巣窟日誌

お仕事と研究と私的出来事

Annus Horribilis (酷い年)

2015-12-30 23:43:28 | 日記・エッセイ・コラム
「酷い年」というのは、あるものである。

たとえば、わたしにとっては2009年がそれ。
自分が乳がんであることが判明し、
着々と準備を行ってついに得た、転職先の内定を辞退しなければならなかった。
さらに、乳がんの手術を間近に控えたある日、
警察からの電話で、汚部屋と化したアパートで、父が孤独死をしていたことを知った。

もう「乳がん」と「父の死の後始末」が一緒に来たあの混乱ときたら、
自分ながら、良くも乗り切ったものだと、当時のダイアリーを見ると今でも感心する。

さて、2015年もannus horribilisと呼べることが決定。
2014年の暮れあたりからおかしかった母の認知症が
3月頃からは加速度的に進み始めた。
大体、こういうときに限って、わたしがぎっくり腰になったりする。
おまけにこの馬鹿げた事態を待っていたかのように、
仕事ではイレギュラーなEディスカバリーのレビューが入って残業三昧になるのである。

さて、母の病状は日ごとに悪化し、7月初旬には完全に昼夜が逆転。
医師の「24時間、人の目があるところにいたほうがよい」というアドバイスで、
介護老人保健施設(老健)を探した。
が、こちらは一刻も早く入所させたいが、検診やら審査やらですぐには入所できない。
最終的に入所がかなったのは8月の半ば過ぎだった。
この間、私の睡眠時間は毎日2時間を切る事態に。

さて、老健というところは、リハビリ目的の施設のため、短期入所が原則である。
しかも、入所した老健は認知症対応型ではないため、
3ヶ月をめどに退所することを当初よりほのめかされていた。

というわけで、ものすごい勢いでグループホームを探しまわった。
様々な審査を得てやっと入所のOKが出たため、
グループホームに入れる家具などを色々手配した。
こういうときに、元総務ブチョーはやたらと手際が良かったりするんだ。

がここで、母の具合がさらに悪くなり、
今度は老健から「今の状態ではここからは出せない」と言われてしまった。

これが11月半ばごろの話。

とりあえず投薬(母は前頭側頭型認知症のため、効果的な薬がなく、
対処療法的にセロクエルが処方された)で様子見となって、
母は老健で年を越すことになった。
が、依然としてとして不安定な状態ながらも
12月半ばには「どうにかなりそう」という状態に落ち着いてきた。

実は、わたしはこともあろうにクリスマスの日に
再び腰をギックリとやってしまい、
今も何とか薬で持たせているのだが、
とにかく母のために「自宅でおせちを食べる元日日帰りプラン」をたてた。

といっても、相変わらずの仕事量の多さだ。
ここは、市販のおせちに頼るしかない。
そこでおせち嫌いの弟に貶されつつ、オムニ7で11,700円のおせちを予約した。

が、本日老健から連絡があって、母の体調が悪いとのこと。
顔色がとても悪く、吐き気と嘔吐があり、点滴でもたせているという。
明日もこの調子なら救急車で搬送するという。

明日は、午前中に母に会いに行くが、とりあえず「元日日帰りプラン」は、無しだ。
年末年始の母は、体調が良ければ老健に、体調が悪ければ病院にいることになる。

そして、おせちは明日到着する。弟は「1回だけなら、食べても良い」と入っている。
つまりわたしの正月は、

「一人で黙々とおせちを食べながら、正月明けまでに完了させねばならない大量の仕事をこなす。
痛む腰を抱えながら、仕事の合間をみて、老健にいる母のもとに通う。」

「痛む腰を抱えながら、病院にせっせと通う。その合間をみて仕事をする。
寝る暇と食事をする暇はほとんどない。」

のどちらかになりそうだ。

そしてわたし自身も体調不良だった2015年の医療費は、とんでもない額に!

  ↓ これを一人で食べるんでしょうか。



東京ミチテラス2015

2015-12-25 00:06:01 | 日記・エッセイ・コラム
東京ミチテラス2015(東京駅)


今年はライトアップのみなので、それほど混んではいない。


丸の内クリスマスマーケット(丸の内仲通り)


数件のみという印象が…


東京クリスマスマーケット(日比谷公園)





日比谷公園のクリスマスマーケットは、どう見ても食べ物と飲み物しかない。
同公園内で毎年行っているオクトーバーフェストがそのまま冬バージョンになったかのよう。
ウィーンでみた、ツリーのオーナメントやろうそくがたくさん売られていた、あのクリスマスマーケットが恋しいよ。