巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

わしゃビーフ

2012-07-23 23:15:56 | 日記・エッセイ・コラム
「わしゃビーフ」
Wasabeef_1


山芳製菓「わさビーフ」のマスコットキャラクターであります。

Wasabeef_2

このマスコットキャラは、東京都板橋区常盤台にある山芳製菓の本社のてっぺんにあり、東武東上線の車内からよく見えます。(ちなみに板橋区には湖池屋の本社もあります。)

わたしは丑年生まれのこともあって、牛キャラが大好きです。それも、bull(例:メリルリンチ)じゃなくてcowが好き。晩餐館の「バンコ」も好きだし、牛飼いになりたくて、一時はGateway2000のノートを持っていました。


救急車を呼ばなくて、多分正解

2012-07-16 12:54:29 | 日記・エッセイ・コラム
もう1ヶ月も前の話だが、母の体調がにわかに悪くなった。

激しいめまいと吐き気と嘔吐。体を起こすのも大変そうで、体を起こした途端に吐き気が強くなり嘔吐する。脱水症状が怖いので、水分を取ろうとするが、少しでも水を飲むとそれをすぐに吐いてしまう。さらに吐き続けて胃液を吐いている。

実は数年前に救急車を呼んだときは、結果的には母の状態はそれほど悪くなかった。近くのT病院に救急搬送され内科の医師に診てもらったのだが、点滴を受けるとふらふらと立ち上がることができるぐらいにはなり、その日のうちに帰ってくることができた。

が、今回は、症状そのものは数年前の状態に似ているが、その時よりも悪そうだ。


迷った末に、東京民間救急コールセンターへ電話して相談し、サポートCab(タクシー)を回してもらうことにした。行先は数年前と同じT病院。わたしはビニール袋と紙袋で即席エチケット袋を作り母に渡した。母は玄関から距離にして10メートル以上ある門扉まで歩くのも一仕事。距離にして約2キロのタクシーの中でもエチケット袋の出番は多かった。

症状がどうであれ、タクシーで病院に行ったからには、あくまでも扱いは一般外来。受付では「めまい」という症状と最近の通院履歴から耳鼻科へ回され、混雑する外来の中、かなり間待たされた。

座るところがなかったため、待ち時間の間、病院は車いすを貸してくれたのだが、母にとっては座っているのも大変だった。そして肉親としては、その状態を見ているのはつらい。「母の診察を優先してほしい」と言おうか? そんなことをしたらモンスターペイシェントになってしまうだろうか。そんなことが頭の中でぐるぐるとまわり、結局は1時間以上おとなしく待っていることになった。

今回は、前回とは異なり、点滴などしてもらっても、やはり駄目だった。点滴のあと数歩ふらふらと歩いた母は、すぐにしゃがみ込み、手製エチケット袋に顔を突っ込んだ。吐き気止めだという飲み薬も効かない。なにしろ、薬を飲んでも、薬のために飲んだ水と一緒にすぐ吐いてしまうからだ。

これでは帰れないと思ったが、病院は「耳鼻科には患者を入院させる権限がないから、帰ってくれ」という。そこで仕方なくタクシーを呼びどうにかこうにか帰ったのだが、これもまた大仕事。翌日も病院に連れて行ったが、前日と全く同じことが起こり、再びタクシー、検査、点滴、タクシーのフルコース。母にはすべての作業に吐き気と嘔吐が伴っていたようだ。

結局、母の状態はそれほど深刻なものではなく、それから2週間かけてゆっくりと回復に向かっていった。しかし付き添う家族にとって結構大変なことだったらしく、スケジュールを全てキャンセルしなければならなかったうえに、母が良くなったのを待っていたかのように、今度はわたしが熱を出してダウンしてしまった。

「こんなに大変なのなら、あの時は救急車を呼んですぐに内科の医師に見てもらい、入院させたほうが良かったのでは」と思いながら歩いていたある日、タクシーと自転車に乗った子供がぶつかった現場に出くわした。

