この歳になると、おめでたい話よりも、人を見送る話のほうが多くなる。天寿を全うした方もいれば、病気で亡くなった方も、事故で亡くなった方もいる。
死を自ら選ぶ人もたまにいる。日本はキリスト教の教義のように自殺を罪とする考え方は薄く、それよりも歴史的に見れば「切腹」があり、「生きて虜囚の辱めを受けず」で敵に捕まるよりは自決を推奨するなど、自殺という行為に対するハードルが、キリスト教文化圏よりは低い。わたしだって、死を考えることは結構ある。
だが、Kさんが自ら死を選んだことは、わたしにとっては衝撃だった。
Kさんは、私と同世代の男性で、数年前に数か月だけ一緒に働いた。職場が変わっても、同時期に同じ会社で働いていたもう一人とKさんとわたしの3人で、ときどきメールで連絡を取り合い、1年に1回から2回、飲み会を開いた。3人の共通点といえば、英語系の仕事をしていること。そして、いろいろと転職経験があること。
Kさんは、彼を知る多くの女性が言うように「男にしてはいい奴」だった。これは女よりも男のほうが優れているという意味ではなくなく、女性がしばしば「結局、男って○○なんだから」とあきれ顔でいうような、女性があまり好きではない多くの男性に共通する「○○」の部分が、Kさんにはなかったということだ。ある意味で女性的だったともいえるが、男性がしばしばいうような「「女っていつも△△だから」、の「△△」にあたる部分もなかった。
Kさんは、いつでもニコニコしていて、ポジティブで愉快だった。「これからも、半年か1年に一度ぐらい会おうよ。」と、Kさんはいつも言っていた。今年はたまたま新年会ができず、桜の季節も忙しくて花見の宴をひらく機会も逃してしまったところ、6月に訃報が入ってきた。
今年1月に来たKさんからの最後のメールはいつも通り陽気なもので、「また三人であってキャッチアップしましょう」「風邪に気を付けて日々をエンジョイしてね!」とあった。それからわずか数か月のうちに、Kさんは自分で死を選んだ。Kさんに何が起こったのかは知らない。わかっているのは、Kさんのご家族にとっても彼の選択が予測不能だったということだ。
新年会をしていれば、あるいはどんなに忙しくても、花見を企画していれば、そしてそこでKさんの話を聞いていれば、何か状況は変わっただろうか? わたしは、いまでもそれを考えている。
そしてKさんはSNSや動画投稿サイトを頻繁に活用していたため、ネット上のあちらこちらに、Kさんの痕跡が、まるで彼が生きているかのごとく存在している。その痕跡を、わたしはたまに予想外の場所で見てしまうことがある。
わたしは、Kさんの死を消化できていない。
死を自ら選ぶ人もたまにいる。日本はキリスト教の教義のように自殺を罪とする考え方は薄く、それよりも歴史的に見れば「切腹」があり、「生きて虜囚の辱めを受けず」で敵に捕まるよりは自決を推奨するなど、自殺という行為に対するハードルが、キリスト教文化圏よりは低い。わたしだって、死を考えることは結構ある。
だが、Kさんが自ら死を選んだことは、わたしにとっては衝撃だった。
Kさんは、私と同世代の男性で、数年前に数か月だけ一緒に働いた。職場が変わっても、同時期に同じ会社で働いていたもう一人とKさんとわたしの3人で、ときどきメールで連絡を取り合い、1年に1回から2回、飲み会を開いた。3人の共通点といえば、英語系の仕事をしていること。そして、いろいろと転職経験があること。
Kさんは、彼を知る多くの女性が言うように「男にしてはいい奴」だった。これは女よりも男のほうが優れているという意味ではなくなく、女性がしばしば「結局、男って○○なんだから」とあきれ顔でいうような、女性があまり好きではない多くの男性に共通する「○○」の部分が、Kさんにはなかったということだ。ある意味で女性的だったともいえるが、男性がしばしばいうような「「女っていつも△△だから」、の「△△」にあたる部分もなかった。
Kさんは、いつでもニコニコしていて、ポジティブで愉快だった。「これからも、半年か1年に一度ぐらい会おうよ。」と、Kさんはいつも言っていた。今年はたまたま新年会ができず、桜の季節も忙しくて花見の宴をひらく機会も逃してしまったところ、6月に訃報が入ってきた。
今年1月に来たKさんからの最後のメールはいつも通り陽気なもので、「また三人であってキャッチアップしましょう」「風邪に気を付けて日々をエンジョイしてね!」とあった。それからわずか数か月のうちに、Kさんは自分で死を選んだ。Kさんに何が起こったのかは知らない。わかっているのは、Kさんのご家族にとっても彼の選択が予測不能だったということだ。
新年会をしていれば、あるいはどんなに忙しくても、花見を企画していれば、そしてそこでKさんの話を聞いていれば、何か状況は変わっただろうか? わたしは、いまでもそれを考えている。
そしてKさんはSNSや動画投稿サイトを頻繁に活用していたため、ネット上のあちらこちらに、Kさんの痕跡が、まるで彼が生きているかのごとく存在している。その痕跡を、わたしはたまに予想外の場所で見てしまうことがある。
わたしは、Kさんの死を消化できていない。