巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

子供のころの夢を極める

2005-02-27 21:58:43 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、32年前に卒業した小学校閉校式典に出席したあと、32年ぶりにあった同期生たちと近くのファミレスで長々と昔話に興じた。当時の色々な同期生の名前が挙がったが、一人が「(同期の)O君が研究者になって、テレビに出ていた」と言った。

O君なら覚えている。虫好きだった子だ。なぜわたしが彼をおぼえているかというと、わが家の(正しくは祖母の)斜面樹林に、何回か虫を採りにきていたからだった。当時、彼がわが家の樹林で狙っていたのは、カブトムシやクワガタなどの幼虫らしかった。

「TVでO君が白衣をきて何かを説明していた。」というので、家に帰ってきてから彼のフルネームを入れてネットしらべた。もしかしたら、昆虫関係の研究者かも…

ビンゴ! 彼は昆虫学の研究者として、某大学で助教授になっているのだった。

子供のころ虫が大好きだった少年が、長じて虫の研究者になる。こういう、自分の好きなことを続けて極め、それで専門家になってメシを食っている人が同期にいるなんて、とてもうれしいことだ。

わたし? 当時のわたしは、中学を卒業したら地元の工場で部品の組立をして暮らしていくとばかり、考えていた。当時を考えると一番現実的な将来像だったが、現実は当時の現実的な将来像とは異なるものになったので、人生とはふしぎなものだ。

ところで、同期生たちとファミレスで長々と話しているうちに、指輪をなくしてしまった。一応そのファミレスに電話をしてはおいたが、プラチナ台のダイヤの指輪で脇石もダイヤのものなので、見つからないかもしれない…(涙) 

というわけでロイヤルホスト板橋店で、指輪を拾った人は、お店に連絡をしてください。実は、あの指輪は「離婚」を呼んだものとしてその方が手元に置けずにただいたものなので、手元においておくと何が起こっても知りませんよ…


閉校になる小学校の「校歌」のミステリー

2005-02-26 22:27:14 | 日記・エッセイ・コラム
いまさら著作権は問えないが、子供が作った歌であったのなら、子供の名前をちゃんと載せてほしかった。

「住宅地の公立小学校の廃校」に途中経過を書いたことがあったが、結局わたしの母校である板橋区立若葉小学校は、本年3月末を持って閉校になることになった。本日はその閉校式典があり、わたしも過去の卒業生の一人として出席した。

さてこの小学校について、わたしが常々疑問に思っていることがあった。それはこの学校の「仮校歌」のことだ。

わたしたちが第1期の卒業生として卒業したときに下級生が「校歌」として歌った歌は、いまも存在するのか? もし存在するとしたら、作詞者と作曲者はいったい誰になっているのか?

この若葉小学校の設立は1971年。設立当時5年生だったわたしたちが第1回卒業生として卒業したのは1973年3月だが、当時この小学校校では、わたしたちの卒業が近づくにつれて、問題化してきたことがあった。

「この学校には校歌がない。第1回の卒業生を送り出すためには校歌が必要なのに。」

ところが当時の若葉小には、専門家に校歌を依頼する予算がなかったらしい。1972年度が始まると、6年なったわたしたち全員と5年生全員に、「校歌の歌詞をつくれ」という号令がかかった。

歌詞は授業時間を使って作られ、各児童がひとつずつ「校歌の歌詞」を提出した。担任の先生の話によれば、提出された歌詞の中から良いものを選んで、それに専門家が曲をつけるとのことであった。

歌詞候補はすぐには1つに絞れず、3篇が残った。以下のようなものだ。

  A案=5年生のAさんが作った歌詞
  B案=6年2組のBさんが作った歌詞
  C案=6年2組のわたしがつくった歌詞

学校側は、これら3つの歌詞に曲がついた場合に、どのような感じに仕上がるのかを知りたくなった。しかしやはり資金不足である。そこで学校側は、「この3つの歌詞に児童自身で曲をつけてほしい」と言ってきた。

Bさんとわたしはピアノを習っていたので、詩に合わせて自分で曲のようなものをつけることができた。というわけでB案はBさんの作詞作曲、C案はわたしの作詞作曲となった。

ところがA案の詞を作った5年生の児童は、音楽関係の習いごとをしていなかった。そこで、ピアノを習っていた6年2組の別の児童(この人をDさんとする)に作曲のみが依頼された。

曲のついた3つの案は、放送室で録音された。A案を作詞した5年生は立ち会わなかったが、A案の作曲者Dさん、B案の作詞・作曲者Bさん、C案の作詞・作曲者のわたしが、録音のプロセスすべてに立ち会った。つまり、わたしはA案、B案、C案のすべてを聴いていた。

