母が介護老人保健施設(老健)から特別養護老人ホーム(特養)に移って、2ケ月が過ぎた。要介護5になった母は、当初は環境の変化になじめずに大変だった。症状がどんどん進行していってしまったために結局3年もお世話になってしまった老健では、夜眠れず、3年間毎日睡眠薬を飲んでいた。特養に移ってから1ヶ月は、睡眠薬を飲んでも眠れない夜が続いたと聞いた。
仕事がない日は必ず母に会いに行ったが、当初は全く笑わず、私を見るといつも泣きそうな顔をして、脈絡なく「いやだ、いやだ」と言い続けた。(母は意味性認知症で、話せる言葉が本当に限られているため、どんなことが嫌なのかを聞いても答えは返ってこなかった。)少しずつ笑うようになったのは1ヶ月が過ぎてからだ。
本日、母のきょうだいと一緒に面会に行くと、母は満面の笑みを浮かべて、自分の70代の妹や義妹(60代)に「かわいい」を連発していた。私は母の少なくなった語彙の中に「かわいい」が残っていることにびっくりした。面会中、母は本当に楽しそうだった。
そして最近では、睡眠薬無しでも、母は眠れることもあるのだと聞いた。
特養のある場所は、自宅の場所と同じ板橋区内だ。どちらも元農家が多かった地域だ。しかも特養の周囲には、自宅の近所よりも昔の板橋の面影を残っているところがあって、私ですら懐かしい気分になる。母のきょうだいたちも「このあたりは昔の自宅の周りの雰囲気に似ているところがある」と言っていた。
まだ、母が新しい環境に慣れず混乱した状態だった時に、特養の周りを散歩したさいには、母は外に出ること自体を怖がって周囲の様子を見ることができなかった。
もう一度母を散歩に連れて行ってみるつもりだ。母は、特養の周りが昔の自宅の周囲の雰囲気に似ていることを、感じることができるだろうか。
仕事がない日は必ず母に会いに行ったが、当初は全く笑わず、私を見るといつも泣きそうな顔をして、脈絡なく「いやだ、いやだ」と言い続けた。(母は意味性認知症で、話せる言葉が本当に限られているため、どんなことが嫌なのかを聞いても答えは返ってこなかった。)少しずつ笑うようになったのは1ヶ月が過ぎてからだ。
本日、母のきょうだいと一緒に面会に行くと、母は満面の笑みを浮かべて、自分の70代の妹や義妹(60代)に「かわいい」を連発していた。私は母の少なくなった語彙の中に「かわいい」が残っていることにびっくりした。面会中、母は本当に楽しそうだった。
そして最近では、睡眠薬無しでも、母は眠れることもあるのだと聞いた。
特養のある場所は、自宅の場所と同じ板橋区内だ。どちらも元農家が多かった地域だ。しかも特養の周囲には、自宅の近所よりも昔の板橋の面影を残っているところがあって、私ですら懐かしい気分になる。母のきょうだいたちも「このあたりは昔の自宅の周りの雰囲気に似ているところがある」と言っていた。
まだ、母が新しい環境に慣れず混乱した状態だった時に、特養の周りを散歩したさいには、母は外に出ること自体を怖がって周囲の様子を見ることができなかった。
もう一度母を散歩に連れて行ってみるつもりだ。母は、特養の周りが昔の自宅の周囲の雰囲気に似ていることを、感じることができるだろうか。