巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

本当に本当に久々のZライト

2021-07-03 23:54:03 | ガジェット/モノ
老眼というのはうっとおしいもので、暗いところでは文字が読みにくくなって久しい。
ここ数年はフロア用のスタンドライトを机の近くに引き寄せて誤魔化していたんだけれど、
このたび、快適に仕事をするために、というよりは、
このような誤魔化しではどうしようもないほど老眼が進んできたために
きちんとデスクライトを買うことにした。

いろいろ悩んだあげく選んだのは、アームライトの雄、山田照明のZライト
私が選んだのはZ-S5000N



1970年代前半の、中学に入ったばかりのころだった。父がわたしにZライトを買ってきたのは。
Uランプというブルーの白熱電球がついているアームスタンドライトで、
色はペールグリーンだった。

当時の我が家は「給食費をどう捻出するか」といつも悩んでいたほどの貧乏だったので、
どんなものであれ、いつも最も安いものを使っていた。
それなのに、Zライトだよ。普通の電気スタンドより値のはるものを。
おそらく、父は会社の同僚か誰かに見栄をはって買ってしまったのだろう。

正直なところ、その年の子供にデスクライトの重要性はわからなかった。
わたしは視力が悪かったが、眼鏡さえかければ暗いところでもどんなものでも見えた。
しかも、Zライトは電球がきれたあとが大変。
Uランプを売っているところは少ないうえに、
売っていたとしても普通の白熱電球より高かった。

月600円のお小遣いから、学校で使う文房具やら本やら雑誌やら、
育ち盛りゆえの空腹時の買い食いの費用やらのすべてを
必死になって捻出していた私にとっては、
Uランプの出費は馬鹿にならなかった。

当時のZライトは、12年ぐらい使ったところで壊れてしまい、
その後は久しく、デスクライトを使ってこなかった。

今回久々に使ってみて、「デスクライトは机の上での作業にはマストだ」というのが
今の60になったわたしの感想だ。
今のわたしに中学生の子供がいたら、きっとこんなデスクライトを買い与えるだろう。
ただし、もらった本人には、その必要性が感じられないだろう。


芍薬がきれいに咲きました

2020-05-27 22:16:24 | 日記・エッセイ・コラム
無印良品のネットストアで買った芍薬6本。きれいに咲きました。



品種は、書かれていなかったけれど、富士かな?

実は、買ってきた芍薬の蕾って、どうやっても開花しないことがあるんですよね。
その点、無印のお花は、「花良品」があったころから、きれいに咲いて花もちが良いことがとても多かった。概して優秀なんです。

↓ 1本が家に届いた次の日に開花し、最初は硬かった他の蕾もなんだか開きそうになってきて、ワクワクしていたころ。


紫陽花大の花が全部咲いて、すごいことに。


最初12本入りをポチろうとして、直前に6本に変更してよかった。すごいボリュームです。水を結構吸います。(もちろん毎日水切りをしています。)
そして香りも結構します。甘い良い香り。部屋を閉め切って仕事をしていると、結構この香りに酔いますね。

富士通、親指シフトやめるってよ

2020-05-19 19:33:17 | ガジェット/モノ
いつかこの日が来るとは思っていた。私もその良さを知ってはいるが久しく使っていない、あの親指シフトが終わる。

富士通、「親指シフトキーボード」の販売終了 40年の歴史に幕

 富士通は5月19日、同社の親指シフトキーボードや関連商品の販売を終了すると発表した。1980年5月に発表した、親指シフトキーボード搭載日本語ワードプロセッサ「OASYS100」以来、40年の歴史に幕を閉じる。
(出典:ITメディアニュース 2020年5月19日)


16年前、すでにブログをやっていた私は「親指シフト(NICOLA):または元親指シフターの嘆き」という記事を書いた。

16年前に書かなかったこともこの際だから書くと、親指シフトはスピード感をもって文字入力ができるので、日本商工会議所の日本語文書処理技能検定(ワープロ検定)試験などというものもこれで受けた。10分間で800字の日本語入力というのは、ローマ字入力では無理なのだが、かな入力では可能で、しかも親指シフトに慣れている人間にはかなりの余裕だった。

