巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

MFC東京 第7回定期演奏会:マタイ受難曲

2007-02-27 06:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
メトロポリタン・フロイデ・コーア東京(MFC東京)第7回定期演奏会
日 時: 2007年2月25日(日) 15:00開演
場 所: 東京芸術劇場(東京・池袋)
出 演: 指揮/横島勝人
ソプラノ/田島茂代 山田綾子 メゾソプラノ/小嶋康子
カウンターテノール/本岩孝之 テノール/五郎部俊朗 牧野成史
バリトン/小島聖史 藪西正道 浅井隆仁
演奏/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
合唱/メトロポリタン・フロイデ・コーア東京(MFC東京)

曲 目: J.S.バッハ/マタイ受難曲 BWV244


母がMFC東京のメンバーなので見にいきました。バリトンの小島聖史氏が主宰するこのMFC東京は、アマチュアの合唱団です。しかし、常にプロの声楽家とプロのオーケストラとともに定期公演を行い、海外公演も何回も行っています。おまけに、その海外公演を行った場所というのがが、ウィーンの楽友協会大ホール(ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートで有名)とか、プラハのエステート劇場(モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』が彼自身の指揮で初演されたところで、映画『アマデウス』のオペラシーンもここで撮影された)等、怖いもの知らずの合唱団です。(さすがに楽友協会大ホールでモーツァルトの作品は避けたようですが。)

さてその合唱団が今回取り組んだヨハン・セバスチャン・バッハの『マタイ受難曲』といえば、全68曲で3時間をの所要時間を要する、西洋音楽の「最高傑作」です。準備に1年半かけたとはいえ、そんな大作にアマチュア合唱団が取り組むとは、かなりイイ根性をしています。

感想としては、1年半の準備でアマチュアで良くここまで…という感じです。合唱団の指導者たちの苦労が偲ばれます。ソリストはプロを揃えていてさすがです。(今回はソリストのうち2名が、直前にインフルエンザにかかったとのことですが。)エバンゲリスト役のテノールの五郎部俊朗氏は、やはりいい声ですね。指揮者の横島勝人氏のうしろ姿は相変らずスリムで、その指揮は激しくセクシーではありました。

ところで、母の持っている楽譜をチラ見した限りでは、たしか楽譜内にピアニッシモの記号があったような気がしますが、残念なことに女性のコーラスは、最弱音でもメゾフォルテで歌っているような印象でした。わたしは3階の舞台からかなり遠いところから見ていたのですが、女性のコーラスの音が大きく、他の音のすべて聞こえなくなってしまうことがありました。合唱団設立の当初は「声が後ろまで通らない」で苦労したそうですから、進化しているといえば進化しているのでしょう。

ところでこの『マタイ受難曲』については、わたしは「日本人はこの曲を真の意味では理解できない」と感じています。それは以下の理由によります。


■ キリストの受難の内容と意味が理解しにくい

ご存知の方には説明不要ですが、「マタイ受難曲」とは「マタイの福音書」の記述に基づくキリストの受難を扱ったものです。具体的には、マタイの福音書の26章と27章に書かれている部分を扱っています。(マタイが受難にあうわけではありません。)

この曲の歌詞はドイツ語ですが、今回の公演では舞台の両端に電光掲示板があり、歌詞の訳が出るので、歌詞自体の意味はわかるようになっていました。しかし、その歌詞だけで、そもそも「キリストの受難」の内容全体を、わたしたち日本人がどれだけ把握できるでしょうか。

キリスト教を信仰している人、キリスト教について学んだ人や、キリストの受難が描かれている映画(『キング・オブ・キングズ』(1927)、『ベン・ハー』(1959)とか、『パッション』(2004))やミュージカル(『ジーザス・クライスト・スーパースター』等)を観たことがある人は、一連の流れはわかると思います。

それでも、ある程度キリスト教やこの時代の知識がないと「扇動されたとはいえ、何故民衆の多くがイエスの死を望んだのか?」「いったいマリアって、何人いるんだ?」、はたまた「『預言が実現(または成就)するためである』ってどういう意味よ?」「人類の罪を背負って死ぬとはどういうこと? そもそも『人類の罪』って何だ?」と、いろいろわけのわからないところが出てくると思います。「マタイ受難曲」の歌詞の内容をきちんと理解しようとなると、かなりの背景知識が必要になってきそうです。


■ 宗教体験にならない

また、このイエス・キリストの受難にまつわる一連の話の筋を知っていたとしても、あるいはキリスト教に関するかなりの知識を持っていたとしても、もうひとつの問題があります。それは「この曲が宗教体験として、日本人の心に訴えることができるのか?」ということです。

