巣窟日誌

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参院選比例選で落選、自民・福本陣営事務所などを捜索

2007-07-31 07:30:00 | 政治と選挙
参院選比例選で落選、自民・福本陣営事務所などを捜索
[2007年7月30日 読売新聞]

落選したうえに、公職選挙法違反の疑いで調べられるなんて、福本陣営は泣きっ面に蜂だろう。

わたしの家族の下にも公示前に、福本氏の後援会の勧誘の手紙が来た。大学の同窓会の名簿を使って送ってきたものらしい。記事にある東北福祉大の野球部OBに宛てたものと同様のものかどうかは不明だが、そのとき封筒の中に入っていたのは以下のようなものだ。

  1. 内容は手紙の発信人は福本氏の人となりを褒めたもの。(ただし、手紙の右肩に囲み文字で「事務連絡」ある。) 差出人は受取人であるわたしの家族の出身大学のOBで、福本氏の親戚筋にあたる人らしい。

  2. 福本氏の後援会入会を促す三つ折チラシ

  3. スポーツ報知の「桑田投手の元運転手 参院選に出馬」http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20070511-OHT1T00094.htmの記事のコピーを添付。(事前運動となってしまうことを避けるため、どの選挙に出るかは手紙の中では触れられていないが、その代わりにこの記事でどの選挙に立候補するかが一目瞭然。)

  4. 参院選の比例代表の投票の仕方を説明した紙を同封。「今年の夏に行なわれる参議院選挙は…」とあるが、福本候補と「今年の夏に行なわれる参議院選挙」を直接はリンクさせないように、これも右肩に囲み文字「事務連絡」とある。


公示前の「政治活動」で立候補予定者の後援会への参加を呼びかけるさいには、事前運動になってしまわないように、表現を上手く工夫することが必要になる。手紙を送った先に対立候補の支持者がいるかもしれないし、そうでなくてもこのような違反を見つけ出してチクることを悦びとしている者も結構いるらしい。

が、特に新人候補の多くはそもそも知名度が低いために、どの選挙にどの選挙区から立候補をするつもりであるのかを、できる限り早く皆に告知したい。というわけで、後援会への勧誘のお知らせの中身は、差出人が熱心になればなるほど事前運動ともとれる表現となってしまいがちだ。

Way_of_voting実は同封されていた手紙の中でわたしが気になったのは、4枚目の「今年の夏に行われる参議院選挙」の投票の方法についてだった。(画像をクリックで拡大表示されます。)

もちろん比例区は党名を書いても候補者名を書いてもOKだ。しかし、候補者サイドとしては、党名ではなく自分の名前を書いてほしい。だから比例区の候補者のウェブサイトではその多くが投票方法の説明のページを入れ、そこで比例代表も個人名を記入するように促す。このような印刷物でも同様だ。

ただし通常はアリバイ的にファインプリントで、「政党名でも可」と入れておく。しかし福本氏の比例代表の投票方法の説明は、このファインプリント部分を潔く削除したあまりにも大胆なものだったので、捨てられずこの紙だけは取っておいたのたが。これって、いいのかしら。

それにしても「桑田投手の元運転手 参院選に出馬」という記事については、記事の見出し自体がこの候補にとってマイナスになるような気がしたのだが。


ファインプリント (fine print)
細字部分。契約書などの本文より小さな文字で印刷された注意事項。(契約書などに)隠された不利な条件。その文書を読む側が「見過ごす」ことを期待されている内容が書かれている部分である。



第21回参院選雑感

2007-07-30 12:28:43 | 政治と選挙
自民大敗・民主躍進

個人的には「自民には入れない。でも民主も信用できない」と感じる人たちが、右よりの人は新風へ、左よりの人は共産へ入れるのではないかと思っていたのだが、そういうものでもないことがわかった。やはり、政治の風向きの予想と骨董品(特に壷類!)の鑑定は、非常に難しい。

