巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

業務連絡

2006-07-30 13:51:11 | 日記・エッセイ・コラム
ただいま急性扁桃炎でダウンしております。

数日間は、仕事はすべてキャンセルさせていただきます。納期のあるものの中でも守れそうにないものもあるため、ご迷惑をおかけしそうな関係各位には、個別に連絡させていただきます。

ここ数日、体温が39度台を中心に推移しております。強力なお薬をいただいているので、薬を使用した数時間は熱が下がるのですが、その後またぐわっと上がるという状況です。
喉はうみで真っ白、舌も喉からのうみで真っ白という、情けない状態でございます。喉ばかりでなく、耳は痛いし、体中が痛い。薬局でも薬剤師の「座薬の使い方はご存じですか?」という質問に、「正座して飲むんでしたよね」という定番のボケすら繰り出せない。数日絶食状態になっているのですが、若いころと違って、体重の減少も鈍い。(ああ、トシを食ったもんだ)

唯一の慰めは、気温が高いにもかかわらず、エアコンが不要になったことです。皆が「暑い」「暑い」といっているときですら、毛布2枚重ねとか、時には冬用の掛け布団をかぶっています。わが家は最近オール電化にし「電化上手」という電気料金体系になったので、電気代―特に夏の昼間の電気代―には敏感になっており、この季節の昼間の時間帯にエアコンを稼動させなくても良いというのは、わが家の家計にもエコにもよいことでしょう。

ちなみに、扁桃炎は体が弱っているときに罹る可能性が高いそうなので、ハードワーカーの皆様もお気をつけて。



学生が良い点を取れば、講師もうれしい

2006-07-25 01:55:45 | 日記・エッセイ・コラム
全国津々浦々の大学生諸君にとっては試験期間の由、さぞかし難儀のことと、いたく同情申し上げる。

さて、こちらも試験期間は忙しい。試験終了後一週間以内に、大学側に成績評価を提出するように求められているからだ。あわただしい一週間だ。Excelで一覧表を作り、試験の点数と出席と貢献度を入れ込んだ数式を作り、各履修者たちの顔や個々人の諸事情を思い浮かべつつも、結果はデジタルに出すのがわたしの流儀である。

さて、試験は受けるほうもドキドキだろうが、それを課すほうもドキドキだ。全ての先生がドキドキするわけではないのかもしれないが、少なくともわたしはドキドキする。試験を「学生がどの程度授業内容と授業の目的を理解したのか」のを測るバロメーターにしているからだ。学生たち全員の試験の点が悪ければ、わたしのやり方がまずいことになる。

担当する授業のうち1科目は、一昨年より筆記試験を行っている。この授業は、通常はPowerPointのスクリーン投影を基本にして進む。毎回PowerPointの配布資料とWordのハンドアウト、そして関連資料があればそのコピーを配布物として配っている。筆記試験時には、これらの資料は試験時には「全て持ち込み可」だ。で、この「全て持ち込み可」が落とし穴。これさえあれば、試験はOKと思ってしまう学生が多い。

で、学生たちには注意を促しているのだが、実は試験問題には配布した資料には載っていない質問が含まれている。つまり「配布資料には書かれてはないが、口頭で詳細に説明した内容」というのがあって、結構大きな配点を占めている。配布資料を読んだだけでは不十分ということだ。だって、ハンドアウトにすべて書かれているのなら、それに目を通せば良いわけで、わざわざわたしが講義することは無いじゃん。

ところが、この授業は月曜日の昼休み直後の3時限目にある。週末の疲れを引きずった体に昼食後という好条件が重なり、学生たちの瞼には錘がついているかのごとく異様に重い。しかも、PowerPointをスクリーンに投影するために部屋は薄暗くしてあり、午睡をむさぼるには良い環境だ。下手をすると講師ですら眠くなるので、こちらは昼食をとらずブラックコーヒーをぐい飲みして授業に臨み、なるべく興味深い話を入れるようにしている。しかし睡魔というのは、なんと強力な抗えぬ「魔物」であることよ。

こんな状態だから、筆記試験でこれまでに100点満点をとった学生はいなかった。しかし今回はなんと

「出ぇたぁぁぁあ!!!」

100点満点が出たのだ。

わたしはうれしい。とってもうれしい。もしかしたらこの100点をとった当人よりうれしいかもしれない。ありがとう。本当にありがとう。自分の授業の内容と目的を理解してくれて、しかも月曜日の3時限という,、勉強するには悪条件を克服して授業を聞いてくれてありがとう。

