなりの部分一致するモデルで、学生や社会人に教える場合に、あるいはコンサルタントとして何かを説明するときに、非常に便利なものだ。だが、このモデルを使用すしながらも、白状すると、長い間「このモデル通りの日本型企業って、本当に存在するのかな?」と疑問に思っていた。

実は、あった。

ここ2年半以上、わたしの昼間の時間帯は、ある業界大手の日本企業で英語系6号業務の派遣労働に費やされている。この日本企業がまさに、モデルのまんまの日本型企業だ。この企業は伝統的な日本的な企業で、終身雇用を前提としている。労働力に余剰が生じても、正社員に対するリストラを行ったことはない。

もちろん、この企業だって、時代にあわせた多少の変化を実現はしている。今では、後から入社した人間のほうが少々先に昇進する場合もある。一般職の女性が、若いうちの退職や結婚退職を強要されるようなことはなく、育児休暇取得後に職場復帰をすることも可能だ。しかし根本的には変わっていない。依然として、20世紀の、あのいっとき日本企業が成功していた時代のスタイルを、ほぼそのまま引きずっている。

このような組織の中で、ある日、上司のとの関係から、従業員が抑うつ状態に追い込まれて休職する人間がでる。しかも、一人や二人ではない。

この日本企業では、従業員が定年まで勤め上げることを前提としており、総合職の人材育成は、「社内プロフェッショナル」を「じっくり」と育成する仕組みになっている。そのせいか、入社後3年未満ならともかく、30代になっても、上司好みの表現と内容の文章を書き(上司がいちいち赤ペンで直す)、上司の好む行動をとり、上司が聞きたい意見を述べ、上司好みの整理整頓をしないと、物事がすすまない。このような過程を経て、その組織内の出来事や人間に精通し、今働いている組織内でうまく機能する人間が形作られていく。

こうやって獲得した「社内プロフェッショナル」能力は、実は非常にローカルなもので、外部の労働市場に出た場合にユニバーサルに通用するものとはなりにくく、ゆえに外では「無能」と化す可能性が高い。

そのため、外部の労働市場へ出た場合に「人生における脱落」を経験する危険度と、脱落を経験した場合のダメージの強さは、常に外部市場を意識して行動する人間よりも高くなる。有事の際に、かの証券会社のアシスタントのように、「外へ行く」という選択肢はとりにくい。

「外へ行く」という選択肢がないのであれば、何があろうと今の場所で頑張らなければならない。こうしてぎりぎりまでが我慢した従業員は、ある日ついに出社できなくなる。こうして休職した従業員には、まずは自分が回復して復帰ができるか、復帰したらまた原因となった上司がそこにいることに耐えられるのか、そして復帰後も休職の履歴が自分の将来について回り社内の標準的なトラックから脱落するのではないか、等の様々な悩みがついて回る。

従業員のメンタル面の問題を発生に対して、会社側はそれなりの対策を行っている。全社員対象のメンタルヘルス研修があり、上司たちにもパワハラ・モラハラ・セクハラなどに対する啓発を行っている。その他のEAPプログラムもあると聞いている。それでも、逃げ場のない職場環境の中で、実際にトラブルは起こり続ける。




最初に書いた米系の証券会社は、非人間的なゲゼルシャフト(利益体)の企業だった。必要とあれば、部員全員をバッサリとリストラすることに躊躇はなかった。「明日から新しいプロジェクトが始まるから頑張りましょう」と希望に燃えてスタッフに激を飛ばしていた管理職が、翌日上層部に呼ばれて「今日は自分のオフィスに戻らず、そのまま帰ること。明日から出社しなくてもよいが、正式な退職日はXX日」と言われていたのに、立ち会ってしまったことがある。

その一方で、このような証券会社が、かつてこの会社から別の会社に転職してしまった元従業員を再び雇用する現場も、何度か見ている。利益追求型であるがゆえに、その人間に能力と実績があり、そうすることに値する人材であると見なされるのであれば、かつて一度退職して別の会社に行った人間であっても構わず雇用する。こういう人間は、日本人のメンタリティで考えれば「会社を裏切った人間」となるのであろうが、利益優先で考えた場合は、時に「自社での経験があり、他社のやり方まで知っている」と、ポジティブに解釈されることがある。こうして、このような組織であるがゆえに、働く人間側にとってより良い選択肢が与えられることが、時にはある。(いつもあるわけではない。)