5人区のわが東京選挙区は大激戦だった。夜にカモミールティーを片手に、各TV局による選挙報道で成り行きを興味深く見させていただいた。候補者たちにとっては地獄だっただろうが、選挙権を行使する側としてはかなりエキサイティングだった。

自民党の丸川珠美氏が当選して保坂三蔵氏が落選したのには、正直びっくりしてしまった。

下馬評では、民主党の鈴木寛氏と自民党の保坂氏は「当確」と言われていた。保坂氏に関しては選挙期間に入ってすぐに、東京11区の衆議院議員の事務所から「選挙区は保坂三蔵、比例区は自民党をお願いします」とわが家に電話が入ったこともあって、「組織がためはがっちりしているな」という印象だった。ただ、ポスターはほとんど貼られていなかった。このあたりの近所で見かけた自民党の比例区のポスターは、自民党の比例区用の掲示板を除けば、尾辻秀久氏、川口頼子氏ぐらいだった。(余談だが、川口氏のポスターの色使いはわたし好み)

鈴木氏のほうは、ブッチギリで当選するか、少なくとも民主で1名当選するとしたらそれは鈴木氏だと思われていた感もある。だから民主党の大河原雅子氏がトップ当選というのには、正直驚いた。生活者ネットの力、恐るべし。

めでたく当選した川田龍平氏に関しては、一部で「自分がエイズだということを利用して立候補している」という陰口もたたかれたようだが、それは非難されるべきものではないだろう。誰もが自分のもっているものを土台にして立候補するしかないから。

たとえば「若さ」というのは利用できる武器だし、「母子家庭」「同性愛者」といった一般社会においてはマイナスの要素になりがちなものまで、または一般には仕事探しが難しい「子育て中」というのも選挙ではメリットになりうる。ついでに言えば「女である」ということが、当選に大きく貢献したりする。(「逆差別だ」と憤慨する向きもあろうが、政界がいまだ男社会だからこそ通用することだ。)

川田氏には自分が病気であるからこそ、独自の視点や訴えられる点があり、自分の体験を元にした彼の主張が有権者を動かすだけの説得力を持っていたということだろう。

比例区に関しては、6年前わたしがスタッフとして関わった比例区の自民党の議員も、無事改選されたらしい。全国区なので大変だったろうが、まずはおめでとうございます。大量に祝電がいっているはずで、このうえわたしが送ってもスタッフが余計に大変になるだけだろうから送らないけど、「祝電を送ったほうがいいんだろうか」と、朝一で母と話しあったりはした。(ちなみに、これから祝電を送るつもりの人は、スタンダードなカトレアの台紙でどうぞ。豪華な電報はあとで処理に困るので)

彼女は自民党比例区当選14人のうちの14人目に滑り込んだわけだが、やはり当選するのと落選してしまうのでは、天国と地獄の差がある。「参議院は年配者が多いし解散がないので、次点ぐらいに入っておけば6年の間に誰かが死んで繰り上がり当選になる」と言われていた時代もあったらしい。「60、70は鼻垂れ小僧」といわれたかつての政界なら通用したのかもしれないが、もはやそういう時代でもないので、どんな手を打ってでも確実に当選しておかないと。

今回の自民党の大敗については、赤城農相の一連のトホホな行動がトドメを差したのかもしれないが、根底には「格差」「年金」への不安・不満が相当たまっているのではないかと思う。それに「負担増」も。

「成長を実感へ」のスローガンは持てる者には結構かもしれないが、わが家は全員そのまえに「負担増を実感へ」になってしまった。わたしの住んでいるところはもともと農家だった家が多いので伝統的に自民党員が多いのだが、近所の自民党掲示板に給料日に近いタイミングで貼られた、あのスローガンを掲げた阿倍首相ポスターをみるたびに、「なんでこのタイミングで貼るんだ?」と怒りを通り越してあきれてしまったもんだが。

最近、昼間に池袋の地下あたりを歩いていて注意深くあたりを見回してみると、ネットカフェ難民やマック難民らしき人がちらほら見られる。女性も(若い女性も、中年の女性も)いる。彼らを見ていると胸を締めつけられるようだが、わたしにはどうすることもできない。他の多くの庶民と同様に、わたしもまた自分自身の生活を守るので精一杯だから。

