りぼん1975年4月号~7月号に連載されていた大矢ちきの『回転木馬』が、36年たって2月下旬に小学館クリエイティブから初単行本化される。ファンの間では長い間、出版が待たれていたものだ。しかも、あの美しいカラーを、完全復刻したものらしい。
大矢ちきは、漫画家としては1972年~75年までしか活動しておらず、その後はイラストレーター・パズル作家「おおやちき」として活躍しており、少女マンガとしての最後の作品が『回転木馬』だった。連載終了後、すぐにコミックス化されるものと考えてずっと待っていたのだが、いくら待っても出版されず、悲しい思いをしていた。出版社側が原稿の一部を紛失してしまったために、単行本化できないという噂があったが、真偽のほどは知らない。
1970年代の少女漫画と言えば、舞台設定の多くは憧れの欧米だった。とはいえ、漫画家はほとんどの場合人種の描き分けができず、全く同じ絵柄で、話によって舞台を日本にしたり外国にしたりしていた。
が、大矢ちきは違った。どう考えても日本を舞台にするには不向きの画風を持っていた。西洋的かつ緻密で、エロティシズムに満ちている。カラーページの色遣いは、美しいが「過剰」なほど。例えてみれば、間違いなく西洋に倣っているのに、あまりにも過剰なために「こんな服すごいは自分の国にはない」と外国人モデルたちに言わせた、かつての金子功のピンクハウスのようなもの。大矢のこのような画風では、必然的にヨーロッパが舞台にならざるを得ない。『回転木馬』はフランスが舞台だった。
「りぼん」で活動していた短い期間の彼女の作品でとりわけ印象に残っているのは、今回単行本化される『回転木馬』のほか、イタリアの貧しい大道芸人の父子を描いた『白いカーニバル』(1974年3月号)だ。フェデリコ・フェリーニの映画のようなストーリーと彼女の絵がマッチして、それはとても悲しく美しい話だった。フィギュアスケートが舞台の『雪割草』(1975年1月号)、そして、コメディの傑作『おじゃまさんリュリュ』(1974年4月号~8月号)も心に残る。
ちなみに、りぼんの1975年5~12月号には、一条ゆかりの『5愛のルール』連載されており、連載期間の一部は『回転木馬』と重なる。
なにしろ、あのころの「りぼん」はすごかったのである。
大矢ちきは、漫画家としては1972年~75年までしか活動しておらず、その後はイラストレーター・パズル作家「おおやちき」として活躍しており、少女マンガとしての最後の作品が『回転木馬』だった。連載終了後、すぐにコミックス化されるものと考えてずっと待っていたのだが、いくら待っても出版されず、悲しい思いをしていた。出版社側が原稿の一部を紛失してしまったために、単行本化できないという噂があったが、真偽のほどは知らない。
1970年代の少女漫画と言えば、舞台設定の多くは憧れの欧米だった。とはいえ、漫画家はほとんどの場合人種の描き分けができず、全く同じ絵柄で、話によって舞台を日本にしたり外国にしたりしていた。
が、大矢ちきは違った。どう考えても日本を舞台にするには不向きの画風を持っていた。西洋的かつ緻密で、エロティシズムに満ちている。カラーページの色遣いは、美しいが「過剰」なほど。例えてみれば、間違いなく西洋に倣っているのに、あまりにも過剰なために「こんな服すごいは自分の国にはない」と外国人モデルたちに言わせた、かつての金子功のピンクハウスのようなもの。大矢のこのような画風では、必然的にヨーロッパが舞台にならざるを得ない。『回転木馬』はフランスが舞台だった。
「りぼん」で活動していた短い期間の彼女の作品でとりわけ印象に残っているのは、今回単行本化される『回転木馬』のほか、イタリアの貧しい大道芸人の父子を描いた『白いカーニバル』(1974年3月号)だ。フェデリコ・フェリーニの映画のようなストーリーと彼女の絵がマッチして、それはとても悲しく美しい話だった。フィギュアスケートが舞台の『雪割草』(1975年1月号)、そして、コメディの傑作『おじゃまさんリュリュ』(1974年4月号~8月号)も心に残る。
ちなみに、りぼんの1975年5~12月号には、一条ゆかりの『5愛のルール』連載されており、連載期間の一部は『回転木馬』と重なる。
なにしろ、あのころの「りぼん」はすごかったのである。
![]() | 回転木馬 (復刻漫画名作シリーズ) 価格:¥ 1,365(税込) 発売日:2011-03-03 |