さて、ワープロ検定1級などと資格は、すぐに役に立たなくなった。直ぐに、誰もが自分でPCを使って文書を打たなければならない時代になったからだ。
「こんなの、秘書が打つんだから自分が出来なくてもいいんだ!」
と叫んでいた重役のオヂサン方は、かなりの確率で早期退職のターゲットとなったものだった。

話は変わるが、わたしは現在、昼間は英語104キーボード、朝と夜と週末は日本語108キーボードを使っている。どちらのキーボードもすでに販売中止となった東プレ のHiProシリーズのものだ。アルファベットの配列は同じなのだが、記号の配列が異なるので、混乱する人は混乱する。
わたしは、まぁまぁうまく使い分けている。親指シフト、JISキーボードかな入力、ローマ字入力を並行して使っていた時期があるので、頭が(指が?)さっさと切り替わるのかもしれない。

得意なのはフリーセルだけれど

2020-03-28 21:47:51 | 日記・エッセイ・コラム
フリーセル成功率はほぼ100%と書いたことがあったけれど、
ソリティアコレクションでは
先にスパイダーのほうがレベル100に到達。


このようになった理由の殆どは、配点にある。
フリーセルは最高難度のものを解決すると1,000 XP。
これに対してスパイダーの目下の最高難度では2,000 XP。

新コロナウィルス禍による、このところの自宅待機状態も
スパイダーのように、より時間がかかるものに取り組む一因となっている。

しかし、いくら解決しても生産性はないな…
無料のままソリティアコレクションをしているので
ゲームの広告動画がかなーりうるさいです。
でもこれきっと「ソリティアコレクションを楽しむ層には
このゲームにも乗ってくる人が多いだろう」という前提で
動画を流しているんですよね。

頑張る女(2)

2020-03-26 23:23:57 | ノラネコ
モモフク(女)は、いつもは不機嫌な顔をしています。


でも、頑張るときは、クロスケ同様頑張るんです。


高速かつ短時間です。


これをやった後は、必ず
「あたしったら、今、何てことしたのかしら」と
我に返ったような、気まずいような表情をするんですが…

頑張る女

2020-03-22 22:27:24 | ノラネコ
クロスケ(女)



他のノラさんたちから追いかけれられたり
頭をたたかれたりしていますが、
それでも頑張ります。黒パンです。


頑張ります。


なお、クロスケの名はジブリのススワタリからではなく、
清水玲子の『秘密』のまっクロクロスケから。
あの猫は雄でしたが。


乳がん手術後の経過観察が終了

2020-03-10 00:18:31 | 美容と健康

(病院の近くを流れる石神井公園沿いの桜)

乳がんの手術を受けたのは2009年11月9日。患側の乳房切除に当時はまだ先進医療扱いだったセンチネルリンパ節生検を合わせたものを受けた。(当時のブログのエントリーはこちら)

乳がんはゆっくり進む癌だ。なので、経過観察期間は他の癌が5年であるところ、乳がんの場合は10年だ。実は昨年の検査がちょうど10年目だったが、マンモグラフィーとエコーでは別の場所に判別しがたいものが写ったため、経過観察が1年延長になった。そして今年のマンモとエコーの結果をもって、経過観察が、つまりは保険適用の検査が、終了となった。

実のところ、オリビア・ニュートン=ジョンの例でも分かるように、乳がんは10年以上たってから再発することが結構ある癌だ。とはいえ、一応の区切りということで、おそらくめでたいのだろう。

どのような乳がんだったのかを、乳がんの情報を求めてこのエントリーにアクセスした人のために、少しだけ書いておこう。

わたしの場合、胸いっぱいに広がったがんだったので、「温存」などと言うことは考えず、乳房を完全に切除する以外の選択肢はなかった。エストロゲンに感受性のある癌だったが、術後はホルモン療法を受けず、まさに「切りっぱなし」(確定診断をした医師が使った表現)となった。この選択ができたのは、7 cm以上の広がりがあっても非浸潤がんだったからだ。