子供は5 mほど跳ね飛ばされ、頭を打って頭から血を流していた。すでに救急車を呼んだとのことだが、それから10分近くたっても救急車はこない。子供の意識はあり、泣き叫んでいたが、道路には子供の頭から流れたちがべったりとついていて、軽傷ではない。見物人が徐々に増え、誰もが救急車がなかなか来ないことにイライラしている。

消防署からそれほど離れていない場所なので、おそらく救急車のやりくりに手間取っているのだろう。救急車が来るまでの時間が、本当に長く感じられた。

救急車は、この子のような本当に急を要する人のためにある。母は結果的には、救急車を呼ばずとも回復に向かった。だから、救急車を呼ばないというわたしの選択は正しかった。ただしそのことで、母の負担もわたしの負担も、相当なものになったのだが。


Exilimのポートレートモードは七難隠す

2012-07-14 23:49:53 | ガジェット/モノ
他人であれ自分であれ、ポートレートは撮影しない。だから、普段は自分の持っているデジカメで、どのように人が写るのかには無関心だ。

さて今回、たまには自分の顔の状態を客観的に判断しようと、顔の正面ドアップを撮影することにした。

「自分の顔を確認するのなら、鏡を見ればよいじゃないか」と言われるかもしれないが、実はこれではきちんとした判断はできない。網膜はきちんとわたしの顔の像を結んでいるはずだが、どういうわけか脳の中のフィルターが自分にとって都合の悪いものを無視するらしい。で、気づくのが遅れたりする。

というわけで、部屋の中に三脚をたてタイマーを使って、洗顔後化粧水をつけただけの完全スッピンの撮影開始。

使ってみたのはCASIO Exilim のEX ZR-100。手軽さゆえに、最近いつもバッグにいれて頻繁に使っているコンデジだ。ごちゃごちゃした設定は面倒くさいので、一般的なポートレートモード(ベストショット「人物を写します」)にして撮影だ。ちなみにこの機種にはメイクアップモードはない。

ところが、撮影した画像ファイルをPCでチェックしてみると何かがおかしい。そこで、カメラを古いデジ一Canon EOS Kiss X3に替え、やはりプリセットされたポートレートモードで撮影してみる。このEOS Kissは素人向けで、初期モデルより「親御さんがお子さんの写真を撮る」というシチュエーションのCMを流してきたシリーズである。

Skin画像ファイルをPCにアップしてガーン。EOS KissとExilimとでは、全く違ったものが現れたからだ。どちらもミラーレース(プライバシーレースともいう)のカーテンをひいた曇りの日の室内で、同じ条件にてそれぞれのプリセットされたポートレートモードで撮影した。そしてどちらの場合でもフラッシュが発光した。

一言でいえば、Exilimではきれいすぎる肌に写ってしまう。まず色出しから違う。おそらく多くの日本人がより好ましいと感じるであろう肌の色に補正されている。さらにすごいことに、肌のアラがほとんど吹っ飛んでしまっている。ウッヒョー!!

完全すっぴんのドアップにもかかわらず、Exilimで撮ったわたしは、毛穴もシミも肌の色むらもほとんどなく、しかもかなりの色白だ。51歳(ゴホゴホッ)の女性として決してシワの多いほうではないが、それにしてもシワが全くないつるんとした状態に仕上がっている。唇もきれいな色出しだ。そういえば、フラッシュがかなり強かった。あれで隠したい肌のアラが一気に飛んだらしい。

少なくとも肌のテクスチャーに関しては、フォトショップでの修正の必要はなし。あとは、年相応の輪郭をちょいといじれば、結構いけるかもよ…って、これはわたしの今回の撮影目的からは外れてしまっている。

それに対して、Kiss X3は、入門機とはいえどさすがデジ一だからなのか、それともメーカーのポリシーだからなのかは知らないが、ドアップではいやおうなしに現実を見せつけてくれる。肌の色むら、毛穴、そして日頃は脳内では無いことにしているシミも、はっきり写っている。肌の色は、若干赤みが強く出ているが、かなり現実に近いものだ。そして、乾燥した唇はやはり乾燥した情けない状態で写っていた。せめてリップクリームを塗ってから撮影すればよかったと思うぐらい。

