巣窟日誌

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再就職「支援」か「指導」か「斡旋」か? "outplacement" という言葉の日本語訳

2005-10-31 23:26:47 | 経営・人材育成
"outplacement"

ロングマン英英辞典によれば "a service that company provides to help its workers find new jobs when it cannot continue to employ them" (企業がその従業員たちを雇用し続けられなくなったときに、彼らが新しい職を見つけるのを手伝うために提供するサービス)である。(下手に意訳すると、意図的に意味を改変したと誤解されかねないため、直訳ですみません。)

"Outplacement"という西洋由来のサービスの名称の訳語については、以前は「アウトプレースメント」(または「アウトプレイスメント」)ということばと、「再就職支援」ということばの両方が使われていたが、最近は「再就職支援」という言葉で定着してきてたようだ。この再就職支援のサービスは、通常は外部の専門業者によって行なわれる。

では、再就職支援業者は、いったい何をやるのだろうか?

たとえば、最近経営が芳しくないフクシマ総業が、1,000人規模のリストラを行った。不幸にしてリストラの対象者になってしまった人たちのために、フクシマ総業は再就職支援会社A社に対して「当社の元従業員たちの、再就職の支援をよろしく」とお願いしてお金を支払う。こうしてフクシマ総業の元従業員たちは、A社から再就職支援のサービスを受ける。お金を支払うのは元雇用主、再就職支援サービスの提供者は再就職支援業者、サービスを受け取るのは元従業員たち(彼らは「サービスを受け取る人」という意味で「クライアント」と呼ばれる)というわけだ。

再就職支援業者が提供するサービスの種類には、メンタルヘルスケアから、職務経歴書の書き方・求人広告の見方といった再就職に必要な具体的なノウハウのから、求人情報の提供までといろいろあるが、幅広いサービスのどこに力をいれているのかは業者による。

たとえば、ある再就職支援会社は、失業してどっぷり落ち込んでいる(あるいは逆に、職を失なうというとんでもない状況に直面してユーフォリックになってしまっている)クライアントのメンタルヘルスケアに力を入れているし、別の会社はとにかくクライアントの再就職先探しに必死になっているだろう。

どちらかというと、お金をはらう企業が再就職支援会社に期待するのは後者のほう??つまり再就職先斡旋機能のほうだ。というのは日本の大手企業の多くには、昔から「第二人事部」とか「セカンドキャリア支援室」といった、一定以上のレベルの年配の従業員の子会社や関連会社への出向・転籍を扱う部門があり、その部分のアウトソーシングと考えれば、再就職支援業者は「転籍先を探す機能」を代行しているようなものだからである。

また、定年後も働きたいと思う人も多い日本人のことだ。「とにかく仕事がなければ」ということで、クライアント側も、再就職先の斡旋を期待する声が多い。

上記のような理由もあって、現在では再就職支援会社の多くが人材紹介業の免許も持っている。

また、日本での再就職支援業の黎明期に、人材紹介会社や人材派遣会社が「人材紹介業・アウトプレースメント型」と位置づける報告書を出したりしていることもあって、再就職支援業は人材紹介業と混同されることも多かった。再就職支援業に対して、「再就職斡旋業」という訳語も当てられたこともあったのは、これらの「人材紹介」「再就職先紹介」の機能が強調されてきた事情にもよるのだろう。

しかしこの業界の老舗の国際団体であるACF International (Association of Career Firms International) は、かつては会員企業に対して、再就職支援業と人材紹介業の兼業を禁止していた。その理由は「再就職支援業者が人材紹介業者を行ってしまうと、自らの人材紹介部門から仕事を見つけさせようとするため(つまり再就職支援の対価と人材紹介の対価を両方とももらおうとするため)、サービスを利用する人間の選択の幅を狭めることになり、結果的に本人の利益にはならない」というものだった。(この業界団体のURLがwww.aocfi.orgなのは、かつてはAssociation of Outplacement Consulting Firms Internationalだったからである。) 時代は変わり、今は兼業してもよくなっている。

さて、この記事を書いている理由は、昨日の朝日新聞の求人欄に、某再就職支援会社による「再就職指導コンサルタント」の募集があったからだ。

「支援」ではなく「指導」。この言葉に考え込んでしまった。

支援:ささえ助けること。援助すること。
指導:目的に向かって教えみちびくこと。
(広辞苑第五版より)