キリスト教が深く浸透している西洋では、磔刑(はりつけの刑)のキリストの像や絵画はおなじみです。これはビジュアル・イメージとしては非常に恐ろしく、グロテスクです。わたしは磔刑図なんて長時間正視できません。

なにしろイエスは十字架には縛られるのではなく、手のひらと足首に釘を打たれて十字架に固定されているんです。(手のひらに打つと手が裂けて固定が外れてしまうので、実際には手首に釘を打ったらしいのですが、どっちにしろ激痛です。)

このような状態で十字架に磔(はりつけ)になると、呼吸困難に陥り、通常は数時間かけて苦しみながら死に至るといわれています。(ウィキペディアのキリストの磔刑の項を参照)つまり、磔刑は「苦しませて死に至らせる」処刑方法であったわです。イエスの頭には荊の冠がかぶせられているため、荊のトゲで頭からも血を流しています。もちろん釘打たれた手のひらと足からも血が流れている。その表情は耐え難い苦痛でゆがんでいます。

物心ついたときかたらキリストの受難の話を「真実」として聞き、そして磔にされたその姿をビジュアルで見せられ脳内に刷り込まれて育った人々にとって、母国語(ドイツ語)で壮大な音楽とともにその受難を提示されたショックというのは、かなりなものでしょう。

一方わたしたち一般的な東洋人にとって、バッハの音楽のすごさと物語の内容までは理解できても、それ以上の生々しさはありません。この大バッハの『マタイ受難曲』は彼らにとっては「音楽体験」と同時に強い「宗教体験」にもなりえるでしょうが、わたしたちにとって「音楽体験」そのものでしかないのです。ただし、純粋な音楽体験としても、かなりインパクトのあるものになり得ますが。


とまれ、MFC東京の定期公演を見て「やはりバッハの音楽はいいなぁ」と改めて思いました。家に帰って、久々に以前途中で挫折した「インベンションとシンフォニア」に再チャレンジしようかなぁと思いましたが、思ったところまででした。装飾音の解説を読んでいたら頭が痛くなってしまったので。


不完全燃焼による一酸化炭素中毒

2007-02-21 11:53:07 | 日記・エッセイ・コラム
わが家も危険な目にあってきている。

いま話題の旧型の瞬間湯沸かし器は、わが家にはついぞ縁のなかったもののひとつだ。瞬間湯沸かし器がなかった理由は簡単。取り付ける金がなかったからだ。一時期は「瞬間湯沸かし器がない」などというと、「信じられない」という顔をされたものだがこれは真実で、冬の食器洗いはまずヤカンでお湯を沸かすところから始まったものだ。非常に不便だった。しかしとにかく、瞬間湯沸かし器で一酸化炭素中毒などという事態には、なりようがなかった。

しかし、瞬間湯沸かし器がないとはいえ、一酸化炭素中毒事件はたびたび起こした。原因は例外なく父で、父は冬に酔っ払うと石油ストーブをガチャガチャといじる癖があり、これがもとで石油ストーブはたびたび不完全燃焼を起こした。

不完全燃焼で真っ黒になって使えなくなったストーブは数台。一度など「何か変だ」と思った母が父の部屋のドアをあけたときは、足元数センチを残して部屋の視界はほぼゼロ、父はすでに動けない状態になっていた。(わたしは翌朝、父の部屋中がススで真っ黒で、これまた真っ黒になったストーブが庭に転がっているのを見て、何かが起こったことを知った。)

今考えてみれば、瞬間湯沸かし器がなかったのは幸いだった。もしあったとしたら、酔った父が湯沸かし器をガチャガチャいじったはずだ。そうしたら今頃わたしも家族もあの世暮らしだったかも。

いまの家はオール電化なので、エコキュートが夜中にお湯をたっぷり作ってくれ、蛇口をひねればお湯が出る。石油製品も使わないので、不完全燃焼による一酸化炭素中毒は限りなく起こりにくい。世の中変わったものだ。


いまだからいえる恥ずかしい過去

2007-02-16 08:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
■ 郷ひろみのファンだった
 小学校のときの話だ。理由は書かなくても良いだろう。

■ 近藤正臣のファンだった
 彼が足の指で「ねこふんじゃった」を弾いていたころの話だ。

■ 『ノストラダムスの大予言』を真剣に読んだ
 中学生の時(1973年)の話。「同級生の多くが真剣に読んでいた」との言い訳も書いておこう。

■ 血液型の性格判断を信じていた
 これも中学生のときのこと。え? あなたまだ信じているって?

