巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

さすが松下さん

2012-09-30 02:00:00 | ガジェット/モノ
Rxmdx80_20120929

古いCD/MDラジカセのリモコンが昇天してしまった。本体は2003年に買ったパナソニックのRX-MDX80。この型…というより、このシリーズのCD/MDラジカセは、MDが最初に壊れることが多いらしく、そのせいでたいそう不評だったが、幸運なことにわたしの手元にあるものは、すべての機能がまだ生きている。

発売年は2002年。いまのところ不具合はないが、そんなに遠くないいつの日か、確実に壊れるだろう。そしてわたしには、リモコンを自分で修理するなどという甲斐性はない。

ということで、そろそろ買い替え時か?

さて、何を買おうか。現在、一番使用する機能はラジオだ。しかし、MDはたまにしか使用しないが、全く使用しないというわけではない。カセット部分は、母の依頼でたまに使用することがある。というわけで、CD機能もMD機能もカセットの録音再生機能も確保したい。

だが、世間的にはあまり使用しないMDを搭載したオールインワンラジカセなんて、今日日売っていない。かろうじてソニーのオールインワンコンポCMT-M35WMがまだ市場にあるから、それを買うか…

なんてことを考えながら、壊れたリモコンの表面に印刷されている、リモコンの型番で何気なくググったところ、

まだ、純正リモコンが単体で販売されているじゃないですかぁ!

さすが松下さん。松下幸之助氏の顔が浮かんじゃったよ。ついでに、「みんな、うちじゅう、なんでもナショナールー!」という歌も。

さっそくぽちった。複数のサイトから購入可能だったが、今回はアマゾン経由でPanasonic Selectionに注文。税込1,680円+送料。最初に本体に付属していたリモコンはマレーシア製で、新しく届いたリモコンはインドネシア製。

わたしがぽちった直後、このリモコンを販売する複数のサイトの当該リモコンが「在庫切れ」となった。おそらく在庫管理システムを共有しているに違いない。まあ、わたしはとてもラッキーだったよ、松下さん。

というわけで、壊れるまで使わせていただきますよ、RX-MDX80を。

Remotes
左が古いほう、右が新しくとどいたほうです。


まだまだ、ママのおっぱいが恋しい…

2012-09-29 23:06:14 | ノラネコ
人間のこどもの「乳離れ」というのは、自然な状態ではいつぐらいだろう。もちろん母親に次の子供ができれば、強制的に乳離れ。母親が働いている場合も、

でも、わたしが見聞きした限りでは、小学生になっても家に帰るなり、母親の胸に吸いついていたこともあるらしい。もちろん、もうとっくに乳はでないし、摂取する栄養は普段の食事で足りている。でも、「乳に吸い付く」という

さて、本題は最近庭をテリトリーとしているノラネコの母子ことだ。

Sacchan_and_kittens_2012092

ノラネコ「さっちゃん」から、おそらく4月中に生まれたであろう3匹の子供たちがいる。ご覧のように、いまだに全員がママのおっぱいにしがみついている。一番体が大きい「シロチビ」はすでにさっちゃんと同じ大きさだ。

もう栄養補給源は篤志家の寄付や自己調達だ。自分たちでちょっとした狩りもできる。だから、栄養的にはママのおっぱいに頼る必要はまったくない。だが、注意深く見ていると、1日のうちにかならずママのおっぱいに3匹そろってしがみついている時間がある。しがみつかれたさっちゃんは、もう自分ほどの大きさになったこどもたちの頭をなめてやっている。

なかなか母親のもとを離れない理由には、「いろいろな人からエサをもらえるので、さっさと独立しないでもやっていける」という事情もあるのだろう。が、彼らを見ていると、ペットショップに並んでいるペットたちは、あまりにも早く母親のもとから離されているようにみえる。

しかし、動物愛護管理法の「8週齢」問題は実質棚上げされてしまった。


あいかわらずのさっちゃん↓
Sacchan_20120929

元気のよい男の子シロチビ↓
Shirochibi_20120929

思慮深い男の子クロチビ↓
Kurochibi_20120929

体が一番小さい女のコのトラチビ↓
Torachibi_20120929

この子たちの、もっと小さいころの写真は、「子ネコ (1)」、「子ネコ (2)」、「子ネコたちのチキンゲーム」あたりからどうぞ。












駅前の雑居ビルのテナント構成は世につれ…

2012-09-13 00:35:47 | 日記・エッセイ・コラム
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。


1992年ごろ、わたしは東京を中心に複数の英会話学校を経営する会社に勤めていた。

配属先の神田校は、東京はJR神田駅前の7階建ての細長い雑居ビルの2階と3階にあった。わたしの記憶が正しければ、当時はそのビルの1階には青果店、4階より上には消費者金融会社の支店が1社と、別の小さな企業が入っていたと思う。周囲には、似たような細長いビルが何棟もあった。

わたしがそのビルで働いていたのは同年の8月末までだった。バブルの崩壊に伴い、会社は都内の複数の学校を同時にクローズした。わたしは、生まれて初めての会社都合退職を経験した。(追記:よく考えると二度目の会社都合退職だった。)わたしが勤めていた会社を含む多くの英会話学校が、リストラを行ったり倒産したりした頃のことだった。

1998年に、当時勤めていた再就職支援企業の本社移転に伴い、わたしは再び神田駅の近くで働くことになった。神田駅を降りると、かつて働いていたあの7階建ての細長い雑居ビルが見えた。

恐ろしいことに、あのビルには、1階から7階まですべてに、有名無名の社名の異なる消費者金融が入っており、さながら「サラ金ビル」と化していた。

再就職支援会社のサービスを受けるためにやって来るクライアントは、リストラにあったり早期退職に応募したりして職探し中の失業者たちだった。「当社のオフィスを利用しようと神田駅を降りると、真っ先に見えるのがサラ金ビルってのは、ちょっとまずいんじゃないか?」従業員の多くが、心の中でそう思っていた。

再就職支援会社には、結局は2000年の春まで在籍した。その後、わたしは博士後期課程に進み、大学の非常勤講師を務め、同時にフリーランスのビジネスコンサルタントとしての活動も開始した。

先日、その再就職支援会社時代の懐かしい顔数名に久々に会って、飲んだ。場所は、当時の本社があった神田駅の近くだ。件の再就職支援会社は、すでに存在していない。

神田駅を降りると、あの例の細長い雑居ビルが目に入った。隣のビルにこそアコムやレイクなどのよく知られた消費者金融が入っていたが、消費者金融業に厳しい時代を反映して、あのサラ金ビルはもはやサラ金ビルではなくなっていった。1階は銀行のATMコーナーになっていた。

わたしは、かつてわたしが勤めていた2階と3階に目をやった。2階はリフレクソロジーなどを行う店、そして3階は語学学校だった。ただし、語学学校と行っても今度は英会話ではない。

中国語教室だ。

そういえば仕事をしていて、「ふくしまさん。中国語はできますか?」と聞かれることが多くなった、今日この頃である。

Kanda_goto_bldg