前者にはクライアントの横に寄り添っているようなイメージが、後者にはクライアントの前に立って正しき道のガイドをしているようなニュアンスを感じる。

この業界のコンサルタントについて与えるタイトルとしては、どちらが適切なことばなのだろう。

キャリアの自己責任が言われるようになった時代だ。あくまでキャリアを決めるのは本人という考え方がある。自分の適性、やりたいこと、これまでやってきた仕事やそこから得たスキル、今後のキャリアプランなどを考慮して、自分にもっとも相応しい再就職先を見つけるべきだ。??この考え方は正しいだろう。そしてこの考え方にのっとれば、アウトプレースメントのコンサルタントがやるべきことはあくまでも「支援」だ。

しかしその一方で、自分の好みや適性にこだわっていては、いつまでたっても再就職は無理だから、とにかく雇ってくれる会社ならどこでもいいから入社して、与えた仕事は得意/不得意、経験/未経験にかかわらず何でもやって、その会社に溶け込むように努力すべき、という考え方もある。それに日本企業の場合、ある特定の職務の採用で入社したとしても、その後の人事異動で別の職務に回されることもあるのだから、入社時に特定の職務にこだわってもあまり意味がない場合も多い。「適性が…」「わたしが本当にやりたいことは…」と、いつまでも迷って再就職先がなかなか決まらないクライアントに対して、コンサルタントが「あなたはこうすべきだ」と(時にはクライアント本人の意思に反して)具体的な道を指し示すことも必要かもしれない。こう考えるとコンサルタントは「指導」の役割が大きくなるのだろう。

支援か? 指導か?

そういえば、かつてわたしが勤めていた再就職支援会社にいた年配のコンサルタントは、「クライアントを背負った自分が、険しい山を登っている」絵を、自分の職務のイメージとして描いていた。これは「支援」ではなく「指導」だろう。この会社の地方の支店の別の年配のコンサルタントは、「妻が地元で仕事をもっているので、この地で再就職したい」と述べた男性のクライアントに対して、「男なら東京を目指さなければだめだ」といったらしい。これも…まぁ…指導だ…

わたしはといえば、「支援」していたつもりだ。というのは、わたし自身が会社に自分の職業を勝手に決められるのを、ひどく嫌っていたからだ。


一般家庭における「間取りソフト」の功罪

2005-10-29 23:02:36 | 日記・エッセイ・コラム
家の建て替え(詳しくは「F(S)家の建て替え記録」を参照)に向けて、間取りソフトを買った。わたしが買ったのではなく家族が買ってきたのだが、「3DマイホームデザイナーPRO 4」というやつだ。一般家庭向けの「3Dマイホームデザイナー 2005」ではなく業務用を買ったのは、ITエンジニアである購入者の趣味だろう。

家を建てようという人が「間取りソフト」に分類されるソフトウェアを買うのは、ふつうはこれから間取りを決めようというときだろう。しかしわが家ではこのソフトを買った時点で、すでに間取りは9割以上決まっていた。

それでも間取りソフトを買ったのは、主に家具の配置を決めるためだ。そしてもうひとつ、家づくりにあたって、自分たちの心理的な盛り上げを図ろうという目論見もあった。なにしろ短期間で契約をしたせいか、もとから建て替えの意欲満々だった母以外は家造りに対する意欲がいまいちだ。そこで、具体的な3Dイメージでもあったら、きっとやる気が出るに違いない…

しかし、間取りが決まったあとでも、間取りソフトは有効だ。

まず、壁紙や床材などをペタペタ貼ったあと、いまある家具のうち新しい家に持っていくもののサイズを正確に測って、間取り図の中に配置する。既存の家具を間取り図の中におさめてしまえば、新しく買わなければならない家具について、どのぐらいの大きさでのようなデザインのものを選ぶべきかについての見当を、それなりにつけることができる。

家電製品などもすべて配置すれば、コンセント、テレビ用アウトレット、電話用アウトレットといったものが、どの位置にいくつ必要なのかが具体的に見えてくる。

しかし、欠点もある。

今回最大の欠点(というか失敗)は、母がわたしの作業を見ていて「どんな間取りでも、ソフトで作れるならば、実際に作ることも可能」だと思いはじめてしまったことだ。「間取りが決まる前にこのソフトを買っておけば、どんな間取りにでもできたのに」と、最初にソフトのパッケージを見て言われたときに、内心「これは厄介なことになるかもしれない」と思ったのだが、そのとおりになった。

