巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

フローリングに布団の生活~高度成長期時代のベッドへの憧れをこえて

2007-10-31 22:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
フローリングに布団を敷いて寝ています。ただし、フローリングの上に直接マットレスや布団を敷いて寝ると、寒い季節には床と布団(またはマットレス)の接地面に結露が起こるため、折りたたみタイプのすのこマットを敷いてからマットレス+布団という順番になります。

下の写真は部屋の東南側。すのこマットがない状態と敷いた状態です。

Sunoko

(この記事は、ブログ人のトラ場 vol.143 のお題「あなたは寝るときにベッドとふとん、どちらを使いますか?」へのTBのためのものです。なお、以下長い長い文章が続くので、「フローリングに布団」の組み合わせにご興味のある方と、お暇な方だけお付き合いくださいませ。)

昨年家を建て替えました。今度のわたしの部屋は9.6畳あります。作り付けの棚を西側の壁面いっぱいにつけてあるので、実効の床面積は8.7畳ですが、ベッドを入れるスペースは十分にあります。でも、ベッドを置かないのには理由があります。

私の部屋は作業部屋と寝室を兼ねています。そこで自分の部屋で発生する作業はいうと

  • 寝る、くつろぐ、本を読む、テレビをみる、音楽を聴く

  • 仕事をする。基本はパソコンデスクにはり付きだが、時には書類や書籍を床一面にダダダッと、広げることもある

  • エクササイズをする。基本は毎日のヨガとダンベルエクササイズと場所をとらないものを行なうが、気が向くともっとスペースをとるものにも挑戦する


となります。一方、私は自分の部屋について

  • 部屋から家具をなるべく廃したい

  • できるだけ床に近い位置で暮らしたい

  • 昼間は寝具を視界に入れたくない


と考えました。その結果フローリングに布団という組み合わせになったわけです。

この組み合わせの長所は以下の通りです。
  • 昼間は部屋を広く使える

  • 睡眠時にベッドから落下する危険がない


なにしろわたしは寝相が悪くて、クイーンサイズのベッドに一人で寝ていても落ちるんです。今はフローリングに布団で寝ているわけですが、朝目が覚めるとそこは硬い床の上…ということがけっこうあります。

一方、この組み合わせの短所といえば以下の通りです。

  • 布団の上げ下ろしが大変

  • 床の掃除が大変

  • 布団類の収納場所を確保しなければならない


布団に加えて桐製すのこの上げ下ろしの作業が加わりますから、かなり面倒です。また畳に比べてフローリングは埃が舞いやすく目立ちやすいので、床に近い高さで眠る場合は、睡眠中に埃を吸い込まないように床をきれいにしておかなければなりません。おまけに布団の上げ下ろしの作業そのものが、かなりの量の埃を発生させます。

床をきれいに保っておくため、わたしはいつでも使えるようにと自分の部屋専用の掃除道具を部屋の隅の目立たないところにおいてあります。気が向けば昼でも夜でも、夜中でも明け方でも、床のほこりを取っていたりします。

Cleaning_utensils右は「フローリングに布団」の生活を、影で必死に支えてくれる掃除道具たちの記念写真です。

左より無印良品のシステムほうきとちりとり、ニトムズのコロコロフロアクリンドライシートをつけた花王のクイックルワイパー。水性ウレタン樹脂のフロアコーティングを施してある床なので、ときにクイックルワイパーに山崎産業(コンドル)のハイマジックウェットモップスペアをつけて水ぶきすると、床がきれいになります。

また、洋室には押入れがない場合が多いので、どこに布団をしまうかが大問題になります。母はロールタイプのすのこマットを使っていますが、設計の段階で押入れをつけてもらいました。わたしは布団とすのこマットをウォークインクロゼットに無理やり押し込んでいます。もう一人は、畳ベッドで布団を使用しています。決して布団をしまうことがないので、単なる段差万年床状態になってます。

実は、1960年代生まれのわたしの世代は、ちょうど高度成長期にあたったこともあって、畳の部屋に住みながらも、衣類だのいろいろな生活に便利なものだのを、後から計画性もなく購入し、それらを収めるために家具をどんどん買い足して、その家具を部屋に並べては部屋をだんだん狭くしていったものでした。(お金が足りない家では、趣味の悪いカラーボックスばかり買い足すことになりました。)

一方、「ベッド」は洋風の生活の象徴であり、多くの人がベッドでの寝起きにあこがれたものでした。だから畳の上にわざわざカーペットを敷いて、其の上にベッドやら学習机やら買い足した家具をところ狭しと配置するなんてことは、多くの家でやっていました。畳の上にカーペットなんて、ダニの温床になりやすいんですが。

