巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

葬儀のマナーには、宗派よりも地域性が強く出る場合がある

2009-10-31 19:45:29 | 日記・エッセイ・コラム
「これからは何物にも縛られず、自由気ままに生きたい。旅をして生きていきたい」と言って出て行った父が他界した。そんなことを言っても、昔からずっと何物にも縛られず、自由気ままに生きた人だったが。

父の故郷では浄土真宗の家が多く、父の家も当然ながら浄土真宗である。一方、わたしの母方は曹洞宗であり、母方の地元に住んでいるわたしには、浄土真宗の葬儀のマナーが良く分からない。

そこで、母の故郷の地で父の葬儀を行うにあたり、そのマナーについてはまずは父の故郷の人たちに倣うことにした。

父の故郷から葬式に出席してくれた人たちは、みな決まったように線香を2本ずつ立てていく。父の田舎ではそうするものだという。近所の曹洞宗の葬儀の場合は1本(人によっては3本)を立てていく。偶数の本数を立てるという習慣はわたし個人にはあまりなじみがなかったが、これが宗派の違いかと思い、とりあえず2本に倣うことにした。

ところがこれに、葬祭ディレクター経由で浄土真宗のお坊さんのチェックが入った。浄土真宗では線香を寝かせるものだという。

不安になったわたしは葬祭ディレクターに、浄土真宗の焼香のマナーを聞いた。通常わたしがとっている方法は、抹香を3本の指でつまみ、それを目を閉じて額の高さまで捧げたのちに、香炉の中に落とすことを3回繰り返すというものだ。

葬祭ディレクターは、浄土真宗では指でつまんだ抹香を額の高さに捧げることはしないという。その理由は、抹香を額に押し抱くのは「穢れを払う」という意味があり、浄土真宗は死者を「穢れ」とは考えていないからだという。そして焼香の回数は1回だとのこと。

「ふむふむ、なるほど。そういえば、浄土真宗では死ぬとすぐに極楽浄土となるのだったな(高校が仏教系であり、「宗教」の授業で各宗の違いを学ぶ機会があった)…」と納得して、葬祭ディレクターの教えてくれた方法でお焼香を行った。が、父の故郷の人たちの焼香の方法をチラチラと見ると、みな抹香を額の高さに捧げる方法をとり、しかも3回行っている。

あとで確認すると、父の田舎ではお線香は必ず2本立てるものであり、焼香は額の高さに捧げる×3回が絶対なのだそうである。だだし出席者があまりにも多い場合には、1回になることもあるらしい。葬祭ディレクターも地方による葬儀のマナーの多様性を認めており、通常は線香の立て方や焼香の仕方を指導することはしない。しかし、今回は線香についてお坊さんから指摘があったために、仕方なく伝えたとのことだ。

ちなみに、告別式後参列者にお清めの塩が配られなかったのは、おそらく「穢れはない」という考え方によるものだろう。父の田舎でも清め塩が配られていないのかどうかは、確認していない。


母を携帯デビューさせる

2009-10-12 12:58:37 | ガジェット/モノ
母に携帯に持ってもらって、メールの送受信ぐらいは覚えてもらった方が良いような状況が発生した。

わたしがドコモのユーザーであることと、母が70代で老眼であることを考えると、これはどう考えてもドコモのらくらくホンシリーズしかない。

母の地頭はわたしと同じぐらいだとは思うのだが、なにしろかなり高齢である上に、このような危機の操作に慣れていない。これら諸々の状況を勘案し、ドコモショップでさまざまならくらくホンの現行機種を触った末、結局らくらくホン ベーシックIIなるものを選んだ。基本的な機能は通話とi-modeとカメラであり、それ以外の機能はほぼ排除されている。

F07a

母のような「シニアの携帯初心者」を対象としているためか、操作ガイドDVDが付いていて、メーカー側(富士通)の配慮が感じられる。しかしシンプルな機能に絞ったとはいえ、i-mode黎明期あたりの携帯を考えると、機能は格段に複雑になっている。母はすでに混乱しているようである。しかも:

「どうやっても電話がかけられないのよ…」
「…それ、電源入ってないよ。」

なんて信じられないような事態がすでに発生。がんばれ母。

ところで、「形が古臭い」とか「ワンセグもついていない」とか「フルブラウザじゃない」とか、外野1名がいろいろとうるさい。いいですか。この形は原研哉氏がデザインしたもので、「手になじんだ石けん」をイメージしているのですよ。