実は、切りっぱなしでほかの治療法を行わなかっただけではなく、食生活においては、最近では体力を維持するために、手術前にはあまり食べていなかった乳製品や赤身の肉も食べるようになっている。再発を気にするのであれば、牛乳や肉は控えて野菜たっぷりで太らないような食生活を、ということになるのだろう。だがわたしは、乳がんと診断される前には、まさにそのような食生活をしていた。おまけに10代のころ始めたヨガも毎日行っていた。が、結局、がんになった。結局何をやっても癌になるときはなるのだ。それに、だんだん年をとっていく生活において気をつけなければいけないのは、乳がんの再発ことだけではない。乳がんの再発防止を優先するあまり、QOLを著しく犠牲にすることはできない。

ところで、いわゆる「乳房を切除したあとの喪失感」は、わたしにはなかった。術前にネットで術後の女性の胸の画像を見ても、ピンとこなかった。自分が胸を失ったことをどう感じるのかは失ってみないと分からないので、実際に自分がどのように感じるかについては、我が事ながら興味があった。

さて、手術後、麻酔が切れて自分で歩けるようになりトイレに行って最初にやったことは、トイレにある大きな鏡で胸の手術の傷跡をまじまじと見ることだった。

「OK」

抜糸の必要のない糸で綺麗に縫われた手術の跡をみて、私が感じたのは「自分は大丈夫だ」だという感覚だった。そしてその瞬間、自分のボディイメージとアイデンティティに、片方の胸が無い事実がしっかりと上書きされた。

乳がんの手術で胸を失ったことにより、一生悩む女性は多い。しかしながら、どうやらわたしがそのタイプではなかったらしい。これはわたしが精神的に強いとか弱いとかの話ではなく、これまでの生育環境によるものだろう。わたしは子供のころ重症の機関紙喘息で長期に入院していたことがあったのだが、様々な病気の重症患者の子供を集めた同じ病室には、「五体不満足」の子もいた。というわけで、事情ありで標準の形から外れた体には、それが自分の身に起こったことであっても、それほどショックやインパクトは感じないような性格になったらしい。というわけで、手術の傷跡をみるなり即座に「乳房再建というオプションはとらない」という選択をした。

今にいたるまで、そのときの「OK」の感覚は変わることはない。温泉でも銭湯でも、他人がいる中へ一人でさっさと入る。私は、自宅には風呂があるのでわざわざ銭湯へ行く必要はないのだが、最近の銭湯は色々とリラックスできるので、レクリエーション気分でたまに行く。世の中には乳がんの手術をした女性用の入浴着というものがあり、これがたまに温泉で物議をかもすことがあるのだが、わたしはそういうものは使わないので、この意味では問題になることは無い。わたしが自分の体で気になるのは、無くなった胸よりも、むしろ残った胸とお尻が年々重力に逆らえなくなっていることや、お腹周りのお肉の付き具合といったものだ。

一方で、手術後の日常生活となると、手術前と同じというわけにはいかなくなった。体の重心のバランスが崩れてしまい、まっすぐ歩いているつもりがあちらこちらにぶつかって歩くようになり、バランスをとるために失った胸の重さに近い(といっても、全く同じ重さだとブラのストラップに重さがかかり食い込んで痛いので、実際は2/3ぐらいの重さの)ブレストフォームが必要になった。昔、叔父が「結核で肺の切除手術を受けた後、失った肺の重さを補うものをいつも身に着けている」と言っていたが、その意味と意義がやっと分かった。

さて、ブレストフォームは通気性のない厚みのシリコンの塊であるから、肌に優しい素材を使ったブラのポケットの中に入れおいても、結局は蒸れる。というわけで、胸の汗疹にしょっちゅう悩まされるようになっている。

