巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

神田明神は今日も混んでいた

2020-01-04 21:00:11 | 日記・エッセイ・コラム
正月3が日を過ぎたとはいえ、土曜日。
神田明神は、今日も混んでいる。


だいこく様


だいこく様の両脇にある石灯籠には「紀元二千六百年」の文字が。


紀元二千六百年とは、
神武天皇の即位から2600年目だった1940年(昭和15年)のことで、
全国で様々な記念行事が行われたとのこと。。
近所の天祖神社にも「紀元二千六百年」と彫られた石があったし、
当時3歳だった母は、紀元二千六百年を祝うちょうちん行列に
加わったことを覚えていると、話してくれたことがある。

お正月の神田明神では、毎年猿まわしをみることができる。
今年は日光さる軍団ゆりあさんと若いクゥちゃん。


ふたりの息のあった動きを見ていると、
ヒト(ヒト科)の祖先とマカク(オナガザル科)の祖先が分かれたのは
そんなに昔のことじゃなかったと思うのよね。


心付けは、クゥちゃんの好きな形のほうを…


そして、母に健康長寿守りを。
自分用には、勝守とIT情報安全守護を。

お土産は、天乃屋の甘酒と芝崎納豆小茄子辛子漬

外科手術と被影響性の亢進が、大腿骨を骨折した母を救う

2020-01-03 21:14:51 | 美容と健康

2020年1月3日。
母がいる特別養護老人ホームの屋上から見た夕暮れの富士山。
今年も、母が健康でいられますように。




ここ数年の母は、
どうやったら歩くことができるのかを
忘れてしまったかのように
フラフラとぎこちなく歩くようになっていた。

そして、昨年9月の明け方、
母は特養のベッドから落ちて、
歩けずにいるところを見つかった。
病院へ運ばれた母は、
大腿骨転子部骨折と診断された。

重度の認知症の82歳の母。
私も弟もこの時点で、
母が寝たきりになることを覚悟した。
2日後に骨折観血的手術を受け、
ほどなくリハビリが始まった。

病院での母は、
同室の他の入院患者の付き添いの方が言うには、
医師にも看護師にも逆らわない、
きわめて扱いやすい患者だったらしい。
その一方、私が毎晩お見舞いに行っても
何の反応も興味も示さなかった。

入院日から数えて15日目に退院して
特養の自分の部屋に戻った後も、
母はほとんどのものに反応しなくなっていた。
おまけに、食べることや飲むことも
忘れてしまったかのように
食事も水分もとろうとせず、
あと1日この状態が続いたら、
点滴や栄養のために病院へ入院させるしか
ないかもしれない、という事態になった。

最後の手段として、特養のスタッフが食事時に、
同じユニットの他の入所者が集まるリビングに
母を連れて行った。

すると母は、今まで食べなかったのは
いったい何だったろうかと思うほど、
バクバクと飲み食いを始めた。

母の認知症は前頭側頭葉変性症の一種である意味性認知症で、
母は他人のやっている動作を反射的に模倣する傾向がある。
(いわゆる「被影響性の亢進」というやつ)
そこで、他の人が食べ物を食べているのを見てこれを模倣した結果、
物を食べたり飲んだりすることができるようになったわけだ。

食事がとれるようになると、母はそろりそろりと歩き始めた。
現在の母は、ラクッションパンツを着用し、
室内にはいろいろと転倒対策をしている。
職員の方たちも、これまで以上に母の転倒に注意している。
寝たきりになるのは、もっと先のことだろう。




(以下の、リンク先のAERAの記事は、高齢者の大腿骨骨折に関するもの。
母が手術を受けたのは、この記事にある高島平中央総合病院である。)
黒柳徹子が明かした「大腿骨骨折」 患者数が年々増加、寝たきりリスクも