巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

ムーヴバンド2 再びリコール

2014-11-30 21:48:10 | ガジェット/モノ
「ムーヴバンド2」の製品交換に関するお知らせ (2014年11月25日)

ドコモヘルスケアのリストバンド型活動量計ムーヴバンド2が2度目のリコール。


この製品は、今年6月にブラック・ブラウン・ターコイズの3色展開で発売されたが、直後ブラックが「ベルトと計測器及び留め具部分が剥がれやすい」ということでリコールになった。そのときブラウンとターコイズではそのような問題はないと聞いていたのだが…

8月の下旬に、たまったどこもポイントでブラウンを手に入れた。使用しているオムロンの体重計、血圧計、体温計とのデータとのリンクがしたかったからだ。

購入から1カ月もしないうちに、ボタン部分のゴムが本体から剥がれた。そこでカスタマーサポートに電話をかけ、交換品を手に入れた。その際、保証期間が来年の9月まで延長された。

が、この交換品も、1カ月もするとボタンの部分が剥がれだして、また交換ということになった。先日3つ目のブラウンを手に入れたが、その際に、保証期間が来年の11月までに延長された。

そしてその直後、2回目の製品リコールが発表された。今回はベルトの色にかかわらず7月24日以前に製造された全製品が交換の対象になる。

わたしの場合、2回の交換に至る不具合はいずれも同じだ。

まず、購入して10日ぐらいから、ボタンのクリック感がおかしくなる。真ん中を押してもクリックが効かず、ボタンの端を押さなければならなくなったり、強く押し込まなければならなくなったりする。朝のアラームを設定している場合は、どうやってもクリックができず振動が止まらなくなったりして、かなり苦労することが多くなる。

そんなことが続くうちに、ボタンを外から覆っているゴムの部分が剥がれて浮いてくる。ゴムの部分が完全に剥がれるころは、ゴムの下にあるボタン本体は、どうやっても操作できなくなる。



リストバンド型の活動量計は、どれも不具合があるらしい。しかし、ムーヴバンドの場合は、(わたしはドコモポイントで手に入れたが)本体に対して税込で9,000円以上支払い、その上オムロンの機器からのデータとムーヴバンド2のデータをあわせて有効活用しようとすると、毎月有料アプリにお金を払わなければならないということだ。
あげくの果てに、この製品がドコモにしか対応しないはドコモヘルスケアの製品だから許すとしても、電波法の関係で海外では使えないってのはどういうわけよ。

でもまぁ、保証期間を延長してくれるというのは、良心的だが。

というわけで、こうなった。




当分は2本併用で様子見。JawboneのUPは機内に持ち込みたいので、イヤホンジャックで同期するほうを選択。


しかし、同じほうの腕に両方つけているのに、いつもUPのほうの歩数が2,000歩ぐらい多いのよ。(ムーヴバンドでは1日平均13,000歩。UPでは15,000歩。)しかも睡眠が、質でいうと、UPでは寝ている時間のほぼ半分が深い睡眠、一方のムーヴバンド2は1/3ぐらいしか深くは眠っていないらしい。


ははは…(力なく笑う)

ケチャップ

2014-11-15 23:35:50 | 日記・エッセイ・コラム
昨年の冬から数か月前まで、母は毎朝トーストにチーズをのせ、ケチャップをかけて食べていた。パンばかりでなく、天ぷらやケチャップには合わないと思われるものまで、ケチャップを使っていた。わたしは母が、ケチャップが大好きなのだとばかり思っていた。
ところがいつのまにか、母は突然ケチャップをまったく使わなくなった。そしてその後、わたしは気づいた。冷蔵庫の中に、開封して使いかけのケチャップが3本もあることに。