翻って、2番目に書いた日本企業。これは福利厚生が厚く、リストラをせず、終身雇用を維持する、従業員にやさしい、ゲマインシャフト(共同態)としての特徴を持ち合わせる日本企業だ。しかし、このような組織は、いやこのような組織だからこそ、時に従業員にとってinhumaneな組織と化すことがある。


ジャック・ナッサー、故郷に錦を飾る

2009-08-05 22:19:25 | 経営・人材育成
あのジャック・ナッサーが、あのBHP ビリトンの次期会長に内定したらしい。

「ジャック・ザ・ナイフ」の異名を持つジャック・ナッサーはフォード・モーターの元会長兼CEOだ。

彼は幼いころにオーストラリアに渡ったレバノン系移民。(ちなみに日産のカルロス・ゴーンさんもレバノン系)米国に本社を持つフォードの、オーストラリアの拠点のトレイニーからスタートして、着々と実績を積み、ついに米国本社のCEOになったは良かったが、色々とやりすぎて嫌われた。フォードとファイアストンの関係然り、厳しいコストカット然り。(ちなみにゴーンさんもコスト・カッターとして有名。ただし、ここでレバノン商人全員が、自動車産業にかかわるコストカッターなどという、極端なステレオタイピングを行ってはならない。)。

フォードの会長兼CEOとして「世界は私の牡蠣」(←わからない人は英語に直して、その意味をググってみよう)状態だったナッサーの自信に満ちた態度と物言いを、わたしの「国際ビジネスコミュニケーション論」を受けた学生は、皆覚えているはずだ。あのころのナッサーは輝いていたよね。「私の経営者としての勘」なんてものも語っていたし。

でも、フォードの業績が悪くなるや否や、それまで、「ジャック・ナッサーのリーダーシップあってのフォード」とばかりに、ナッサーをほめちぎっていた創業者一族のウィリアム・フォード・ジュニアは、自ら会長兼CEOにおさまって手のひらを返してナッサー批判を行った。さすがだ。君子豹変す…というより、新たにトップになった者が一番最初にやることが前任者のやり方や実績の徹底的な否定というのは、米国企業にありがちなパターンのような気がする。

さて、BHPビリトンはオーストラリアとロンドンで二元上場する、世界最大の鉱業・資源会社。去年の夏から昼間は資源会社とは切っても切れない業界で仕事をしているので、BHPビリトンの会社概要などに目を通したところ、なんとBHP Billitonの非常勤取締役の中にナッサーがいたのでびっくりしたものだ。

「一時期はフィアットに行くって噂もあったのに、ナッサーさんは何でこんなところにいるわけ?」と思っていたら、BHPビリトンのドン・アーガス会長が引退間近で後継者を探していて、どうもナッサーを気に入っているらしい…とかいう話も入ってたのだが、正直言って意外だった。ナッサーを「フォードを悪くした戦犯」として評価する人は結構多いからだ。

そして今週に入って、海外のメディアから、BHPビリトンの後継者争いは、ナッサーと同じく非常勤取締役のジョン・シューバートとの一騎打ちになるらしいという話が一斉に流れてきた。

そこで両者のプロフィールを見た。これはシューバートになりそうだな、とわたしは思った。キャリアのほとんどを川下産業で築いたナッサーと違って、シューバートには資源業界の経験もあるし、オーストラリア・コモンウェルス銀行のチェアマンだし、ナッサーの名誉博士と違い、れっきとした博士号をもっているし…というのが、シロウトのわたくしの浅はかな考え。結果を見れば、ああ、本当に浅はか。

BHPビリトンの取締役会はナッサーを選んだのだ。あの堂々とした態度と面構えが気に入ったのだろうか。(ここにきてもわたくしの着眼点はシロウトそのもの。)それとも、BHP Billitonをさらなる高収益企業へと導くすごいプランでも持っているのだろうか。従業員の方はナッサーを気に入らないという気もするが。そんなの、どうでもいいんだよ、従業員の気持なんかに配慮しなくって。企業は株主様の利益ためにあるのだからねぇ…(???)

