Jスターを知っている? Jスターを忘れるな。 あれはすごかったんだから。
(この記事の2枚の写真は、「富士ゼロックス新卒採用X-gate」のhttp://saiyo.fujixerox.co.jp/office/1980.htmlから、勝手に使わせていただきました。著作権等の侵害している場合には、削除しますのでご連絡ください。)
仕事でも、研究でも、プライベートでも、いまや各個人用のコンピュータは欠かせないものだ。でも誰もがコンピュータを使うようになったのは、わたしが社会人になってからのことだ。これまでにさまざまな機種を使った。
今まで使ったコンピュータの中で、もっとも衝撃的だったのは、1980年代の半ばに使った富士ゼロックスのJスターというワークステーションだった。これはアメリカのゼロックスのパロアルト研究所(PARC) が創ったGUIのコンセプトに基づく、あの伝説のStar (8010) というワークステーションの日本版だ。現在のMacやWindowsマシンが採用しているウィンドウ、アイコン、マウスといったGUIのコンセプトは、実はこのパロアルト研究所が創ったものなのだ。
このワークステーションはわたしに5つの衝撃を与えた。
第一の衝撃は、Jスターによって、キーボード操作一辺倒の世界から、アイコンをマウスでダブルクイックする世界の門をくぐったことだ。イーサネット、LANという考え方もわたしにとっては新しいものだった。「東京のオフィスのJスターからの操作で、青森のオフィスのプリンタに出力することができる」という説明は夢のようで、技術の進歩に心が躍ったものである。(もっともそれから数年後、東京から操作したWinマシンで、誤ってニューヨーク本社のプリンタに、大量の印刷物を出力させてしまうという事件を起こしたわたしだが…)
というわけで、すべてが新しかったために、実際に操作をするまえに、富士ゼロックスが行なう研修に参加して、現在では当たり前のアイコン、ファイル、フォルダ等のコンセプトの説明を受けた。文書を印刷するときは、プリンタアイコンに、ファイルをドラグ&ドロップするということも、ここで教わった。
第二の衝撃は、わたしの頭の中にあった、従来の日本語のワープロのレイアウトの考え方を、Jスターが壊したことだ。
それまでの国産のワープロ専用機やワープロソフトのレイアウトは、1ページを「40文字×30行」のように、文字数と行数で考えるものだった。ハードとソフトの制約ゆえに、文字の大きさについては、フォントの大きさ変えることはできず、固定ポイントのフォントを全角、半角、倍角、4倍角にすることで、文書のレイアウトのメリハリを付けていた。オフィスのプリンタの主流は、ドットマトリクスプリンタだった。
しかし、Jスターは文字ごとに幅が違うプロポーショナルフォントを採用していたため、「1行=XX字」を指定することは苦手だった。一方、文字の大きさは全角・倍角といった文字の「引き伸ばし」に頼らず、フォントのポイント数を変えることで対応していた。レーザーのネットワークプリンタから出力されるJスターの書類は、どのようなポイントで作っても、ドットマトリクスプリンタとは比べ物にならないほどきれいだった。
第三の衝撃は、当時としては、完璧とはいえないまでも、WYSIWYG(画面で見たままが出力される)だったことだ。それまでのワープロは文字のみがディスプレイに表示され、倍角にした文字も画面上では倍角にはならず、「倍角になっているという印」が表示されているような代物だった。文書全体全体のレイアウトは、「出力イメージ」を見て確かめることになるが、それは現在のWordのプレビュー画面を25%でみているようなものだった。つまり、紙面のどのあたりが文字で埋まり、どのあたりに余白ができるかを確認するだけのものだった。
第四の衝撃は、文書の中に、グラフやドローといったグラフィックを混在させられることだった。これはいまではどのワープロソフトでも当たり前の機能だが、当時のワープロはもっぱら文字のみを担当していた。文書とグラフが混在する文書は、プリントしたものを人間が切り張りしてコピーするのが当たり前だったのだ。
こうみると第一の衝撃から第四の衝撃までは、現在では最初から当たり前のようにある機能で、衝撃でも何でもないだろう。でも、当時は画期的な機能だったのだ。
第五のそして、究極の衝撃は、起動までに要する時間だった。わたしが使っていたころのJスターは、スイッチボタンを押してから操作が可能になるまで、40分以上かかるものだった。おそらく元祖英語版Starはもう少しスピーディだったのだろうが、Jスターは日本語処理の負荷が、かなりかかっていたらしかった。
