巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

泣けるぜ (問題はPCではなく、わ・た・し)

2005-01-30 19:38:03 | 日記・エッセイ・コラム
仲間内では「PCには強い」といわれているわたしだが、それは「シロウトさんにしては強い」の意味である。とんでもないところで、シロウトらしさを露呈するものである。

以下はDVカムコーダーで録画したものをビデオ編集ツールで編集しようとしたときの、後で考えれば笑える珠玉(?)のトラブル集である。

■ なぜ、ビデオがきれいにPC内に取り込めない?

Intel Pentium 4プロセッサ搭載のWindow機。OSはWindows XPである。ビデオ編集ソフトを使って、AVIファイルをPC内に取り込むと、きれいに取り込めていない。データが大幅に飛んでしまっている。

新しいCODECをインストールしたり、IEEE1394ケーブル(別名i.Linkケーブル)を買いかえたりしたけれどすべてダメ。「カムコーダーの初期不良か?」とカムコーダーにあらぬ疑いをかけたりしたあげく、ふとあることに気づき、PCのデバイスマネージャを開いてハードディスクを見ると、なんと

PIOモードじゃないか!

本来このモデルのハードディスクはUltra DMAモード5なのだから、蛇口を少しだけひねってショボショボと水が流れるような状態で、大きな浴槽を一気に満たそうとしていたようなものだ。PIOモードではビデオ編集ツールの要求には、応えられなかったのだろう。

転送レートについて不案内な向きには、@ITのIDE「ハードディスクの転送モードにかかわるトラブルを解決するには?(1)」をご一読いただくこととして、なぜわたしのPCが本来のモードではなく、PIOモードになったのかが問題だ。

そういえば、このPCは購入当初より使用中に、原因不明の「勝手に電源が落ちて再起動」という現象を起こすことが、1ヶ月に数回の割合であった。そしてかつてどこからか聞いた話の、「電源不良などでPCが数回落ちると、安全のためにWindowsのハードディスクの設定はPIOモードに変わる」という話を思い出したのだった。

「勝手に落ちて再起動」の理由は、実はPCの電源ユニットの不良だったことは、PCの保証期間が切れた後で気がついて修理に出したのだが、この「勝手に再起動」トラブルでWindowsの安全装置が働いて、いつのまにか転送レートがPIOモードになってしまったらしい。そして、ついに電源ユニットがうんともすんとも言わなくなってしまって修理したあと後も、一度働いた安全装置によりPIOのままであり続けたのだ。

PIOモードになっていたなんて、タルい速度でPCを使い続けていたら、いいかげんに気づきそうなものだが。早く気がつけよ、ふくしま!

というわけで、ハードディスクの転送レートをUltra DMAモード5に直して、無事にAVIファイルの取り込み完了。

■  音声入力ができない…

ところが、取り込んだAVIファイルを編集して、音声コメントをつけようとしたところ、PC備え付けのMIC INでは、どのように調節しても消え入るほどにしか音声が入らない。そういえばPCのヘッドフォン端子からの音も異様に小さい…

これも解決に2日ぐらいかかり、その間に問題をPCやヘッドセットのせいにしかかったが、要するにPCにあらかじめついていたサウンドカード機能では、もともと貧弱だったことが原因だった。最終的にはサウンドカードを買いに走って解決。(こんなこと、はやく気づけよ! ふくしま!) PC本体を開けてサウンドカードつけるのが面倒くさいのでUSB接続のSound Blaster Digital Musicを購入して、無事に音声コメント入力を完了した。

■  相性問題を忘れていたわたし

上に述べた2つのトラブルが去年の今頃の話だ。今回また同じ作業をしようと、Sound Blaster Digital Musicをひさびさに接続したところ、

音がヘッドセットから出ない!