そういえば、むかし社会人大学院に通っていたときに、筆記試験で100点満点が滅多に出ないというM先生の授業で、100点を取ったことがある。(どのぐらい100点を取るのが難しいかというと、他の研究科の卒業パーティで、わたしの名前が出て、そこで「M先生の授業で100点を取ったふくしまさん」という話題になっていたそうだ。)このときはわたしよりM先生の方がうれしそうだったが、当時はどうしてM先生があんなにうれしそうだったのかわからなかった。

ともかくやっとM先生の気持ちがわかった。そういえば、M先生の授業は土曜日の昼食後の三時限だった。ほとんどが社会人だったため、仕事と学業の両立が大変で、みな眠そうだった。M先生にはわたしが、睡魔を克服して先生の授業に集中し、授業の内容と目的を理解した人間に映ったのである。

いや、本当はM先生の授業はいつも眠かったが…


ビックカメラによる登校拒否児のための施設??

2006-07-17 18:49:19 | 日記・エッセイ・コラム
わが家の近隣にある建物は、民家だけだ。厳密にいうと零細企業の小さな作業場ぐらいはあるが、あとはほとんどが一軒屋かアパート。それもほとんどが2階建てまで。何しろかつては「谷津」(「やつ」と読む。ああ「谷の津」だ!)と呼ばれていたぐらい低い場所だから、商業活動とか教育の場とかに使えるような場所ではない…と思われていた。

で最近、そんな「谷津」に、ビックカメラが登校拒否児のための施設を作るという噂が広がった。


Chikei

上の図は、わが家近辺の地形を南北に切ったイメージ図だ。あくまでもイメージ図であり、正確なものではない。これを見ていただくとわかるとおり、わが家の北側には、道を挟んでご近所の家がある。図には描かれていないが、家は道伝いに何軒か並んでいる。この北側のご近所の家の後方(北側)は、昇り斜面になっている。斜面の途中には比較的平らな土地があり、斜面の上は道路や建築物がある。

わたしが子供のころ、この斜面の平らな部分には、木造平屋建ての家が数件建っていた。おそらく家を建てるために、斜面を削って平らな土地を作ったのだろう。しかしここに建っていた家は、かなり昔に火事で消失し、その後は長らく自然の林状態になっていた。

この斜面に異変があったのは、今年の春になってからだ。

まず、多くの木が伐採され、大掛かりな地ならしが行われた。わが家が旧家屋を解体していた時期が、まさにこの場所の木の伐採と地ならしが行われていた時期と重なってしまったため、わが家と北側斜面にはさまれた家の人々は、数日間は「前から後ろから」の騒音と振動に悩まされたはずだ。偶然に日時が重なったとはいえ、ほんとうにごめんなさい。

そして、地ならしとともに建築・設計関係と思われる人が、ワラワラとやってきては、さかんに周囲を調査しはじめた。わが家の前の道も、複数の異なる建築事務所の関係と思われる人が、盛んに測量をしていた。

このタイミングで「ビックカメラがあの場所に、登校拒否児のための施設を作るらしい。ビックカメラの社長はすでに町会長に会って、その主旨を説明したらしい」という話が流れてきた。でも、word of mouthだから伝言ゲームになってしまっているかもしれず、その話には半信半疑だった。

なにしろ、ひんぱんに利用しているビックカメラと、登校拒否児のための施設という2つの異なるものが、アタマの中でつながらない。しかもこの場所に建てるとかいう話になると、余計につながらない。およそ建物が建ちそうにない地形と民家に囲まれたロケーションは、どうみても「箱物施設」に似つかわしくない。はたして建築許可がおりるのか?

Childrens_institution_2と、思っていたら、数日前に「建築計画のお知らせ」が掲示された。これで謎の一端は解けるはず…と思ってみたところ…

まず、建築主の氏名は、「社会福祉法人(仮称)ふるさと学舎設立準備会」。この社団法人の住所がビックカメラのカメラ専門館の隣のビルで、ビックカメラカメラ関連の会社が複数入っているらしいとことから考えて、ビックカメラがらみということは真実だったらしい。が、この「(仮称)」って何だろう?

で、用途が児童養護施設。児童養護施設のイメージは、Wikipediaに書いてあるように「「環境上、養護を要する(家庭環境が悪く、家庭での生活が困難)」と児童相談所長が判断した児童を養育する児童福祉施設」のイメージがあるが、登校拒否児のための施設も入るのだろうか。それとも登校拒否の子供のための施設ではなく、一般的にイメージされる児童福祉施設だろうか?