校歌を決める職員会議で、このとき録音されたテープが流されたらしい。ところがその結果はいつまでたっても、当事者のわたしたちには伝えられなかった。そしてそのまま、わたしたちは卒業式を迎えてしまった。

「在校生による校歌斉唱!」

わたしたちの卒業式で、掛け声とともに在校生がいっせいに起立した。わたしは思わず「いったい誰の歌が校歌に決まったの?」と、小声でまわりに聞いた。だれかが答えた。「『3つの歌のいいところをみんな採った』って、M先生(音楽担当の教師)がいっていたよ。」え? まったく異なる3つの曲の「いいところ」をみんな採るって、そんなことが可能なのか…?

そして伴奏が始まった。

「A案だ!」わたしは心の中で叫んだ。伴奏を聴いただけでそれがDさんのメロディーであることがわかった。在校生たちが歌いだした。

 若葉の若さは
 子どもの元気
 風をきって 進んでいく…

その歌はどう聴いても、A案をほぼ丸ごと採用したものだった。しかし歌は流れても、わたしは耳で聴いているだけ。作詞者と作曲者が誰になっているかを知ることは、その時点ではできなかった。

本日の閉校式典で、「校歌が昭和56年(1981年)にできるまで歌われていた歌」として、この歌が紹介された。「若葉の子ども」というタイトルになっていて、作詞者は「若葉小児童」となっていた。そして作曲者には音楽教師のM先生の名前があった。

しかし本当はこうだろう。

  作詞 Aさん
  作曲 Dさん
  編曲 M先生

問題は、作詞作曲にかかわった児童の具体的な名前を、消してしまったことだ。著作権が児童である(あった)AさんやDさんに行くことを避けたかったのだろう。だから「3つの歌の良いところを採った」とごまかしたのだろう。しかし仮に、3つの案すべてを採ったというのであれば、3つの案にかかわった児童4人の名を、きちんと載せるべきだった。

学校側が、作詞者作曲者をきちんと書いてくれなかったことは、非常に残念だ。32年前のことだし、閉校になりもはや永遠に歌われることがないのだろうから、何をいっても無駄なことかもしれないが。AさんとDさんの名前はクレジットされるべきだった。


フランクリン・プランナーとクオバディス

2005-02-25 23:20:02 | ガジェット/モノ
JMAMわたしが大学卒業後最初に働いた会社では、年末に従業員全員に翌年の能率手帳と能率ダイアリーを全員に配っていた。いわゆる能率手帳タイプ。見開き2ページで1週間。左ページにスケジュール、右ページはメモ欄になっているものだ。

非常に使いやすく、その会社では皆で使っていた。手紙文の時候の挨拶が右ページの上にあるのも、とても便利だった。しかし、外資系の企業に入ったときに、左から右へと時間の経過が表記されている能率タイプでは不具合が起こった。スケジュールの内容を横書きで入れなければならないので、書きにくかったのだ。以来、時間の経過が上から下へと進んでいくものを選んでいる。

さて、ここ4年ほど、フランクリン・プランナーの見開き1日タイプのものを利用していたが、ついに以前に使っていたことのあるクオバディスも買ってしまった。クオバディスはフランクリン・プランナー以前に、5年ぐらい使っていたものだ。

しばらくは、フランクリン・プランナーとクオバディスを併用して、どちらを使い続けるべきか見定めようと思う。

この2つの手帳特徴は以下の通りである。

■ フランクリン・プランナー (Franklin Planner)

f_plannerただのスケジュール管理のためのシステム手帳ではない。「理想的な生活を送るために、 自らの目標を定め、計画的に実現するまでをサポートする ツールとして開発された、システム手帳」という目的のものだ。

見開き1週間や、1日1ページのものもあるが、見開き2ページが1日のオリジナル・デイリーが基本。左ページはその日のスケジュールとタスクの優先事項のリストを、右ページはただのメモ欄で、自分でその日書き込みたいことを書き込むことになる。日本語版は、日本の祝祭日と六曜の表記がある。差別につながるとされる六曜表記ではあるが、実際にイベントを六曜に基づいて組むことがある以上、ムゲに消すわけにもいかないのだろう。

1日2ページを要するものを、1年分システム手帳の中に収めて携帯するのは不可能だ。というわけで、当月を中心として2か月分(当月・翌月)または3か月分(前月・当月・翌月)を持ち歩き、そこから外れた予定は見開き1ヶ月の月間カレンダーに、とりあえず記入・参照していくことになる。

