![Taco_2 Taco_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/00/a5924f53ff6622c8c1004642c19391b4.jpg)
デビューアルバムの"After Eight"では「虹の彼方に」「バラ色の人生」「チーク・トゥ・チーク」等をエレクトロ・ポップ(死語か?)にアレンジしてセンスの良さを印象付けたが、今考えるとひたすらセンスで勝負した感もある。
このデビューアルバムは、全世界では上の写真のようなマトモなジャケットで出回ったが、日本語版のデビューアルバムのみ、異なったジャケットが使われた。下の写真のように彼の写真とともにタコ(つまりあの8本足のオクトパス)が描かれていたものだ。もちろん名前に引っかけたのである。しかもジャケットの裏は、なんと裸体の女性にタコが絡む春画である。もちろんタコの絵は中の音楽とは全く関係ない。
![Taco_1 Taco_1](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d5/cd52437e92e859d2031ca9bdc0d87090.jpg)
しかしそれも彼が日本で歌うまでだった。
タコが日本人にキワモノ感を印象付けたのは、たしか1984年に東京音楽祭に出場し、「西洋から見た日本」の視点にあふれた東洋趣味の「サヨナラ」 "Sayonara ('Til We Meet Again)" を歌ったときであった。
歌の冒頭に日本女性の「愛する、ナンジン(?)さん、誰が我らを引き離したのでしょうか…」と、「帰国子女が、昔の日本語をしゃべったつもり風」のフシギなナレーションを入た(東京音楽祭でナレーションを担当したのは、どこぞの大企業の重役のご令嬢だったと記憶しているが確かではない)「現代版マダム・バタフライ」の歌に、この音楽祭をみていた日本人全員が吹っ飛んでしまった。「これで彼が銅賞を獲得したのはナレーターのお父上の方から、うちの娘がせっかくナレーションを担当したんだから、『とにかくタコに賞を与えろ!』という圧力をかけたに違いない」と、勘ぐってしまったぐらいだ。
翌日のバイト先の喫茶店で、店長がバイトの女性全員を集めてめずらしくお説教を始めた。そのお説教とは…
「いいか。間違っても昨日の東京音楽祭に出ていたあの男、ほら、そう『たこ』だ。あんな奴を恋人にしては、だめだぞ。」
そしていつのまにか、タコはミュージック・シーンから消えてしまった。彼は今どこで何をしているのだろう。
ちなみに、写真下の日本版のデビューアルバムのLPは、わたしが今でも持っているものだ。日本のセカンドアルバムである来日記念盤の"Let’s face the Music"もいまだに持っていて、どちらのアルバムにも、帯がついている。来日記念盤の帯には「SUNTORY MILD VODKA 樹氷 SPECIAL TACO '84」とあり、来日公演のスケジュールが書かれている。時代だぁ。
YouTubeにTOKYO MUSIC FESTIVAL TACO で出てきます。