そこで母に聞いた。「どうして、使いかけのケチャップが3つもあるの?」

母の答えはこうだった。
「ケチャップ? ケチャップ? ケチャップってなんだっけ?」

母が度忘れをしたのかと思い、わたしは使いかけのケチャップの容器を、母に見せた。

「ああ、それをケチャップっていうの? 知らなかったものだから。」

ケチャップをめぐる同じような会話は、その後もたびたび繰り返された。そのたびに母は「知らなかったものだから。」と、まるで生まれて初めて知ったかのように答えた。

そして「知らなかったものだから」という母の答えは、ケチャップばかりではなく、他のこれまで毎日使っていたもの、やっていたことにも、使われるようになった。

祖母は、晩年はずっと認知症だった。母の妹も既に認知症で施設にいる。おそらく母もそうなるのかもしれない。いや、母がケチャップをサツマイモの天ぷらや、サラダや、鯵の塩焼きに使っていた時点で、もうすでにそうなっていたのかもしれない。

OCNブログ人より最後の投稿

2014-11-01 00:22:17 | 日記・エッセイ・コラム
(これは、2014年11月1日00時09分に行った、OCNブログ人「巣窟日誌」http://yfden.blogzine.jpへの最後の投稿です。)

ブログ人からの投稿は、これが最後になる。

このブログの過去の投稿は、http://blog.goo.ne.jp/big_mikan_tokyoに移しており、今後はそちらで継続していくことになる。


わたしがブログ人で最初の記事を投稿したのは、2004年3月30日。OCNが「ブログ人」という名称のブログサービスを開始したその日だ。つまりわたしは、最古のブログ人ユーザーの一人だ。

この2004年は、日本においてブログが爆発的に流行った年だった。それまでネット上に自分の意見を書こうとすれば、けっこう面倒な思いをしながら、ウェブサイトをつくって、それをメンテナンスする必要があった。すくなくとも最低限のHTMLの知識は必要だったし、読みやすくきれいなデザインにするのは、素人には難しかった。

それに比べ、ブログはかんたんにネット上に自分の文章が掲載でき、しかも、素人でも見た目がそこそこ美しいものができた。しかも、たまたま誰かのエントリーを読んだまったく知らない人間が、トラックバックやコメントが自由につけることが可能というのは、とても新しい機能だった。

その新しさゆえに、いわゆるネチケットは大混乱をおこし、「無断トラックバック禁止」、「無断リンク禁止」、「読み逃げ禁止」、「勝手にお気に入りに入れることは禁止」とか、今考えれば懐かしささえ覚えるが、巻き込まれたその時には、本当に頭が痛くなるような、新手のトラブルがそこかしこで発生した。わたしもそんなトラブルの1つや2つに、いや3つや4つに、巻き込まれた。

ブログ人という特定のブログサービスについていえば、2004年当時、「ブログ」に飛びついたユーザーも熱かったが、ブログ人の運営側も熱かった。そんなブログ人の初期の運営にかかわり、自らもブログ人で「いい感じ」というブログを書いていたkwmrさんは、リアルでお会いしたことはないし、ブログ上でもほんの少しやり取りをしただけだったが、なんとかしてブログ人をいいものにしていこうとする気持ちは、ビシビシ伝わってきた。

また、やはり当時ブログ人でブログを書いていた「もげきゃち」のろぷさんや、コメントが楽しいNagarazokuさんらとのやりとりは、面白かった。たまに通りすがりの変な輩にからまれることはあったけれど、現実世界では全く知らない人間同志が、オンライン上でどんどんつながっていくというのは、ブログで初めて体験できたことで、わくわくして、刺激的で、でも、ちょっと怖いことだった。

ブログ人の有料プランは、当初より他のブログの有料プランと比べて割高であり、だからこそOCNのブログサービスはそう簡単に終わらないだろうと思っていたのだが、残念だ。このようなブログ人の終わり方に、多くのユーザーと同様、わたしも怒りを覚えてはいる。が、同時に、ブログ人には感謝している。いろいろ面白い体験ができたのだから。だから、このような悲しい終焉を迎える中で、どれだけのユーザーこれを言うかは知らないが、わたしは言っておこう。

ありがとう、ブログ人。

ちなみに、わたしはOCNの個人ユーザーとしては、最も古い部類に入るだろう。なにしろ、使っているメールサーバーのひとつは、blueなのだ。

OCN自体は、まだ当分はなくならないだろう。なくならないよね?