フランクリン・プランナーが生まれた米国は、昨日の記事の時間の観念ではMタイム。つまりスケジュールをあらかじめ立て、それにしたがって物事が進むことを好む。

また、「長期志向・短期志向」で言えば、短期志向だ。日本の企業でも四半期(クォーター)ごとの業績を出すところが多いが、米国人にとって四半期は単なる3ヶ月を意味しない。彼らのビジネス上の3ヶ月は日本人にとっての12ヶ月ぐらいの時間の感覚になり、米国における企業の四半期ごとの業績は、日本企業の年度の決算の結果と同じぐらいのインパクトがある。持ち運びが3ヶ月を基準としているのも、この短期志向ゆえとみた。

また、「過去・現在・未来」の志向でいえば未来志向。将来のある時期(短期志向があるため、そんなに遠い将来ではない)にゴールすべく明確な目標を立てて、そのゴールを達成すべく現在何をすべきかを決めて行動する。過去はあまり重視しない。見開きの左ページの上部に小さな月間カレンダーが小さくついているが、過去を軽視し未来を重要視する彼らの感覚を証明するかのように、当月と翌月の2ヶ月のみである。


クオバディス (Quo Vadis)

quovadisクオバディスはフランス生まれ。フランスの時間の観念は、Pタイムで過去・現在志向だと、ものの本で読んだことがある。
クオバディスのフォーマットにもさまざまなものがあるが、もっとも基本的なものは見開き1週間のアジェンダプランニングダイアリー/クラシックだろう。

ヨーロッパのビジネスでは、1年全体をひとかたまりしてとらえ、何年第何週という時間の捕らえ方もすることがある。たとえば本日2005年2月25日は2005年8週。今年の10月13日(この日に意味はない)は第41週。このクオバディスはこの第何週と四半期の両方を併記している。フランクリン・プランナーにも第何週の表記はあるが、あくまでも添え物。クオバディスでは週が中心となり、「第41週のスケジュールを調べる」という感じになる。

そして見開きの右肩に掲載されている小さなカレンダーは、前月・当月・翌月の3ヶ月。やっぱり過去も大切…というわけだろうか。(実は、カレンダーは手帳のサイズにより異なっているようだ。)

わたしの使っているものは、日本の祝祭日等や、日本の郵便料金表などが書かれたジャパンエディション。祝祭日が日本語表記(ただし英語表記も掲載)のほかは、ダイアリー全体がすべて英語で書かれているし、数カ国の祝日を掲載している。おそらく、EU圏全体、あるいはヨーロッパの多文化主義的な流れを採り入れていると思われる。

しかし、ジャパンエディションで英語が多用されているとはいえ、そこはフランスのものだ。英語一辺倒を嫌う。巻末の地図をみると、フランスの地名はフランス語で、ドイツの地名はドイツ語で書かれている。アイルランドの地名にいたっては、アイルランド・ゲール語である。アイルランドについては、さすがに大都市のみカッコ内に英語表記もあることにはあるが。(アイルランドの第一言語はアイルランド・ゲール語だが、実際はアイルランドでは一部の地域を除いてほとんどの人間は英語を使う。)地図がフランスから始まっており、米国が比較的小さく扱われているのはご愛嬌。

また六曜はないが、月齢表記があり、月の新月・上弦・満月・下弦のマークがついている。わたしは月の満ち欠けには影響されない生活を送っているが、自分のライフスタイルにとって月齢が重要な人もいるだろう。狼男にも役に立つだろう。

わたしが使っているのはジャパンエディションで最大サイズのトリノート(18×24cm)。しかし、本当はA4サイズ(プレノート)のジャパンエディションがほしい。

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さて、フランクリン・プランナーを使っていたのに、なぜ再びクオバディスも買ったかというと、一見Mタイムながら実はPタイムで、過去志向の強い日本で働いていると、フランクリン・プランナーでは不便だと感じることがでてくるからだ。その場で半年前のスケジュールをチェックしたり、4ヵ月後の予定をくわしく書き込まなければいけない状況がしばしば発生する。前後1ヶ月・計3ヶ月を持ち運んでいるのでは、ちょっと足りない。

もちろん、このプランナーは単なるスケジュール管理のツールではなく、成功を実現するためのツール(あるいは幸せになるためのツール)である。この機能はクオバディスにはないため、ここを重視している人間には、フランクリン・プランナーを強くお勧めする。しかし、わたしは、個人のスケジュールや価値観、プライオリティは手帳に書かないようにしている。落としたときに大変なことになるからなのだが、別の理由もある。

