巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

フォーリーブス

2009-01-28 22:16:06 | 日記・エッセイ・コラム
訃報:青山孝史さん57歳=フォーリーブス

 青山孝史さん57歳(あおやま・たかし、本名・城下孝行=しろした・たかゆき)28日、肝臓がんのため東京都内の病院で死去。葬儀は2月4日午前11時、東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場で。喪主は妻めぐみさん。

 1967年、江木俊夫さん、北公次さん、おりも政夫さんと人気アイドルグループ「フォーリーブス」を結成。「地球はひとつ」「踊り子」などの曲をヒットさせた。NHK紅白歌合戦には70年から7回連続で出場。78年解散したが、02年再結成した。


 「ター坊」の愛称で親しまれた。芸名は再結成時に孝から孝史へ改名。08年10月、がんで入院したが、病院からコンサート会場へ駆け付ける形で全国ツアーに参加していた。
[毎日新聞 2009年1月29日]


フォーリーブスはわたしが小学校のころから中学にかけて人気があった元祖アイドルで、郷ひろみの兄貴分で(デビュー当時の郷ひろみは、同じジャニーズ事務所所属のフォーリーブスの弟分という位置づけだった)、とにかく人気があった。わたしも彼らが出たTV番組「ロッテ 歌のアルバム」とか「歌え!ヤンヤン!!」とかは、周りの友人たちに影響されてけっこう見た記憶がある。

メンバーの4人の当時の人気は、ター坊(青山孝)≒コーちゃん(北公次)>マー坊(おりも政夫)>トシ坊(江木俊夫)。歌はター坊、ダンスならコーちゃん…というように、グループ内のそれぞれの分担がはっきりしていて、今考えてみると、それぞれの人気の度合いは、個人の資質というより「グループ内で何を担当していたか」によるところが大きかったと思う。

実はわたしは彼らの曲はほとんど思い出せない。「見上げてごらん夜の星を」は坂本九のカバーだし、ロッテのガム「チューミー」のCMソングは「たん、たん、タヌキの…」の替え歌だし…。「地球はひとつ」ぐらいか。そういえば、チューミーのTVCMに彼らが出たころ、アイドルがTVCMに出演するのはまだあまりポピュラーではなかったような気がする。個人的にはコーリン鉛筆・ハイピアスのCMで桜木健一をみたときぐらいの衝撃があった。(ちなみにコーリン鉛筆のCMで、桜木健一以下大勢が歌い踊っていたのは「ステテコ シャンシャン」の替え歌だった。)

わたしの記憶が正しければ、かつて黛敏郎が司会をする「題名のない音楽会」にこのフォーリーブスが出演したことがある。この番組が夜に放送されていたころだったかな。クラシックは好きだったのでいつもこの番組を見ていたわたしだが、フォーリーブスが出演と聞いて、この回は見なかった。フォーリーブスが嫌いなわけではなく、黛さんがやりそうなことがわかったからだ。

いつもはこんな渋い番組などは見ない周りのフォーリーブスファンの女の子たちが見て、翌日みんなで怒り狂っていた。どうやら、わたしが危惧したとおりの展開になったらしい。この回を見ていた女の子たちに聞くと、この番組がフォーリーブスを取り上げたきっかけからして「フォーリーブスにあこがれて家出してしまった追っかけの女の子がいる」というところで、番組にわざわざゲストに4人を呼んだあげく、黛氏がフォーリーブスの音楽性だの歌唱力だのを批判するというものだったらしい。(日本を代表する大作曲家にいうことではありませんが、あなた全然わかってませんね、黛さん。)

歌の部分を担っていたター坊なしでは、どんな形であれフォーリーブスは成り立たない。もはや残りのメンバーはグループとして歌うことはおそらく無理だろう。



部屋のシャッターを毎日開けるために鉢植えを買う

2009-01-18 23:40:00 | 日記・エッセイ・コラム
この季節、起床時の外は真っ暗。朝の一仕事を終えた後もまだ暗い。家を出る頃には明るくはなっているけれど、朝の一仕事を終えてから玄関を出て行くまで、朝はとても忙しい。帰宅も夜8時を過ぎるために、当然外は真っ暗。

そうなると根がズボラなわたしは、ここのところ週末以外は部屋の窓のシャッターを閉めきりにしてしまっている。家がそれなりに高断熱・高機密であり、しかも24時間換気システムを備えていて、一日中締め切っていても空気の流れが確保されているため、何の不具合も感じないというためもある。(ちなみに断熱性のことを考えると、夜はシャッターは下ろしておいたほうが良い。)