うちはベッドなんて買うお金がなかったから全員が畳に布団でしたが、70年代の終わりぐらいまでは、ほんとうにベッドが欲しかったのです。病院に入院しているときはいやおうなしにベッドだし、子供のころの1年間の寮生活もベッド(二段ベッド)たけれど、それはそれ、これはこれ。自分の部屋にベッドを置きたかったんです。

うちだけではなく他の人にとっても、当時の一般庶民の収入を考えた場合、ベッドは高価な買い物した。それでもベッドがほしい人が本当に多かったんです。そんなわけで、当時のnon-noの一人暮らし特集で見た「それでもベッドがほしい人」のための対処方法は、カラーボックスを4つ置いて土台代わりとし、その上に木の板を敷いてベッドにする方法が載っていました。釘をつかって板とカラーボックスに固定したのかは覚えていないけれど、覚えているのは「このベッド作りは男の子たちに手伝ってもらえ」って…ね。(笑)

まぁ、ともかく皆、何とかして床より高い位置で暮らしたかったのでしょう。また、「押入れをベッドにする」っていうのもありましたね。押入れの戸をはずして、上段をベッド代わりにするという方法です。

「床からできるだけ高い位置で行なう生活」への憧れは、ベッド以外の家具の選択にも反映されました。ちゃぶ台よりテーブル、座鏡台よりドレッサーが好まれました。「自分が寝る部屋でもスリッパを履いて暮らす日常が憧れだった」とも、言い換えることができるかもしれませんね。

一昨年、家の建て替えが現実化してきて、間取りについていろいろ打ち合わせをしました。昔は洋室を作る方が和室(ただし簡素なもの)を作るよりもお金がかかったようですが、現在ではフローリングの部屋を作るより畳の部屋を作るほうがお金がかかります。

ない袖は振れないわけでして、ゆえに新しい家は全てが洋室になったわけですが、おかしなもので「自分の部屋がフローリングになる」と考えたとたんに、「低く暮らしたい」「昼間は寝具を視界に入れたくない」「家具はあまり置きたくない」とう気持ちがむくむくとわきあがってきました。だって結局、一般的な日本の住居用の部屋は、いろいろな家具を置いておくには狭いんです。

こんな願いをベッド使用で可能にするため、一度はロータイプのヘッドボードのない畳ベッド(たとえば家具蔵のヘッドレスのタタミベッド モデルノのようなタイプ)の購入も考えました。畳ベッドのうえに腰掛けて昆布茶をすするなんて風情がありそうでしょ。(いや、婆くさいだけかも。) でも、やっぱりベッドだからどうやっても場所をとるんですよね。

「折りたたみベッド」という選択もありました。しかし、家を建て替えるにあたって頻繁に訪れた住宅展示場の休憩室の端っこに、いつもぼろぼろになった古い折りたたみベッドが置いてあったのです。深夜まで働いて疲れきったハウスメーカーの営業マンがここでつかの間の休息をとるのかと考えているうちに、折りたたみベッドを見ると「働きすぎ」を連想するようになってしまい、選択肢から落としました。まぁ、ベッドの脚がフローリングを傷つけるという理由でもNGだったわけですが。

それで最後にはすのこになりました。


ちなみに冒頭の写真には写っていないのですが、写真の右側にあたる場所にはパソコンデスクがあります。これは家を建て替える前から使っていたもので、140cmぐらいの高さがあり、最上段にはプリンタが乗っかっているという代物で、この「高さ」がものすごく気になっています。お金をためてカリモクの座・スタイルのサイトに以前載っていたロータイプのパソコンデスクみたいなやつが買いたいな…

痩せたのだ。これはモーツァルトの音楽のおかげか?

2007-10-29 22:43:04 | 美容と健康
夏に5kgほど。体調を崩したことと、ちょっと食べる量を減らしたためだと思うのだが。

なぜ食事を減らしたのかというと、単純に食費を減らしたかっただけ。一般庶民は、収入は増えないのに負担増が続いているからね。普段から贅沢してないんだから、食費に手をつけるしかないじゃないのさ。

昨年の秋から冬にかけて2kgほど体重が増えそのまま減らなかったので、「これで体重が一応固定かなぁ、トシもトシだし。基礎代謝量も落ちるはずだから、これからは変わるとしても増加の一途だねぇ」なんて妙に達観してしまったのは、今考えると早計だった。

家を建て替えたときに得た教訓のひとつは「洋服は極力捨てる」こと。「サイズが合わなくなったら、すぐに捨てる。『また痩せればきられるから』なんて、後生大事にとっておいても、二度と着る機会は来ない」だ。わたしは昔、いわゆるモデル体重よりも痩せていた時期があって、そのときの服がなぜか押入れの奥に大量に残っていて、新しい家に移るときに全部捨てるはめになったんだ。