余談だが、ドン・アーガスの後継者選びに協力していたのは、エグゼクティブ・サーチファームのHeidrick & Struggles(ハイドリック・アンド・ストラグルズ)だということも、今回の後継者選びの一連のニュースで読んだ。こういう名称のサーチファームがあることは、昨年やはり親会社がオーストラリア企業の企業で知ったのだけれど、実は初めて聞いたときは "Struggles" (困難)なんて、サーチファームの名前になるはずがないと思った。「その辺の人材紹介会社とは、ワケが違うんだよ。エグゼクティブしか扱わない会社だ」とオーストラリア人のお偉方が言っていたが、どうやらこういう人たちのためのサーチファームだったということが、今回の件でよくわかった。(ちなみにこの会社の創業者のうちの1名の苗字が "Struggles" とのことだ。)


再就職「支援」か「指導」か「斡旋」か? "outplacement" という言葉の日本語訳

2005-10-31 23:26:47 | 経営・人材育成
"outplacement"

ロングマン英英辞典によれば "a service that company provides to help its workers find new jobs when it cannot continue to employ them" (企業がその従業員たちを雇用し続けられなくなったときに、彼らが新しい職を見つけるのを手伝うために提供するサービス)である。(下手に意訳すると、意図的に意味を改変したと誤解されかねないため、直訳ですみません。)

"Outplacement"という西洋由来のサービスの名称の訳語については、以前は「アウトプレースメント」(または「アウトプレイスメント」)ということばと、「再就職支援」ということばの両方が使われていたが、最近は「再就職支援」という言葉で定着してきてたようだ。この再就職支援のサービスは、通常は外部の専門業者によって行なわれる。

では、再就職支援業者は、いったい何をやるのだろうか?

たとえば、最近経営が芳しくないフクシマ総業が、1,000人規模のリストラを行った。不幸にしてリストラの対象者になってしまった人たちのために、フクシマ総業は再就職支援会社A社に対して「当社の元従業員たちの、再就職の支援をよろしく」とお願いしてお金を支払う。こうしてフクシマ総業の元従業員たちは、A社から再就職支援のサービスを受ける。お金を支払うのは元雇用主、再就職支援サービスの提供者は再就職支援業者、サービスを受け取るのは元従業員たち(彼らは「サービスを受け取る人」という意味で「クライアント」と呼ばれる)というわけだ。

再就職支援業者が提供するサービスの種類には、メンタルヘルスケアから、職務経歴書の書き方・求人広告の見方といった再就職に必要な具体的なノウハウのから、求人情報の提供までといろいろあるが、幅広いサービスのどこに力をいれているのかは業者による。

たとえば、ある再就職支援会社は、失業してどっぷり落ち込んでいる(あるいは逆に、職を失なうというとんでもない状況に直面してユーフォリックになってしまっている)クライアントのメンタルヘルスケアに力を入れているし、別の会社はとにかくクライアントの再就職先探しに必死になっているだろう。

どちらかというと、お金をはらう企業が再就職支援会社に期待するのは後者のほう??つまり再就職先斡旋機能のほうだ。というのは日本の大手企業の多くには、昔から「第二人事部」とか「セカンドキャリア支援室」といった、一定以上のレベルの年配の従業員の子会社や関連会社への出向・転籍を扱う部門があり、その部分のアウトソーシングと考えれば、再就職支援業者は「転籍先を探す機能」を代行しているようなものだからである。

また、定年後も働きたいと思う人も多い日本人のことだ。「とにかく仕事がなければ」ということで、クライアント側も、再就職先の斡旋を期待する声が多い。

上記のような理由もあって、現在では再就職支援会社の多くが人材紹介業の免許も持っている。

また、日本での再就職支援業の黎明期に、人材紹介会社や人材派遣会社が「人材紹介業・アウトプレースメント型」と位置づける報告書を出したりしていることもあって、再就職支援業は人材紹介業と混同されることも多かった。再就職支援業に対して、「再就職斡旋業」という訳語も当てられたこともあったのは、これらの「人材紹介」「再就職先紹介」の機能が強調されてきた事情にもよるのだろう。

しかしこの業界の老舗の国際団体であるACF International (Association of Career Firms International) は、かつては会員企業に対して、再就職支援業と人材紹介業の兼業を禁止していた。その理由は「再就職支援業者が人材紹介業者を行ってしまうと、自らの人材紹介部門から仕事を見つけさせようとするため(つまり再就職支援の対価と人材紹介の対価を両方とももらおうとするため)、サービスを利用する人間の選択の幅を狭めることになり、結果的に本人の利益にはならない」というものだった。(この業界団体のURLがwww.aocfi.orgなのは、かつてはAssociation of Outplacement Consulting Firms Internationalだったからである。) 時代は変わり、今は兼業してもよくなっている。