Lipsつまり、肌をきれいに撮りたければ、CASIO Exilimのようなカメラを使うと良い。自分撮りでは、脳内補正・補完した自分に近い姿が得られるだろう。最近、芸能人の「すっぴんブーム」があった。中には、「詐欺」と言われたものもあったらしいが、仮にこのようなデジカメで撮影したのであれば、詐欺行為を働くことなしに十分に美しいすっぴんが取れるはずだ。現実からは乖離するだろうが、輪郭までは変わらないので別人にはならないから大丈夫。

より現実重視のポートレートを取りたければ、Canon EOSのようなものを。現行機種でどのように写るかは知らないが、少なくともKiss X3では、毛穴や色むらに加え、目の下のちょっとしたたるみや、目じりのシミや、危うい小じわ等、見たくないものもきちんと写し出してくれる。シビアな現実を見たければ、あるいは顔に現れるその人の歴史や人となりを画像に描き出したければ、こっちだ。

そして、今回のわたしの目的にあったのは後者だ 。画像をモニターで隅々まで確認して、深いため息をついているところだが…

---

本文中の画像説明

1枚目の画像:

肌の色とテクスチャーの違い。わたしの左頬の同じ場所。上がCANON EOS Kiss X3。下がCASIO Exilim EX ZR-100。元画像ではさらに衝撃の違いがあるのだが、さすがにそれをブログにアップするほど心臓の毛の本数も太さもないので、画像を縮小の上Web用にファイルサイズを小さくしてある。

2枚目の画像:

唇の出方の違い。もちろん向かって左がExilim ZR-100、右がEOS Kiss X3。いくらなんでも違いすぎる。1枚目の画像と同様の処理を施してある。



両親ともに大腸がん

2012-07-11 22:04:00 | 美容と健康
子供のころは、検便といえば、回虫とか蟯虫とかいった輩を発見するためのものだった。

大人になってから、検便の意味と意義は変化した。大腸がんの検査のためだ。同時に検便は2日分になった。

さて、この検便による大腸がん検査に、昨年母が引っかかった。同様の検査を十数年受けてきて、ひっかかったのは初めてのことだ。出血がみられたという。というわけで、母は暮れに内視鏡検査を受ける予約をした。

母の食生活は、昔から非常に健康的だった。タンパク源としてはあまり肉をとらず魚が中心。しかも青魚大好き。そして大量の野菜を摂取。生野菜ではなく火を通したもの。そういえば母は、30年以上も前に、ゴマだのきな粉だの小麦胚芽粉末だのを毎朝食べていたっけ。

そして母は基本的にはかなりのアスリート。現役時代はフルタイムに近い状態で働きながら、休みの日をジャズダンスや体操に費やした。そういえば、ラジオ体操指導員なんてのもやっていたな。そして酒もたばこも皆無。

だから母は常に快腸。後期高齢者目前の最近は、さすがに年齢のせいかたまに便秘気味になることもあったけれど、今回もそのせいでちょっと切れて血が混じったかもよ。

…なんて軽く考えていて、大腸内視鏡検査に臨んだ母に、まさかの画像が。

検査技師は叫んだ。「なんだこれはぁ!」

内視鏡は肛門から入り、途中マイナーなポリープ2個を発見しながら、直腸、S字結腸、下降結腸、そして、横行結腸へと進んだ。(大腸の形状と、それぞれの部分の発生割合については、ブレイブサークルの「大腸がんの発生部位」を参照。)横行結腸をかなり進んだところで、技師は大小の無数のポリープが固まってある箇所を発見。その表面積は約3~4cm四方。思わず叫んでしまったわけだ。

結局、その無数のポリープの一部と、マイナーなポリープ2個が切除され、臨床検査に回された。そこからはがん細胞は発見されなかったのだが、無数のポリープというのは、形状からして問題だ。

