巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

死亡時の手続き:簡単すぎた医療保険の解約

2009-12-29 11:05:16 | 日記・エッセイ・コラム
本人死亡を理由とする携帯電話の解約には苦労したのだが、意外とあっけなく解約できてしまったものがある。外資系の医療保険だ。電話1本でだけで解約できてしまった。


医療保険というのは基本的には生きている人の医療費のためのものだ。誰でもいつかは死ぬのであるから、一般的な医療保険に死亡給付金がついていたら、月々の保険料をかなり高めに設定しないと保険会社はやっていけないと思われる。だから、医療保険の多くは死亡時には何も出ないか、あるいは死亡保険金もらうためには別途特約に入って高い掛け金を支払わなければならなかったりする。父が入っていたのも死亡保険金がないタイプのものだったが、父は加入時から高齢だったこともあって、結構な額が口座から毎月自動的に引き落とされていた。

さて、父の死により「某共済」「某傷害保険」そしてこの「某医療保険」の3つの保険を早急に止めたかった。この3つの保険は保険料が口座自動引き落としになっており、父の死による口座凍結の結果、連絡しないでおくと「督促状」がきてさらに面倒くさいことになりそうな気がしたのだ。

この3つの保険はいずれも病死に対応していないので死亡時保険金は出ないのだが、いずれにしろ保険を解約する理由とその証拠が必要ということで、共済と傷害保険については所定の書類の提出と、死亡を証明する書類のコピー(「除籍謄本」「住民票の除票」「死亡診断書」などがこれにあたる)の添付を求められた。(この3つとは関係がないが「自動車保険」も同様の手続きが必要だった。)

しかし、件の医療保険の対応は一味違った。父のアパートに残された代理店の連絡先と保険証書番号をもとに電話をかけたわたしは、まずは身元確認替わりに父の生年月日と住所と電話番号を聞かれ、その後事情を説明したところ、即座にこう返された。

「そうですか。申し訳ないのですが、私どもの保険は生きている方のためのものですので、私どもにできることはございませんので。」

その口調に何となくムカつきを覚えつつの、きわめて冷静を装い「それは存じておりますが、解約の手続きのためにお電話を差し上げているのですが、どのようにしたらよいのかお教えいただきたいのですが」と慇懃に返したわたしは、「それでは、解約の書類をお送りいたします」と言われて、こちらの住所と電話番号を残してひとまず電話を切った。

が、その5分後、先方から電話がかかってきた。
「お客様のご都合で解約ということでこちらで手続きをいたしますので、これで結構です。何もいりません。では。」

なんだかキツネにつままれた気分になった。人が一人死んだ時の死亡時の諸手続きは大変だ。だから、このような申し出はありがたいはずなのだが、あっさりしすぎではないか。この手続きの話を周りの人たちにしたら、何人かが「外資系の保険会社だからじゃないか?」といった。しかし、「外資系だから解約があっさりしている」というのとは、ちょっと違うと思うのだが。

こんな風に、電話一本で解約ができてしまうのだとしたら…

たとえば、の話。「とにかく、1円でも多く飲み代がほしい」と思ったアルコール依存症の配偶者が、保険会社に電話をかけて「主人(または妻)は死にましたので解約します」といえば、それで解約できてしまうことになるわけだ。配偶者なら被保険者の氏名も住所も生年月日もわかっているし、保険証書の番号だってすぐにわかるはずだ。だから、「アタシ(あるいはオレ)は生きているのに、自分が知らないうちに自分の保険が『死亡』を理由に家族に解約されていた」なんてことが、できてしまう可能性がある。

いやもちろん、ねことアヒルは力を合わせてみんな幸せを招こうとしているはずだ。

しあわせよ しあわせよ ここに来ておくれよ

ただし、「みんな」とは「生きている加入者」のことだが。

ちなみに父は、医療保険に結構なお金を毎月払っていながら、一度も病院へは行っていなかったらしい。

死亡時の手続き:意外とやっかいだった死者の携帯電話の解約

2009-12-20 19:31:17 | 日記・エッセイ・コラム
父の死がわかったのは、とある土曜日だった。発見時にすでに死後数日が経過していたことから行政解剖に回された。

行政解剖の場合には、監察医務院が出した解剖時の死体検案書というのが死亡証明になる。解剖直後に最初に渡される死体検案書は、肉眼的所見により死因を推定した暫定版のようなものだが、これをもって役所への届けや埋葬許可などの手続きをすることになる。役所が発行する除籍謄本や住民票の除票は、役所に死亡の届けを出してから数日間経たないと出来上がらないため、急を要する金融機関の口座締結なども、この死体検案書を持って銀行へ行く。なお、役所が保険会社で保険金を請求する時などに必要な死因を確定した死体検案書は、それから40~50日に日数が必要になる。