ある日、Jスターのソフトをバージョンアップをしてもらったところ、起動に1時間近くもかかるようになってしまった。しかも細かい図形をすばやく描こうとして、マウスを素早くひんぱんにクリックすると、Jスターがフリーズするのだ。早く仕上げなければならない描画作りに熱中しすぎると、ついマウスをカチカチやりすぎてフリーズ。忙しいのに、マシンを再起動して1時間待たねばならないということが、何度もあった。
このJスターは、一時期は外資系企業や、DTPを扱う企業にそれなりの台数が出回ったが、Windows 3.1搭載機やMacが出回ったりするようになると、次第に廃れていった。何といっても、大きなワークステーションで場所をとる上に、値段がPCやMacに比べて、格段に高価だったのだ。
Word 97が日本でリリースされたばかりときのことだ。真夜中に派遣会社から電話があり「Word 97をつかって図形混在の文書を作れる人が見つからない!」と泣きが入った。提示された時給に気を良くし、有意義で実りのある1日を期待して、土曜日にもかかわらず指定された会社へ行った。そこはDTPを扱う小さな会社だったが、休日のガランとしたオフィスに入って、わたしは「あっ!」と叫んだ。
立派なJスターが12台、ずらりと並んでいた。しかも、ここしばらく使われた形跡がなかった。
「これからはJスターだと思って、思い切って導入してみたんですけれどねぇ。」出てきたその会社のマネージャーは、力なく言った。「先方が『今回からWordファイルでくれ』って言うものだから…」。わたしはその事務所の隅に1台だけ置かれていたWindowsマシンを立ち上げた。Windowsの起動画面みて、そのマネージャーは「カラーで、きれいですよねぇ。」とため息をついた。
(この記事の2枚の写真は、「富士ゼロックス新卒採用X-gate」のhttp://saiyo.fujixerox.co.jp/office/1980.htmlから、勝手に使わせていただきました。著作権等の侵害している場合には、削除しますのでご連絡ください。)
仕事でも、研究でも、プライベートでも、いまや各個人用のコンピュータは欠かせないものだ。でも誰もがコンピュータを使うようになったのは、わたしが社会人になってからのことだ。これまでにさまざまな機種を使った。
今まで使ったコンピュータの中で、もっとも衝撃的だったのは、1980年代の半ばに使った富士ゼロックスのJスターというワークステーションだった。これはアメリカのゼロックスのパロアルト研究所(PARC) が創ったGUIのコンセプトに基づく、あの伝説のStar (8010) というワークステーションの日本版だ。現在のMacやWindowsマシンが採用しているウィンドウ、アイコン、マウスといったGUIのコンセプトは、実はこのパロアルト研究所が創ったものなのだ。
このワークステーションはわたしに5つの衝撃を与えた。
第一の衝撃は、Jスターによって、キーボード操作一辺倒の世界から、アイコンをマウスでダブルクイックする世界の門をくぐったことだ。イーサネット、LANという考え方もわたしにとっては新しいものだった。「東京のオフィスのJスターからの操作で、青森のオフィスのプリンタに出力することができる」という説明は夢のようで、技術の進歩に心が躍ったものである。(もっともそれから数年後、東京から操作したWinマシンで、誤ってニューヨーク本社のプリンタに、大量の印刷物を出力させてしまうという事件を起こしたわたしだが…)
というわけで、すべてが新しかったために、実際に操作をするまえに、富士ゼロックスが行なう研修に参加して、現在では当たり前のアイコン、ファイル、フォルダ等のコンセプトの説明を受けた。文書を印刷するときは、プリンタアイコンに、ファイルをドラグ&ドロップするということも、ここで教わった。
第二の衝撃は、わたしの頭の中にあった、従来の日本語のワープロのレイアウトの考え方を、Jスターが壊したことだ。
それまでの国産のワープロ専用機やワープロソフトのレイアウトは、1ページを「40文字×30行」のように、文字数と行数で考えるものだった。ハードとソフトの制約ゆえに、文字の大きさについては、フォントの大きさ変えることはできず、固定ポイントのフォントを全角、半角、倍角、4倍角にすることで、文書のレイアウトのメリハリを付けていた。オフィスのプリンタの主流は、ドットマトリクスプリンタだった。
