巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

葬儀に流す音楽・流してほしい音楽

2010-08-29 20:00:00 | 音楽
アニソン・カラオケに誘われた。先だって逝去された某氏の追悼だという。

生前ご本人が周囲に、「自分が死んだら、アニソンで送ってほしい」と言っていたことがあったとのこと。故人の希望は叶えたいが、生前に社会的地位があった方の葬儀であり、葬儀にもかなり社会的地位のある方がいらっしゃる関係上、どうしようかということになった。が、結局、葬儀を行う会場のほうから「あまりにぎやか音楽は…」と言われたということで、故人の希望には沿いかねる次第となった。

しかし、本人の希望は…
というわけで、ご遺族と仲間たちの間で、「故人の供養のためにアニソン・カラオケ大会を開くしかあるまい」という結論に達したとのこと。そういう趣旨であれば、蛮勇をふるって参加しようではないか。

しかしながら、わたしは子供のころからほとんどTVを見ない。というわけで、アニメもあまり見ていない。歌えるものは『おばけのQ太郎』ほか、『宇宙少年ソラン』、『サイボーグ009』、『デビルマン』、『一匹ガキ大将』くらいしか知らない。女の子ものはもっと知らなくて『魔法使いサリー』と『ひみつのアッコちゃん』、そして『ふしぎなメルモ』ぐらいだ。あまり時間はないが、取り急ぎレパートリーを増やしておかないと。

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発売日:2005-12-21


◆ ◆ ◆

昨年、父が他界した。「自分はこれまで激動の人生を送ってきたのだから、これからはなにものにも縛られずに生きたい。自由に生きたいところへいって、自由に死にたい」と9年前に家を出て行った父は、アパートで一人暮らしをしていて、死後数日たってから発見された。病死だった。(家族の名誉のために書いておくと、「激動の人生」を送る羽目になったのは、母をはじめ、父を家族にもった人間のほうだった。)

警察で発見されたときの話を聞いている間、わたしは、もう30年近く前に父が、子供向けのクラシック全集のレコードの中のグリークの『ペール・ギュント組曲』の1曲を聞きながら、「自分が流したらこの曲を流してほしい」と、言っていたことを思い出した。それが「オーセの死」だか「ソルヴェイグの歌」は忘れたが。

葬儀場は音楽が禁止だったので、棺に『ペール・ギュント』のCDを入れてやろうと、アマゾンから取り寄せた。父はカラヤンとベルリンフィルが好きだったはずなので、それをチョイス。アマゾンプライムできちんと翌日に届いた。

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ところが、お通夜の前に父のアパートに入ったところ、昔から父が持っていた古いレコードの他には、クラシックのCDが数枚あるだけ。しかもそのCDが「『一枚でわかるベートーヴェン』の類の入門編ばかり。生前、根っからのクラシック音楽ファンを自称し、「クラシック音楽のような高尚な音楽が分からない奴は馬鹿だ」などと周囲に言いまくっていた人間にしては、ちょっと情けないかもしれない。どうやらペール・ギュント発言は、酔った勢いだったらしい。さて、どうしようか。

で、アパートの部屋の中にあった古いステレオセットに目をやったところ、いつぞやの記事にもちらりと書いた、グルダ(ピアノ)/シュタイン(指揮) ウィーンフィルによるベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番『皇帝』のレコードが、レコード・プレイヤーのターンテーブルに乗っていた。ほこりをかぶっていないところを見ると、ひとり暮らしをするようになっても、たまには聴いていたらしい。

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そこで、私自身の手持ちのCDの中から同じ録音の『皇帝』が入っているものを、グリークのCDと一緒に棺の中に入れ、父と一緒に焼いてもらった。

◆ ◆ ◆

葬儀の音楽と言えば、私の周りではクラシックに限れば、フォーレの『レクイエム』、モーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』、バッハの『無伴奏チェロ組曲』あたりを自分の葬儀に流してほしい音楽としてあげる人が多い。どれも美しい曲で、葬儀の雰囲気には合う。

問題は『レクイエム』と『アヴェ・ヴェルム・コルプス』はキリスト教の音楽だということ。宗教というものにこだわる参列者の中には、キリスト教の葬儀ではないものにこのような曲が使われると、気分を害する人がいる。歌詞が入っているのはダメだとしても、人によってはメロディーだけでも拒否反応を示す人がいる。

先だって、ある方の仏式の某宗派の葬儀で、フォーレの『レクイエム』のメロディーが流れていた。歌はなし。が、うっかり「あ、これ『ピエ・イェズ』ですね」なんて言ってしまったところ、その宗派の熱心な信者と思われる方が顔をしかめていた。