さて、この記事を書いている理由は、昨日の朝日新聞の求人欄に、某再就職支援会社による「再就職指導コンサルタント」の募集があったからだ。

「支援」ではなく「指導」。この言葉に考え込んでしまった。

支援:ささえ助けること。援助すること。
指導:目的に向かって教えみちびくこと。
(広辞苑第五版より)


前者にはクライアントの横に寄り添っているようなイメージが、後者にはクライアントの前に立って正しき道のガイドをしているようなニュアンスを感じる。

この業界のコンサルタントについて与えるタイトルとしては、どちらが適切なことばなのだろう。

キャリアの自己責任が言われるようになった時代だ。あくまでキャリアを決めるのは本人という考え方がある。自分の適性、やりたいこと、これまでやってきた仕事やそこから得たスキル、今後のキャリアプランなどを考慮して、自分にもっとも相応しい再就職先を見つけるべきだ。??この考え方は正しいだろう。そしてこの考え方にのっとれば、アウトプレースメントのコンサルタントがやるべきことはあくまでも「支援」だ。

しかしその一方で、自分の好みや適性にこだわっていては、いつまでたっても再就職は無理だから、とにかく雇ってくれる会社ならどこでもいいから入社して、与えた仕事は得意/不得意、経験/未経験にかかわらず何でもやって、その会社に溶け込むように努力すべき、という考え方もある。それに日本企業の場合、ある特定の職務の採用で入社したとしても、その後の人事異動で別の職務に回されることもあるのだから、入社時に特定の職務にこだわってもあまり意味がない場合も多い。「適性が…」「わたしが本当にやりたいことは…」と、いつまでも迷って再就職先がなかなか決まらないクライアントに対して、コンサルタントが「あなたはこうすべきだ」と(時にはクライアント本人の意思に反して)具体的な道を指し示すことも必要かもしれない。こう考えるとコンサルタントは「指導」の役割が大きくなるのだろう。

支援か? 指導か?

そういえば、かつてわたしが勤めていた再就職支援会社にいた年配のコンサルタントは、「クライアントを背負った自分が、険しい山を登っている」絵を、自分の職務のイメージとして描いていた。これは「支援」ではなく「指導」だろう。この会社の地方の支店の別の年配のコンサルタントは、「妻が地元で仕事をもっているので、この地で再就職したい」と述べた男性のクライアントに対して、「男なら東京を目指さなければだめだ」といったらしい。これも…まぁ…指導だ…

わたしはといえば、「支援」していたつもりだ。というのは、わたし自身が会社に自分の職業を勝手に決められるのを、ひどく嫌っていたからだ。


エンプロイアビリティ:そのイメージ

2004-06-04 16:02:13 | 経営・人材育成
いまでこそ異文化コミュニケーション版CMCを研究しているような顔をしているわたしだが、じつは大学院の修士時代の論文のテーマは、「エンプロイアビリティ」(employability = 雇用されうる能力、<個人の労働市場における>市場価値)という、経営・人材育成ものだった。この研究は今も続けている。

論文の企画を発表した段階から「本にして出版すべき」と言ってくれた人が結構いて、修士課程修了後にのちに共著者になる林先生が論文を日本経済社に見せてくれたのが、『異端パワー』の出版にいたった最初のきっかけだ。あの本を読んでくださった方はおわかりのとおり、エンプロイアビリティが本の中で大きな位置を占めているのには、このようなわけがある。

が、あの本のタイトルには、「エンプロイアビリティ」のことばは使われていない。なぜか?それは、「エンプロイアビリティ」ということばに、ネガティブな響きがついているので、タイトルにしたら売れなくなると編集者が考えたからだ。

でも考えてみれば、変だ。エンプロイアビリティということばには、もともともは非常に理想的でハッピーな響きがあったはずからだ。

わたしがエンプロイアビリティのことばをはじめてきいたのは、忘れもしない1994年にさかのぼる。日本でのビジネスチャンスを求めてやってきた、教育系コンサルティング会社のエグゼクティブから聞いた。彼は「エンプロイアビリティ」を日本に売りに来たわけではないが、打ち合わせ時に黄色いリーガルパッドにいろいろと図を描いて、通訳を担当したわたしに、この新しいことばを説明してくれた。再現すると、大体次のような話になる。