■ 初恋の相手は『宇宙少年ソラン』の主人公ソラン
 ええ、幼稚園のときのことでした。

■ 初めての職場で、配属されたその日に大量のミスコピーを作った
 その数およそ数百枚。大きなワンフロアにたくさんの島があるオフィスだった。コピー機から自分の席まで、あちらこちらを遠回りしながら、目に付いたゴミ箱すべてに10枚ぐらいずつ髪を捨てて歩いた。思えば初々しかったわたし。いまならたとえ上司がローマ教皇だろうと「すみませーん、ミスコピーやっちゃいましたー、数百まーい!」って、大声で自己申告するはず。長年にわたる労働は心臓の毛生え薬だな。

■ 小学校のとき、ピアノの発表会でモーツァルトのピアノソナタ15番 (K. 545)を弾いた
 「ソナチネアルバム1」の14番にある「初心者のための小さなソナタ」。ビクターの音楽教室の先生に言われるままに、何も考えず発表会で弾いた。大人になってからわかるあの曲の怖さ。いわゆるモーツァルト弾きたちのすごい演奏に打ちのめされた後は、もはや何があっても人前では弾くまい。


つまりは「6年間の代講」でした

2007-02-16 07:00:00 | インポート
わたしが担当した学生の一部はすでに知っているのだが、6年間勤めた非常勤講師を辞める。「今年は留学するので、来年は是非とりたい」「来年以降もたまには授業に顔を出していいか」と聞いてきた学生たちには、ちょっとショックだったらしい。

「何でやめるんですか?」の問いに、あまり上手く答えられなかった。どうせそのうち学生以外からも聞かれ、黙っているとまた変な誤解をされるので、ここでその理由を書いておこう。


わたしは本来この仕事をやるべき人の代理だったからで、その人は非常勤講師の仕事を直前でキャンセルした理由となった6年間の仕事の任期の仕事をいったん終えるからというのがひとつ。さらに、非常勤講師が金銭的に見合わないというのが2つ目の理由だ。3つ目は、大学のもつ国家観がわたしのものとは異なること。(なので、断わりきれずに臨時でたばこ屋の店番をしている嫌煙家みたいな気分になっていたわけ。)

この仕事をやるべきだったその人(仮にAさんとする)とは、大学院の同じ先生の指導のもとで研究をしていた。彼女は6年前の参院選に立候補した。「実は参院選の比例区に出るんです」と電話で連絡してきた彼女は、同時に2つの仕事を提示した。

1つは選挙が終わるまで、後援会のスタッフとして有給で働いてほしいとのことだった。「いま自民党の支持率は最低です。だから今回、若い女性を候補にしてみようということになったんです。ここでわたしが立たないと、自民党は二度と若い女性を候補にしません」と主張する彼女に、わたしは「これ以下の時給だと家計が破綻する」というギリギリの線を提示し、彼女はその額了解した。その際に彼女から「時給のことは誰にもいわずないで、周囲にはあくまでもふくしまさんは手弁当で来ているのだということにしてください」といわれ、わたしは結局3年間その約束を守った。

そしてもう1つの仕事が新学期から彼女がやるはずだった、この非常勤講師の仕事だ。すでに3月に入っており、新学期まで1ヶ月。待ったなしの状態だったのだ。

わたしは4月から大学院の博士後期課程に入ることになっていた。家庭内でいろいろゴタゴタがあったあとでもあり、大学の非常勤講師というのは金銭面を考えると避けたい仕事のひとつだった。が、7月に選挙が終われば後期から、あるいは長くても1年間を耐え抜けばこの仕事を本人に返せると思っていたため、Aさんを通じて大学に履歴書を送った。大学の面接では、お互いに「選挙が終わるまでだろう」という了解があった。

しかし、その後に来た小泉・真紀子ブームと選挙における舛添要一氏の大量得票のおかげで(それに加えて支援組織も相当動いてくれていたようだ)、Aさんは予想外の当選を果たした。「当選しそうもない候補を手伝うなんてバカじゃない」という周囲のことばを無視して働いたので、彼女の当選で自分のプライドが保たれはした。

が、その一方でマイナス面も大きかった。彼女の後援会のスタッフとしての、時給の約束額は支払われなかった。さらに彼女の任期の残りの期間を考えると、自分の手元に残ってしまった非常勤の仕事にめまいがした。おまけに「ふくしま自身が政治に色気がある」と噂されたり、はたまたのちに彼女が文部科学大尽政務官に任命されたときには「きっと研究職につくために便宜を図ってもらうはず」「勝ち馬にのってうまくやったよね」とまで言われて、本当にがっくりした。(人間って怖いね)

とまれ、金銭面を無視すれば、非常勤の講師の仕事そのものは面白かった。意欲ある学生たちが自分の能力を自分で高めていくことに対して、少しばかりの手伝いができるから。しかしわたしには「面白さ」とか「自分の勉強(あるいは将来)のために」という理由で仕事をする余裕はなかった。薄給であり準備にかなりの時間を費やす仕事だ。