しかし、Jスターは文字ごとに幅が違うプロポーショナルフォントを採用していたため、「1行=XX字」を指定することは苦手だった。一方、文字の大きさは全角・倍角といった文字の「引き伸ばし」に頼らず、フォントのポイント数を変えることで対応していた。レーザーのネットワークプリンタから出力されるJスターの書類は、どのようなポイントで作っても、ドットマトリクスプリンタとは比べ物にならないほどきれいだった。
第三の衝撃は、当時としては、完璧とはいえないまでも、WYSIWYG(画面で見たままが出力される)だったことだ。それまでのワープロは文字のみがディスプレイに表示され、倍角にした文字も画面上では倍角にはならず、「倍角になっているという印」が表示されているような代物だった。文書全体全体のレイアウトは、「出力イメージ」を見て確かめることになるが、それは現在のWordのプレビュー画面を25%でみているようなものだった。つまり、紙面のどのあたりが文字で埋まり、どのあたりに余白ができるかを確認するだけのものだった。
第四の衝撃は、文書の中に、グラフやドローといったグラフィックを混在させられることだった。これはいまではどのワープロソフトでも当たり前の機能だが、当時のワープロはもっぱら文字のみを担当していた。文書とグラフが混在する文書は、プリントしたものを人間が切り張りしてコピーするのが当たり前だったのだ。
こうみると第一の衝撃から第四の衝撃までは、現在では最初から当たり前のようにある機能で、衝撃でも何でもないだろう。でも、当時は画期的な機能だったのだ。
第五のそして、究極の衝撃は、起動までに要する時間だった。わたしが使っていたころのJスターは、スイッチボタンを押してから操作が可能になるまで、40分以上かかるものだった。おそらく元祖英語版Starはもう少しスピーディだったのだろうが、Jスターは日本語処理の負荷が、かなりかかっていたらしかった。
ある日、Jスターのソフトをバージョンアップをしてもらったところ、起動に1時間近くもかかるようになってしまった。しかも細かい図形をすばやく描こうとして、マウスを素早くひんぱんにクリックすると、Jスターがフリーズするのだ。早く仕上げなければならない描画作りに熱中しすぎると、ついマウスをカチカチやりすぎてフリーズ。忙しいのに、マシンを再起動して1時間待たねばならないということが、何度もあった。
このJスターは、一時期は外資系企業や、DTPを扱う企業にそれなりの台数が出回ったが、Windows 3.1搭載機やMacが出回ったりするようになると、次第に廃れていった。何といっても、大きなワークステーションで場所をとる上に、値段がPCやMacに比べて、格段に高価だったのだ。
Word 97が日本でリリースされたばかりときのことだ。真夜中に派遣会社から電話があり「Word 97をつかって図形混在の文書を作れる人が見つからない!」と泣きが入った。提示された時給に気を良くし、有意義で実りのある1日を期待して、土曜日にもかかわらず指定された会社へ行った。そこはDTPを扱う小さな会社だったが、休日のガランとしたオフィスに入って、わたしは「あっ!」と叫んだ。
立派なJスターが12台、ずらりと並んでいた。しかも、ここしばらく使われた形跡がなかった。
「これからはJスターだと思って、思い切って導入してみたんですけれどねぇ。」出てきたその会社のマネージャーは、力なく言った。「先方が『今回からWordファイルでくれ』って言うものだから…」。わたしはその事務所の隅に1台だけ置かれていたWindowsマシンを立ち上げた。Windowsの起動画面みて、そのマネージャーは「カラーで、きれいですよねぇ。」とため息をついた。
あれはとにかく大きい(そして重い)ですからね。いかに伝説といえど、過去の遺物とみなされた瞬間から、オフィスのスペースの有効利用を妨げる、単なる粗大ゴミになってしまったのでしょうね。
のちに改良されたのかもしれませんが、わたしが使っていたころのJスターには、フォントサイズに日本語文書に標準で使われる11ポイントや10.5ポイントがなくて、「いろいろなことができる」と聞いて、DTP用に使おうと導入した印刷会社などは、結構怒り狂っていました。
それにしても、ゆうさんとわたしの年齢のギャップが…(絶句)
J-Star、とてもなつかしいですね。私も就職した印刷会社ではこれで6年ほどDTPの仕事をしていました。
図形を作る練習をしていた頃は、寝る時に目をつぶると4ポイント感覚の点々がいっぱい頭に広がって大変でした。
確かにダウンすると再起動が大変ですよね。でも1時間とはすごいですね!