世の中にはたまに怖い人もいるのである。席を立っている間に他人の机をあけてダイアリーを取り出し、読んだりコピーしたりする人もいるのだ。価値観や個人の生活上の目標などを書いてそれを読まれてしまうと、それをもとに足を引っ張られることもある。そうされた気の毒な人を見たことがある。他人の手帳の中身をコピーしたほうは、「会社のため」「正義のため」にやったと主張していた。日本ではその主張が認められてしまうこともあるから恐ろしいものである。

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「時間の観念(Mタイム・Pタイム)」 (自己トラックバック)
「人生は手帳で変わる?」 NAGIの小箱) (2005.03.16追加)


時間の観念(Mタイム・Pタイム)

2005-02-23 22:56:41 | 異文化コミュニケーション
手帳やダイアリーの話を書こうとしたが、まずその前に時間の観念の話を書くべきたと思った。というのは、ある種の手帳は、その手帳がつくられた文化の時間の観念をもとに作られているからだ。

異文化コミュニケーションの世界では、「時間の観念は、それぞれの文化に固有なもの」とされている。(もちろん同じ文化でも個人差はあるが、全体的な傾向はある。)時間の観念の分類にはいろいろな尺度がある。例えば、「長期志向・短期志向」とか、「過去志向・現在志向・未来志向」などである。

この記事でとりあげるMタイム(M-time)、Pタイム(P-time)というのも、こういった時間の観念の分類のひとつだ。これは文化人類学者、エドワード・ホール (Edward T. Hall) が"Beyond Culture" (『文化を超えて』)で取り上げたものだったと記憶している。("Beyond Culture"の表紙の絵が、日本人にとって中身の信頼性に影響を与えかねないものであることは、残念だ。怪しい表紙だ。)

MタイムはMonochronic Time(単一的時間)の略である。Mタイムの時間観念を持つ文化の人間は、物事というものは1つずつ順番に起こると考える傾向がある。行動パターンとしては、一度にひとつのことのみに集中する。

PタイムはPolychronic Time(多元的時間)の略である。Pタイムの時間観念を持つ文化の人間は、複数のことが同時に起こるものだと考える。行動パターンとしては一度に多くのことをする。(おお、マルチタスク。)「タイミングがよい」、「チャンスが巡ってくる」と考える人間は、このPタイムの時間観念を持つ人間に多い。

MタイムとPタイムでは、スケジュールと人間関係において、反対の考え方をもつ。Mタイムの人間はスケジュールを人間関係に優先し、Pタイムの人間は人間関係をスケジュールに優先する。

まとめてみるとMタイムの人間の行動と考え方は:

  • 一度にひとつのことだけに集中する

  • 相手との関係よりもスケジュールを優先する

  • 予約は厳密に守る。あらかじめスケジュールをいれ、遅れずに行なう

  • 物事が最初の計画どおりに進むことを好む


それに対してPタイムの人間の考え方と行動は:

  • 二つ以上のことを平行して行なう

  • スケジュールよりも相手との関係を優先する

  • 予約はアバウトなものであり、重要な相手に「時間を与える」ことのほうを優先する

  • 相手との関係がもたらす結果に従うのを好む


さて、M時間・P時間に基づく日本人の時間の概念はどうだろう。

「日本人は時間に正確」といわれる。でもこれは、一見正確なだけのことだ。9:30am~11:00amまでの予定だったミーティングは、進行状況によっては11時を30分過ぎても終わらないかもしれない。無理やり、1時間半で終了させようとすると、検討課題として次回に再討議という議題が出てきたり、別途ノミニケーション等のインフォーマルな接触で情報交換をしなければならなくなる状況も生まれうる。

これがアメリカ人のビジネスマンとの会議だったら、議題が3つある11:00amまでのミーティングは絶対に11:00amまでに3つを議論して、決定事項を出さなければならないプレッシャーにさらされる。会議の始めに「終了時間は11時、議題は3つ」と明言して、時計をにらみながら議事を進行していく。米国のビジネスは、厳密なM時間で進む。

一般的に英語圏はM時間、アジア、ラテンアメリカ、アラブ世界などはP時間といわれている。日本人は、表面上はM時間だが実は根は人間関係重視で、相手に時間を与えてナンボのP時間なのだと思う。そりゃあ相手の話の途中で「失礼、次のアポイントメントがありますので…」と引き上げてしまったら、先様との関係を悪くするだけだ。取引先になりそうな会社の社長の自慢話は、自分がいかに忙しくても予定していた時間を時間を超過しても、耳を傾けてあげないと、「こいつはなかなかの好青年だから、ひとつ注文をまわしてみようか」とは、思ってくれなさそうだ。