メーカーのサイトからドライバをアップデートしても治らず、半日原因を考えたすえ、ヘッドセットかSound Blasterのハードのトラブルにしかかっていたところ、最後の最後にになってふっと頭の中に浮かんだのが、サウンドカードの相性問題。複数のサウンドカードと一緒に使うとどうなるか…

気になってメーカーのサイトのFAQを見ると

FAQ (よくあるお問合せ)

Q:他社製のサウンドカード、またはマザーボードのオンボードサウンド機能とSound Blaster Digital Musicを一緒に使うことはできますか?
A: 相性問題などを回避するため、Sound Blaster Digital Musicを取り付ける前にコンピューターから取り外すか、BIOS等で無効にするか、Windowsのデバイスマネージャで使用不可にすることをお勧めします。
http://jp.creative.com/support/faqs/jp/soundblaster/digitalmusic/general01.asp



そういえば、昨年もビデオ編集中は、他のサウンドカードを使用不可にしていたんだっけ。

なんで、こんなこと一番最初に気がつかなかったんだよぉ! 人間だもの、バカなことはひんぱんにやるさ… でも、時間がないときにこんなバカをやると、

「泣けるぜ。」(←クリント・イーストウッド演じるダーティ・ハリーの声を吹き変えた山田康夫風に)



赤十字社・赤新月社・赤盾ダビデ社・赤…

2005-01-28 21:27:34 | ニュース
赤十字は「あかじゅうじ」 小学生の漢字読み書き調査

 5年生の半数近くが、「赤十字」を「あかじゅうじ」と読む。文部科学省所管の財団法人、総合初等教育研究所(本部・岐阜県)が、27日発表した小学生の漢字の読み書き習得状況調査でこんな結果が出た。
2005.1.27 産経新聞


うーん。子供たちが「赤十字」を「あかじゅうじ」と読むのは、ありそうだ。昔の日本では、赤十字というのはありがたく尊い存在だったが、今のステータスはそれほどでもない。それだけ日本が豊かになったということなのだろうが、子供たちからは遠い存在だろう。

red_cross_red_crescent「セキジュウジ」ということばを耳で聞いたことはあっても、それが赤十字社に結びつかないのかもしれない。献血やら国際的な救助活動やらやらによく出てくる「セキジュウジ」なるものが、「赤い十字」をシンボルとしたあの組織だとしげしげと考えない限り、子供にとっては「セキジュウジはセキジュウジ」であり「赤十字」は「赤い十字」になりそうだ。

さて、十字はキリスト教のシンボルでもある。日本人はこの十字をみても、かの一神教キリスト教のことだとは強く意識はしない。これは日本人の長所であり、さまざまな宗教に対する寛容さに通じると思う。

が、宗教に敏感なところでは、赤十字の十字はれっきとしたキリスト教のシンボルとみなされる。場合によっては「異教徒のもので、けしからん!」ということになって、赤十字のマークも使えなくなる。だから、赤十字社と同じ機能を果たす組織は、その地域の宗教により、十字の代わりに異なるシンボルを使っている。

まずは日本人でも知っている人も多いであろう赤新月社。イスラムの象徴である三日月を、十字の代わりにつかう。英語名"Red Crescent"。

わたしははじめ、赤新月社を「せきしんげつしゃ」と読むのか「あかしんげつしゃ」と読むのかわからず、赤新月の話をしなければいけないときは、「レッド・クレセント」と言っていた。まるで英語かぶれのねえちゃんのようで、恥ずかしいが… ちなみに「せきしんげつ」が正しい。

エリトリア(場所は地図で確認のこと)のような、イスラム教とキリスト教の信仰される国では、赤い十字と赤い新月の両方を使ったりもするらしい。しかもエリトリアのキリスト教の宗派はコプト教会(エジプト教会、国連の元総長ブトロス=ガリ氏も信仰)、カトリック、プロテスタントとバラエティに富んでいる。

ではキリスト教もイスラム教もダメで、しかも宗教に敏感な地域ならどうする?

ということで、イスラエルを見てみると、赤いダビデの星を使う。イスラエルで赤十字社と同じ活動をしているのは、マーゲン・ダビド(公)社(Magen David Adom)である。マーゲン・ダビドとは「ダビデの星」のことだが、ダビデの星はイスラエル王ダビデの楯に描かれていたため、「ダビデの楯」とも呼ばれる。そのためこの"Magen David Adom"は、日本では「赤盾ダビデ(公)社」と訳される。

しかしこのイスラエルの組織の読み方がわからない。「せきたてだびで」「せきじゅんだびで」「あかたてだびで」? 読めないために、他人に話すときは「イスラエルの赤十字社に対応するマーゲン・ダビド社」と説明している。

しかし、わたしの心のなかで"Magen David"の対訳が「ダビデの星」で固定されているために、"Magen David Adom"の記述を見つけるたびに「あかぼしだびで」と脳内変換して読んでしまっている。赤星さんという苗字も日本にはあるし…

