巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

肉球がアタシに「ここはトイレだ」と教える

2004-04-30 21:41:22 | ノラネコ
昨日、植木鉢の植物のいくつかを、母が庭に植え替えた。庭は、植え替えのために掘り返されたので、黒土がふかふかだ。ニワトリなら、この土の状態を見れば、一目散に砂浴びにいくに違いない。(が、現在わが家にニワトリはいない。)

さっそく、ノラネコが1匹来た。器量が悪いために、「ゴキリョウ」とあだ名がついているヤツだ。このゴキリョウはいつもは用心深く、人が大声をあげれば逃げていくのだが、柔らかな土の感触に興味津々らしく、こちらに目もくれず、声を上げても一向に逃げる様子がない。嫌な予感がした。

今日の夕方までに、植物を植えたところ2箇所に、ネコのフンが。やっぱり、やられてしまった。

ネコは肉球の感触で、トイレの場所を決めるのだそうである。催してからトイレの場所を探しに行くのだろうか。それとも、トイレに最適な場所を肉球が感知すると、その刺激が脳(その大きさはネコの額ほど)へ送られ、自動的に催すようになっているのだろうか。

とにかく明日は、ホームセンターで「のら猫にげる」(ネコの忌避剤)を買ってこないと。


朝日新聞社説「非常勤講師――こんな処遇ではいけない」

2004-04-30 19:52:23 | ニュース
という、社説が2004年4月28日付朝日新聞朝刊にあったので、転載しておく。そして、社説には書かれていないが、複数の大学では、以下のような実態になっていることを付け加えておきたい。もちろん、自分が授業を持っている大学が、下記の通りだなどと、主張するつもりはない。

◆ しばしば非常勤講師は、1コマあたりの賃金がいくらかを、事前に大学にたずねることはできない。たずねたとしても、「そんなことをたずねるのは非常識である」という顔をされるか、はぐらかされる場合が多い。

◆ しばしば非常勤講師は、実際に勤務後も、1コマあたりの賃金がいくらかを正確に把握できない。なぜなら、給与明細を受け取るには、不便で居心地の悪いところへ自ら出向いて、嫌な顔をされなければならないからだ。

◆ しばしば、非常勤講師は、給与の振込日が毎月何日であるかを事前に知ることができない。月末あたりに預金通帳に記帳し特定の日付における大学からの入金を確認し、初めて「ああ、この大学の非常勤講師の振込日は○○日らしい」と、検討をつけることができる。

◆ しばしば非常勤講師は、自分の1コマあたりの賃金の正確な額を知るのは、源泉徴収票を受け取ったときである。

そして、とどめは、

◆ しばしば非常勤講師は、大学側にこのような実態の改善を申し出たりすると、次年度の職を失う。その大学ばかりでなく、事情を知る他の大学からも、「見せしめ」として干されることがある。

以下、件の社説を全文転載。直接の引用元はhttp://www.asahi.com/paper/editorial20040428.htmlより。

Quote

■非常勤講師――こんな処遇ではいけない


 大学ではいま、新入生が教養科目や基礎科目を受講し始めたところだ。学生たちの目には、どの科目の先生も同じように見えるかもしれない。

 しかし、大学の先生は二つに分かれ、待遇に大きな格差がある。専任教員は月給が支払われ、個別の研究室と研究費が与えられる。一方で、非常勤の教員は講義に応じて賃金が支払われるだけで、研究室も研究費もない。

 非常勤の教員には、ほかの大学の教員や企業人など、別に仕事を持っている人もいる。しかし、ほかに仕事を持たず、大学で教えることを専業にしている非常勤講師の場合は深刻だ。

 彼らも研究者であり、業績の審査を受けて教壇に立つ。専任教員と同じように学生に教え、試験をして採点する。

 首都圏や関西の非常勤講師組合の調査によると、1コマ、90分の講義を受け持って、平均賃金は年30回で計約30万円。年齢は平均で42歳だ。講義の準備や試験の採点にかかる時間を考えれば、学生の家庭教師並みの時給である。

 専任教員並みに5コマの講義を担当しても、年収は150万円ほどにしかならない。講義のための本代や学会に出席する費用は自己負担だ。契約は1年ごとで、専任教員になれる保証もない。

 文部科学省の調査によると、専業の非常勤講師は全国で延べ約6万7千人にのぼる。いくつかの大学を掛け持ちしている人が多いので実数は2万数千人と見られるが、こうしたパートタイム教員が科目の3~4割を担当しているのが日本の大学の現実である。

 非常勤講師がこんなに増えたのは、大学が人件費を抑えようとしたからだ。学生が増え、大学で教える科目が多くなったにもかかわらず、専任教員をそれほど増やさなかった。

 大学院を修了した人たちが増え、教員予備軍があふれていることにあぐらをかいてきたともいえる。

 文科省もさすがに放っておけなくなったのだろう。私立大学への助成で、非常勤講師の賃金の補助単価を今年度から5割引き上げた。この際、私立大学は補助金に自主財源をもっと上乗せして、待遇を改善すべきだ。

 文科省は国立大学に対しても「4月の法人化後、非常勤講師はパートタイム労働法の適用を受けることになる」と通知した。法人化で教職員は公務員でなくなり、一般の労働法の適用を受ける。国立大学も専任教員の待遇とのバランスを考えなければならないというわけだ。各大学はこの通知を重んじてほしい。

 いまや多彩なカリキュラムを組むには非常勤講師は欠かせない存在となっている。だからこそ、研究と教育への意欲を持てるように処遇することが、学生たちのためにも必要である。