家の間取りは、画面上(あるいは紙の上)ではどうにでもなる。しかし工法や耐震性等を考えると、実際に実現可能な間取りは限られる。しかもわが家はセキスイハイムのユニット工法で建てるのだから、制限はかなり多い。家の広さはユニットを単位として大きくしたり、小さくしたりしなければならない。が、画面上では自由に間取ったものがきちんと3Dでビジュアライズされるだけに、よけいに実現性があるものと錯覚しやすくなるのだ。

で、こんな会話が交わされることになる。

母「もう少しお金がかかってもいいから、あと20cmぐらいずつ北側と西側を広げてもらって」
わたし「そりゃあ、無理だよ」
母「なんで、できないの? このままじゃ、玄関がすごく狭いのに」
わたし「ユニット単位で増やさないと。ハイムを選んだ以上は仕方がないよ」
母「簡単に広げられないの? じゃあなんでハイムを選んでしまったんだろう。(この時点で、ハイムを選んだ理由を忘れている)」
わたし「工期の早さと耐震性で選んだんじゃじゃないの。お母さんも賛成したでしょ」
母「それじゃあ、『少しだけ広げる』ことはできないの? そんな…」

上記のような会話が繰り返され、そのたびの母は落ち込んで眠れなくなり、わたしも疲れる。どうやっても母を納得させられないからだ。

ghostとはいえ、間取りソフトは非常に役立っている。間取ったあとに立体化して、家の中をバーチャルに歩き回るのは楽しい。部屋のドアや窓だけではなく、冷蔵庫のドアまで開けることができるのには感激した。

しかし、ソフトにバグが多少はあるらしい。ダイニングのペンダントライトの上にラジカセが乗っかって、取れなくなってしまった。ペンダントランプを消去しても、ラジカセが同じ場所で空中に浮いている。

…データ上は存在しないラジカセのゴースト。ちょっとしたミステリー



『銀色の恋人』 The Silver Metal Lover

2005-10-28 21:38:33 | 映画・小説etc.
2週間前、知り合いの1人がわたしからタニス・リーの『銀色の恋人』(ハヤカワ文庫・絶版)を借りていった。この知り合いが借りていった理由は、「末次由紀の『Silver』に似ていると聞いたので、検証のため」

末次氏については、名前のみ知っていた。以前に別のタニス・リーファンが『銀色の恋人』をパクった作品がある」と怒っており、そのときにすでに発売されていた単行本を読んだからだ。

『銀色の恋人』 ("The Silver Metal Lover (1981))"は、ロボットと人間の少女の悲恋物語。人間とロボットの悲恋物語はありきたりな設定で感傷的なストーリーだが、それを名作にしたのは、ひとえに当時最高に脂が載っていたであろうリーの筆致による。この作品に最近"Metallic Love"という続編が出たことは、以前の記事にも書いたとおりだ。

『銀色の恋人』のストーリーは、あまりにも少女漫画的だ。実際にリーがこの作品を発表した後に、海の向こうではこの小説にもとづく少女向けコミック版も出版されている。そして、日本版がハヤカワ文庫から発売された後、かつて漫画家志望でSFマニアであったわたしの回りでも、仲間の何人かがこの作品に影響を受けすぎた漫画や小説を書いたものだ。

ところで、末次氏の『Silver』だが、確かに「影響を受けた」以上の影響に似ていると思う。それだけでは盗作とはいえないが、パクリの印象を決定的にしてしまったのは、ロボットの名前を「銀」にしてしまったことだろう。

『銀色の恋人』に限らず、タニス・リーは少女の目を通した1人称のストーリーを書かせたらうまい。『アザー・エデン』(ハヤカワ文庫、絶版) ("Other Edens") に収録されていたリーの短編「雨にうたれて」(Crying in the Rain) を読んだときは、「こんな作品がすでに存在しているなら、わたしは間違っても物書きにはなれないだろう」と思ったものだ。