ところでフォーレの『レクイエム』といえば、母が所属するメトロポリタン・フロイデ・コーア東京の11月末の公演では、この曲をやるらしい。なので、もっとも美しいと思われる録音の一つを、母にプレゼントしておいた。MFC東京はアマチュア合唱団で、今まで見た限りでは、本番では一所懸命に力を込めて歌ってしまう傾向がある。この『レクイエム』は力を込めて歌うととんでもないことになってしまうので、観客のはずわたしのほうがいまからドキドキしている。(なお、ボーイソプラノを使うらしい。わたしもこの曲は、ボーイソプラノを使ったほうの録音が好きだ。)

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発売日:2000-06-21


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わたしが死んだときに流してほしい音楽は、また別の機会に。

「中学の入学祝い=万年筆」だった

2010-08-13 21:44:16 | ガジェット/モノ
わたしが中学に入学した1970年代前半、中学生になった子供に対する入学祝いの定番は圧倒的に万年筆だった。そして、そうやって送られた万年筆は、制服の胸ポケットにさしておくべきものだった。だから中学生の制服の胸ポケットには、常に万年筆と生徒手帳があった。(胸ポケットには、それに加えて櫛も入っていたかな。)
「中学の入学祝い=万年筆」が人々の頭には強く刷り込まれていたために、案の定わたしのところには、万年筆が2本やって来た。危うく3本目も来そうになり、母があちらこちらに電話して止めた。下手をすると、4本目や5本目めまで贈られかねない雰囲気だったのだ。

わたしのところに来た万年筆は、1本はパイロットで、もう1本はセーラーのものだった。パイロットのニブ(ペン先)は18Kで、18Kのペン先を持つ万年筆は、オイルショック直前の日本の中学一年生のかなり多くが贈られたものだった。わたしがもらったのは、ペン軸が短くキャップが長く、キャップを後ろに装着して初めて筆記具として十分な長さになる形状だった。このような形状の万年筆は最近ではあまり見かけないが、当時はかなり普及していて、中学生のわたしにはこの形がスタンダードのように思えたぐらいだった。

もう一つのセーラーは21Kだったが、21Kのニブの万年筆を送られた中学生はあまりいなかった。軸の部分はスタンダードな長さで、装飾的な軸だった。両方の値段は知らないが、特にこのセーラーの万年筆のほうは、中学生への贈り物としてはかなり高価だったに違いない。

そうやって送られた万年筆を使用する機会があったのかというと、わたしを含めて中学生には日常ではほとんどなかった。当時の中学生が使用する筆記具といえば、赤のボールペンのほかは圧倒的にシャープペンシルで、しかも0.3 mm芯などという細い芯やら数千円もするシャープペンやらが一般の文房具店に出てきたころで、皆の関心はそちらに向いていた。(「シャープペンシルを使うと字が下手になる」とも言われていたころのことで、学校の教師たちは「入試にはシャープペンを使うな」と口を酸っぱくして言っていた。)

さて、中学の入学祝いに万年筆を送るという習慣は、6学年下の弟が中学に入る1979年の春には、かなりすたれていた。「万年筆はきっと誰かが贈ってくれるよ。誰も贈ってくれなかったら、わたしが買ってあげるよ。」わたしは、うっかりそう約束してしまった。

きっと誰かが贈るはずだと思ったのだが、弟に万年筆を送ろうという人はいなかった。仕方がないので、わたしは約束を守るために池袋の西武デパートへ買いに行った。自分の常識で18Kのニブの万年筆を購入しようと思ったが、18Kのものはどれも値段が1万円を超えており、貧乏な大学1年生には手が出しにくかった。結局、弟には14Kの万年筆を買った。値段は記憶がただしければ7000円~8000円ぐらいだった。「14Kでごめんね」とわたしは弟に誤った。(が、しかし14Kが一番使いやすいらしい。)わたしのバイトの時給が400円台だったころの話だ。しかし、このときに買った万年筆を、弟が使っているのをわたしは見たことがない。

制服の胸にいつもあるにもかかわらず実際には万年筆がほとんど使用されなかった理由の一つは、インクの色にあったと思う。当時の日本人の常識は「万年筆=青インク」だった。青インクが使える状況というのは、かなり限られていた。

数年後、高校も卒業するころになって、万年筆には黒インクも存在することに気がついた。正確に言えば、黒のカートリッジインクの存在には気づいていたが、それを自分の万年筆に使うことを考えたことがなかった。近所の文房具屋で店主が、万年筆のブルーのインクカートリッジを買いに来たサラリーマンに「黒はどうですか? 黒だったら何にでも使えますよ。履歴書なんかでも…」と黒のカートリッジを勧めているのをみて、「そうだ、黒を使えば、万年筆でも結構いろいろなところで使える」と、わたしも気づいたのだ。