後に会社にMacintoshが導入され、今度はこれでDTPをやることになりました。最初はJ-Starとの違いに戸惑ったりもしましたが、今でもMacでDTPやってます。
Macは別ソフトで図形や表を作るので、その点ではJ-Starはめんどくさくなくて楽だったなぁと未だに思います。
世の中にMacがちらほら出て来た頃、J-Starのラップトップ型が出るとか出たとかいう噂を聞きましたが、出たんでしょうかね?噂によると7キロくらいあって膝の血が止まるとか何とか・・・(笑)
J-Starの開発に携わった人がMacを作ったと聞いたことがあるんですが、だから概念が似てるんでしょうかね。
とても好きだったので部屋の隅にオブジェとして置いておきたいですねー(笑)
長くなってすいません。
JStarのラップトップとは初耳です。都市伝説でしょうか。それとも少なくとも試作機ぐらいはあったのでしょうか(笑)
MSがWindowsをリリースした時に、アップルが「われわれのGUIをまねした」と、訴訟に発展したとかいう話がありましたが、当時私たちJStarのユーザーは「あれあれ、もともとアップルがゼロックスのまねをしたんじゃ…」などと言っておりました。
わたしが使っていたころは、JStarのフォントには11ptがありませんでした。10ptか12pt。当時の日本語の印刷物のフォントは11ptが基準だったらしく、導入した印刷会社は「日本語の11ptがないとは、DTPには使えないじゃないか!」と怒り、頭を抱えていました。
JStar Club 8100として商品化されております。
urlを参照してください。
数年後、Apple、Win3.1も販売するようになり徐々に移行しました。
J-Starの開発した方がランクXを辞め
MacOSを作ったので流れを汲んでますが、Win3.1はパクりですね。
もちろん今もAppleユーザーです(w
そのためネットワークがつながっていれば
どのマシンでも自分の作業環境を呼び出すことができたのです。出張しても、出先のJ-Starを立ち上げれば、自分のデスクと同じ環境で仕事ができました。このシステムはすばらしく画期的で、WIN も mac も実現できておりません、出張にPCを持ち出さなくてよいのですからありがたいことでした。
スパークステーションにソフトが乗っていたのですから、ソラリス上で実行されていたのだと思っていますが、オープンソース化してほしいところですよね。
一言で言えばパーソナルコンピューターにアーキテクチャーは1種類しかありません。
全てALTOです。
また、皆さんがOSと仰っているものは、J-Star(ALTO)における、ひとつのアプリケーションでしかありません。
UNIXはカーネルという概念を設け、その後Windowに発展、MACはFainder、Windowsにいたっては実行
命令セット単位をエクスプローラーというカーネル???、にされましたが、正確にはそれぞれOSとはいえま
せん。
なぜか、アプリケーションスレッドだからです。
アーキテクチャー、システム命令に世代の置換がないことをご存知ですか。
あと、世界仕事機械(英語にしてください)は、当時機械式タイプライターの会社であり、メディア(NewsWeek、
etc...)を使って何とか事実を歪曲させようとしているようですが、公言しない嘘って本当なのでしょうか。
使いやすさ云々はいろいろ好みがあり別れますが、クリアリングハウスという概念により、ネットワークの上
どこでもローカルデスクトップが現れます。
また現在ルーター、そしてスイッチングハブ、皆さんが便利に使用しているインターネットのほぼ全てを
作り上げたのはALTOであり、J-Starです。