が、より厄介なのは、患側の腋の下のリンパ節が少なくなったがゆえにリンパの流れが滞りがちになったことだ。その結果、腕は荒れやすく、乾燥しやすく、そして腫れやすくなった。虫に刺されようものならなかなか治らない。いくら手入れをしてもすぐにササクレが出来てしまい、一度ササクレからばい菌が入ったらしく、熱を出してえらい目にあった。

患側の腕に力を入れることは極力避けなければいけないため、手術前に行っていたダンベルを使っての運動は術後は中止。二の腕がダルダルになった。こうやって気をつけていたのだが、昨年の秋に仕事で「大量の雑巾を毎日手で絞らなければならない」「結構重いものを持つ」というという飛んでもない状況が発生してしまい、リンパ浮腫になってしまった。手術のために入院していた病院で乳がん看護認定看護師から教えてもらった、あの小鳥の頭をなでるようにおこなうリンパを流すマッサージなど焼け石に水であり、最終的にはその仕事を辞めるということで、解決せざるを得なかった。

こんな風に、手術の後遺症とはこれからも付き合っていなければならないのだろう。でもまぁ、この11年間はかなり上手く付き合ってきたと思う。

キンクロハジロ(金黒羽白)

2020-03-03 23:04:29 | 日記・エッセイ・コラム
キンクロハジロさん、いっぱい


ご尊顔アップ


ご尊顔アップ。この時期のオスの後頭部はカッコイイ


キンクロハジロ(金黒羽白、Aythya fuligula)は、カモ目カモ科ハジロ属に分類される鳥類。

分布
シベリア、ヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖し、冬季になるとアフリカ大陸北部、ヨーロッパ、中近東、インド、中華人民共和国東部などへ南下し越冬する。日本では冬季に九州以北に越冬のため飛来し(冬鳥)、北海道では少数が繁殖する。

引用元:Wikipedia キンクロハジロ


キンクロハジロさんにお会いした場所は恩師猿江公園 (この公園は、1945年の出来事ゆえに、おそらく将来も公園のままずっと残るのだろうな。)

安房白浜・野島崎の夕陽と朝日と灯台と

2020-02-22 23:28:02 | 日記・エッセイ・コラム
最近、職場でとんでもない目にあったので、
心のリセットのために、きれいな海辺で夕陽とご来光が見たい。
というわけで、房総半島最南端の白浜へ一泊のミニ旅へ。

前日には「曇り」という天気予報が出ていたが、
もう日没時間に合わせてバス(なのはな号)と
ホテルを予約してしまった後だったので、行かねばなるまい。
いや、安房白浜なら、天候が最悪でも
温泉と美味しいお食事を楽しめるはずだ。
一方、周囲は新型肺炎騒ぎ。
そこで、マスク、マスクに噴霧するイータック抗菌化スプレー、
新コルゲンコーワうがい薬、除菌ウェットティッシュ、
クレベリン スティック、アルテクトスプレーを荷物に詰め込み、
仕方なしにノートPCも詰め込み、
化粧品と着替えは最小限にしたが、なんだか荷物が重い。

野島崎に到着したのは2月20日の夕方。オオオオ!

曇天なれど、西の水平線上には雲は無い!
神様、ありがとう。わたしは幸運だ!
左手は53 km離れた場所にある大島。
(写ってはいないが、さらに左側には72 km離れた場所にある利島が見える。)



夕陽を拝めたことにすっかり満足してホテルに入った。
夕食のバイキングは、翌日のお昼に海の幸を楽しむことを前提に、
洋風のメニューをチョイスして、その後、大浴場の温泉を満喫。
(といっても、腕にリンパ浮腫がまだちょっと残っているので、
長湯はせずに短めに。)その後、日課のヨーガをやって、
メールをチェックしながらちょっとばかりビールを飲んで、
翌日の天気の予報が「晴れ」で、
日の出が午前6時21分であることを確認して、さっさと寝る。