それからしばらくは万年筆に黒インクを入れて使っていたのだが、その後水性ボールペンやゲルボールペンが出てきて、わたしは万年筆の存在を忘れてしまった。

◆◆◆

さてここ数年、様々な万年筆が出てきている。最近の万年筆の値段は、数百円のものから6桁や時には7桁(円換算)のものと様々だ。そしてインクの色も種類も多種多様で、中には自分でインクの色を調合する人までいる。万年筆は、昔のように「学生や事務系の仕事をしている大人なら誰もが持っている」というものではないが、安くなったせいもあって、持っている人は1人で何本も持っていたりする。

安いが十分に書きやすい万年筆が出てきたので、最近はわたしも再び万年筆を使い始めている。わたしが使用するのは無印良品や、ラミーやペリカンなどのうち低価格帯のものだ。(そう、わたしも「1人で何本も」の類なのである。)

使用するインクは、黒以外の色でただし黒みを帯びたものが中心である。黒に近いものでないと仕事で使えないのだが、黒みを帯びた色インクは、サイン済み原本とそのフォトコピーを区別するのに便利だ。ここは本題ではないので詳しい話は省略するが、わたしのことなので ― わたしの実物を知っている人は「やっぱり」と思うはずだが ― 自分好みの色を作るために、異なる色のPrivate Reserve Inkをミックスしたりもしている。

ところで、ボールペンやシャープペンで英語を書くとブロック体を使うのに、万年筆で英語を書くとなぜか自然と筆記体になってしまう。当時の中学生は、英語の時間にまずは筆記体を習ったものだ。その時にわたしは、あえて万年筆などを使って練習したものだった。そのせいかな。

クレハ「ダストマン 生ゴミ用消臭シート」

2010-08-09 21:39:12 | ガジェット/モノ
生ゴミ用の分別ペールのふたの内側に貼り付ける生ゴミ用消臭剤のうち最も有名なものは、おそらくゴミサワデーである。

しかしながら、ゴミサワデーを含めて、この手の消臭剤のほとんどのものには香りがついており、時にそのにおいが妙に強烈である。分別ペールをLDKのキッチン部分の所定の場所置いておく家庭は結構多いと思うが、ペールのふたを開けたときににおいの強い消臭剤は生ゴミの臭い以上に拡散し、ダイニング部分に流れ込んで食欲を失わせる。

というわけで、ふくしま家はゴミサワデー系は使用禁止である。

Kurehaその代わり、使っているのが右の製品。
ダストマン生ゴミ用消臭シートである。製品自体には匂いはなく、シートなので薄く、2ヶ月間はきっちり臭いを抑えてくれる。両面テープのようなものでふたにくっついているのだが、プラスチックに貼ったものであれば使用後はきれいにはがせる。生ゴミ用消臭剤のミントの香りやレモンの香りに悶絶したことのある皆様に、声を特大にしてお勧めする。1枚、178円ぐらいで売っているはずだ。

欠点は、競合他社の生ゴミ用消臭剤に比べて売っていない店が多いことだ。姿が地味なためか、以前は売っていた店でもいつの間にか扱わなくなってしまうところも結構ある。

というわけで、売っている店を見つけたら5枚ぐらいはまとめ買いをしておくことをお勧めする。シートなので、まとめ買いしてもかさばらない。


↓アマゾンでも扱っています。なにかのついでにドーゾ。
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シュガーバインは暑さに弱い

2010-08-08 19:15:04 | 日記・エッセイ・コラム
一時期は「育て方が簡単」というのが売りのひとつになっていた、シュガーバイン。実際に育ててみて、けっこう難しいと感じている人が多いはずだ。

難しいと感じる理由は、主に:

  1. 水をやりすぎると根腐れする

  2. 暑さに弱い



の2つだ。

昨年の無印良品の鉢入り(「部屋のシャッターを毎日開けるために鉢植えを買う」「シュガーバイン、その後」)は、一部で根腐れを起こしかけつつも、無事に夏を乗り切ってスクスクと成長した。が、冬に枯らしてしまった。寒さのせいではない。

手術で11月に入院する際、自分の部屋には置いていけないのでリビングに移して、母に管理を頼んだ。退院しても物理的にも精神的にも余裕がないため、しばらくはそのままリビングで母に面倒を見てもらっていた。置き場所はリビングテーブルの上。リビングは暖かいので、冬でも比較的すくすくと育った。

ところが母が掃除のさいに、床の上の死角になるような場所に鉢をおいてしまった。そしてそのまま丸一日床暖房を入れってしまったため、シュガーバインは暑さですっかり元気がなくなり萎れかかってしまった。慎重に水を与えたが、根が全然水を吸わなくなっており、1か月後にはついに完全に昇天してしまった。

懲りないわたしは、リベンジのために再び花良品から無印良品の鉢入りのシュガーバイン(ただし今度は小さめのもの)を購入した。

わたしの部屋で涼しげなイメージを演出するはずだったシュガーバイン。「去年のシュガーバインは、葉水と適切な水やりで、私の部屋でも夏を乗り切ったから大丈夫だろう」などと思ったのが甘かった。