では、では東洋はどうだろう。

東アジア圏で広く使われる、日本でも寺院なども寺院の記号などに使う、功徳円満をあらわす「卍」(まんじ)あたりはいかがだろう…とおもったら、とっくに東アジア圏(香港、シンガポールなど)に、「紅卍字会」"Red Swastika Society"というものがある。宗教がらみの組織だが、赤十字と同じような活動もしている。

この組織の話を始めると、南京大虐殺などの話にいってしまうのでここでは触れないが、卍字を使いたいのは、なにも紅卍字会の母体となった宗教ばかりではない。たとえばインドも、赤い卍字を赤十字と同じ機能を果たす組織にシンボルとして使いたいらしい。

では東アジア一帯の赤十字社は「赤卍字社」になりうるか? そうなるとしたら、読みは「あかまんじしゃ」と「せきまんじしゃ」のどちらだろうか?

これは無理だろう。理由はもちろん、ナチスドイツが使ったあのかぎ十字のせいだ。でもナチスが使ってしまったのが運のつきだ。功徳円満のつもりなのに、あの忌まわしいホロコーストを連想させてしまってはまずい。

というわけで、世界を視野にいれると

少林寺拳法「卍」に別れ 新紋章公表、「自他共楽」表現
国内外に約150万人の会員を抱える「少林寺拳法グループ」(総本部・香川県多度津町)は9日、ナチスの「かぎ十字」を連想させるなどとして、1947年の創始以来使ってきた「卍(まんじ)」の紋章にかわる新しいマークを公表した。
2005.1.9 (産経新聞)

ということも起こる。

ちなみに英語圏でナチスのかぎ十字は”swastika”と呼ぶが、スワスティカとは卍字一般を指すので、寺院の記号などの「卍」の印もスワスティカだ。ハーケンクロイツ(Hakenkreuz)なんて英語で言っても、ほとんどの人はわからない、というより、使うとダメだしされる。ドイツ語だものね。

[写真解説] 世界「赤○○社」シンボル比べ
1番上 おなじみ赤十字の救急車 「…って、ここはアフガニスタンなのですが、どうしちゃったんでしょう。日産製の車。まぁ、本来イスラム教はキリスト教徒を「啓典の民」とみなしていたということで」…とかいう話ではないだろう。
2番目 赤新月社 (バハレーン)
3番目 赤楯ダビデ社
一番下 シンガポールの紅卍字病院 (Red Swastika Hospital)



風邪&インフルエンザ予防対策:やれることはすべてやる

2005-01-27 15:20:01 | 美容と健康
[この記事はOCNブログ人の日本応援地図のお題「風邪&インフルエンザ予防の秘策教えて」へのトラックバックです。]

風邪やインフルエンザには睡眠が一番だろう。しかし、残念ながら適正な睡眠時間は確保できない環境にある。

もともと風邪をひきやすい体質ではある。 通訳時代に仕事に穴を開けて仲間に負担がいったという痛恨の過去――声帯が腫れて、声がまったくでなくなった――があるため、可能な予防手段はできる限りとる。

以下が、わたしが日常でとっている「可能な予防手段」である。


  • インフルエンザの季節に先がけ、体調のよいときにインフルエンザの予防接種を受けておく。

  • こまめに手を洗い、うがいをする。手を洗う石鹸は殺菌作用のある液体ミューズ。外出から自宅へ帰ってきたときのうがいは、紅茶で行なう。うがいが長時間できそうにない状況にある場合は、のどぬーるスプレーを使用する。

  • 身体を温める食べ物や飲み物をとる。
    生姜湯やすりおろした生姜をいれた紅茶を飲む。麻婆豆腐、坦々麺、おでんなど、唐辛子、ねぎ、しょうが、ダイコンのような身体を温めるといわれる野菜や香辛料を冬には努めて食べる。(ただし喉が痛いときに唐辛子ものを食べると、えらい目にあうので要注意。)

  • この季節はジャンクフードやファストフードはなるべく食べない。(ただし、大好きなモスバーガーは例外。)自分の食べているものが栄養学的に正しいのかを、たまに見直す。(食品成分表
    とにらめっこ。)