仮想環境(Solaris)に関するコメントもあるようですが、SPARCstationは
元々ALGOSというものを流用(チップをうたい文句に差別化したつもり
...)しただけです。
DRADは現在のカラーワークステーションが実行できることのほとんどを1870年代に実現していました。
NEXT-STEPはご存知でしょうか。
あれは、ジョブスがOSを作ろうとして、レンダリング処理だけは何とかできたところで終わり。
それが皆さんがいつも利用されているAcrobat(C*nonのLIPSも)です。
VistaやSevenにおいてもM社は日本のC社やR社、etc...と2年間手練手管して頓挫、その後日本の某社の
協力により、半年で作り上げたものです。
ThinClientもカラープリンターの画像を転送するプロジェクト(以前確認した限りでは、DMZで「Sun Ray」でgoogle
にて、当時のアライアンス資料がヒットしました。※プロジェクト名が“Sun Ray"、なんてオメデタイのでしょう!)の
副産物でしかありません。
※出力せずに画面に表示しているだけです... 何か?
漢字の変換や一部若干の癖は確かにありましたが、当時Unicordかにより10数カ国の言語を設定のみで
即座に利用できたことや、そもそも網留守トーンを考えれば、漢字変換は日本の某社により開発された
ものではないことになぜ気がつかないのか不思議です。
あと、キーボードが使いすぎ良過ぎたぎたこともあります。
でも、全て始めてひとつのメーカーが1社でやり遂げたこと、その後のバージョンにはちゃんとカラーが存在
していたこと(もとよりDRAD、カラー動画編集処理も。大体開発環境RADはどこが定義したのかご存知でしょ
うか...、インターネットの日本国内における実証実験も...)を正しく考え直す必要があるのではないでしょうか。
ちなみに光通信(ファイバーオプチックはありませんが...)も当時のPARCでは利用していました。
彼らにとってはそうした一つ一つの要素は塵のようなものでしかなかったのではないでしょうか。
そうした意味において、現在ですら馬鹿馬鹿しくなるほど粗末な知恵から紡ぎだされた物を、こともあろうか
ありがたがって利用している姿を見るたびに、憤りとともに虚しくもなります。
以前は「はじめてのおつかい」を見ているような気もしましたが、今はばかばかしさも感じなくなりました。
もちろん仕事の必要からWindowsもMacもUnix(Solaris、LINUX)も利用はしますし、パワポやアクセスも使います。
あえて言えば、J-Star(ALTO、DRAD...)、あんなものは道具でしかありませんし、私にとってはハンマーやドライバー、
そしてプライヤーやテスターと異なるものには見えません。
どのように使うかが問題になりませんか。
でも一度としてJ-Starを利用してドローイングしていたときのような、域下知覚過程に何の障害も感じさせ
ないツールとして使ったかったことはありません。
本当は見るのもいやです。※はっきり言って吐き気がする。
若干適切ではありませんが、アポロとポンコツの中古車を比較するのはやめてください。
最後に、私は某社の社員ではありません。
祇園精舎の鐘の諸行無常の響きあり、それでは皆さんごきげよう♪♪♪...
<参考URL>
・http://guykawasaki.typepad.com/PARCtree.pdf
・http://www.parc.com/about/milestones.html
PS.彼らや、そういった意味でわかっている人たちが何も言わないのは、説明するのもイヤなのではないかと
思いますし、あえて言えば「あまりのデバイドを感じて相互了解不能」とスレッドを置いて(止む終えず一泊置いて)
いるような気もします。