「こういう状態のものは、かならずがん化するから。」

そういわれて母は、「ポリープがある部分を含む腸の一部を切除することを勧める」との紹介状を携えて都立駒込病院へ行った。

駒込病院で、再度内視鏡検査し、問題の個所の一部を採取し再検査したが、がん細胞は見つからない。だが、「こういう状態は、絶対にどこかにがん細胞がある。」

医師は、内視鏡粘的膜下層剥離術(ESD)をするという。つまり、大腸の腫瘍のある部分の粘膜下層を薄く剥ぐやつ。腸の一部を切除となると開腹手術か腹腔鏡手術だ。それに比べて、ESDは患者の体への負担がはるかに軽い。

が、それは、ESDが成功すれば、の話だ。大腸の管の厚さはただでさえ薄いし、その薄皮を広範囲(母の場合4 cm四方だが、本人には事前に3 cm四方と伝えられた)にわたって過不足なく剥離するのは少々難しそう。しかも、内視鏡をかなり奥に進めていかないと、例のブツに到達できない。

母のESDは2月に行われた。わたしは仕事を休み、叔父と叔母(母の弟と妹)もやって来た。剥離面積が広かったために、かなりの時間がかかった。

術後、担当医師が虫ピンできれいに伸ばした状態の剥離部分を見せてくれた。水洗いをした豚ハツの薄切りのような色味の薄皮に、鳥肌 ― いや、「さぶいぼ」と言ったほうが雰囲気はでる ― のようなポリープがびっしりついており、最大のものは水いぼ程度の大きさだった。

「これはわたしがイメージしていたポリープではない。」と、一緒に待っていた叔父は、目の前のブツに抗議まがいの反応を示す。たしかに、素人が一般的にイメージする大腸ポリープとは、異なった姿だった。

術後1週間で退院の予定が、母はその夜熱をだした。スケジュールが狂ったため、わたしは母の退院を待たずに、ウィーンに向かった。しかもこの時点では、わたしも経過観察の検診で引っかかって、帰国後にはわたしの方に再検査を待っているという状態だった。)

術後の組織の臨床検査の結果、医師の見立てどおりに、がん細胞が発見された。ステージは0期。かなり幸運だったといえよう。そしてわたしの再検査のほうも、結果はシロと出た。

わたしは、がん家系ではないと思っていた。がんはありふれた病気でなので、親類関係をくまなく調べればがん患者を見つけられないことはない。しかし、少なくとも六親等内には誰もいなかったはずだった。だから、わたしが自分の近い親族では、最初のそして唯一のがん患者だと思っていた。

が、父には大腸がんがあった。これは父の死後わかったことで、浸潤の度合いとかは不明であり、がんが父の死の直接の原因になったかどうかは不明だが、とにかくがんがあった。父は母と全く異なる不健康な食生活をしており、大酒飲みでもあったので、それだけでもがんになっても不思議ではないが。

そして、健康的な生活パターンの母にも大腸がんがあった。

ということで、わが家は一挙にがん家系へ… 母の大腸がんもわたしの乳がんも超早期(0期)発見で切除だけで済んだのは、共に最悪には至らない運があるのか。

ちなみに、これまで母に自覚症状があったのかということだが、「そういえば、2~3年前、後でがんあるとわかった個所が、たまにビリビリと震えるようになることがあった。けれど、痛いというわけではないし、しばらくするとおさまるので、そのままになっていた」そうだ。


シルバーパワー 「除草」編

2012-07-07 20:32:00 | 日記・エッセイ・コラム
Before

2012_before_1


After (ネコは本文とは関係がありません。)

2012_after_1


Before

2012_before_2


After(ネコは本文とは関係がありません…って、3匹も写ってるわ)

2012_after_2

母がシルバー人材センターに除草を依頼しました。
2名×1.5日の除草のお仕事でした。
恐るべしシルバーパワー!

ちなみにこのシルバー人材センターでは除草と剪定は明確に区別されており、樹木・低木にはノータッチです。
また、除草した草の処分については、こちらで行わなければなりません。

母はこのところ体調がいまいち。そしてわたしは手術時の検査で腋窩リンパ節を数個取ってしまったため、このような作業は極力避けています。

そこで、シルバーパワーを頼らせていただきました。ありがとうございました。