さて、今回父の死はわたしが手術のために入院をする直前に来た。というわけで、入院前にできる限りの手続きを早急にしなければならなかった。役所への届け出や埋葬許可の取得は実際には葬儀会社がやってくれたのだが、「口座の凍結」「(口座からの自動引き落としを止めるために)取り急ぎ保険会社に連絡」「アパートの荷物を全部撤去する」「ガス、電気、水道、新聞、電話、CATV、新聞等を止める」等はこちらがやらなければならない。(これらの中にはもちろん、死亡証明を出す必要がないものも多数ある。)

この中で、一番話を通しにくかったのが、なんと父の携帯電話の解約である。なぜかというと、

「死亡時の解約は、それを証明する書類の原本がないと受け付けません」

と、父が加入していた携帯キャリアの販売店の店員が主張したからだ。
この言葉には困ってしまった。というのは、わたしがもらった死体検案書はそれ自体が最初からコピーだったからだ。この場合のコピーとは「写し」とか「謄本」とかいう意味ではなく、「フォトコピー」(つまりコピー機で複写したヤツ)である。しかも、役所の除籍謄本や住民票の除票はまだできていない段階だった。わたしはもらった死体検案書が最初からコピーである旨を説明したが、耳を貸してくれない。

死亡時解約でそれを証明する原本を求める一方で、死亡時解約を行う人間は誰でも良いと言う。他のものについては、止めるときに本人との関係を常に聞かれたので、わたしは故人の関係を店員に説明しようとしたところ「いえ、それは別に誰がやってもいいんですが」と「説明されても困る」といった表情。

そしてあくまでも解約を渋り、目の前で本部らしきところに電話をかけ、「死亡を証明する書類の原本ではなくコピーで解約しようとする方がいる」と、いかにも迷惑な客が来たといった風情を全身で醸し出し、電話で長々と話している。

もし熱を出して(詳細は「あのときの「風邪」は、風邪ではなく…」を参照)絶不調な状態でなければ、わたしは切れていただろう。またはもし、わたしが自分の病気に加えて父の死に精神的な打撃を受けている状態であったら、店員に向かって泣き叫んでいただろう。でも、自分の病気も父の死も客観的にしか受け止められなかったわたしとしては、イラっとした表情をちょっと見せただけだったが。(その日のうちに次に行いたい手続きがあったのだ。)

結局、店員は電話の向こうの話し手から「解約可能」の結論をもらったらしいのだが、その後は、「ここで解約をしたら、携帯電話の権利を無料で家族に譲れるという特典が無くなります」と、あくまで解約を回避しようとする。

しかし、この携帯会社の権利を無料で譲られても困る。わたしNTTドコモのユーザーなのだが、これより3週間ほど前に、自分の入院と手術を見越して、母に携帯を買い与えファミリー割引の手続きを取ったばかりだったのだ。

すったもんだの末解約ができたのは、30分以上たってから。本人死亡による携帯電話の解約がこんなに大変なものだとは知らなかった。もしかして、理由の如何にかかわらず、解約が販売店にとって大きなペナルティになるのかしら、このガンガンメールの携帯キャリア。

あのときの「風邪」は、風邪ではなく…

2009-12-13 12:32:47 | 日記・エッセイ・コラム
月曜から某社のオフィスの空調がウォームビズ対応になるという。暖房の設定温度を20℃にするということなのだが、ちょっと待ったぁ。あのオフィスは冬はかなり乾燥していて、常に湿度が30%台前半ではないか。寒くて乾燥しているなんて、インフルエンザのウイルスが一番お悦びになる環境じゃあございませんか。

というわけで、あわてて昨日のお昼直前に、季節性インフルエンザの予防接種を受けた。いつもなら11月に受けに行くのだが、今年は自分自身の病気と入院、そして父の死とその後始末で、受けるタイミングを失っていたのだ。

インフルエンザの予防接種は、わたしにとっては常に副反応覚悟の行為である。例年、接種個所は盛大に腫れあがり、接種数時間後から熱を出し、しばしば熱は2~3日続き、全身の関節と筋肉が痛んで仕事にならない。それでも本格的なインフルエンザに罹ると2週間ほどダウンしてしまうため、それよりはマシだと思って受けに行く。

ところが、今回に限っては何ともない。熱もないし、節々も痛くならない。たしかに腕は腫れたのだが、その直径はわずか3cm。しばしば10cm以上腫れあがるいつもの年と比べたら大きな差である。

なぜか?