だから、2kg増えて胴回りと腰周りが少々増加した時点で、細身のボトムからバンバン捨てまくっちゃった。おかげで残ったのはゆるめの古いものと、「これからは増加の一途」とばかりサイズを先読みして買ったサイズがひとつ上のものばかり。最近買ったものに限って今の自分にはデカいものになってしまったわけ。

サイズが小さいものは着られないけれど、サイズが大きいものは、物理的には着られないことはない。でも、着たときのシルエットが変になるんだよね。とくに腰まわりのラインが情けない。服に自分を合わせるには太ればいいんだろうけど、やっぱり「太る」ってのは自分の美意識に反するので、どうせなら維持したいわけ。まぁ、幸い実りの秋になっても体重は維持。

そんな話を知り合い数名と話していたら、一人から「ふくしまさん。体重が落ちた時期に、何か音楽を聴きましたか?」とたずねられた。

ちょうどモーツァルトのピアノソナタのKV 332とKV 333を練習していた時期なので、聴く音楽も自然とモーツァルトのピアノ曲を中心ににモーツァルト三昧だった。だからそう答えると、

「『モーツァルトダイエット』ってあるんですよ。そういう本も出てますよ。モーツァルトの音楽を聴いていたせいかもしれませんよ」といわれた。

そういえば、わたしは若いころに体を壊していらい、とっても痩せにくい体質になっていたはずだ。(一度、病院で基礎代謝をきちんと測ってもらったが、かなり低かった。)だから食べ物をちょっと減らしたぐらいでは痩せないはずなのだ。

それなのに痩せたということは?

しかも今回は痩せ方がちょっと違う。女性の皆さんはわかると思うけれど、普通女性が痩せるときは胸から痩せてそのまんま。ところが今回胸はいったんやせたけど、元のサイズに戻ったんだよね。その代わり胴周りとか腰周りとかのサイズが減った。言い換えれば、減ってほしい部分が重点的に減ってくれたわけ。

ひょっとしてこれは、これは、モーツァルト先生のお陰なのか?

だとしたら、恐るべしモーツァルト。いや、モーツァルト先生に感謝、感謝。


追記:しかしこのトシで痩せると、顔のラインが「すっきりする」というよりは、「老けた感じになる」。こればっかりは、モーツァルト先生のご利益でも、如何ともしがたいよ。

さらに追記:わたしは「モーツァルトで痩せる」と主張しているわけではないので、仮にあなたがこの記事を読んでモーツァルトダイエットに励み、その結果痩せなかったとしても、当方は一切責任を負わないので、悪しからず。まぁ、↓のような本も出ているらしいので、万策尽き果てた方は目を通してみてもいいかもしれない。

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石本茂氏が死去

2007-10-11 17:20:00 | ニュース
石本茂氏が死去 94歳 元環境庁長官、元自民党参院議員 小松市出身
 [北國新聞] 2007.10.11

一瞬、「本」を「破」と見間違えて、おタク顔の防衛大臣を思い浮かべてしまった人もいるかも。が、お世話になった方なので、わたしは間違えませんぞ。

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わたしが重症の気管支喘息で、区内にある某私大の大学病院に通院していた3歳のころの話だ。

ある日、喘息の発作が朝になっても昼になってもおさまらず、夕方にこの大学病院に飛び込んだ。病院にはいつもの先生はおらず、若い先生と看護婦さんが1名ずついるだけだった。

先生と看護婦さんがいろいろと相談して、なにかの注射をわたしに打った。先生の自信のなさそうな話し方と、打たれ注射がいつものものものとは違うものだったということを、わたしはぼんやりと覚えている。

その日の夜、いったん発作はおさまった。が、翌朝大変なことが起こった。

わたしが変になってしまったのだ。

まず、いつもおとなしく行儀よく朝食を食べるわたしが、母の「きちんと食べなさい」という声に反応して、「食べればいいんでしょ。食べれば」と、ゲラゲラと笑いながら口に次々とものを運び、しかも口からボロボロと食べ物をこぼしてもまったく気にかけた様子もない。つまり、精神的にいっちゃったのだ。

で、そのうち歩き方が変になった。腰が定まらずふらついたような歩き方になって、まっすぐ歩けない。さらには支えなしでは歩けなくなって、壁伝いに歩くしかなくなった。身体的にもいっちゃったわけだ。

おかしくなったときのことは、わたしの記憶の中では自分はまっすぐ歩いているつもりなのに、両親が「歩き方がおかしい!」と叫んでおろおろしていた記憶しかない。が、母によれば、ラリったような声でわたしは母に言ったのだという。

「ゆみちゃんねぇ。ぜんそくだけれどねぇ、こんどは歩けなくなっちゃったぁ。だからあたしは、もう死ぬのよぉ。ねぇ、おかあさん、死ぬのよぉ。」

母はパニックになり、しかし救急車を呼んでいいものかどうかわからず途方にくれた。前日の病院での注射の副作用を疑ったが、救急車を呼べばこの大学病院に運ばれる可能性が高かったからだ。当時、この辺りの住民は何かあるとその大学病院に担ぎ込まれることになっていた。