  • 風邪をひきそうだと思ったら、すぐに梅干の黒焼きを飲む。

  • 風邪をひいていなくても外出時はマスクをする。
    もちろんマスクは超立体マスクである。のどの乾燥を防いで、ウイルスに感染しにくくするためである。夜もマスクをして寝る。

  • 日常から、毎日ビタミンCを2000mg+ポポンSを飲む。

  • 喉が痛く「風邪をひきそう」と感じたら、日課のヨガに「獅子のポーズ」をくわえる。(獅子のポーズをご存じない方は、市販のヨガの本でもご覧ください。)

  • 首まわりを冷やさない。ここが寒いと、体全体が冷える。この季節はマフラー必携。

  • 秋から春にかけては万が一のために、外出時は必ず予備の使い捨てカイロをバッグの中に忍ばせておく。



やれることはすべてやる。だが、これだけやっても風邪やインフルエンザにかかるときは、かかるものである。かかるのは不摂生のせいではなく、ウイルスのせいだ。(いや、睡眠不足のことを言われると、かえすことばがないんだが。)

というわけで、この季節は、ウイルスがうようよしている人ごみは、必要がなければ極力避けるようにしている。


「剛の者」よ

2005-01-26 20:54:05 | 日記・エッセイ・コラム
平成16年度の担当科目の採点がやっと終了。これで追試験(試験日に欠席したものに対する試験)と再試験(4年生の不合格者対象)を除いては一段落だ。疲れた。あとはプレゼンテーション科目を担当した学生たちのために、ビデオに撮った彼らのプレゼンテーションの一部を編集して、フィードバック用のCDを作るつもりだ。

さて毎年、年間の授業を通じて1回しか出てこないのに、後期のレポートを出してくる学生が、必ず1名か2名いる。出席をしていないのにレポートだけ提出してくる理由を、「とりあえず、紙に何か書けば単位をくれるだろう」と彼らが考えてレポートを提出してくるのだと、わたしは思っていた。

ところが、レポートを筆記試験に変更した今年も、やはりいた。年間24回の授業のうちたった1回しか出席しないのに、堂々と後期の筆記試験に臨んだ「剛の者」が。その強心臓には敬意を表したいぐらいだが、残念ながら…(以下略)



取材する側の真実、取材される側の真実

2005-01-25 22:27:58 | 日記・エッセイ・コラム
個人や組織が、ある日マスコミの取材の依頼を受ける。相手はTV局とか新聞社だ。「自分たちがマスコミに載るかもしれない!」受けた側は一生懸命対応する。これだけ真摯に対応し、こちらの主張も繰り返し伝えたのだから、こちらの主張や「あるがままの姿」がきちんと反映されているだろうと思う。

ところが、その成果であるテレビ番組や新聞・雑誌の報道などを見て、愕然とする。

「こんなこと、言った覚えはない!」
「これじゃあ、当社が金の亡者みたいだ!」

ありがちな話である。

むかしむかし、わたしが会社勤めをはじめて2年目に、当時わたしが働いていた不動産会社が、NHKの取材の依頼を受けた。「主婦を企業の戦力として活用した成功例」として、わたしたちの部署が統括する女性営業職グループを取材し、首都圏のみに流される特集番組で紹介したいというものだった。

わたしたちの部署は、NHKの取材班と熱心に打ち合わせをした。色々とスケジュール調整をして取材の便宜をはかり、取材班とひんぱんにコミュニケーションをとった。でき上がった番組は、「主婦が主婦であることの感性を活かしてマンションを販売し、それが成功している企業がある」という趣旨の特集だった。わたしたちは喜んだ。「これで、彼女たちの働きが一般にも認められる。」と。

数ヵ月後、この番組のためにNHKが取材した社内の映像を、わたしたちもう一度見ることになった。しかも、とんでもない形で、だ。

会社が、世間を騒がす株がらみのスキャンダルを起こしてしまった。そのニュースに、「主婦を戦力として活用した成功例」の取材で撮影され、会社の積極的な人材活用を証明していた映像がふたたび、くり返し使われた。同じ影像に、異なるナレーションがつけられた。女性を積極的に活用する企業風土を証明していた映像は、ナレーションによって「この会社の企業文化の異常性を証明する映像」となり、映像であるだけにかなりのインパクトと説得力とを持って、この会社の「異常性」を視聴者にアピールしたのである。