 大学が自らこの問題に取り組まなければ、大学の自治や学問の自由の理念が泣くだろう。非常勤講師の問題をいつまでも大学の恥部にしていてはいけない。


Unquote

そんな状態でも、多くの人間が非常勤講師を続けているのは、多くの場合、研究や学生に対する愛情からだ。「学生が好きだ」と、彼らの多くが語る。その思いが、学生たちには届かないこともあるけれど。


加齢により唇が薄くなる…はず…

2004-04-29 23:28:23 | 美容と健康
人間の唇の厚みは、加齢により徐々に薄くなっていくということは、よくいわれる。

40代向けの女性誌にも、「歳をとると唇がやせるので、リップラインは実際より心持ち外側に描きましょう」と書いてあるし、4月6日のブログに書いた『フェイササイズ』の本にも、唇をふっくらさせるエクササイズが2種類もある。

が、わたしにはそのような心配は無用らしい。薄くなり続けても、当分は平均値の厚さにならないだろう。「アウトカーブのリップラインはやめろ」だの、「色の濃い口紅はやめろ」だの。

どうせ、たらこだよん。


英文履歴書

2004-04-29 13:28:42 | 異文化コミュニケーション
修士課程時代の友人発行しているメルマガに、「英文履歴書の行間」というタイトルで、ここ数回原稿を書いている。内容は、市販の英文履歴書の本では、あまり扱っていない部分に関してだ。

実は英文履歴書といっても、それを読むのがネイティブの外国人とは限らない。英文を出させても審査するのが日本人という場合はかなり多いし、英文履歴書を提出させる真の目的は様々だ。(単に採用側が国際派を気取りたいだけのために、英文の履歴書を応募者に求めることもある。)そのため英文履歴書を見る採用者の視点には、しばしば日本人独自の視点というものが入ってしまい、英文履歴書のセオリーどおりにつくると、かえってドツボにはまることも… という話を中心に展開している。

「ネイティブ視点では完璧な英文履歴書だけれど、日本市場という特殊な事情も考えるとちょっとまずいかも」という履歴書は、結構ある。同様に、「保守的な日本人採用者の受けはよさそうだが、ネイティブの目にはとまらないだろう」というものもある。

さて、今回は書類選考をATS(Applicant Tracking System = 応募者追跡システム)というソフトウェアが行なう場合に提出する、eResumeレクトロニック・レジュメを取り上げた。日本の転職市場を考える限りeResumeはあまり必要ないかもしれない。しかし、外資系(特にIT指向の高い米国系)企業への転職後に、その企業の人事から提出を求められる可能性がある。それに、メルマガ読者の多くがIT関連企業にいるため、ATSの特徴を説明しておくのも、何らかの時に役に立つかもしれないと考えた。

とはいえ、eResumeに対する国内の転職市場でのニーズの薄さを考えて、サクッと短く終わらせたかったのに、連載を2回分使ってしまった。おまけに、2回目はeResumeの書き方のルールを列挙したため、いつもより原稿が長くなってしまい、発行人にはかなりの迷惑をかけてしまった。す、すみません。

次回は初心に戻って、「Functional Resumeの真実」だ。短くまとめるぞ!

このメルマガ「B-zine」が読みたい人は、発行人の加藤さんへ。メルマガ内のわたしの文体は、読者にやさしい「です・ます」調で、このブログの突き放したような書き方とは異なる。5月27日には新宿のホテルで読者の集いもあり、わたしも参加することになっている。


恋愛運より金運

2004-04-28 21:36:48 | 日記・エッセイ・コラム
占いを信じてはいない…

信じてはいない…が、つい気になってしまうので、たまに目を通している。わたしが目を通すのは、全体運はともかく、金運中心だ。恋愛運には目もくれない。

占いの特集は、若い女性向きの雑誌に多い。ターゲットとなる購読者層にアピールするためか、Frauにしろ、Hanakoにしろ、こういった雑誌の占い特集は、恋愛運を中心に組まれているものである。そのため、恋愛運を飛ばすと読むところが極端に少なくなってしまう。

ところで、わたしはつねに、金運・仕事運しか読まない自分が情けなかった。しかし無理やり恋愛運を読んでみても、まったく面白くないのだから、仕方がない。恋愛運に興味がないのは、自分が年をとったからだと思っていた。

しかし、昨年「英語プレゼンテーション」を履修している4年生の女子に聞いたところ、全員が「占いでは恋愛運より金運を読む」と答えた。(「やっぱり金運ですよ。決まっているじゃないですか、先生!」)

ということは、これは年齢の問題ではないらしい。そう、女性は夢はみつつも現実的な生き物なのだ。

では、どうして雑誌は恋愛運を中心に特集するのだろうか。

雑誌を編集する側に、「女性だったら恋愛が一番重要であるはず」という思い込みがあるのかもしれないと思ったが、考えてみれば編集者がそんなに頭が悪いはずがない。

恋愛は「思い込み」が多いので、恋愛運が「当たる」「当たらない」の尺度は、きわめて主観的なものになる。だから、当たったと思えば、当たっていると感じられる。しかし、金運は「金がいくら入った」「失われた」という、客観的な尺度で測れるものだ。思うに、客観的尺度で測れるものを占い特集の中心においたら、外れた場合の読者のクレームは、より深刻なものになるに違いない。

さて、わたしは今日コンビニで、an・anの「'04年後半・あなたの恋と運命を占う」を買ってしまった。占いを信じていない、が…