家から車で5分ほどの蓮根団地の近くで、祖母がタバコ屋を営んでいた。父の当時の職場はこのタバコ屋のとなりの電気屋だった。そこで父は出勤時の車で母と私を、祖母のタバコ屋にひとまず置いておいていった。

祖母と母と叔父・叔母がどうしたものかと思案した。しばらくすると誰かが言い出した。

「蓮根団地に住んでいてよくタバコを買ってくれる人で、どこかの大病院の看護婦長さんだとかいう人がいる。その人なら良い方法を知っているかもしれない。その人は毎日バスの停留所をつかうから、帰ってくるところを捕まえればよい」

バス停はタバコ屋の目の前にあった。当時この「婦長さん」の帰宅時には、必ずご家族の男性(弟さんだったらしい)が、あらかじめバス停まで迎えに出てきていたものだった。そこでまず祖母はバス停に来たご家族に事情を説明して、「婦長さん」が帰ってくるのを待った。

そのときの「婦長さん」というのが石本茂氏で、石本氏の紹介でわたしはすぐに国立第一病院(現:国立国際医療センター)に連れて行かれ、そのまま入院することができた。はじめて第一病院に連れて行かれたときのことは、最初の診察も診察室の様子も先生の顔もしっかり覚えている。なにしろ最初の診察で骨髄穿刺をやられてすごく痛かったんだから、忘れようがない。そしてその後しばらく、わたしは第一病院に入退院と通院を繰り返すことになり、大学病院とはめでたく縁が切れた。

当時、近所の人は石本氏を「婦長さん」とか「偉い看護婦さん」とか呼んでいたけれど、すでに看護婦会の「会長さん」だったようだ。「名は体を現す」は真実である場合もない場合もあるが、石本氏の場合は男性のような名前そのもののような印象を、少なくとも近所の人たちに与えていた。バス停に迎えに来るどことなく女性的な弟さんとは非常に対照的で、バス停での送迎風景はかなり人目をひいたものだったらしい。

ともあれ、石本氏にはわたしも母もとても感謝している。合掌。


めったに当らないものに、2つも同時に当たるとき

2007-10-06 22:48:23 | 日記・エッセイ・コラム
宝くじになら当たってほしいけれど、そもそも宝くじなんて買っていない。いや、若干1名が毎年ひそかに買っているらしいが、景気よく当たった話はまったく聞かない。

わが家が今回当たったものは、「世論調査」の対象。「世論調査の対象となったので、当日は協力をよろしく」という趣旨のはがきが、先日相次いで2通とどいた。しかもどちらも10月上旬実施。世論調査への協力依頼なんて、少なくともここ10年はひとつもきたことがないのに。

はじめに来た依頼は、大手新聞系の世論調査。選挙人名簿から無作為抽出した結果、母が見事に(?) 選ばれた。つまり20歳以上の男女が対象の世論調査らしい。受け取った協力依頼のはがきには、10月6日、7日のうちいずれかに訪問員が来訪し面接方式で行なうことが書いてある。

これだけならよかったのだが、このはがきを受け取った翌日に、今度は農水省関連の社団法人からも「世論調査」協力の依頼のはがきが届いた。こちらも対象は20歳以上の男女を対象としており、「住宅地図のなかから無作為に抽出」した結果、わが家が選ばれたということで、当家宛のはがきで誰と指定があるわけではない。方法は調査員がやってきてアンケートを手渡しし、後日再びやってきた調査員が回収するとのことだった。

で、めったにこない世論調査の協力の話が続けてきたことに、しかもこの面接員と調査員が同じ10月6日の日のほぼ同じ時間にやってきたことに、家族一同すっかり嫌な気分になってしまい、結局どちらの調査への協力も拒否してしまった。

別に単なる偶然なんだろうし、この手の調査は膨大な数の母集団からの(母集団から見れば)わずかな数のサンプルで統計を取ろうとしているのだから、サンプルが回答を拒否することで調査結果が多少変わるかもしれず、できれば協力したほうがよいらしいということはわかってはいる。それに今日本で起こっているさまざまな出来事を考えれば、いろいろな機関が世論調査を実施したくなるのもうなずける話ではある。しかし、どうも気分が悪いのだ。

というのは、昨年家を建て替えてからというもの、宗教関係の勧誘(新興宗教や社団法人を装っているのが多い)や物売りの訪問がやたら増え、また、住所は前と同じなのに、建て替えを境に妙なダイレクトメールまでやたらに増えたのである。

疑心暗鬼にもなるってば。