巣窟日誌

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自転車の価格

2004-10-12 12:31:32 | 日記・エッセイ・コラム
世の中には、時がたってもあまり価格が変わらないものがある。一般的には(ごく最近は例外とする)時がたつにつれて、物価や収入は上がっていくものなので、時がたっても値段が変わらないものは、実際の価格が安くなったものである。

たとえば食べ物でいえば、バナナとか鶏卵がそうだ。バナナといえば、かつては入院中ぐらいにしか食べられない高級品だった。バナナを扱う業者もかなりの収入を得ていたようでで、親戚の家の近くに「バナナ御殿」と呼ばれた立派な家があった。その家ではバナナの追熟加工を業としていて、かなりの収入を得ていたらしい。(バナナは青く、かたく、渋い味の未熟なまま輸入され、その後、室の中での追熟加工を経て、黄色く、やわらかく、甘くなる。)現在では、バナナでは立派な家は建てられないだろう。

前ふりはこのぐらいにして、話をタイトルに戻そう。そう、自転車の価格についての話だ。長い年月を経て、これもほとんど価格が変わっていない。つまり、自転車の実際の価格は下がっている。

かつて自転車は、庶民にとっては高価なものだった。昔読んだ本のなかに、松下幸之助氏と部下の、自転車にまつわるこんな話が載っていた。

幸之助氏が自転車業者と話をしている最中に、突然部下の1人を呼び出して、この部下に「おまえ、自転車を買え」と言った。部下は「自転車なんて買うお金はない」状態だったが、幸之助氏の命令なので逆らえない。そこで、自分の子供の貯金をこっそり引き出してお金を用意したところ、幸之助氏から「ああ、あの自転車は最初からおまえにあげる予定だったんだ(から、金は必要ない)。」と言われた。


幸之助氏の人となりをあらわすエピソードだったのだが、わたしにとっては、かつて自転車が庶民にとって高価なものであったことを、思い起こさせる話になっている。

わたしが最初に自分の自転車を買ったのは1973年で、ナショナルの自転車だった。父が当時勤めていた会社が、ナショナルの代理店もやっていた関係から、安く購入できた。定価31,800円の5段変速の女性用スポーツサイクルが、社販で15,900円。当時11歳だったわたしが、生涯ではじめて大きな買い物をした瞬間であり、「定価」というものに大いなる疑問を抱いた瞬間でもあった。なぜに、半額? 以来、わたしはモノの価格すべてに懐疑的だ。

生まれてこのかたもらったお年玉を全額貯金していたわたしは、それをすべて下ろして、15,900円を捻出した。ところが、買った自転車を乗り回したのはわたしではなかった。父が日々の通勤で使い、ある日駅に止めてあったところを盗まれてしまった。

「娘にお金を払わせておきながら、自分で乗り回し、あげくの果てになくすなんて」と、わが家ではけっこうヒンシュクものだったが、似たようなできごとは、自転車という文脈に限らなければ、今も昔もあちらこちらの家庭で起こっているのだと思う。つまり、オトナというものは、ときにはそういうことをするものなのだ。

さて今、自転車売り場を見まわすと、30年前の自転車の定価31,800円はともかく、あのときにわたしが実際に支払った15,900円でも、安い自転車なら購入することができる。最安値の自転車がお望みなら、10,000円札でお釣がくるだろう。もちろんあまりにも安いものは、数ヶ月乗っているとガタがくるという話だが。

先日カラスにサドルをほじくられたママチャリ系自転車はブリヂストン製で、たしか30,000円ぐらいで買ったものだが、もう8年近く乗っている。タイヤ、インナーチューブとも数回交換している。先週も後輪のインナーチューブを取り替えたので、乗り心地にクセはついてしまっているが、あと半年ぐらいは頑張ってもらおうと思っている。

ちなみに30年前の31,800円は、当時のナショナルの自転車にカタログにある、女性用の自転車の最高価格だった。父は「これ以外は、入手が困難」のような勢いで、強力にそれを推薦した。なぜその自転車だったかというと、社内における父のミエのためだったらしい。こういうことも、オトナはときにはするのだ。世の中のコドモたちは気をつけるように。