Silver_1ところで知り合いは当分本を返してくれないらしい。メールには「はまり込んだ」とあった。いいよ、いいよ、しばらく貸しておくよ。実は、わたしは『銀色の恋人』を2冊持っているのだから。(こっちは保存版なので、他人には貸さないよ。)

さて、ここまで書いたのだから、『銀色の恋人』をキーワードとしてこの記事にたどり着いた人のために、シルヴァーはどのようにハンサムだったかを、本の表紙で検証しておこう。

まずは、日本版の川原由美子氏の表紙なら、は多分日本人のほとんどは受け入れると思う。残念ながら絶版で入手するのは難しいのだが、少女漫画を好きな人なら、機会があれば一度読んでみてほしいと思う。

次に西洋版。(ここより画像つき)

右の画像の1番上は最近入手可能な英語のペーパーバック版で、続編 "Metallic Love" と同じイラストレーターの手によるものだろう。これは日本人の美的感覚からいくと、ぎりぎりの許容範囲。だけど胸毛には評価が分かれるに違いない。胸毛が描かれているのは、原作に胸毛の記述があるからだと思われる。

2番目は、どこにでもいそうな赤毛のニイチャンではないか。「変なおクスリのせいで顔色が悪い」だけの。

3番目は、ああ、オバサンみたいな髪型が変だ。あなた、永遠に歌でも歌っていなさい。

そして、4番目が、Trina Robbinsによるコミック版だ。ああ、これはいけない。絶対にいけない。しかし、西洋ではやはり美形の条件が「ほお骨」だと再認識した。

はい、コミック版のシルヴァーだけをアップ。ほお骨を確認してほしい。↓
Silver_2


「ネコ」ポリス その60

2005-10-24 18:15:08 | ノラネコ
cats_60朝早くから席取りでひと悶着あったが、めでたくS席を獲得した2匹。わが家の2つの濡れ縁を1つずつ占有。奥はキリリ、そして手前は…、うーん、あまり庭ではお見かけしないお顔だが。

席取りに負けたネコたちのうちの1匹はゴキリョウ。「ちぇっ」という顔ですごすごと去っていった。君にはいつもの屋根の上かベランダを提供しよう。


火葬とフィリピン人メイドの話

2005-10-22 19:29:40 | ニュース
タリバン兵士:米兵が遺体焼く、豪テレビ放映 米軍捜査へ

…(略)…

イスラム教では遺体は土葬され、遺体を焼く行為はジュネーブ条約に違反する可能性が強い。アフガン駐留米軍は19日、「米統一軍事裁判法に基づき適正な措置を取る」と刑事訴追の可能性を示唆した。
[2005.10.21] 毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20051022k0000m030055000c.html



遺体を焼く習慣がなく文化の人間の遺体を焼くことは、とんでもない冒涜になりうる。

たとえば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はルーツが同じため、これらの宗教には共通した終末思想がある。これは、終末の日に天使(キリスト教ではガブリエルが、イスラム教ではイスラフェルが吹く)がラッパを吹くと、すべての死者が生前の姿で復活し、神による「最後の審判」が行われる。そしてここですべての人間が善人と悪人に分けられ、善人は天国へ、悪人は地獄へと、送られることになる。

この最後の審判のための復活にからんで、「火葬されてしまうと灰になってしまい、復活の日に必要な体がなくなってしまうので困る」と考える人たちが、世界中にかなりいる。同じキリスト教徒でも、プロテスタントを中心に火葬もOKの人たちもいるので、一概に「XX教徒だから、絶対に土葬」とはいえないが。

この「火葬をしない」ことに関しては、仕事がらみの強烈な経験がある。かつて某外資系証券の人事部に勤めていたときのことだ。

ある日、ドイツ人のエクスパット(=expat、expatriateの略。国際企業において、本社より直接の指示をうけて現地法人や海外支社などで働く管理職で、現地従業員や現地の管理職たちよりも強い権限を持っている。日本ではエクスパットは、家賃が最低でも月100万円以上のエクスパット専用住居に住んでいて、もちろんその家賃は企業もちだ)がやって来て、「妻が妊娠したので、フィリピン人のメイドを雇いたい」と、わたしに告げた。

こういう場合に、欧米系のエクスパットが欲しがるメイドは、フィリピン人と決まっている。英語ができるし、安い賃金ながら住み込みでよく働くからだ。しかし、いくら「安い」といっても、日本ではあまり安い金額で雇用することは禁じられている。それに安い賃金だと、最低賃金は満たしていても、ビザがおりない可能性がある。