わたしの体質が変って急に元気になった…なんてわけはなく、考えられるのは父の死の知らせを警察から受けてから手術のために入院するまでの約2週間の間に罹っていた「風邪」が、実は季節性インフルエンザだったということ。咳や鼻水はそれほどでもなかったのだけれど、微熱が数日間出て全身が痛かった。でも忙しかったので、市販の風邪薬でしのいで、マスクをかけて忙しく動きまわっていたのである。

実は、わたしは今年の2月に、更年期障害の諸症状だと思っていたものが、実は予防接種を受けていたための熱が出ないインフルエンザだったことに、後で気づいたという経験がある。おそらく今回罹った「風邪」も2月に罹ったインフルエンザと似たウイルスであり、その結果予防接種を受けていない状態にもかかわらず、微熱で済んだんじゃないかと。

で、入院日には体調がもとに戻って一安心だったかというと、そうではない。実は今だから言えるけれど、入院直前に生理が来てしまった。手術と生理がぶつかってしまう女性は結構多いそうなのだけれど、「全身麻酔なのに、なんでこんなにタイミングが悪いんだ」と嘆いていたら、手術日の早朝にピタリと止まった。

今年は、最悪になりうる事態が最悪になりうるタイミングで次々に来た。年女ゆえの「(災厄の)当たり年」というやつかもしれない(わたしは毎年が厄年みたいなんで、信じてないけど)。が、いろいろ重なって来るわりには、なぜか本当に最悪の事態とタイミングからは辛うじて免れているという不思議な年でもある。


今年もカレンダー確保が難しい

2009-12-06 19:55:08 | 日記・エッセイ・コラム
毎年12月になると、頼まなくても様々な企業や商店がカレンダーを送って来る。かなり大量のカレンダーが送られてくるので、毎年余り気味だった。ゆえに、これまでは家のためにカレンダーを買う必要はなかった。

ところが昨年末は事情が変った。経済環境の悪化のせいでカレンダーを配る企業が減ったらしく、年末までに家での使用(つまりインテリアとの調和)に耐えられるカレンダーが集まらなかったのである。よって、経済環境が改善していない目下のところ、同じ事態を繰り返してはならないとばかりにカレンダー集めを開始したのであるが、やはり以前のように大量には集まらない。

ところで、実は自分の机や自分の部屋で使用するカレンダーは、毎年自分で購入している。自分の趣味に合わないものを毎日眺めたくないからだ。

が、今年はこの自費購入の方にも赤信号が。これまでオフィスの机で愛用していたイラストレーターのキバサトコ(ピスタチオフロッグ)氏のCDサイズのカレンダーが、2010年分からは販売されないからだ。あのイラストが、オフィスで乾ききったわたしの心のオアシスだったのになぁ。



ヨガを再開

2009-12-02 23:27:06 | 美容と健康
手術のために中断していた日課のヨガを、本日再開した。

片側の全乳房切除とはいえ、リンパ節に関してはセンチネルリンパ節である3個のみを取っているせいか、腋窩リンパ節郭清(脇の下のリンパ節を全て取ること)の場合よりも、そしてもちろん胸筋を切除した場合よりも、ずっと楽に腕が動いているはずである。

それでも手術後は、腕や脇が突っ張って脇が十分に開かず、腕が以前のようには高く上がらない。そこで、毎日地道に「術後のリハビリ体操」に励んできたのである。そして手術から1カ月弱、かなり腕が上がるようになった。

したがって本日、慎重にヨガを再開。

やってみたところ、大体のポーズはとれるようだ。具体的にいうと、アーチのポーズのようなものはまだできないが、鋤のポーズのようなものは問題なし。牛の顔のポーズやワニのポーズのようなものは、多少加減をしながらやっていけばどうにかなる。半年もたてば、どれも以前のようにできそうである。(これらのポーズの名称についてはヨガでは有名なものばかりなので、「?」と感じた方は、ググってみてください。)

そしてやはり無空のポーズは気持ちが良い。このポーズは別にヨガの途中ではなくてもできるのだが、やっぱりヨガの他のポーズと組み合わせた時、そしてヨガの最後に行ったときが最高に効くような気がする。

一方、やはり日課であったダンベルを使ったエクササイズはまだ再開していない。「手術をした方の腕で重いものを持たないように。もう、以前の体とは同じではないのだから」と乳がん介護認定看護師に言われたためである。

しかし、手術をしてない側の腕は、ダンベルを持ちあげたがってウズウズしている。じゃあ片側だけでやってみようか。しかし、体の片側だけ鍛えるのも、かえって体のバランスを崩すようで良くなさそうだ。では、以前と同じ4 kgのものではなく、もっと軽いダンベルでやってみたらどうだろうか… などと、家にある1 kg、2 kg、4 kgのダンベル(それぞれ1対ずつある)を眺めては、思案している今日この頃である。

◆◆◆

ところで、手術の前に最後にヨガを行ったのはいつかというと、それは手術の日の朝だ。朝8時半からの手術だったのだが、朝起きていつものようにヨガをやり、ウォークマンでモーツァルトのピアノ協奏曲の23番(1993年のグルダの弾き振りのやつ)を聴きつつ、第三楽章でノリノリで体を揺らしながら患者用手術着+T字帯に着替えたのだった。(「T字帯」がどういうものかわからない人は、ググってみること。)おかげで生涯初めての手術(しかも全身麻酔だぜ!)に対する不安も緊張感も、我ながら呆れるほど無かった。この妙な平常心も、ヨガの効果か効能か???