ところで、なぜ手帳とダイアリーの前にこの話を書いたのかというと、わたしの使っている手帳のひとつがフランクリン・プランナーだからである。使っている方はおわかりの通り、このプランナーはM時間の観念をもとにつくられている。しかし、日本人の根っこにP時間があるとすると…

では、手帳の話は次の記事で…


学校の防犯グッズ:サスマタ、防犯スプレイ等)

2005-02-22 21:53:41 | 日記・エッセイ・コラム
大阪寝屋川中央小学校の3人殺傷事件により、小学校・保育園・幼稚園などの防犯用具としてクローズアップされているサスマタ


サスマタは今でこそ防犯グッズのひとつになっているが、もともとは

さす-また【刺股・指叉】
江戸時代、罪人を捕えるのに用いた三つ道具の一。木製の長柄の先端に鋭い月型の金具を取りつけた武器。喉頸(のどくび)にかけて取り押える。
(広辞苑第五版)


という、けっこう恐ろしげなものである。そのせいかわたしのサスマタに対するイメージは悪く、「先生方がサスマタをもって防犯訓練をした」とかいうニュースを聞くと、かの時代の女学生たちが槍や薙刀(なぎなた)をもって「一人一殺」に励んだ軍事教練を、思い浮かべてしまうのだが…

こういう防犯グッズはいくら用意していても、たまに訓練をして使い方を確認するぐらいではだめだと思う。日常的に訓練して、どのように扱うと相手にどのようなダメージを与えるのかを、体で覚えるぐらいの状態にしておかなければ、イザというときに使えないのではないだろうか。

たとえば、わたしが小学校教師だと仮定しよう。いま暴漢が学校に乱入してきたので、わたしはサスマタを手にした。サスマタの使い方は、すでに訓練でやったことがある。

しかし、わたしはここで迷う。自分のありったけの力でサスマタを使うべきなのか? それとも多少は力を加減しないと大変なこと(過剰防衛)になるのか? 不運なことに、わたしは取っ組み合いのけんかをした経験が乏しい。そのため、どのぐらいのことをすれば、相手にどの程度の身体的ダメージを与えるかの感覚が、わたしの頭の中には存在しない。

そこで、仮に「サスマタ使用時には、ありったけの力で相手を押さえ込め」と教わっていたとしよう。でもわたしは「暴力はいけない」と教えられてきたし、そう信じてもいる。だからありったけの力を出すべきことは頭ではわかっていても、日ごろの身についた倫理観が「手加減しないで相手に立ち向かう」ことに対してジャマをするかもしれない。

ところで、学校よっては防犯スプレーを設置しているらしい。実は、わたしもトウガラシ成分が主体の防犯スプレー(ペッパー・スプレー)を持っている。このスプレーをまちがって一度、自分の部屋で0.5秒ぐらい撒いてしまったことがある。クマ避け兼用のスプレーだけあって強力で、自分のほうにむけて噴霧したわけではないのに、喉と目は痛いは、咳は止まらないはで、ひどい目にあった。

この防犯スプレーは噴霧の仕方がけっこうむずかしい。製品によって噴霧範囲や距離に違いがあるからだ。だからこれも実際に噴霧する訓練をしないと、有事の際に上手く使えないものだ。

さて、防犯スプレーを自分のバッグに入れるときに、わたしが恐れていることがある。「わたしが何かで逆上してしまったときに、この防犯スプレーを相手に向けてしまう可能性はないか?」ということだ。米国では逆上した女性がペッパースプレーを相手の顔にかける事件が多い。つまり防犯のためのグッズは、凶器になる可能性があるという事実だ。

このことは、防犯グッズを設置した学校なり保育園なりにもいえることだ。

同僚とケンカした教師が、相手に向かって備えつけの防犯スプレーを食らわすかもしれないし、教師の誰かが学校への不満からサスマタを振り回したあげく、教頭の首を押さえたなどということになりかねない。いや、下手をすると児童が他の児童や教師に、それをするかもしれない。先生が児童に使う可能性も0とはいえないし、児童の父母が教師に使うかもしれない… そんな可能性を考えていたらキリがない。

だからといって、そういった事態を恐れて防犯グッズを鍵のかかる場所に厳重保管していたら、イザというときに役立たない。悩ましいところだ。

やっぱり、学校や保育園の防犯は、ある程度は専門の警備会社の人員を入れて、彼らに任せたほうが良いだろう。先生がサスマタを扱う訓練している姿は、ひんぱんには見たくはないし…