そこで、この証券会社が使っていたエクスパットに渡すためのフィリピン人のメイドの契約書の雛型では、月給を15万円としていて、メイドを雇いたいエクスパットは例外なくこの金額で契約していた。かなりの重労働と時間的な拘束のわりには、15万は安い。でも、シンガポールあたりでフィリピン人のメイドを雇うと、実は2万円足らずで雇えたらしい。シンガポール駐在後日本へ転勤になり、シンガポール駐在時に雇っていたフィリピン人のメイドも一緒に連れてくるエクスパットにとっては、15万は高い金額に感じられたに違いない。

「メイドを雇いたい。」

日本駐在のエクスパットがメイドを雇うこと自体については、このドイツ人自身がメイドの保証人になるべきものなので、会社には無関係だ。しかし日本語の書類も揃えなければならないので、実際にはエクスパットが働いている企業がそれを手伝うことになる。

それに、彼のビザ(査証)のステータス(種類)のままでは、メイドのビザの保証人にはなれなかった。ドイツ人の管理職である彼のビザのステータスは「企業内転勤」、別の証券会社に勤めるアメリカ人の妻(やはり管理職)のステータスも「企業内転勤」だった。そして、彼等がメイドを雇うべくメイドのビザの保証人になるためには、夫婦どちらかが「投資・経営」という、大企業でもそう何人もが持てないステータスの高いビザをもっていなければならなかった。

そこで、まず彼のビザを「投資・経営」に変えることに奔走し、彼が投資・経営ビザを獲得するのと同時に、彼とメイドの間の雇用契約書を持ってきてもらった。このメイドのフィリピン人が日本での労働査証をもらうためには、この雇用契約書のコピーと、契約書の日本語訳が必要だったからだ。もちろんあらかじめ、会社がいつも渡しているメイドの契約書の雛型を、あらかじめ手渡してあった。

わたしは、彼が他のエクスパットと同じように、雛型とまったく同じ文面の、月給15万円の契約書を持ってくると思っていた。しかし違った。雛型よりももっと詳細な文面の契約書を持ってきたのだ。

そして、その契約書には "cremate"という、通常はメイドの雇用契約には現れないであろう単語が書かれていた。この単語は「火葬にする」という意味だ。

この契約書の中は、このメイドが日本で死亡した場合、雇用主が遺体をどのようにすべきかの条項があったのだ。正確な文章は忘れたが、もしメイドが死亡した場合には、「遺体は火葬にせず棺に納め、被雇用者の荷物とともに雇用主の費用負担でフィリピンに送ること」という内容の文があった。

雇用主となるドイツ人とアメリカ人の夫婦と、その家で働くことになるメイドのフィリピン人の間で、どのような話があり、どのような経緯でこのような文が入ったのかはわからない。もともとドイツ人とアメリカ人という異文化カップルだったために、文化による習慣の違いということに、敏感だったのだろうか。それとも、メイドとなるフィリピン人がどこかで「出稼ぎに出たフィリピン人が現地で死んで、そのまま火葬された」という話を聞いていたのであろうか。(フィリピンは世界に名だたる人材輸出大国で、多くの労働者が海外で働き、故国へ送金している。)

わたしは、「メイド」(契約書では"housekeeper")という家事サービス労働の契約書に、「火葬」とういう単語が出てきたことにショックを受け、ついでにそのメイドの月収が25万で、そのほか、雛型には書かれていなかった色々な手当てがついていることにもびっくりした。

「フィリピン人なら安く雇えて便利。」そう考えているのがミエミエのエクスパットばかりを見てきたわたしは、通常より良い労働条件を提供するのみならず、相手の文化や習慣まで考慮した契約書を見て、正直目頭が熱くなった。

「あなた、なんて良い人なのよ~!」 わたしはそう叫んでこのドイツ人に抱きつきたい気分だったが、実際は「ありがとう」と冷静に言って、この契約書を預かっただけだった。だって、こんな長文のイレギュラーな契約書を持ってこられたら、実際にはわたしの翻訳の作業量が増えるだけだし…

ええ、気合を入れて翻訳させていただきましたとも。