数年前、再就職支援会社に勤めていたが、この会社ではマスコミからの取材依頼をひんぱんに受けた。当時、再就職支援業というのは日本人の多くにとっては新しいもので、このような業種が成り立つようになったこと自体、終身雇用の終焉を象徴するショッキングな出来事だったからだ。

「失業した人たちの傷ついた心のケアをし、現実を教えてこれまでの終身雇用や大企業への精神的依存から抜けきれぬ元従業員のマインドセットを変え、再就職のお手伝いをする存在」
「個人にも企業にも、そして社会全体にも役に立つ産業」

これが、わたしたちが取材を受けるに当たって、常にアピールしたかったことだった。が、マスコミの見方は少しばかり違っていた。

「終身雇用の終わりをビジネスチャンスにする必要悪的産業」
「終身雇用の崩壊を促進する業界」
「失業率が高くなれば高くなるほど儲ける業種」

ある日、日経新聞の取材に対して当時の社長が、再就職支援業の意義と業界の見通しを答えた。ところができ上がった記事には、

「失業率はまだまだ上がりそうです。」と、○○社長は笑みを浮かべる。


などと、まるで失業者が増えることを喜びほくそえんでいるかのように書かれてしまった。実際は○○社長は内気な性格ゆえ、知らない人と話すと緊張して意味不明の微笑み浮かべてしまう人だったのだが…

こんなことを書かれるので、わたしたちは取材には過敏になった。が、同時に取材される側の強いエゴがあった。わたしたちは「社会に役立つ産業として認められたい」「同業他社よりも素晴らしい企業だということを示したい」と思うあまり、実際以上によく見せようとし、その手段としてマスコミを利用したかった。マスコミの取材を受けるたびに「失業者の再就職をお手伝いする姿」を強調し、この産業のもひとつの一面である「企業の雇用調整を手伝う姿」を、極力見せまいとしていた。

また取材依頼を受けるたびに、職場では個人のエゴが極力発揮された。自分を売り込みたいばかりに、最初にマスコミに応対した人の持ち物を勝手に開けて名刺を探し出し、名刺の電話番号に電話をかけて自分を売り込みぜひTVカメラにおさめてくれるように頼み、自分ではなく他の人間がマスコミから指名を受けたことに怒って、製作会社に電話をかけて抗議したりするような事件も、実際に起こった。こんなときに頼んでもいないのに、製作会社からインタビューをお願いされた人は不幸だった。インタビューされたくても要請されなかった人の恨みを買ってしまったからだ。そしてこんな取材を受ける側のゴタゴタを、取材するTV会社は敏感に感じ取った。

こんな状態であるから、マスコミとしても、取材対象がマスコミにみせる姿や主張を、「それが真実である」とおいそれと信じるわけにはいかないのだろう。取材される側には、「見てほしい自分」がいる。ときには「その見てほしい自分」を真実だと思いこんでいる。しかし残念ながらそれは、取材される側独自の色メガネからみた真実でしかない。

したがって取材する側としては、現場における取材対象の主張の如何にかかわらず、事前に下調べした知識から「たぶんこういう状態であろう」とつくったシナリオをつくって、そのシナリオにふさわしい映像を探していくことになるのだろう。しかしこれも、マスコミの色メガネでみた真実でしかない。

では、唯一無二の絶対的な真実とは? それはおそらく存在しない。あるできごとをみるために、わたしたちにはなんらかの色メガネが必要だからだ。しかし色メガネの色は人よって違う。だから真実の数も無数にある。どれも真実だし、どれも真実でないといえる。

ちなみに、最初の例でとりあげた「主婦が主婦であることの感性を活かしてマンションを販売し、それが成功している」という趣旨の特集の番組の影響は絶大だった。それから数ヶ月、企業が株にかかわるスキャンダルを起こすまで、様々な企業の人事担当者が、「女性活用のノウハウを聞かせてほしい」と訪ねてきたのだ。しかし訪問してくる企業が抱く、わたしたちの会社の女性の人材活用に対するイメージは、非現実的なレベルにまで高まっていた。

「どうやらあの番組のせいで、当社は実際以上に女性を活用して成功している会社として、過大評価をされているようです!」わたしたちは別の意味で、マスコミの影響力の強さにぞっとしたものである。