「エンプロイアビリティっていうのはね、雇用の保障に代わるもので、従業員が企業の中でも外でもエンプロイアブル(= employable、雇われ得る)なように、保証したり支援したりしてあげることだよ。

会社はもう従業員に長期雇用なんて約束できないよね。でも雇用環境はきびしい。従業員はいつ失業するか分からない。失業したら次の仕事をみつけられないかもしれない。こんな状態だったので働くほうのやる気はさがって、企業の生産性が低下したんだ。

そこで、雇用を保障するかわりに、会社が従業員本人に自分のキャリアプランを聞いて、そのキャリアプランに教育と実践のための職務を継続的に与える。

そうすれば、従業員はエンプロイアブルになれるから、レイオフになってもスムーズに次の会社を見つけられるだろう。エンプロイアビリティはトランスファラブル・スキル(= transferable skills、転用可能なスキル、どの仕事にも通用するユニバーサルなスキルのこと)も重視するから、社内の別の部署・別の職務に移ることだってできるんだよ。」

「(ここでわたしの反撃)でもそうすると、教育の費用はかかりますよね。従業員が研修だけ受けて力をつけたところで、別の会社に転職してしまう危険も高まると思いますが。」

「(待ってましたとばかり)いやそうじゃない。つまり、自分が選んだキャリアを研修やポジションでバックアップしてくれる企業で働き続けることは、従業員にとってもハッピーになれることなんだ。

技術革新のスピードを考えれば、われわれは絶えず学習する必要がある。自分の将来を考えれば、その機会を与えてくれる会社になら、多少給料が低くたってい続けようとするはずだ。それに「従業員教育に力をいれて、個人のキャリア・プランの実施をバックアップしてくれる会社」という評判が、より優れた応募者を呼びこむから、企業にとっても利点のほうが大きいんだよ。ぼくはこのシステムが日本でも導入可能だと確信している。」

「(さらに反撃)おっしゃる通りかもしれませんが、大手の日本企業には、もともと研修部などが充実していて、教育・研修に金をかけているところが多いですよ。でもこれは『終身雇用ゆえに企業にとっては教育・研修が金の賭け損にはならない』からこその面があります。

それに日本の会社は、ある部門を切ったらその部門に関わる全員を解雇させたりしないで、まずは他部門への移すことを考えます。営業から企画とか、技術から総務とかへの移動は、実際行なわれています。どの部署へ移動するかは、本人が作ったキャリアプランではなく、すべて会社主導です。」

「でも、エンプロイアビリティは、個人が作ったキャリアプランを、会社が支援するんだよ。ここが違う。」彼は、リーガルパッドにペンで、グリグリとしるしをつけた。

1990年代の初めから半ばぐらいに、アメリカ系の企業に勤めていた方なら、本社がある日突然、やたら「従業員の教育・研修やキャリアマネジメントに力を入れよ」と日本法人に命令してきたのを、不思議に思った人も結構いたに違いない。

――突然、「将来のキャリアプラン」や「やりたい職務」の希望を従業員に聞けと、本社が言ってきた。こんなことを聞いたら、従業員が今の仕事に満足しなくなって、「ほかの部署に行きたい」とか、「この会社じゃ自分のキャリアプランは達成できない」とか騒ぎ出すじゃないか。何でこんなことするわけ? 

――本社命令で、1人あたり予算ン十万円で、個人の希望する研修を受けさせて良いって? そんなことをさせたら、従業員のいまの職務とは関係ない研修に出るかもしれないじゃないか。何でこんなことするわけ?

――会社もちでMBAをとらせてくれる? そんなことをしたら、MBA習得後に別の会社に転職されるかもしれないのに、何でこんなことするわけ?

つまり「こんなことする」理由が、エンプロイアビリティだったわけだ。

ところが、このことばが日本で使われ始めたとき、「これからの日本企業には、エンプロイアビリティのないものはいらない。企業はもはや従業員の雇用や教育を面倒見切れないのだから、従業員は自分でエンプロイアビリティを磨くしかない」に変っていた。しかも「これがアメリカ流だ。」

仰天!

で、なぜこのことばの定義に変化が起こったのか、何が日本市場における「雇用されうる能力」なのかを調べ始めたら止まらなくなってしまい、修士課程での研究テーマとなってしまったわけだ。

ところが、わたしが修士課程時代に勤めていた再就職支援会社の英国本社にも、エンプロイアビリティのプログラムがあったために、コトは次第にややこしくなっていってしまった。