しかし、やはり一日中締め切りというのは、どうもよろしくないような気がする。やはり朝一度は、自分の部屋のカーテンから洩れる陽光を見たほうが精神的に良さそうだ。が、しかし、忙しい毎朝、部屋のシャッターを必ず開けるという行為は、必要性がないかぎりできそうにない。

そうなると、朝シャッターを開ける動機づけ and/or 必要性が必要だ。すなわち、部屋の中を「昼間は光がなければ困る」という状態にしておくしかない。

そうなると…、単純に考えられるのは植物を部屋の中に置いておくことだ。それも切り花などではなく、光がなければ育っていかない鉢物がよろしい。

では、どんな植物が良いだろう。

わたしの日ごろの性格と生活パターンを考えるに、育て方がそれほど難しくないものが必要だ。部屋の気温が外気温近くまで下がったことはないが、雪の日の早朝に6℃まで下がったことがあるので、念のためそれなりに寒さに耐える(=耐寒性のある)やつ。光が必要とはいえ一日中部屋の中に入れておくことになるので、窓越しの光でも育つ(=耐陰性のある)やつ。

で、これがもっとも重要なのだが、見かけがそれなりに良いやつ。いくらマイナスイオンを出すからとはいえ、サンセベリアの姿は(虎の尾にしろキリンドリカにしろ)わたし好みではない。いくら多くの人に有用だからとはいえ、部屋の中でアロエのお姿も見たくない。(アロエの罪ではないのだが、わたしはアロエにかぶれる体質である)。

では、ここ2~3年見かけるようになった、シュガーバインあたりはどうだろう。うん、よさそう。で、ついでに鉢にもこだわってしまおう…

…と、いろいろ探した結果、↓の写真のシュガーバインの鉢をFlower Muji(無印良品)のネット通販で買ってしまいましたよ。半分は鉢にひかれて買ったようなものです。

Sugarvine

でも、その後もネットで育て方をいろいろ調べていたら、シュガーバインをダメにした人は、結構多らしい。実はわたし鉢のグリーンを買ったのは●十年生きてきて、生まれて初めて。(母がよく買ってきては枯らしていたのを見ていたので、自分では買わなかった。)大丈夫かなぁ…

このブログに二度とこのシュガーバインが出てこなかったら、それはつまりわたしが、この鉢を枯らしてしまったということだ。


ペットの犬との初詣のマナーとは?

2009-01-02 20:23:00 | 日記・エッセイ・コラム
タイトルを読んで、「犬を連れての初詣なんてありえないので、ましてやマナーなんかあるわけない」と思った人も多数いるはずだ。

そう、本来は神社の境内に四足の獣はご法度。しかし昨今はペット連れ、とくに愛犬連れで初詣に行く人は結構いる。他人から見ればイヌだけれど、本人たちにしてみれば立派な家族の一員だ。それに、参拝のマナーだって時が経ては徐々に変化するものだ。

第一、わたしだって参拝のマナーを厳密に守っているわけではない。かろうじて二礼二拍一礼かその神社が勧める方法でお参りをしているが、二礼二拍一礼自体が後付けルールらしい。そして、わたしの参拝の服装は改まったものではなく普段着である。

が、昨日5つの寺社を回り、その時にちょっとこれは…と思う愛犬連れの参拝に2件遭遇し、それがどちらもそれなりに由緒ある神社での出来事だったので、神社の簡単な紹介とともに、この出来事を書きとめておくことにする。場所はいずれも東京都板橋区である。

■ 「事例1:西台天祖神社にて」

わたしにとっては地元の産土神(うぶすなのかみ)に相当するので、ここのお参りは外せない。女性である天照皇大神(あまてらすすめおほかみ=「アマテラス」)を祭っているためか、神社には珍しい下り参道である。(通常神様は上のほうの祭られるので、上り参道になる。)古い地元民にとってこの天祖神社の通称は「おしめさま」である。社号が明治6年に(おそらく明治3年の大教宣布のために)「天祖神社」に改められるまで「神明社」だったことから、ここから来た通称であろう。