さて、翌2月21日。6:21 amの日の出の時刻の景色はというと…

ガーン! 晴れてはいるのだけれど水平線上に雲がある。
神様、ありがとう。幸運はそんなに何度も訪れないことを教えてくれて。



10分後。太陽が顔を出し始めた。


さらに待つ。


太陽は何時でも神々しいものなのだ。(「絶景 朝日と夕陽の見える岬」のベンチ)


さて、わたしが生まれて初めて見て、しかも上った灯台がこの野島埼灯台。
1972年のことだったと記憶している。
たしか一泊旅行だったが、貧乏でほとんど旅行に
連れて行ってもらったことがなかったわたしにとって、
家族と一緒の安房白浜の海と灯台は最高に楽しい時間だった。

そして、1997年の11月にも一人で来たことがある。
仕事で、今よりもっと大変な目にあったときに。
灯台も夕陽も、その時もとても美しかった。


ところで、灯台まわりの景色が1997年と違うような気がする。
どこが違う? あ、霧笛舎がなくなっている。
(↓ 2017年11月の野島崎灯台 右側が霧笛舎)


在りし日の霧笛舎


この霧笛舎、ひなびた味わいが素敵だったのに。
安全性を考慮して撤去されたらしい。
雰囲気のある建物だったが廃墟だからな…

さて、ここへ来たのはリセットのほかにもう一つ理由があった。
それは観光でお金を使うこと。
昨年の台風で、このあたりもかなりの被害を受けた。
実際に行ってみると、依然として屋根が
ブルーシートのままの家屋も目につくし、
磯笛公園の舗装もダメージをうけて修繕中のようだ。
白浜フラワーパークも復旧の最中で、花摘み / 花鑑賞ができない状態だ。

それでもここは、眺めを楽しむもよし。
温泉でゆっくりするも良し。美味しい食事をメインにするも良し。
野島崎のロータリーのあたりの海の幸をメインとするお食事処は美味しい。
今、行くだけの価値はある。
みずるめのさんが焼き定食が好きです。)

ところで、夕陽と朝日を拝みたいむきには、
時期によりどこから陽が出てどこに沈むかをチェックしてから
行った方が良いかもしれない。
前回1997年11月に行ったときは、
大島に沈む夕陽をみた。
大島が、それはそれは神々しく照らされていた。

大島を照らす2017年11月17日の夕陽


大島に沈む夕陽

訪問者たち

2020-02-11 15:27:23 | ノラネコ
■ モモさん(モモフク)

彼女を見るたびに「可愛いねぇ、可愛いねぇ」と言い続けているだが、
私の思いは報われず、いつみてもブスっとした表情だ。

2014年6月。

この写真を撮ったすぐあとに、後ろ足をけがしたことをきっかけに、
母猫から置いていかれてしまい、我が家の庭中を逃げ回っていた。

2016年1月



■ ミーゴちゃん(三毛にゃん5号)

我が家に現れた5匹目の三毛猫なので、
「三毛にゃん5号」の意味でミーゴと呼んだ。
(ちなみに、3号と4号はそれぞれ
「ミサ」「ミヨ」と名付けた。)
なかなか姿を見せなかったが、
彼女がちょっと離れたところで
地域猫としてかなり可愛がられているという話は
聞いたことがあった。

これは2017年2月。

2016年のことだったか。
周囲の野良猫には三毛猫がほとんどいなかったところに
同じような月齢の三毛猫の子猫が
がほぼ同時期に3匹現れたことがあった。彼女はその1匹。
同時期に3匹も現れた理由には、人間の存在があると思われる。


■ ハヤタ君

何かを考えてるように見えるのは、
消防車の警鐘付のサイレンに耳を傾けているため。
おそらく、2017年生まれ。


■ フウタ君

おそらくハヤタ君と同腹の兄弟。
2017年の夏のある日、突然2匹でやって来て、
自転車置き場にある母の自転車のリアバスケットを拠点に活動を始めた。
私が庭に出ると必ず姿を見せるのだが、
必ず数メートル先で背を向けて、
「あなたなんかに興味はありませんよ」という
雰囲気を醸し出しつつ、
チラチラとこちらを見ているところが、いかにもネコだ。