ネットカフェ難民である彼らこそ、「格差」をどうにかしてほしいと切に願っているのだろうが、住所不定であるがゆえに投票券が来ない。あるいは実家に住民票がありそこに投票券が来ているかもしれないが、実家へ帰る交通費を捻出することができない。

わが家でも、負担増やら格差のせいですでに何回も悲鳴を上げおり、母などは区役所に負担増の額と理由を確認しにいこうとしたぐらいだ。しかしわが家は「東京に住んでいる」っていうことだけで、地方に比べたら恵まれている部分がたくさんある。つまり近くに病院がいくつもあるし、交通機関は発達しているし、雇用はある。

あとは、その病院や交通機関を有効活用でできるだけの資金があるか…という問題だ。あと、最低限度の生活を営むことができるだけのちゃんとした雇用が少ないってことも…


選挙期間2日目の、選挙ポスターの掲示状況

2007-07-13 12:48:03 | 政治と選挙
候補者のポスターは「誰か」が貼りにいかなければならないので、ここでは人員を速やかに動員して、いかに速やかに大量にポスターを貼ることができるかが勝負である。

以前にも書いたが、ポスターを印刷したのにそれを貼れるだけのマンパワーが確保できなかった場合、悲惨なことになる。大量に余ったポスターというのは案外場所をとり、さらには重さも結構あるものなので、処分が面倒だ。とくに候補者が落選した場合、ボランティアたちも蜘蛛の子を散らしたようにいなくなってしまうので、運悪く最後まで残ったスタッフが、最後の気力を振り絞ってポスターの処分の方法を思案することになる。(残ったポスターの束を処分するさいは、重いので腰を痛めないように気をつけてくださいね。)

2007_up_election_senkyoku


板橋区内の自宅の最寄り駅から自宅までの、3箇所の参議院東京選挙区の掲示場を見たが、無所属の川田龍平氏の出足が早いのが意外だった。そういえば川田氏を当選圏内とする予想もあったっけ。川田氏は3箇所とも貼ってあったが、2箇所に貼ってあったのが共生新党の黒川紀章氏。そういえば黒川氏は都知事選のときのポスターもこのあたりは場所によって貼ってあったりなかったりという状態だった。


比例区は選挙管理委員会による所定の掲示場がないために、自分たちで貼るところを探さなければならない。けれども、勝手に電柱などに貼ってはダメ。以前にも書いたが、変なところに勝手に貼ると「ばっかもーん。すぐにはがしに来い!」というクレームの電話が選挙事務所に入り、腕章をつけた選挙スタッフがはがしにいくはめになったりする。しかも全国を相手に選挙活動をしなければならないため、遠方からこの手のクレームが来るとかなりつらい。

2007_up_election_hirei

というわけで、こんな風↑に政党側が比例候補者用の掲示板を用意してくれると、候補者としてはとってもありがたいはずだ。写真の場所は地元のスーパーの真向かい。スーパーから出てくると正面に見えるという格好のロケーション。公平を期してか五十音順。

しかし最近の一連のTV番組における、首相のあの受け答えのありさまに失笑を禁じえない身としては、阿倍ちゃんの顔の入った「比例代表も自民党」のポスターが、この掲示板の効果を著しく損ねているような気がする。そう思っているのはわたしだけではないはずで、現にこの写真を撮る直前に、50代ぐらいの男性が、ポスターの阿倍さんの顔を睨みつけていたぞ。

それから指摘するのは心苦しいのですが、このポスターの中には「ご尊顔をイラストレーターでかなりいじくりました?」と聞きたくなるようなものがあるんですけど。(写真をいじるのは耐震偽装よりはましかもしれない…とは思いますが)


女性議員の出産

2006-10-18 07:28:00 | 政治と選挙
AERAの06.10.23号(No. 49)に、参議院比例代表区の与党の女性議員であるH氏が、最近3人目のお子さんを生んだことが書いてあった。