また、非常勤講師の報酬は「給与」とされるため、確定申告での必要経費の申請も認められにくい。そしてこの大学は設備面で不足しているものが多く、何かしようとするたびに自己負担になる。非常勤講師の授業の準備のために、他の仕事で必死になってお金を稼いでいる…みたいな気分になったこともあった。

その間に、博士課程を中退せざるを得なくなった。中退理由は2つあって、1つはゼミの先生が退任してわたしの研究を指導できる分野の教授がいなくなったことだ。そして、もうひとつは財政上の理由なのだが、この一連の選挙の一連の収支と非常勤講師の仕事は後者の理由の一因となっている。

どう考えても非常勤講師を続けるのは無理と判断したわたしは、4年目にAさん本人にその旨の連絡をいれたあとで、この仕事を誰か責任をもってやってくれる人をさがそうとした。しかし薄給にもかかわらず非常勤講師をしようとする人は、普通はその仕事を足がかりに研究職をめざす人だ。

そんなときに頭の中にあったのは、自民党本部に長くいて一緒に選挙の苦楽をともにした人からの「あなたには嫌なことかもしれないけど、もしAさんが次に落選したら、大学はAさんをやとって、次の選挙に相応しい肩書きを与えるだろう」ということばだ。そしてその人は選挙に落選し次の立候補までの「つなぎ」として、大学の教授の肩書きをもらった人の氏名を複数あげた。「そういうものなのよ。」

「そういうもの」であると聞いた以上、わたしは声をかけた人たちに対する説明責任を果たさなければならない。そして説明責任を果たしたら、誰もいなくなった。そこでわたしは覚悟した。じゃあ、彼女の最初の任期中はやってやろうじゃないの…って、もう意地になった。「自分がされたからっていって、同じことを他人にやり返してはいけない」という合理的とはいいかねる意地。

そしてやっとAさんの任期が切れる。前回の選挙中に彼女は「わたしは出たかったのではない。自民党が要請したので断われなかった」と主張した。今度の選挙は彼女自身の意思で決めるべきであろう。彼女が立候補したときに学界関係者に主張したような思いであれば立つべきではないし、後にわたしが聞いたように彼女の方から売り込みをかけたのであれば、それをきちんと言うべきである。大学はそれを受け入れ、落選したとしても肩書きを与えるだろう。Aさんと大学の国家観は似ているのだから。

3ヶ月前、今回で非常勤講師の継続を辞退した経緯を、Aさん本人宛にメールで送った。そのときに一連の経緯を知っている人たちにBCCを送っておいたため、BCCを読んだ方の中から「どういう返信が来るのでしょうね」とメールをいただいた。わたしは「多分何もこないと思います」と返答しておいた。

予想どおり返信はない。人を雇うときに一番大切な時給の条件すら無いことになったのだから、今回も同じだろう。時給については「このことは誰にもいわず」をわたしが守ったため、選挙後2年間は、選挙で一緒だった周りの人たちも、わたしがボランティアのつもりで来ていたと思っていたらしい。酒の肴に「実は時給XX円だから了承したんです」と暴露したとき、当時を知る人たちは凍りついていた。

いまは新しい仕事のことを考えている。結構忙しくなるかもしれない。そして、わたしの非常勤講師としての最後に仕事は…

複数年にわたって同じ授業に履修登録をしている君に、何とかして単位をとってもらうことだ。がんばってよ、再試験。


夜中から朝方にかけて、庭に不法侵入者あり

2007-02-14 15:05:59 | 日記・エッセイ・コラム
朝、庭にでてみると、泥のついた大きな靴跡が、玄関から門扉まで続く土間コンクリートの上にたくさんあった。庭にも足を踏み入れた跡がある。庭の隅にある自転車置き場にも靴跡がある。ネコやタヌキの足跡はかわいいものだが、見知らぬ人間の靴跡とは気味が悪い。

家を建て替える前は門扉がなかったので、結構いろいろな人に入られた。庭の植物などもよく折られたり、盗まれたりした。庭に植えられていた状態のモミの木を留守中に盗まれたこともあったし、朝、玄関前に止めている自転車の前カゴの中を見ると、夜のうちにだれかがタバコの吸殻を捨てていったたらしいこともあった。

そこで、家を建て替えたときに、庭のフェンスと門扉をきちんとつけたのだが、それでもフェンスをこえて入ろうと思えば庭に入り込むことは可能だ。

一応家の内部にはALSOKをつけてあるし、夜になるとシャッターのある窓はすべてシャッターを下ろしているのだが、本当に嫌な気分だ。また同じようなことが起こった場合、やはり警察に連絡しておいたほうがよいだろう。屋外防犯カメラの導入も考えるべきだろうか。

皆さんもお気をつけください。