巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

英語の資料を見ながら日本語をしゃべると…

2004-10-06 00:31:43 | 日記・エッセイ・コラム
英語の資料見ながら日本人同士でミーティングをしていると、参加者の日本語がだんだん怪しくなってくることがある。

参加者の思考回路は紛れもない日本語だ。けれども目の前につきつけられた英単語の羅列を参照しながらしゃべるっていると、それらの単語の日本語の訳が、とっさに出てこなくなってしまう。

もちろん「とっさには出ない」だけであるから、いったん英語の資料から目をはなして、頭のなかできちんと自分の話したいことをまとめてからしゃべれば、まともな日本語で発言することができるだろう。しかし、議論を交わしているときには、脳の大部分が「議論の内容そのもの」の方に使われているため、「自分が使用する単語の選択やそのアクセント」にまで、思いをめぐらしている余裕がなくなってしまうのだ。

その結果、参加者の日本語は「当社がタフなマーケットでサバイブするためには…」のように、カタカナ英語の羅列を「てにをは」をつないだような、妙にいかがわしいものになってきてしまうことがある。

そして件のカタカナ英語のほうも、発音が中途半端に英語になりがちだ。たとえば普段は「ユビキタス」と言っている日本人が、英語の資料を見ながらだと、日本語の発言のなかで「ユービクゥイタス」(ubiquitousとは「偏在する」の意味)と発音してしまったりする。(ちなみに国立国語研究所が提案した"ubiquitous"の訳は、「時空自在」である。)

参加者同士は話の内容面に集中しているため、そんな怪しげな日本語を使ってもミーティング中には気にならないことが多い。(もちろん、かなり気にする人もいるが。)しかし、あとでそのミーティングの録音を聞きなおしたりすると、「カタカナ英単語+てにおは」を多用していた自分の発言が、かなり恥ずかしくなってくるものだ。

だから、英語資料を参照しながらの発言には十分注意していたはずなのだが、最近わたしもやってしまった。チームビルディング(=teambuilding、この場では「チームビルディング」が定訳になっていたので、「チーム構築」とはしなかった)に関する英語の資料に目を通しながら、発言をはじめたところ

「ティームビルディング」

と言ってしまった。非常に疲れていて頭が回らないこともあったが、その打ち合わせにおけるわたしの「チーム」に関する発言では、後で参加者が語ってくれたところによると、「チーム」と「ティーム」の両方を、ちゃんぽんに使っていたらしい。

いかがわしい。非常にいかがわしい。そして嘆かわしい。これでは、胡散臭い人物に思われてしまった可能性がありそうだ。自分の日本語には、もっと気をつけなければ…