出産のこと、出産直前まで国会を休まずにいたことは知っていたが、産後すぐに復帰したことと命名のことは知らなかったので驚いた。

わたしは、女性の議員が出産し、きちんと産休をとり、育児にコミットしていくことに100%賛成する。が、現実を見ると、普通の職場でも産休は取りにくいのに、ましてや国会議員となれば「国会議員が国民の代表であるという意識が欠如している」「国会議員は一人の体じゃないんだから、産休をとるなら議員を辞めるべきだ」との風当たりもいっそう強くなるだろう。国会議員はただでさえ忙しいのだから、その批判を乗り越えて産んだとしても女性議員のその後の子育ては大変だ。

しかしながら、今回は別の視点で女性議員の出産・育児をとらえてみたい。女性の議員が子供を生むことが、選挙対策になり得るという観点からだ。


このH議員の前回の改選のときに、わたしはやはり同じ党から比例代表で出馬する女性の新人候補を手伝っていた。この候補を仮にA候補とする。既婚だがまだ子供はいなかった。

公示の直前、この政党の某県のある県議の後援会の会合に、この新人候補にもお招きの声がかかった。比例区は全国区であるが、党本部から各県連に「この県は比例区の○○候補をもりたてるべし」とのお達しが行くらしく、この県が助けるべき候補者はH氏とA候補だったのだ。だからこの会合には、本来ならA候補本人が出席すべきだったのだが。

「この日A候補は、別のところに出席しなければいけないので、あなたに代わりに出てほしいの。舞台に出て代理挨拶をしてね」

そう言われてわたしが最初に思ったのは、「なぜ、わたしが?」という疑問だった。働いていた大学の学期末とスケジュールがぶつかり、試験やらレポートやらで、時間的な余裕がなかったからではない。わたしとこの候補の関係は、「友人」だったからだ。

それまでわたしは、ベテランの元党員のスタッフから、選挙がらみで本人が出席できない場合に、候補の代理として出ていくべきは家族であり、配偶者、親子、兄弟姉妹でないと、効き目がないと聞いていた。

「大学院の学友ということで出席してね。あなたなら候補と同世代に見られるから、ちょうど良いと思うの」

A候補の場合、選挙期間の中盤にならないと家族がでてこなかったこともあるが、こちらの事務所が、「友人」を代理に出しても大丈夫だと判断した根拠があった。

その根拠とは、「H氏自身はその会に出席しない」という事前情報だった。現職でしかもその県在住のH氏と、無名でしかもその県とは縁もゆかりもないA候補のどちらを県民は応援するだろうか。ただでさえ分が悪いのに、H氏本人が会合にこちらが代理をたてたりしたら、かなり印象が悪くなる。有権者は1人1票しか持たず、「非拘束名簿方式」だ。つまり、各党の当選人数が決まった後、党内では個人名の多い順に当選するから、自分の名前を書いてもらわなければそれだけ当選から遠ざかる。同じ党からの出馬とはいえ、H氏とA候補はライバルの関係でもあった。

穴を開けるという最悪の事態は避けるために、わたしはA候補の代理として、とにかく会場に向かった。事前の情報のとおり、会場にH議員は来ていなかった。

式次第にそって物事は進行していった。議事の中盤にさしかかったころ、H氏本人が会場に現われた。前年に出産したお子さんを連れてきていた。お子さんを舞台の袖に残し、H氏は舞台で着席している代理出席者と入れ替わった。

わたしの役目は単なる数分の代理挨拶だったが、H氏は現職なのでトリに「特別講演」という形でかなり長めの時間が与えられていた。わたしは、あえて事務所の希望通り「A候補と学友(当時、同じゼミに属していた)であり、同世代である」という雰囲気をプンプンとさせながら、とにかく先に代理挨拶を終えた。(一回りも年下のA候補と同世代に見られることに、内心は忸怩たるものがあったが、要するに当時のわたしが若干若作りで、A候補が老けてみえるため、何も語らなければ「同世代」と誤解されたのである。)