また、施工者が未定なのが、なんだか怪しげな雰囲気を盛り上げている。

さらに、この崖っぷちのような場所に、杭基礎とはいえ、高さ11.7mの建物なんか建てて大丈夫なのだろうか? わたしが恐れているのは、台風か何かで大雨が降ったら、地面が崩れてくるのではないかということ。 地ならしのときに竹を含む木を大量に切ってしまったようだし。水に関係ある地名がついている場所は、もともと軟弱地盤であることが多いし。(当ブログの「古い地名をあなどるなかれ」を参照のこと。)

建築計画のお知らせを見ても、謎は深まるばかり。社会福祉法人(仮称)ふるさと学舎設立準備会さんがウェブサイトかなにかを立ち上げて、もっと具体的なことを公けに告知をしてくれるとうれしいのだけれど。


「ネコ」ポリス その73

2006-07-10 23:06:58 | ノラネコ
どうもー。チビトラです。去年の夏に生まれた、ピッチピチの女の子です。稼業はノラネコです。

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ナウでヤングなあたしには、野望があります。ふくしまさん家(ち)の庭のナンバーワンネコになって、この庭をあたしのものにすることです。

いまのところ、ふくしまさん家の庭のご指名ネコは、先輩のオバサンネコのゴキリョウさんです。ふくしまさん家の中に住んでいるニンゲンたちの中には、動物嫌いのヒトもいますが、それでもゴキリョウさんには一目置いているようです。

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でも、はっきり言います。あたしはゴキリョウさんよりも、絶対にいけてると思います。自信があります。

なにしろゴキリョウさんの黒白模様ときたら、左右非対称で節操がありません。脚なんか、右手だけ穴の開いた紫外線防止の長い手袋をつけたみたいです。それにくらべてあたしは、あたしたちイエネコのご先祖さまであるリビアヤマネコを彷彿とさせるキジトラ系です。

Cats_73cその上、ゴキリョウさんには、2年もののハゲが2つもあります。声だって弱弱しく「ヒッヒッ」とか「ニヒヒヒヒィ」と言うだけです。おまけに、ゴキリョウさんときたら、後ろ脚にハイヒールを履いているような変な歩き方をします。ネコらしいしなやかさが、歩き方に見受けられません。

それにアタシの方がずっとフォトジェニックです。ゴキリョウさんの目なんて、写真を撮っても写らなかったり、怖い目をしている写真ばかりです。それに比べて、あたしの目はパッチリとして、写真にもきれいに写ります。

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それなのにゴキリョウさんのほうが、ふくしまさん家に認められているのはどうしてでしょうか。ゴキリョウさんは言います。「アタシは自分のアタマで認められてんだよ。若いだけがとりえの小娘のアンタが、アタシにかなうわけニャイじゃないの。ニヒヒィ。」

この庭に古い家があったころから、ゴキリョウさんは人間たちに、いつも自分の存在をアピールしていたそうです。そして実際に、古い家の1階の天井裏と、2階の屋根とベランダと、「ゆみ」という名のニンゲンの部屋は、ゴキリョウさんのシマだったそうです。だから古い家が取り壊されたときに、危険を冒してニンゲンの前に出て大抗議をし、それがニンゲンを感動させたのだとか。それに今の家が建つときも、神様より前に地鎮祭のお供えを食するという栄誉に浴したという話も聞いています。

でも、あたしだって努力しています。毎日ふくしまさん家の玄関前に待機し、玄関からニンゲンが出てきたら、わざと目の前で毛づくろいをしてみたり、流し目をおくりながら草なんかムシャムシャ食べてみせたりします。上目遣いにニンゲンを見つめ、時には甘えた声で鳴いてみたりもします。そんなわたしの魅力に、ニンゲンが落ちないはずはないと思います。

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すでに、近くの公園に通ってくるネコおじさんは、そんなあたしのとりこです。「このコが一番甘えん坊でねぇ。ふふふ…」と、あたしを見ながら目じりを下げています。

イメージトレーニングもばっちりです。ゴキリョウさんが不在のときは、ふくしまさん家の玄関で寝そべって、嬢王…じゃなくて…女王様気分で、ふくしまさん家の庭があたしのものになる日を想像して、モチベーションを高めています。

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ゴキリョウさんはオバサンだし、あたしは若いですから、黙っていてもふくしまさん家の庭があたしのものになる日が、いつか来るとは思います。

でも気になるのは、ゴキリョウさんの寿命のことです。ゴキリョウさんは、長生きの家系の出なんです。ゴキリョウさんのお母さんは1996年4月生まれ。齢10歳のノラネコにして、毎シーズン子供を生み、育てています。そして、今もまた妊娠しています。そんな、生涯現役のお母さんの血をひくゴキリョウさんは、もしかしたらあたしより長生きしてしまうかもしれません。

でもとにかくいまは、いつか野望が成就する日を夢見て、あたしの魅力をニンゲンにアピールする毎日です。がんばってます。