この天祖神社の境内には他の神様がいくつも祭られており、境内をぐるりと回ると日本中の主だった神様をお参りしたことになる。神々の中で最も大きいものが番場稲荷神社で、参拝コースとしてはまず天照大神様に参拝した後、次にその左手にある番場稲荷神社への階段を上って手をあわせ、さらにはその他の日本の主だった神々を回り、最後にローカルな「おしわぶき様」を拝むことができる。(このおしわぶき様のお姿は石で作ったリアルな男性のシンボルとしか形容できず、このところ風邪をひいて咳に悩んでいるわたしには、いくら「おしわぶき様は咳にもよい」と言われても、女性であるがゆえに手を合わせにくいものがある。)また、これらの神々とは離れた位置にあるが、鳥居の横には御嶽神社がある。

さて、境内には小型犬を連れた家族が来ていた。古来、狐と犬は相性が良くないものとみなされ、ゆえに御稲荷様に配慮すれば、犬をそばに近づけないほうがよいということになる。しかしこの家族、愛する家族であるワンコを、天照皇大神への参拝のあと御稲荷様へも連れて行ってしまった。しかも…

このワンコは、何とたくさんの神々の前、御稲荷様のすぐそばで、脱糞行為に及んでしまった。

ワンコに罪はない。彼または彼女に神様の前という意識はないのだから。そして、もちろんこのワンコを連れていた家族はすぐにそれを片づけた。でもそもそも、片づけいいというものでもないような気がする。それだけ大人数で来ているなら、誰か一人が犬と一緒に境内の外で待っていたほうが良かったのでは? ペットも含めて一家そろって初詣したいという気持ちも、わからないでもないけれど、飲み会にも "designated driver" (日本語の定訳は「指名ドライバー」でOK?)ってのがあるでしょ。

■ 「事例2:徳丸北野神社にて」

この北野神社は、近隣の赤塚諏訪神社とともに国の重要民俗無形文化財である「田遊び」の行事で知られている。田遊びは五穀豊穣(このあたりは戦前は東京の穀倉地帯だった)と子孫繁栄を願う行事であって、ゆえに男女の性に関する描写がある。(この描写が「五穀豊穣」「子孫繁栄」を象徴しているといわれても、「いや、そのものの意味じゃないですか?」と思ってしまう。昔は真夜中にやっていた行事ではあるし。)

さて、ここでも小型犬づれの家族が来ていて、わたしの後ろに並んだ。この犬はいやに落ち着きがなく、飼い主がリードをもってはいるものの盛んに動き回り、わたしの足を何度も踏んだ。小型犬に足を踏まれても痛くないし、わたしは動物に足を踏まれるのには慣れている――我が家の庭をテリトリーにするノラネコどもが私の足を踏むのである――し、元来動物好きであるので、このぐらいは別にどうってことはないのだが、飼い主は見て見ぬふりをしている。もし逆にわたしがこの犬の足を踏んでしまったのであれば、きっとこのワンコとその飼い主の家族にあやまらなければならないだろうなと思うにつけ、ちょっと不機嫌になる。いや、神様の前で不機嫌はよろしくない。平常心、平常心…

さて、皆がずらっと参拝待ちで並んでいる横には、お焚きあげのスペースがあった。このスペースは払い清められなければならないがゆえに、四角いスペースの四隅に斎竹(いみだけ)が立てられ注連縄(しめなわ)が張られていた。

落ち着きのないワンコがあまりにもうるさいと思ったのか、飼い主はワンコのリードを斎竹の1本に結びつけてしまった。これでちょろちょろしなくなると考えたのだろう。ところが、こともあろうに

そのワンコはこの斎竹にマーキングしてしまった。

びっくりした飼い主はワンコの頭をひっぱたいたが、これは彼のせいではないよ。ひっぱたかれなければならない立場のものがいるとしたら、それは飼い主の頭のほうのような気がする。

いずれの場合も、それぞれの家族に一言物申そうとして、すんでのところで止めた。神社には「境内は犬禁止」の貼り紙等の告知はなかったし、多勢(数人の家族ずれ)に無勢(今年は母の体調が悪いため、わたし一人が参拝)だ。第一正月から神様の前で言い争いはしたくない。

でも黙っていたために、「他にも犬を連れてきた人はいっぱいいたし、文句もいわれなかった」「豊川稲荷に犬を連れて参拝したけれど何にも言われなかったら、犬連れでも大丈夫だよ」といった事例を作ってしまったことにもなるのかな…


ちなみに徒歩で歩ききった今年の参拝コースは:

西台天祖神社(本文参照);
 ↓
松月院(曹洞宗のお寺、ちなみにわたしはこの幼稚園を卒園);
 ↓
乗蓮寺(東京大仏で有名だが、わたしが子どものころはここにはありませんでした);
 ↓
赤塚諏訪神社(徳丸北野神社とともに田遊びで有名。ここを訪れる方は新大宮バイパスに分断されてしまった旧参道全体にもご注目ください。);
 ↓
(ユニクロ 板橋四葉店…正月からわたしはなにやってんだか);and
 ↓
徳丸北野神社(本文参照)。



「丑年」の英訳は ”Year of ..."

2009-01-01 01:01:00 | 英語
(あらわたし、年女だわ。何度目の年女なのかは聞かないでね。)

「ユミの干支は何?」と、昔々カナダ人のカップルに尋ねられたことがある(このブログを読んでいる当時を知る知人のために書いておくと、あのポールとステファニーのカップルである。)

とっさに返答に迷ってしまった。日本人が「ウシ」と十把一絡げに考える動物たちは、英語では数種類の単語の使い分けがなされており、それぞれで意味とイメージが違う。

"cattle" は(家畜としての牛全体を見るゆえに)集合名詞で単数はないし、"beef" は肉のことなので論外だし、"calf" は子牛だし、"bison" は野牛だし、"buffalo" は水牛だ。第一"bison" や"buffalo" は日本人にとって、「牛」としてまず最初にイメージされるものとは異なる。そうなると、"ox"か"cow" か "bull" だ。でも "bull" はメリルリンチのあのロゴマークみたいな血気盛んな雄牛のことで、ちょっと違うような気がする。(ちなみに市場の上げ相場のことを "bull" という。)

ということは "ox" か "cow" かの選択になる。で、ウシで日本人がイメージできるのは、どちらかといえば牛乳石鹸のカウブランドのイメージにあるウシ(おそらく乳牛のホルスタイン)だろう。つまり "ox"(おもに雄牛)ではなく、"cow"(乳牛、雌牛)に違いない。

そうとっさに判断して、質問よりほぼ1.5秒後に「"Cow"」と答えたとたんに、カナダ人カップルは大爆笑!

女性のほう「いやだぁ。そんなのがサイン(=sign、この場合は「干支」のこと)になるのぉ? アハハハ」(馬鹿にしてますね、あなた。)
男性のほう「ハハハハハ」(明らかにあきれ返っているけれど、それをわたしに悟られたくないんですね、あなた。)

といわけで、とっさに答えを修正。
「…じゃなくて、"ox"! オーーーーーーーーーークス!」

「ああ、それならわかるわね」
「うん、それなら納得できるよ」
カップルは真顔に戻ったのであった。

「丑年」の英語訳は通常は "year of the Ox" である。が、どうして "cow" ではなく "ox" になるのだろう。英語の "cow" という単語には、少なくとも英語的にはオリエンタル・ゾーディアック(十二支のことをこう呼ぶことがある)にはふさわしい動物とはみなされないイメージが付いるのが、一つの理由かも知れない。でも、筆まめの最新バージョンのイラスト集を見るにつけ、どうみても日本人の大半が丑年の牛に対して、 "cow" をイメージすることが多いのは明らかだ。

十二支の干支のイメージの関連でいうと、子年もかなり問題。この場合のネズミは普通は "rat" を使うが、英語的には "mouse" と "rat" のイメージの差は大きい。日本語では「ネズミ」と総称してしまうがミッキー・マウスはあくまでもマウス(ハツカネズミ系)でなければならず、ラット(ドブネズミ系でネガティブなイメージがついている)では、あんなに人気は出なかったろう。またそれゆえに "rat" どもを登場させた『レミーのおいしいレストラン』のストーリーが成立する。その "rat" を我々は干支にしているわけだが、「(ドブ)ネズミの年」の存在を、文化の異なる人間がどう考えているかは、あえて尋ねたことがないのでよくはわからない。

ついでに「卯年って "rabbit" なの? "hare" なの?」という話になる。日本の在来種に "rabbit" は存在しないため卯年のウサギとは "hare" のはずだが、卯年に "rabbit" の絵柄の年賀状も結構ある。わたしたちは日常生活においてイエウサギ(rabbit)(または原種であるアナウサギ)とノウサギ(hare)を区別しないのである。