さらに議事は進行し、H氏の講演になった。

特別講演の中盤で、H氏のお子さんが舞台の袖からむずかるような声を上げた。1歳の子供のかわいい声が会場に響き渡った。客席には年配の女性が多かった。H氏は舞台の袖に一度引っ込むと、お子さんを抱いて再び現われた。政治がらみの会合の硬い雰囲気が、一瞬にしてほのぼのとした暖かいものに代わってしまった。わたしは舞台の上から、その空気の変化と、お子さんとその母親であるH氏に対して、客席から向けられる暖かいまなざしを見ていた。小さな子供にはかなわない。わたし自身もほんわかとした気分になってしまい、H氏親子に暖かいまなざしを注いでいる自分を感じていた。

「うちの広報部長です」H氏はお子さんをこう紹介した。確かに強力な広報部長であっただろう。まずは出産の事実からして、国会議員の場合はニュースになるのだから。

会が終わり、わたしはA氏の事務所に連絡をした。とにかく大きなトラブルもなく終えたことを報告し、ついでに「お子さんと一緒にH議員本人がいらっしゃいましたよ」と深く考えずに伝えた。それを聞いて、電話の向こうのスタッフの声の調子は、明らかに不安げなものに変わった。

翌日事務所に顔を出すと、A候補はかなり怒っていた。「絶対に本人は来ないって言っていたのに」そしてH議員とお子さんの顛末を話すと、怒りに満ちた表情でこういった。「子供を使うなんて…ずるい!」

選挙期間に入り、選挙ポスターが町中に貼られるようになった。H氏のポスターはお子さんを抱いているものだった。「自分が子育てしているからこそ、子を生み育てる母親の苦労がわかる」「自分が子育てしているからこそ、次代の子供のことを真剣に考えている」「子供を持っているからこそ、教育なども熱心に扱う」「出産・育児に冷たい社会に立ち向かう母親」「子育て世代の代表」 そんな雰囲気を、このポスターの写真はかもし出していた。そして、このポスターに対しても、A氏は不快感を示した。

その選挙は、小泉ブームと同じ比例代表区から出馬した国際政治学者のM氏の大量得票のおかげで、党の多くの比例代表候補が当選した。 (非拘束名簿方式とは、そういうものなのだ。) 個人名を書くことが可能になったにもかかわらず、個人名よりも党名で投票する人が多かったこも幸いした。その結果、現職のH氏のみならず、次回の選挙のために知名度を高めることが立候補の目的だった新人A候補も当選した。

当選後、周囲はA氏に「次の選挙までに子供を生んで、次回は子供を抱いて出馬する」ことを勧めた。そして彼女は妊娠・出産し、いまは子育てするママさん議員になった。女性の国会議員の出産はニュースになるのであるから、もちろんA氏の出産もマスコミに取り上げられた。

女性にとって出産・育児を巡る環境は厳しい。環境の厳しさを巡る原因は複合的なものだが、プライベートよりも仕事を優先することが良しとされる社会において、女性が働きながら子供を生み育てることについて、「自分の好き勝手なことをやって、周りに迷惑をかけている」とも受け取られがちなのも大きな要因だ。

その一方で、女性の出産・育児は、選挙という場においては強力な武器になりうる。しかも最近3人目のお子さんを産んだH議員の場合は、出産直前まで働き産後すぐに復帰することで、「国の仕事としてやっているのだから、産休を取るなら辞職すべきだ」という意見もシャットアウトし、これをもって、単なる出産ニュース以上のニュースを提供した。しかも子供の名前のつけ方でも話題を提供し、命名に関しては、多くの人がブログに記事を書いている。議員にとって、自分の名前がメディアに取り上げられることは、大きな宣伝になる。H氏の今回の出産は、おそろしく冴えた戦略であると解釈することも可能だ。(本人はそこまで考えていないのかもしれないが。)