今年の東京の夏の暑さは異常で、昼間は不在のため冷房を入れていないわたしの部屋では、窓開けによる風遠しの改善や朝の葉水などでは対処不可能。日中は母が冷房をかけて常駐しているであろうリビングへ移動した。

が、いまいち元気がない。ハイポネックスキュートを定期的に与えているのだが。がんばってくれよ。

葉水を与えた直後↓
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「あなたの乳がんの原因は食べ物? それともストレス?」

2010-08-07 23:15:14 | 美容と健康
タイトルのような質問を、同じ病気にかかった何人ものに聞かれたことがある。

諸説があるが、乳がんのリスク因子は大体以下のようなものである。

「日本では20人に1人が乳がんにかかっていると聞きました。なかでも乳がんにかかりやすい人はどんなタイプですか? 」 (All about 乳がん.infoより)

また厚生労働省調査班の過去の疫学調査によれば「リスク高いのは…高身長、未出産、早い初潮 厚労省調査」だそうである。

わたしの場合は、乳がん年齢であることに加えて「背が高い(167 cm)」と「出産経験なし」があてはまるのだが、これらにひとつもあてはまらなくても乳がんに罹ってしまう人がいる一方、ほとんどすべてを満たしていながら乳がんにはかからない人もいる。で、同じ病気にかかった人たちで話をしていると、共通項は「食生活による肥満」か「ストレス」でまとまる。だから、頭書のような質問が出てくる。
乳がんの細胞のダブリングタイム (doubling time) は通常は約100日。これでいけば、1mmのしこりができるまでに約5年、1cmになるまでに約8年かかる。そのため、しこりの大きさから逆算して、最初にがんになったのはいつなのかの大体の推定が可能だ。

そうやって時期を推定した場合、乳がんにかかった人の多くには、「最初にがんができた」と思われる時期に、心当たりのある出来事がある。その頃に夫や肉親が死んだとか、会社が倒産したとか、リストラにあったとか、セクハラで苦しんでいたとか、離婚したとか、あるいはお金がなくて仕事を掛け持ちしていてほとんど休息が取れなかったとか、家庭内暴力がすごかったとか… で、やっと落ち着いてきたと思った矢先に、あるいはその状態に耐えに耐えているうちに、乳がん発見となる場合が結構多い。

ならば、ストレスが乳がんのリスク因子に加えられてもよさそうなものだが、問題はそのストレスを正確に測る手立てがないことだ。同じ経験をしても、人により受けるストレスが異なる。たとえば家計を一手に支えている人がリストラになるのと、職を失っても配偶者の収入で何とかなる人の場合では、受けるストレスが異なるだろう。全く同じ状況で同じような目にあったとしても、どのぐらい大きなストレスとして感じるかは、その人の性格による。

なので、お医者様の中で「ストレスと乳がんの何らかの関係がありそう」と思っている先生も、確固たるデータがないために、「あまりストレスをためないように」というほかはないらしい。

さて、わたしのがんにはしこりがなかった。がん細胞がその場所でしこりを作らず、乳管内側に沿ってどんどん広がっていき、乳房温存が選択肢にはないほどの広がりになっていた。このがんにかかったのはいつごろか? あまりよくわかっていない非浸潤がんのことだからあくまでも推定の域を出ないのだろうが、ある医者は8年~10年ぐらい前とし、もう一人の医者は10年~12年と推定した。

10~12年説をとったとする。仕事では会社の行き当たりばったりの経営方針とあまりよくない人間関係と、残業(残業代なし)の多さに四苦八苦し、家では経済問題と両親の離婚のカウントダウンで、大荒れ。体調を崩し、でも会社を休んだりすると「大学院に行っているのがすべての元凶」なんて言われるものなので、そのへんの市販薬でお茶を濁しながら、自腹の深夜タクシーで帰る毎日。(大学院が唯一のストレス解消になっていたが、あれがなければ精神科行きになっていたと思うよ。)うーん、ここでがんに罹ったのなら、原因はストレスに違いない。

8年~10年説を取れば、例の選挙手伝いをし、経済的にも人間関係でも修復不可能なダメージを負った。自分のやったことには後悔しないわたしが、生まれて初めて深く後悔したこの時期には家庭でも両親の離婚後の残務処理で、これまた結構大変な目にあった。うーん、ここでがんに罹ったのならば、やっぱり原因はストレスに違いない。

「ほーら、やっぱりあなただってストレスが原因でしょ。」同じ病気ゆえに知り合った知人が嬉しそうに言った。「30代前半」「背が低い(150 cm台前半)」「出産経験2回で母乳育児」と、わたしとは全く異なるプロフィールをもつ彼女は、やはりがんに罹ったと思われる時期に、かなり大変な体験をしていた。