わたしは必ずしも、女性議員が出産・育児を選挙対策に使うことに反対ではない。いわば「女を武器に使う」の変形版で個人的には好きではないが、それもありだと思う。ただし、子供のプライバシーや成長を考えて、慎重にやってほしい。

さて、A議員についてだが、わたしが興味あるのは、彼女が次回の選挙で、他人の行為に対しては嫌った「子供を使う」やり方をするかどうかだ。これまでのところウェブサイトや講演などで、自身の出産と子育てをアピールしてはいるが。選挙に子供を出すことに関して、国政への進出の話も出た元有力県議の子供でもあるA氏は、いったいどのように感じているのだろうか。


握手のチカラ

2005-09-04 14:01:11 | 政治と選挙
申し訳ないが、その選挙区の候補者の男性を最初に遠目からチラッと見たときは、それほどパッとした人物には見えなかった。選挙区に入ったときに見かけたその候補者の写真も、きれいに撮れてはいるものの彼の凡庸さを証明しているかのようだった。4年前の、某党の某県某駅前での選挙期間中の立ち会い演説会での話だ。

その日わたしは、自分がスタッフとして働いている比例区の候補者が、その演説会に来ることになっていた(が、実際は虚しくも来なかった)ので、でウグイスをつとめつつ選挙カーでその駅へ向かい、到着とともにチラシまき要員と化していた。

その選挙区の候補者に、わたしたちが比例区の候補者のスタッフとして挨拶をしにいったのは、その場にあつまった人間全員から品定めをされている自分を意識した彼が、自分の名前が大きく書かれたたすきをかけ、ぴんと背筋を伸ばして微笑を浮かべたまさにその時のことだった。

彼はわたしたち比例区の候補者のスタッフにも、「候補者としての握手」をした。背筋をぴんと伸ばしたまま、満面の自信に満ちた笑みをたたえ、うれしそうに両手でわたしの右手を力強く握った。握手の間、わたしの目から視線をはずすことはなかった。

これはちょっとばかりショックな体験だった。というのは、これは「この人ならきっと何かやってくれる」「この人なら信頼できる」と、一瞬にして思わせてしまうような握手だったからだ。

もちろん握手の上手さと、実際の人格や政策の間には、相関関係はない。上手な握手というのは、コツを覚えれば誰にでも可能だ。しかし、頭ではそれがわかっていても、この候補者の握手は効果的だった。そのときはじめてわたしは、なぜ選挙になると候補者がやたら握手しまくるのか、わかったような気がした。握手は実際に票を入れさせる力があるのだ。

政治家の握手と言えば、野田聖子氏の元秘書から聞いたエピソードがある。

野田氏がかつて衆院選初挑戦で落選したとき、氏は次回の選挙までに全選挙民と握手すると誓い、実際にその目標を達成すべく、毎日毎日握手しまくったそうだ。

ある日、握手をすると手に激痛が走るようになった。なんと、手の皮膚が薄くなり、骨が見える状態になってしまっておいた。痛みは、握手の際に骨が直接ぶつかる痛みだった。野田氏と握手をするほうはその瞬間かぎりでも、氏は連続して握手をし続ける。しかも次回に票をもらわなければいけないのだから、力強くぎゅっと相手の手を握る。そんなふうに人間の手と手が大きな力でぶつかりあい擦れ続けると、「骨が出てた」なんてことも、起こってしまうらしい。で、握手の効果がどれほど影響したかは不明だが、次の衆院選挙で野田氏は当選した。

ところで、野田氏と握手といえば、最近では氏の選挙区である岐阜一区において対立候補の自民党公認の佐藤ゆかり氏が握手のために差し出した手を、岐阜市長が拒否したことが大きく報じられ、佐藤氏に大きな同情が集まった。

しかもその後、野田氏が遊説中に車と接触して負傷し、左腕にギプスをしているとの報道もあった。このギプスについては、「同情を買うため」のやらせだと言う声も聞こえてくる。が、わたし個人としては、それが本当の事故であれやらせであれ、力強い選挙向け両手握手をできないデメリットのほうが大きいと思う。特に選挙区選挙においては。